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引く奴に道はない

昨年の11月に、ある特別授業の雑談の中で、

自分のことを少し棚に上げて、やる気が出るんじゃないかと信じて

成功談を話しました。

まあ私は勉強がもともとできなかったので、

私が指導している多くの学生よりもスタートラインが低かったわけですが、

それでもどうして1浪で早稲田や国立医学部に入る資格を手に入れられたのか、

そして、そうするためのきっかけとはなんだったのかを話しました。

しかし、大半の人々は絶句。

おそらくその理由の一つは私が皮肉を込めて自分を蔑みながら

話をしているためでもあるかもしれませんが、

この状態に私は残念でした。


「引く奴に道はありません!」

受験生がしていることというのは勉強であって、

自分が志望している学校とは自分の実力に合うところというよりも、

自分がそうあってほしい理想像に見合っている学校に行こうとしているわけです。

つまり、自分の最大限の力以上の力を出して、志望校の合格証書を手に入れるのに、

どうして成功談ややりすぎ一歩手前の話を聞いて、

躊躇してしまうのでしょうか。非常に不思議です。

尋常な精神で成就していれば、苦労はいりません。

苦労無くして大学に入るのであれば、お金を積んで大学に入るなり、

自分の手のひらにハマる大学に入ればいいと思います。

残念ながら、世の中、人の犠牲の上に幸福の華が咲く…

誰かが不幸になっている間は、誰かが必ず幸福を得ており、

人間が二人以上いれば必ず、誰かが損をして、

誰かが得をするのが世の中であり、損得勘定や幸福論に

皆が平等に同じ水準で幸せになり得ることはまずありません。

多くの人々がそう思うようになったわけで、

じゃあ自分はできることをして自分らしい幸せを探そうとし、

社会の枠組みにはめられないような人生を送ることを好み始めているわけです。

まあ自分らしさを見つけて生きること、

これは私もしていることですが、ありなんだと思います。

でも、受験という道を真剣に考えることとは、

ある意味で社会としっかり正面向かって対峙することを選んでいることなわけです。

そして、社会と向き合うということは、人と共存することを意味するのと同時に、

人と争う(競う)ことも意味します。

同質の人間にみんななれるのであれば、前者のみを追求しても問題はありません。

しかし、絶対に楽しくないでしょう。

そんな社会があったら勉強を始めとした努力を、私は絶対にしないと思います。

こういった一見当たり前なことでありながらも、

真正面からまなざしを向けたくない事実を

受験生はもっとまじめに考えてほしいなと思います。

その上で自分の在り方を考えてみると、大半の人は

「あ、今のままではヤバいな。もっと自分のダメさを精査しよう!」

と思い立ち、修正を加えるはずです。

その先にあるのが、「限界を越える」とか、尋常じゃない量をこなそうとか、

結果的に普通と逸脱したことしか思いつかなくなってくるわけです。

そうなったとき、そしてその思っていたことを成し遂げてしまったときは

きっと今では思い描けないような光景が待っているのだと思います。

だから、自分とは真逆に近い現実を目の当たりにしても、

引かずに受け入れる努力をしてください。

実はそれが思い悩んでいる優秀な人にとって、

合格への最後の最後の一歩になるんだと思います。
cancan
Posted bycancan

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