我が軍の上位クラスに一応所属している学生の中に、
応用問題はそこそこ手を出せるが、基礎の問題はなぜか解けない学生がいます。
例えば、It is not until we lose our health that we recognize the value of it.
という英文があったとします。
これはit is not until A that B「Aして初めてB」だと教え、
untilの後ろ、つまりAには文も来れば、名詞も来れることを説明に加えるのですが、
それでも骨格を覚えずに適当に当てはめてしまう学生がいます。
この構文が難しいからでしょうか。いやいや、全然難しくありません。
ある程度説明をしなければ気が済まない方もいるかもしれませんが、
それでも覚えてしまえば終いな部分があり、何が難しくて基礎例文を書けないのかが不思議です。
それが偏差値40の学生ならまだしも1度60前半までたどり着いている学生が
このような基礎例文の知識を忘れはしないはず……
かなりおかしなか事が起こっているわけなんですよね。
そう、孫悟天がスーパーサイヤ人になれるのに、舞空術ができないぐらいの衝撃です(笑)
とまあ、こういうことが起きる理由はいろいろあります。
一つは大手予備校に行くと、
パフォーマンスのごとく難しい問題をやたらこなすことにあります。
やはり予備校では、あっと言わせなければならない風習があり、
私も1つか2つは生徒の目を引くような話をしなければと思いながらお話をします。
しかし、上位クラスに生半可の力で受講していると、錯覚を起こし始めるんですよね。
「俺はこのクラスにいるから難しい問題を解いている。
こんな簡単な問題はできなくてもいいんだよな」
実際に大手の先生自体がそのように指導することもあります。
「いやー、こんな問題は簡単だからこれだけやっていてもできないよね。」
いやいやいや、簡単な問題がわからずしてどうやって難しい問題へ応用すべきなのか
分からないとダメでしょう。プロセスとしての基礎事項だと分からない時点で
指導者として終わっていますし、生徒も中途半端に難しい問題に手を出して潰れていきます。
もちろん実力相応の学生もおりますし、ちゃんとやっている人も多いのですが、
無理矢理背伸びしてレベルが高いクラスに入った学生の多くは
このような誤った認識と錯覚を手に入れて、浪人生活をすごします。
そして、「どうして受からないんだろう」と悩んで、また大手なりに行くわけです。
というように大手の風習による影響は
こういういびつな実力を持った学生を創り出す感じ……うーん、否定できません。
また難しい問題ばかり解いていると、
中毒のようにそれを解いていないと気が済まなくなります。
そして、やはり簡単な基礎問題を軽視します。
基礎の上に難しい問題があることに気づかないと、徒労に終わることがあります。
まずは自分の実力を謙虚に見つめ直してみて下さい。
例文暗記していない不安定な実力で、
英作文や並び替え問題に立ち向かう学生がどれだけいるって。
東大や京大を軽く受かる学生の多くは、相当量の英文を暗記してますよ。
そして、それに近いぐらいの問題演習と丁寧な復習がなされていますよ。
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