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雑記

「いじめ」の扱いに関して(推薦書等を書く場合)

実はある学生の自己PRの書き方というか、何を書くべきかを相談され、

その学生(大学生)は、

「僕は高校のときにも、中学生のときにもいじめにあったから

いじめのことを書いて、立ち直った自分のことを書きたいんだがどうかな?」

と言い始めた。うん、気持ちはわかるのですが、ダメだと言いました。

こういうには2つ自分の意見としてあげると、

1つは同情票を買うようにも見えるので、絶対しない方がいいと思います。

もう1つはいじめで立ち直ったことは確かにすごいことで、

忍耐強いと言えるかもしれませんが、

反対に人と輪を保てない場合ってあるのかーと悪くとられる場合があるので、

やはり言わない方が無難だと思います。

これは難しいですよね。

残念ながら、「いじめ」の辛さはいじめられた人にしかわからないと思っています。

もちろんわかろうと努力はしますよ、絶対に。

でも、そのつらさの度合いは説明しがたいし、

自身こそ説明したってわかってもらえないよねって思うはず。

だったら、それをオブラート全開に包んでプラスにかいたらどうだろうかと考え、

彼には話の展開をガラッと変えた内容を提案しました。

本当はこれを公開してあげたいのですが、

本人の負のプライベートなので公開は却下。

AO入試や推薦書を書く時期ですが、そろそろ書くことをまとめてくださいね。

そして、どんな些細なことでもいいですから、プラスの内容を書いてくださいね。

過去へのベクトルではなく、未来へベクトルを向けてくださいね。



これは就活の話になってしまうのですが、

「いじめ」のネタはどうですかね?っていうことに対して

お応えしているブログ内容を見つけたのでどうぞ。引用文です。

出典:http://blog.livedoor.jp/contact_ganchan/archives/51036545.html



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さて、今日の本題の「いじめられた経験を自己PRで使えるか」の話をします。

先日ある就活生のからESの添削をたのまれ、読ませてもらった時のことだ。自己PRの欄に、「私は中学時代いじめを受けていたけど、卒業までがんばって耐えました。その時私は忍耐力がつきました」という旨が書かれていた。今までたくさんの就活生のお話を聴かせてもらった中にも、同じような内容の自己PRをされていた方がいて、まっすぐな気持ちや正直さに別の心配をしてしまうことがあった。

「中学時代にいじめにあって、それを乗り越えたことを自己PRにしたいんだね」「はい、そうです」「それはどうしてなんだろう?」「ぼくにとって過去の経験の中で誇れるエピソードといえば、これしか思い浮かばないので」「あなたがそうしたいのなら、ぼくはだめだとか、やめたほうがいいとは言わないけど、あまりおすすめはしないけどね」「そうですか、でも、自分としてはこれかな、と」「そうなんだ、じゃぁ、何か別のエピソードとか、自己PRに使えそうなものはない?」「いえ、別に」「そうかぁ、でも、もう一度よく考えてみてみようよ」「そうですね、はい」「自分の中の大切な思い出として、しまっておいたほうがいいような気もするよ」「はい、考えてみます」

その時は、そんな会話をして終えたんだけど、次の日の朝いちばんで彼から「ぼくは、やはりいじめを克服した経験を自己PRにしたいと思います」と連絡が入る。「でももしかしたら、あなたのその正直さを受け入れてくれる採用担当者は多くはないかもしれないけど、それでもいい?」とちょっときびしめの意見をしたところ、「はい、逆にこんな自分を受け入れてくれる会社を探そうと思います」と、力のこもった答えが返ってきた。「そうか、じゃあこれからの就活の中で何か困ったことや、うまくいかないことがあれば、遠慮なく相談してね、連絡してきてちょうだいね」「はい、その時はよろしくお願いします」と受話器を置いた。

そもそも自己PRというのは、「自分のいいところ」を相手に伝えることだと思う。一般的に「いじめられたこと」はネガティブな印象を与えてしまうだろうし、それを「克服した、耐えしのいだ」ことが本人にとって誇れること、がんばったことであったとしても、「すばらしい経験だね」と採用担当者からプラスの評価を得ることはあまり期待できないのが現実だろう。なかには理解をしてくれる採用担当者がいたとしても、評価者はその人ひとりじゃないわけで、残念だけど人事部の全員が分かってもらえるとは思えない。それでも、だからこそ自分を理解して欲しいと、いじめの経験を真剣に伝えようとするその気持ちに、ぼくは共感し応援したいと思う一方、就活に関わるカウンセラーとして複雑な思いでもいる。

それは、彼がどれほどの思いでいじめの経験を自己PRにしようとしたかを思うと、とてもつらい決心だったのではないか、ということだ。もしかしたら彼は、就職活動の中で今までの自分と正面から向き合い、自己を受け入れ、許容し、そして今までの自分とは違う自分として、次の一歩を踏み出そうとしたのではないか。その決心を揺るがないものにするために、あえて自己PRというかたちにして社会に提示する。一歩間違えれば社会からはじかれてしまうリスクを覚悟で、自分に正直にあろうとするその態度は、とてもすばらしいし、美しくもある。だからこそ、その思いが伝えられなかったとき、大きな落胆と後悔が彼を待っているだろうことに、ぼくはどうしても心を痛めるのだ。

社会をよく知る物わかりのいい大人として、「そんな経験は自己PRにはならないよ、やめたほうがいいよ」とアドバイスをすることが、たぶん最良の指導なんだとは思う。それを十分わかった上で、彼にはそのまま、まっすぐな正直さを持ったまま、就活を続けて欲しいし、エールをおくりたいと思う。それが彼の人生にとって必要な試練なのだと、そしてその試練を乗り越えたとき、彼は大きく成長することができると、ぼくは信じたい。

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