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教育の在り方~桜守の佐野籐右衛門から学ぶ~

先日、佐野籐右衛門さんの本『桜よ 「花見の作法」から「木のこころ」まで』を読み、

日本には自然の美しさに対してこんなに心をこめられる方がいるのかと感心しました。

さくらんぼの種を植えると、桜になるものもあるようですが、

それがしっかり木として成立するには、20年かかるそうです。

しかも、どの種がちゃんとした木になるかはわからないので、

たくさん植えた中でもちゃんと成長できるのは数本だろうな。

なんたる淀まぬ精神…とても気が長くなくてはできない仕事です。

そして、しっかり添え木をして木にしていくのですが、

その添え木もずっとそうするのではなくて、ある時期が来ると

その添え木を取って、自分で成長できるようにあえて放置ではないですが、

自分の木の力で成長していけるように管理するそうです。


まあざっくり内容で、しかもかいつまんだ話ですが、

私が思ったのは、桜も人間が子供を育てるのも同じなんだなーってことです。

子どもは最初は一人では生きていけませんので、

親と一緒に生活をして何でもできるようにします。

しかし、いつかは親元を離れたり、死という決別を迎えなければならないわけで、

いつまでも親を頼りに添え木のように生きていてはいけないのですよね。

そして、親はそうなるようにいつかは子を手放して、

あえて自分の力でやれるように子供を見守らなければなりません。

親も自立していかなければ、親としての尊厳を保てなくなりますもんね。

桜の木の育て方から、人間の成長のいろはを教えてもらった気がします。


そう、学習もそうです。先生に依存して、答えを待ってそれを覚えても、

問題を自身で解決することはできません。

師はこうあるべきだといういい英文をたまたま見つけたのでどうぞ。

著名な教育論者Rogersの英文です。

I question the effectiveness of teaching. The only thing I know is that anyone who wants to learn will learn. A teacher’s role is to place delicious food before students, to show them how wonderful it is, then to invite them to eat.

「私は教えることの有効性に疑義を唱える。私が知る唯一のことは、学びたい者は誰でも学ぶものだということだ。教師の役割は、学生の前においしいものを置き、それがどれほどすばらしいか示してから、彼らに食べるよう勧めることである。」

先生とは本来知識に対して逐一すべてガイドするべき存在ではないのです。

それ以上に、学生がどうしたら勉強に興味をもつかなーってことを考え、

その知識って素晴らしいだろう?って生徒に誘いだそうとすることが

先生の役目なわけですよね。それをはき違えているのが、日本の教育産業です。

特に中堅どころの中学受験・高校受験は顕著にそれに近い指導として現れています。

こういうことをしていて受験に失敗してしまうと、

勉強って興味を持とうと思うどころか、「どうせやったって意味ないから面白くない」

って常にマイナスになってしまうんですよね、思考が。

だから、まずは志望校云々を考えることはもちろん重要なのですが、

その前に

「知識を得るとこういうことができる、あーいうことがわかる」ことを示さないとですよね。

こういうスタートをしっかり迎えた上で、手塩に育てると、

学生も3月に桜が舞う高校や大学の並木道を歩くことができるんですよね。

だから、私は第一志望を合格させることを強調するよりも、

「勉強って面白いからやってみる」っていう学生をたくさん創ろうと精進しております。
cancan
Posted bycancan

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