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間違いを認められるかどうかが人を変えるかどうかを決める。

さて、授業が始まって少々時間が経ちましたが、

我が軍のできる学生たちのクラス、非常に出来がよろしくて、

先週実は授業をなめられてしまい(笑)、レベルを2つほどあげて授業しました。

そこでやっとうーんと悩んでくれたので、

学生も満足のいくところが1つや2つあったことでしょう。

とまあ、今年はそんなクラスができるとは計算外だったので、

もっと難しい問題を追加しようと思います。やる気出ました(笑)


そんななか、もちろん引き続き中学生の指導もしているのですが、

物凄くできる学生なのに、最近伸び悩んでいる学生がいます。

長文で文法事項のことを聞くと、わかるはずなのにわからなくなるというか、

パニックを起こします(笑)

そこで、その学生にその答えるべき英文の周りにある情報を言ってあげると

「あ、そうか」ってなり、解答が出来上がります。

要するに、自分が知っていたものに直結できるようになるというわけですね。

私がこのことで発見だったのは、構文や文法をかなりやりこんできて

直訳気味に全部わかったとしても、

全体の文意が繋げられない学生もけっこういるんだなっということです。

その学生にとっては文意を取ることと、構文を取ることが本当に別物として考えられており、

それらを同時進行で運用できないのですよね。

うーん、しかも国語力の問題もそこにのしかかるので、またまた深刻なのですが

まずはそれらを同時進行できるように導いていかなければなりません。

しかし、ここ数か月の間、その生徒に英文の全訳をさせてきたのですが、

なぜ文意をとらなければならないことに気づけないのかなって思いました。

英文ですから、構文がわかることよりも内容がわかる方が大事なわけで

そこを排除してはいけませんよね。

(もしかしたら、私が文法をやらせすぎた……

でもそのあとに大量に英文を読めばわかるはず!)

すると、学生は面白いことをし始めます。

「先生、自分が書いた答えを変えてもいいですか?」

ある程度説明を加えた後に、自分の考えていた答えを変えようとしたのですよ。

私が説明して生徒が内容をつかんだことで、自分の間違いに気づいたのはいいのですが、

勉強ができるようになるためには

その間違いに自分で気づかなければなりません。

だから私は、「変えちゃダメ。自分のミスを受け入れようね。」と言います。

問題集はできる問題からは何も得られません。

できる問題だけをやるのは、それはやはり麻薬のようなもので、意味がありません。

間違えたという事実にヘコむヘコまないを考えるよりも、

間違えたらどうして間違えたかを徹底的に突き止めたほうがいいです。

この間違いを認める認めないができるかどうかが、

今後飛躍できるかどうかを決めてくるんですよね。

これは実はにわかに実力がある学生によくある行動です。

間違いに過剰になって、それを「そうでない」と隠蔽したくなるようです。

プライドが高いのもあるかと思いますが、

その反面こういう行動は変えるために頑張っている証拠ともとれるので

とりあえずソフトに対応していこうともいます。


ただこういう行動を繰り返していると、

自分が間違っていることに気づかずに、

我が強くなり自分が正しいと思い込み始めるので

どこかで直してほしいですね。そういう経営者は結構います。(残念ながら予備校多し。)
cancan
Posted bycancan

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