さて、浪人生の推薦組が一部抜け、少しずつ空気がピリってしてきました。
(まあこの時期でピリってしないのもまずいですが(笑))
しかし、推薦試験を終えて、完全に意気消沈した学生も少なくありません。
さらに、先週返ってきたマーク模試や駿台の記述模試のスコアが更なる追撃をし、
一部の学生はかなりやる気を削がれていました……。
そんな学生の一人が私のところにやってきました。
「先生、僕の学校は進学校だったんですが、みんな頭がいいんですよね。
マジでビビりますよ。東大2番で入った先輩とかもやばかったです。
僕らの代は一番期待されて無くってダメダメでしたけどね…。」
えーと、私は自分が出た高校に何の誇りもないし、
学校での思い出もないのでよくわからんですが、
学校の功績なんて受験生には関係ありません。
私が教えている学生の多くが進学校出身の学生ですが、
こうやって前年度や次年度の学生と比較して、できるできないを良く話しますが、
それはいったい何の意味があるのかよくわかりません。
どんな学校に行っても、最終的に重要になってくるのは、
そいつができるかできないか、やるかやらないかです。
進学校の中盤から下位の位置にいた人々は、
完全に自分自身を過小評価する傾向にあります。
できるやつらに引け目を感じたのでしょう。
でも、不思議なのは自分の境遇をわかってもらおうとか、
「自分のポテンシャルはこんなもんじゃないからもっとみてくれ」
といわんばかりの自己顕示をする場合、
同じ学校にいたできる学生を引き合いに出して、自分はそいつの友達であることで
そいつに認められた存在=自分もデキる人間というように話をしたがります。
まあ気持ちは汲みますが、私はそこをあえて、「で?」と容赦なく言います。
「自分は?」ってところ、つまり今ある自身の心境には彼らは触れず、
現実から逃避しているのですよね。
そんなのダメなんですよ。
超進学校、名古屋ですと、東海や滝や南山女子ですと
入った時点で絶対に勝てないなーっていう学生がちらほらいるんですよね。
それを目の当たりにすると、
「あ、世の中ってこういう天賦の才能を持った奴っているんだよな」
って思ってしまい、自分の居場所ってせまいんだなーって思うこともあるそう。
でも、人生80年ですから、絶対に勝てないというわけではないですよ。
その時は(受験期は)勝てないとわかっていても、その先の人生で
まったく逆転することは全然あり得ることです。
そのために自分は一生懸命に勉強すればいいと思えれば、
一度ぐらいは世間にも周りの天才と呼ばれる人にも一泡吹かせられると思っています。
それでいいじゃないですか!(笑)
だから、このたかだか受験の1~2年ぐらいの戦いで負けたぐらいで、
引け目を感じているようではダメです。
「自分は天才が多くいた学生の学校出身だ」ということを強調したって
状況は変わりません。
一応世間では名門とされている名古屋大学でさえも、
あほはいっぱいいます。大したことがないやつはいっぱいいます。
言語系の大学院なのに、英語ができない学生だって半数います(終わっているw)
だから、私は世間体ではそうかもしれませんが、
私はちっともあの大学をすごいと思っていません(笑)
(日大法学部の方が恩恵を受けたし、ストックホルム大の方がエリートたくさんいましたし…。)
要は受験しようが、就職しようが、ダメな奴はダメ。
良いやつはどこにいっても同じパフォーマンスを出せるわけですよ。
じゃあどこでもいいのかっていうとそうではないですが、
(受ける恩恵の確率は確かにあがるし、志が高いやつは集まりやすい…)
出身校を強調してはいけないわけですね。
そんなことをしている暇があったら勉強をしてほしいです。
「~高校・大学」ではなくて、「~」という自分名前で勝負してほしいですね。
学校の宣伝は学校関係者がやればいいんですよ。
進学校で浪人組へ回ってしまった方々には是非ともプライドを振りかざして
血眼になって志望校を勝ち取りに行ってください。
ちなみにある高卒認定の学生は英語の偏差値で59から70まで跳ね上げてきました。
(他も偏差値65平均です。)
進学校に行かなくたって、できるヤツはできます。
ある枠の中に当てはめて過小評価するのではなくて、自身と向き合って
現実と闘いましょう。できる学生たちに奮起することを期待します!!
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