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雑記

精神力が違う

「精神力が違う」

最近、私は自分のもっている生徒の話をして、先生方と盛り上がったり、

アドバイスをいただいたりするのですが、

よくこのフレーズを耳にします。

確かに、わが軍の生徒は他の周りの人々と比べると、

へこみなれているように思います。

それだけ私が暴言を吐いて、生徒を追い詰めたのかもしれません(笑)

暴言と言っても、生徒の中傷ではありません。

例えばこんな感じです。

「あー、まだまだ君のまとめ方は丁寧さに欠けるんですよね。

脳がザル化して、うまみを逃がしているよ。緻密になろうね。」

これを中傷ととれる場合もあるかもしれませんが

(私はこれを中傷だと1ミリも思っていませんが…)

講師と生徒の中でこれぐらいのことが言えなければ

生徒は伸びるどころか、ちょっと自分の方向性が見失っただけで、

すぐ悩んでしまいます。

わが軍の生徒は、私のぼやきに堪えながら

(生徒からすると結構えぐられるらしい)、

1年間自己を見つめなおしながら、理想へ向かっているわけですね。

そういった姿をみていると、彼らが非常に凛々しく見えてきます。


もちろん耐えかねる生徒もいて、自分でつぶれてしまったり、

ぼやきを回避すべく、いい結果だけをいうとかうわべだけの実力をみせて、

とりあえず私のほとぼりが冷めるのを待とうする生徒もいます。

そういって、自分の見ている現実から逃避するのは

自己否定に繋がり、自身への自信を一気に失い、

何をするにもマイナス面しか見えなくなります。

それだけは偽らないでくださいね。何一ついいことがないですからね。


しかし、生徒がそうするのは生徒のせいだけではないのです。

というのは、生徒がそういった行動に走りがちになるのは、

先生の方にも問題があるかもしれません。

自分の実力を偽って、その場しのぎ的にものをこなすようになる生徒は、

もしかしたら以前に先生に対して

大きなトラウマを持っているかもしれません。

例えば、学校で自分の非がないにも関わらず、頭ごなしに怒られたとか、

宿題を忘れると、ものすごく大きなまたは恥辱なペナルティーを与えられたとか

といった経験をしている場合、講師に対して不信感があるのは当たり前です。

そういった経験がある生徒の場合、

それを回避する方法へ行動が移行しはじめ、

自分にも矛盾が生じてきてしまいます。

それだと真の実力が出来上がらないのは言うまでもありません。

そこで講師は関り方に工夫をしなければなりません。


例えば,叱る手段です。

頭ごなしに怒るのも、波風立てないように起こるのも、

どちらもダメです。

叱るにはユーモアと意図がなければ成立しません。

ユーモアは人によってセンスが変わってくるので,

その生徒に合わせて伝わるように言い換えていく努力のことです。

そして,後者の意図のほうが非常に大切です。

これは勝手に思っていることですが(甘いかもしれませんが…)

生徒が納得して講師にキレられれば,

生徒のほうも普通は素直に受け入れるものです。

特に高校生は言うほど馬鹿ではないし,

ある程度の分別があるわけで(ない輩もいますけどね…),

彼らを説得するように叱っていかなければなりません。

それが分かってもらえるまで,

伝えきることが真の講師の意義なのかなと思います。

伝わらなければ,言葉なんてこだまと同じ類のものであって,

不快な音になることもしばしば。

その真意があって叱ることと暴言になりうる境界線は,

高校生に分かってもらう上では,

結構紙一重なんだと思っています。

従って,生徒のほうも理解するために精神を使うわけで,

生徒も生徒で強くなっていきます。

それは理解することに労力を使うと同時に,

理解した上でどのように捉えて対処するかという

2重の苦痛があるのかもしれません。

でも,そうやって悩みきって全部処理して優秀になるのは

心の上でのエリートになるための宿命です。



「精神力が違う」のか。

いやいや,いうほど変わりません。

生徒からにじみ出る凛々しさがそう思わせているだけです。

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コメント

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  • 三ツ星
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No title

相互リンクありがとうございます。

叱れるっていうのは、その後の関係性を大事にする付き合い方でしかできないですよね。それができない人にとっては、関係を壊すための発言になってしまう。

つまり、双方がその関係構築ができる人同士だという信頼がないと叱ることができない。

いまはどっちかが放棄してしまえば、行政やマスコミ・インターネットなどさまざまな方法で報復ができる時代です。自分の知り合いで先生をやってたのが3人いましたが、今じゃ全員やめてしまいました。

cancanさんもご自愛ください。受け止めきれる人間ばかりじゃないですし。

  • cancan
  • URL
Re: No title

こんばんは。おっしゃる通りです。

叱咤できる学生にしか、私は叱咤しません。その見極めは非常に必要ですよね。こういうトラブルを最小限にするために、指導する前にいろいろ条件をつけています。そして、私は自分の方針とやり方を学生と親御さんにお話しして、それでよろしければ受講していただくようにしています。だから、必然と私のところに来る学生は根性がある者や、実力を本当につけたいという学生しか残りません。いろいろこちらからお話をしなければ、わかってもらえませんし、利害関係もあるのでそこはフェアにいきたいので、わかってもらえなければ私から立ち去るようにしています。

叱咤等を受け入れられない方々、いますよね。でも、私はそういうことを分かっている上でこの状況をとっています。正直、全員がいい成績をとるなんてことは絶対にありえないことだと思っていますし、実力至上主義全開で話をします。

こういう精神がないとゼロからの状況を一変させるのは無理でしょうって話をして、私が生徒の反応と日々の行動をみて「あーまだ今の時点ではダメだな」って思ったら、精神をつくるためのお話を混ぜながら授業をしていきます。

あと、叱咤できない先生はダメですよ、やはり。確かに紙一重なのですが、叱り方も仕方ってあるじゃないですか。「この人はここまでしなかったら怒るだろう」って思えるような話を、私が学生にいつもアナウンスすることで、学生はわかるじゃないですか。ここまでやらなきゃいけないんだなーって思えなければ、怒られる前に生徒から「先生のペースにはついていけません」とか、生徒が消極的であれば親御さんから「生徒のペースに合わせるようにしてくれませんか」という話になると思います。彼らに対して「これをしたら怒るが、ここまでしなかったら怒らない」ということを宿題等で明確にするのと同時に、「その課題が前提条件で、もっと復習したり演習問題をこなすとさらにみんなよりも前に進めるよ」ということを明確にすれば、その時点ではまだ気づかない学生でも最低限のことはやらなければならないと思うでしょうし(それができなそうな学生には前もって日割りしてプランまで立てますw)、気づける学生ならちゃんと先の課題まで手を出すでしょうし。

要はいろいろな可能性を見せることと、学生が最低限やらなきゃいけないんだよってことを分かっていたうえで怒られれば、生徒もわかってくれるでしょう。(そう信じています。)

ネットで叩かれたり、行政が動く等確かに怖いですが、私はいつ英語の授業をやめても構わないという覚悟もそれなりに持っています。村上春樹さんがあるエッセイで「アメリカの語学の先生はいつも評価におびえているが、語学は厳しくないとできるようにならない」と書きながら「言語の先生よ、もっといっていいぞー」とエールをおくっているかのように言及していましたが、私もその方針に賛成で、引き続き細々とわかってもらえる人たちと一緒に学習をしていこうと思っています。多分、私は生粋の教育者としてスタンスを置かずに講師をやっている部分があるので、深く考えていないのかもしれませんね(笑)(教えることよりも研究のが好きですし(笑))

三ツ星さんは非常に優しい人ですよね。気遣ってくれて本当にありがとうございます。

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