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自分の脳もファッション化しよう。

医学部受験を志す学生や、東大京大を志す学生、

早稲田慶応を志す学生の中に結構おしゃれー、またはピアスをあけまくったり、

ヘアスタイルが奇抜な学生だったりすることがあります。

今年の学生にもおしゃれが先行している学生がちらほらおり、

私としては「おっ、おしゃれに身をまとっているじゃないか!」

って感心してしまうこともあります。

勉強するためにおしゃれは必要ないのかというと、私はそんなことはないと思っております。

まあおしゃれをするというよりも、

自分を他者とは違うんだという自己主張をしているというと考えると、

実は学習期間におけるおしゃれは正当化されるのではないかと思います。

特にピアスやタトゥーはファッションとしての機能よりも、

精神性を写しだす道具として機能しております。

さすがにタトゥー(刺青)をしていた学生には出会ったことがないですが、

乾電池が通るくらい耳に穴をあけていた学生はいましたねー(笑)

私からするとただのびっくり人間にすぎないのですが、

ピアスのように自分の身体を傷つけて何かを身につけることは、

親からかけ離れ、自分の身体に施したことが故に、人は何もいうことができない

完全なる自由を手に入れたことを示している、という象徴でもあると言えるわけですよ。

これって、ある意味、自分の生き方があるから、俺は、私はこうするという

勉強じゃないにしても何かしらの意思表示だともとれます。

こう考える私は、

勉強しながらおしゃれをしている学生やピアスをぼこぼこ開けている学生が

他のうんちく垂れて、受験に染まった学生よりもずっと潔く勉強している

精神首尾一貫人間なのではないかなーって思います。

それを貫きながらやり抜くがゆえに、やはり東大や京大、

早稲田慶応にはいっちゃうのかなって思います。

だからこの辺の大学のミスコンって盛り上がりますよね。

(京大はミスコンって聞いたことがないが、関西はまた違うのかねー)

あとは立教とか明治とかあのへんも

やはりある程度覚悟してお勉強しなければ入れませんよね。

そういう点で見ると、一応わが母校である名古屋大学の学生は

首尾一貫しているたくましい精神性を兼ね備えた学生と言うよりは、

全体的にバランスの取れは社会的に形成された人間が多いかなって思います。

(私の勝手なイメージですよ。だって私がフレアデニムで下駄をはいて歩いていたら

みんな不思議そうにみていましたもん。ファッションの合わせ方が奇抜すぎましたかね)


そして、ファッションに凝る学生は外見だけの装飾では満足をしませんし、

ファッションが内面から外部へ放出することを本能的に知っているわけで、

やはり勉強する必要性はあるのではないかと考えがちです。

ファッションに携わっている方で、頭がよろしくない人を私はあまり知りません。

例えば、以前ディオール・オムのデザイナーだったエディ・スリマンは

(日本でナロータイを流行らせたと言っていい男です。)、

美術史の専門家で、エコールを出ているはずですし、

日本が誇るファッショニスタ山本耀司は慶応卒です。

あほではやはりファッションの組み合わせをうまくできませんし、

自分らしさを出すことができません。

自分らしさを学ぶためにも、まずは高校時代はおしゃれして、恋して、

勉強をめちゃくちゃしてほしいです。ただ遊んでいるだけではもったいない。

私も高校時代は何を血迷ったか、髪は赤かったり、緑だったりしましたし、

モヒカンでしたし、眉は剃りまくってました(笑)

シャツは出していましたし、体を鍛えて、胸を開けていた時もありました。

それは自分が他者とは違うと自覚して、

そこから入らないと飲み込まれると思ったからこその行動なのです。

そうした意思表示をしながら勉強をしている学生をみると、

なんか頑張ってほしいと思うものです。


あんまりおしゃれ礼賛の先生も少ないかと思いますが、

私はその原動力が実は勉強するためのバイタリティに繋がると信じております。
cancan
Posted bycancan

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