最近、私が教えている中学生がiPodを手に入れたようで、一生懸命それをいじっています。
しかし、彼女は生まれてこの方パソコンや音楽ポータブルプレーヤーに触ったことがなく、
お友達がみんな持っているから私もほしいという願いから、
親御さんがクリスマスプレゼントとして買ってくれたそうな。
うん、そうだよね、みんな持ってたらほしいよね(笑)
でも、音楽の入れ方がわからないので、結局1週間放置だったようで、
その学生は私にそれを打ち明けてくれて、私がいろいろ操作してあげていました(笑)
まあiTunesをダウンロードし、音楽をインポートし、iPodに音楽を入れる作業までですね。
彼女の残念なところは、私がやってくれるが故にやり方をまるで覚えないという点…。
要は、答えを聞いて満足して、
その場の問題が解決できればいいという思考になっているわけですね。
そんなわけで、不具合があるとすぐに電話が来ます(笑)
まあ、別にいいのですが、もう少し頑張ろうと思ってしまう時がありますね(笑)
(それでも、生徒ですから可愛いですなって思ってしまうのが、講師のバカさ加減ですよねw)
さて、こういったあまり人間の根本に影響を与えずに済むものならいいのですが、
これが勉強レベルの話になると、少々深刻です。
今の学生に多いのは、とにかく「答えを待つ」ということですね。
中学生や中高一貫生に特にそれが多いですね。
おそらく、答えを埋め込んでから、仕組みを考えるという順序でお勉強をしているので、
考えるという作業を端折ってしまっているのでしょう。
これだといつまでたっても「わかる」のですが、「できる」ようになりません。
実は私も同じ経験がありました。しかも「英語」という科目で(笑)
私に高校の時に教えてくれていた塾の英語の先生は、
とにかく頼りがいのある、寡黙だができる先生でした。
常に「お前はこうしろ!」、「こういるルールがあるから、これでいけば問題ない!」
というようななんかわかんないのですが説得力のある指示ができる先生で、
私は完全にその指示に従いながら勉強していました。
しかし、今思うと従いすぎたようにも思います。
というのは、その指示が的確すぎたので、
私はその指示を仰ぎに毎日のように先生のところに質問に赴いていました。
一問わからないと先生に聞く、またわからないと先生に聞く……。
先生と言う松葉づえにしがみつきながら勉強していることに気づかず、
成績はそれなりに上がってしまい、さらに気づかずに同じように日々を過ごしていたのですが、
ある日そのダメさ加減に気づきました。そう、高3の模試を受けた時に惨敗したためです。
偏差値が20落ちた時にはさすがに失笑しました。
夏の時点で偏差値75から55に落ちるのはさすがにビビりました。
そのとき、その先生に言われました。
「お前はわかっているが、自分でできるようになっていない。
現状から常に離れる努力をして自立しないと、NEETと同じで、いつまでたっても実力がつかない。
お前は俺から少し離れて勉強するだけで、成績が変わるぞ。どうしてもわからないときだけ
俺のところにこい。週に1回まとめて質問するようにしたらどうだ?」
突き飛ばされたように一瞬感じたのですが、なぜか優しい言葉でした。
そう、「できる」ようになるために一度自分の安泰の場から離れなければなりません。
そして、帰ってこれるかなーっていう努力をしなければなりません。
私はその惨敗した模試から、1か月間は誰とも話さず、黙々と一人で問題解決に努めました。
英語はとにかく自力で答えが同じように出るまで、やった問題を繰り返していました。
すると、自分なりに答えを出す法則が出来上がり、
それをすべてまとめまくり、実践でためしながら試行錯誤して、
最後の記述模試で返り咲きの偏差値72まで戻しました。
このとき、私は受験でしたら夏以降ですが、
ある試験が近づいてきたら、「わかる」ことよりも
「できるようになる」ことに意識しなければならないことを知りました。
実戦が自立した人間を創るんですよね。
だからというか、私のように失敗をしてほしくないので、
10月あたりからは「質問は極力まとめて、どうしてもわからなかったら私のところに来ること、
調べてわかるようなものは自力でやってねー」と指示します。
これもできるようになるための修行の一環としてやっております。
「自立できる=勉強もできる」です。
まあ中学生にはそれは難しい時があるのですが、
私と一緒に勉強していたり、話したりしていると勘がいい学生はそれに刺激されて
何事も自分でできるようになっていきますねー。
こういう学生を創り上げるのは私のミッションの1つでもあります。
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