先日、ある医学部の教授と盃を交わしていた時にこんなことを言われました。
「えっ、君、学部は名大じゃないのか。東京出身ってことは、東大?
または早稲田?(私が出身校を答えたら)
えーーーー、日大法学部!?へー、何があった?(笑)」
まあこんなことは日常茶飯事で、中学生や高校の同級生からすると
大学に行くこと自体が結構頑張ったじゃないかと言われるほどです。
高校の同期からしたら名大の大学院なんてとても考えられないようで、
「やはり、お前はキチガイだったか」、「あのときから意志だけは違ったよな」
「あいつってそんなに頭が良かったのか??」なんて言います。
まあこれでも、勉強は人並みにしています。(笑)
すると、それがわかった途端に彼らは露骨に態度を変えます。
「あいつはもうあの時のあいつじゃない。」、
「あいつはバカやってたが、俺は何もかわっていないから……」
こんな話を人伝いで聞いたときには悲しかったです。
正直、この稼業をしていると学歴はある程度は必要になってきます。
私が最近仲良くさせてもらっている先生も
「学部は短大なので、とりあえずマスターとって
形だけでも見せなければならないかもですよね。まあ実力さえあればなんでもいいですが。」
って話していました。
しかし、私はどちらかというと学歴は会ってないようなものだと思っております。
実際に私は、現役の時に補欠で早稲田の教育学部、
仮面浪人の末に早稲田の社学と群馬大学の医学部には合格しておりますが、
結局いろいろ考えてそこに進学をしませんでした。
学部では法律がやりたくて、
いろいろな見識を1年でもはやく広げたほうが得だと思って日大法学部に進学したので、
結果的には決して悪くない選択だったと自負しています。
(決定したときは、相当不平を言っておりましたが(笑))
しかし、この受験業界ですとそうはいきません。
この業界では受験での経験がものを言うので、
ある先生は「僕はセンター試験で95%を取得して東大に入った!」、
「勉強ゼロから1年で早稲田・慶応の法学部にはいった!」、
と自己紹介の初めにおっしゃる方もいます。
私としては「なんじゃそりゃ?」って感じです。
官僚や一流企業での宴の席でもそんな話になることがあるそうです。
グローバル化して、終身雇用制が崩壊し始め、
過度な学歴に関する感覚が緩和してきたのですが
それでも、
「入試でのスコア=お偉いさん」といった感覚がまだまだ根づいている…
こういったヒエラルキーから抜け出せないのは
どこか残念ですよね。
私自身もこのヒエラルキーに巻き込まれたことがあります。
ある予備校で私の名前を掲載するときのこと。
「君の経歴さ、学部が日大法学部だから、カッコがつかないんだよね。
だから、ストックホルム大学の方を書いて、それから名大院と書いて掲載していい?」
と言われたことがあります。
まあなんてスノッブな考え方なんでしょう。(笑)
個人個人とおっしゃっている人だったのにもかかわらず、
自分の属しているものや、自分がそれなりに持っている学歴の方を大事にするなんて
もはや矛盾をきたしている……茶番もいいところですよ。
残念ながら、受験をけん引してきた
多くの先生がこのようにお話ししているのは残念でなりません。
(これは村上春樹もたしか同じようなことを何十年も前にかいていましたね。
彼はちゃんと20年も前から物の価値をしっかりわかっていた方なので
私は作家と言うよりも人間として彼を好きだと思っています。)
私は学生を、こういった良くわからないプライドを持ったりする学生や
ヒエラルキーに呑まれていずれ社会に安座しようという学生に
しないために今この仕事をしているのかなって思っています。
じゃあ家の近くの学校に行くのかというとそうではないですが……。
難関と言われる大学を目指すのは、
今後付き合うだろう志の人間がそういった難関大学に集まりやすい、
または集まる確率が高いためでしょう。
そう思える大学に行ってほしいといつも話しております。
そう、わが軍の学生はみなりっぱでなくていいです。
まともな人になってほしいと心から願います。
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