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雑記

批判される方が華だと思うのだが…

先日、ある出版社の方から本が届きました。ありがとうございます。

「是非、どこかで感想をしたためさせてください」とメールを打っておきました。

さて、その本の帯にはこんな文句がありました。

「批判はなぜその力を失ったのか」

これは今の世の中の流れだよなって感じさせるものでした。

正直、少々強く批判をすると「空気が読めない」、「その人の考えも尊重しよう」、

こんな風に何でもかんでもプラスの意味ですべてとっていこうという

ノリが見られるわけですが、これは少々違うと思うわけです。

(これも社会に対する批判ととられたら、何を発言して自己を示すのでしょうかね(笑))

こんな世の中なわけで、学生たちに授業をするうえで

怒らないのが前提といった話がよくされるわけですが、

(まあ予備校は信用第一ですから、きつく言えないのが大半です……。

これはアメリカにいくともっときついでしょう。)

あまりにも勉強しない者に指摘しないのはいかがなものだろうか。

勉強はある程度意志を持ったうえでやるべきであるというのが

私の中で前提としてある以上、

それに相乗してスパルタな部分があってもよいと思っております。

だから、私は明らかにやってないとわかれば叱りますし、

その批判は容赦ありません。

その社会では正しいが、違った社会に行けばその事実は正しくなくなるなんて

詭弁を言うが、真理として違うだろうって感じ得るものはたくさんあります。

だから、どんな世界に生きようとも批判はつきもの。

ただ、批判だけだとどうすればいいか迷ってしまうので、

生徒に対してはそのアフターケアを忘れてはいけません。

つまり、「君はこれこれが悪いが、

こうしていくことでいい方へ向かいと思うのだが、君はどう考える?」

と振ることですね。

生徒のために批判回避への逃げ道は作らなければなりません。

勉強をし始めてまだまだ数年の学生に現実だけすべて押し付けたら

それはそれで少々かわいそう。

私たち講師は、悪習に対しての解決策が具体的に示すことができて初めて

その批判ができるはずなのですよ。

でも、多くの先生は批判をせずに、ただ生徒のやりたいようにやらせたり、

面倒なこと・ストレスなことを回避するために何も言わない者もいます。

私もその躊躇はもちろんありますが、生徒の先のことを考えれば、

今言っておいた方がどうしても得だなって思い、ガツンと言ってしまいます。



「批判の力が失われた」というのは、どういうことなのかを

考えるためにこれから読書に耽ろうと思います。

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