高校まで素晴らしい国語の先生に出会ったことがありませんでした。
(私がそう思えないほど頭が悪かったのもありますが……)
しかし、私が通っていた塾で、
異質なオーラを出していた国語の先生が一人いたのは覚えています。
その先生はある意味伝説で、カッコよくこの世を去っていきました。
お亡くなる4年前、私は高校1年生でしたが、今でも鮮明に覚えています。
彼は授業中こういいました。
「俺は3時間しか寝ないんだ。だって、もったいないじゃん。
俺には時間がない。多分、あと5年もしたら死んじゃうだろうからな。」
こういって、4年後に生徒用の国語のプリント作成のために
パソコンでタイプしながら、くも膜下出血で倒れたまま息を引き取ったそうです。
自分の余命がわかっていたような(全然病気とは言われていなかったみたいです。)
人とは少々違った、というかかなり神がかっていた先生でした。(埼玉じゃ有名でした。)
そんな先生もいたよなと思いながら、私も今仮宿探しのごとくこの仕事をしていますが、
当時そんな神みたいな先生は、私にトイレでお告げをくれました。
先生:「お前、最近よく塾にいるよな。勉強してんのか?」
私:「はい。とりあえず。7時間ぐらいはこなしているつもりです。」
先生:「そうか。まあ量をこなせば、質もそのうちついてくるからな。」
当時の私はこの一言で、救われた部分がありました。
誰もが私の高校から
東大はおろか上位国立・早稲田慶応に行くことはできないと言っていましたが、
その先生だけは何も言わず、ただ「頭がいいやつはやるからな」と
言うだけで、あとは余計なことを言わない頑固じじい的な神でした(笑)
結局、私は後に大学で「諸坂」という健在する神(ファンも多いよ)に師事して、
同じようなことを言われて、せめて人並みの知性を手に入れることができたわけですが、
そういった神がかった先生たちと一瞬でも勉強してきて思い返してみると、
そういった人たちは絶対量で異次元にいるようなレベルで
ものをこなしていることに気づきます。
よく「努力は時に才能を凌駕する」と言いますが、
まさにその通りで、努力してこなすだけで人間は個人差はあれ進化します。
量をこなさなければ、最善策は見つかりません。
量をこなさなければ、何を改善すればいいか思いもつきません。
量をこなして初めて、人は新たな方法を手に入れるわけです。
(タルドが反復⇒対立⇒発明という言葉で、このことを表現していたような。)
そして、量をこなした後に今一度自分の立ち位置を見返してみると、
その立ち位置に違和感を覚えることがあるわけで、
人はその違和感を取り除くために、自分の都合がいいような立ち位置に変化させるわけです。
このときに自分の仕事のスピードは加速するわけです。
よく受験レベルとはいえ、問題を解くスピードが全く変わらない人がいますが、
それはやってきた問題の咀嚼レベルが低いことを物語っていることが多いです。
繰り返し同じ問題をやっていれば、少なくとも同じ問題が出題されれば、
まず解けないはずがありません。
しかし、最近の学生さんは一週間間隔ができてみると、
ザルのごとく知識を落としきって、その次の週に私のもとにやってくるわけですが、
(こう言っちゃいけないのかもしれませんが)非常に謎です。
小学生・中学生なら「まあしょうがねーな(テヘペロ(笑))」って思うのですが、
高校生のおにいさん、おねえさんはまあ何とか復習ぐらいはしっかりやりましょう。
私が神だとみなしている人間の反復量は際限がありませんが、
その長年の訓練による積み重ねが故かは知りませんが、
知識を溜めこむスピードや読みの深さも際限がありません。
負け惜しみですが、「年の功だろ」と思いながら、
私もひそかにそんな人たちに近づけるように精進していたりします。
まだまだ私もひよっこです。
だから、生徒たちと頑張るわけですね。
あ、ただしスピードだけ上げても、
粗雑にものごとをこなさないでくださいね。
人生の上で事故りますので、ご注意を。
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