今日の授業のオープニングトークで出た話題なのですが、
「うーん、○○君は怒らないよねー。理不尽なことってないの?」
って聞いてみると、
「僕は激怒したことはありませんねー。」
いやー、20歳ぐらいですと1回や2回はありますよね。
私なんて、先日電車の中でイヤホンなしのiPadで大音量で音楽を聴いていた
バカ女に怒鳴ってしまいました(笑)(←いや、本当にあれは迷惑だったので。)
うーん、沸点が高いのは人格者として崇められるし、
非常に温和で素敵だなーって思います。
そして、そういう人はそのまま確かに人格者になってほしいですね。
しかし、人格者に最終的になるのはもっと大人になってからで十分でもあるんですよ。
むしろ、私は、
真の人格者はある程度酸いも甘いも知った先に見える境地だと思っています。
私は無論人格者と言われる、人の悪口を言わず、常に輪を乱さず、
物腰が柔らかくいられる人間ではないですが、
これでも高校の時よりは丸くなりました(笑)
まだまだこれからいろいろ知って、いろいろ悟ればもっと落ち着くでしょう。
しかし、忘れないでほしいのは、
人格者=何も言わない人ではないということです。
にこにこしているだけで、「うん、うん」と言っていても
自分がない学生はやはり魅力はもちろんですが、人格者からは程遠いように思います。
学生のうちで人格者として覚醒していたら、もはや学校って行く必要ってありますか。
まだ何も覚えていないからこそ、学校へ学びに行くわけで、
またそのなかでいろいろ覚えるわけで、大いに自我を他者へぶつけて、
ダメなんだというものを知る時期なのが、10代なわけですよね。
私はだから学生にはよく『「喜怒哀楽」は激しくあってくれ!!』と言います。
それのが若くてすがすがしいですね。
私の授業ではそんな感じの学生が結構いるので、
分からない時は学生たちは容赦なく私に質問をしてきます。
でも、これって一生懸命やっている証拠ですよね。
一生懸命授業を聴いてくれている証拠ですよね。
そうやってとがっていても、制裁してくれる先生がいて、
「こういう考え方も知っておこうね」っていうことを諭してくれれば、
学生は大方素直にわかってくれるものです。
また受験では譲歩すると埋もれます。受験は残念ながら競争なので、誰かが喜び、
誰かが悲しまなければならないわけですよ。
だから、こんな状況で人格者と言われる人は生まれるはずもありません。
学生のみなさん、だから大いに正しいと思ったことに突き進んでくださいね。
(あ、悪気のある発言はやめようね。人に迷惑をかけることと突き進むことは違いますよ(笑))
そして、勝気になって合格証書を勝ち取ってきてください!!
コメント
コメントがありません。