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雑記

何かを犠牲にしてほしいものを得るむずかしさ

今週は学生との最終ミーティングと志望校決定でなかなか忙しいです。

この時期にするミーティング内容は、志望校の最終確認と

過去問の進度と、意気込みの確認と、残りの生活についてです。

志望校の確認は、以前に親御さんとお話ししてもらい、

その上で私が下調べしたお話を含めてミーティングの場で決定するようにしています。

高校生の場合は、基本的に学校や学習塾にお任せしていることが多いですね。

まあ、志望校決定する場合、私は特に何も言いません。

受けたいところを受けて、数を調整することが主な決定事項で、

同じようなレベルになったときだけ、またセンター利用で悩んでいる場合だけ、

細かく決めようって感じです。医学部受験の場合は、会場までしっかり決めます。

あれはなかなかしんどいです(笑)


さて、そんな感じで最終ミーティングをしております。

今年の一般受験への仕上がりはいまいちです。

正直、受験できるぞーっていう学生は今のところ3人ぐらいですかね。

今年の学生の大半はすべて挑戦校という方が多いです。

技術的な問題、英語以外に不安感が残っていること、

そしてその逆である英語が不安であるという問題がたくさんあるのは確かですが、

それ以上に今年の学生のいかんところは、

「究極にのんびりor危機感がない」ということです。

中学生も高校生も浪人生も受験シーズンに飛び込んでいるにも関わらず、

宿題を忘れる、課題が期限に終わっていないという学生が

今年はやたら多いです。それを危惧して今年の英語の課題は

とにかく期限付きにして、出せなかったら尋問する方式をとっております。

まあ教習所と一緒ですね。

しかし、それでも平気で課題を忘れてくるのが我が軍の学生です。

いやー、まいりました。これにはまいりました。


こういう状況は生徒を募集する前に危惧していたことで、

生徒が集める際、私自身がかなり厳しいことを言及したのですが

やはり伝わっていなかったということですね。残念です。


私は何か自分からかけはなれたものを手に入れるためには

自分が今持っているものを手放す、

犠牲にして初めて新しい何かを手に入れることができると思っています。

これは日常生活でもそうですよね。

手をきれいにするためには、ハンドソープなり石鹸なりをこすって

これらの成分を犠牲にして汚れとともに泡となってなくなるし、

そもそもハンドソープを買う時にお金を犠牲にしてでも、手をきれいにしていると

言ったとしても同じことですよね。


新しい何かを手に入れるためには、それなりの犠牲がつきものなんですよね。

だから、大きな目標であればあるほど犠牲は大きくなり、

色々なものを失う覚悟が必要になってきます。

時にはその犠牲にするものが健康だったり、死を意味する場合だってあるわけです。

私がもし今から医学部に行くとしたら、

理科を徹底的にやる時間や、数学の勘を取り戻す時間など

それなりの時間を犠牲にしないと入ることができないでしょう。

でも、私がそれをしないのは、今の私に医学部にいく願望がないからです。

もし本当に行きたいのであれば、

今の境遇を投げ捨てて全身全霊を込めて勉強するでしょう。

そう、1日20時間ぐらいを1年~1年半ぐらい。

それぐらいして初めて今の私と医学部受験合格の関係は

等価交換できる関係にあると言えるでしょう。


こういった犠牲の量を考慮しながら、自分の人生観を織り交ぜていかなければなりません。

人生80年としたときに、今の実力で医学部を受験して入学しようと思ったら、

2~3年かかるかもしれないなー。じゃあどうしようって考えるわけですね。

どんな些細なことでも結構。「医学部」のところが「高校受験」だろうが、

「TOEFLで100点取る」だとかなんでもいいのですが、

その目標地点と、自分の能力にはどれだけ隔たりがあって、

どれだけやらなければならないかなって考えなければなりません。

そして、

それが与えられた時間(タイムリミット)の中で、

例えば80年の中で医者になるために何年犠牲にしてもいいのか、

または30までに医者になるには22~23歳までには合格しなければならないから、

実質的に4年以内でできるようにするにはどうすればいいのかなって考慮しつつ、

どれだけ高速にかつ大量に物事をやらなければならないか考えなければなりません。


その感覚を持っていなかったり、麻痺していると、長期間で達成できるかもしれませんが、

短期間で達成することは難しくなります。

長期間をかければできることはあります。

でも、長時間かけずに超高速でやっていたらその時間よりも短い時間で終わって、

残った時間の分だけ新しいことができたと考えると少々虚しくなりますよね。

そう、ここで気づいてほしいのは、

長時間かけるということは体力や力関係や時にはお金を失うことは少ないですが、

目標を達成するために時間を失います。

時間を失うと、その時間は却ってこない唯一無二のものです。

だから、お金を犠牲にしてその時間をいい時間にして人々は生きているわけですよね。

その意味ある時間を得るために、塾や予備校にお金をかけて

得ようとするわけですよね。


私の親友の一人にこれを体現したやつがいます。

その彼は、

中学生の時に「僕は開成高校に入るべく3年間を犠牲にして勉強する」と言い切り、

部活はほどほど、委員会は学級委員等をやり、勉強は常にトップ5に入り、

私が住んでいた街にある塾には行かず、

当時県庁所在地だった浦和まで電車で通っていました。

部活動は私と一緒にやっており、テニスのペアも組んでおり

個人戦でも団体戦でもそのペアで優勝しております。

しかし、彼は中3のテニスの試合を取らず、

1年後の人生のために勉強を取り、中3でテニスをやめてしまいます。

そこまでして勉強しまくっているのですから大丈夫だろうと思っていた開成高校受験。

友人の中に名門に通うやつがいると思うとなぜかよくわかりませんが、

自分のことのように誇らしくなるのですが、

その学生はなんと不合格の烙印を押されます。

まあそれでも、県内最強の浦和高校に200点満点中192点を取って合格した

と言って、晴れて進学校に行ったのですが、彼は悔しそうでした。

そして、高校はもちろん私と別々になり(笑)、

(私は当時は本当にそれほど勉強をしていなかったから、トップ校に行けなかった(笑))

そのあとで一緒にご飯を食べに行ったときに彼はこんなことを言っていました。

「僕は一つのものを得ようと努力してきたが、代償も大きかった。

お話しできる友人は減ったし、こうやってごはんを食べに行ける友人がいることがうれしいほど

今は日常が楽しいよ。ありがとう。」

そう、彼はそれだけ過酷な闘いをしていたんだなってことを、

私は高校に入って知ったのです。

ここで勉強させてもらったのは、

「何かを得るためには大きな代償が必要なのだ。しかも、もっと恐ろしいのは

そうやって頑張ったとしても実を結ばないこともあるんだ」ということ。

高校生で体現した彼はもちろんですが、

これを親友から聞けたことは私にとって当時の変化のきっかけになったと

私は心からその親友に感謝しています。

そして、彼はそういった人生の糧を手にして、今は大学院を出て、

りっぱで前途有望な社会人です。本当に私は誇らしい(笑)(←なんでお前が(笑))


こういった何かの犠牲の中に大きな喜びがあることを

私は学生に対してこういったことを知ってほしいですね。

そして、それだけ自分からかけ離れた目標を手にするのは過酷であるということも

知っておいてほしいですね。

こんな話を今年の学生にはよくします。そして、

こんな気持ちを込めながら、よく叱咤しています……。

早くこの真実に気づいて、

がむしゃらに勉強してくれる学生が出てくることを期待しています。

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