ここ最近、親御さんと生徒さんとよく面談します。
非常に疲れます(笑)気を遣います。
でも、笑いを入れながら真剣な話をしております。
授業でも談話形式で基本的に内容を展開しているので、
生徒との話をネタにしながら授業に組み込んで英語の説明をしている、
まさに劇場化した授業となっております(笑)
まあとにかく今週は作戦を練るってことで、
授業も早めに切りあげて、お話しする時間をとっています。
そんなある生徒との話の中で、なかなか芯の堅い学生がいました。
いい意味でもあり、悪い意味でもあり…
ただなかなか悩める子羊ですなーって感じです。
さてそれはどんな話か。
生徒は実質浪人生。まあ正直、二年ぐらい精神錯乱状態になって、
高校も普通のところに通えない学生で、
長い間の指導を経て、やっと大学受験をしようかなって感じな学生です。
本人からすると、今の状況は人生の中で一番謳歌している、
バイトも朝だけして、友人が少しでき始め、
勉強も英検準2級の筆記に合格し、かなり充実した毎日を送っているので、
まあ今までのことを考えると、
ものすごくいい感じになっているのですよ。
しかしですね、その生徒の心を擁護するようになっていってから、
それに慣れてしまったせいか、自身の経験を踏まえて、
自身に反する行為をかたくなに否定するようになってしまい、
逆上すると制御できなくなるときがみえてきました。
少しずつ修正を加えようと私もするのですが、なかなか
彼はそれを受け入れられない…。
例えば「いじめ」はどんな場合でも被害者に1ミリも非はなく、
いじめる方にすべて問題があるように過度にものごとを捉え(感情論化している)、
ある経験からものを考えることしかできなくなり、冷静な判断はできず、
非常に視野が狭い人間へ変化しているわけです。
まあ他にもこれってもっと冷静に捉えたほうがいいのではないのか?
ってことがたくさんあったのですが、
まあその可能性を話すだけで、自身の意見を受け入れてくれないそぶりを取るだけで、
受け入れてくれない=敵になる可能性がある
っていう具合に捉えてしまうわけです。
うーん。まあ偏見は持っていても構わないと思います。
自身の意見についてこれないのであれば、自分ひとりで何とか処理すればいい
って割り切れるなら、それはもう我が道を行くべきです。
でも、ひとつ言いたいのは、
「てめえにその覚悟あるだろうね?自分自身で口に出したことを覆されて、
泣き寝入りをして、自身のあてがわれた部屋に閉じこもっていたら、
それはもう負けですからね。親に頼っていることと一緒ですからね。
その負けを受け入れなければならなくても自分で処理できるよね?」
と現実をぶつけたいですね。
うん、一人で全部やりくりするってものすごく大変ですよ。
私も仕事に関しては90%ぐらい自身の実力で勝負しているつもりですが、
それだって人の助けなしでは今の仕事をうまく軌道に乗せられなかったのですよ。
今は東京で指導する際には、最近雇った秘書がいなければ成立しません。
ご飯の管理をしてくれる、
家庭教師さんでお世話になっているお医者さんの親御さんや、
アドバイスをくれる先生方や教務の方々、お偉いさんたち、そして大学関係者…
などなどもう頭を下げる人はいっぱいいます。
だから、その人たちの総意も含めた上で
私の色を含めた発言をしたりしないといけないと思っているので、
我が道を本当に一本でこなしている人は本当に一握りだと思います。
私が知っている限りでは、わが師匠ぐらいでしょう。
諸坂先生は万が一(億が一(笑))大学で干されたとしても、
先生は他のことで生きていく力をお持ちでしょう(笑)
それぐらい自分の実力を誇示できる方でなければ、
軽々しく自分自身が「正しい」から、俺に従ってこいよ!
なんていう態度や発言は控えたほうがいいですね。
今までにたくさん「発言をしてきた」方を見てきましたが、
まあ成就した人を知りません。
例えば、「もう一回100億売り上げる」といったある校長は
また違うところでひっそりと個別指導塾をやっているようですし…、
選挙に出て思惑通りにするように仕組んでいたはずが落選して、
結局自分の知り合いのつながりで幼稚園の園長をしている人や、
早稲田・慶応に入ると豪語しても結局どこも受からず、
勉強を十分にしていない・指示通りにやっていないのにもかかわらず
人のせいにする学生やその親御さん(すみません、たまにいますよね。)
とまあ、それなりに掲げていてほしいのですが、
そのスローガンやマニフェストみたいなものを掲げたら、
それらの内容を全うする責任とか覚悟の重さっていうものを
もっと感じてほしいなって思います。
若いうちは偏見をもってものを見るのは大いに結構。
しかし、その度が過ぎると「わがまま」へかわることが常です。
私はそういった偏見を掲げていても、自分がそれが正しいと思えるような
活動をして、成就させて、それを見本として認められ、
その偏見に人が群がってくるような人材を作りたいですね。
そして、その偏見が人を引きつけるようになったときは、
それはもうもはや「偏見」ではなく、
「生きざま」とか「主義」へ変わっていることでしょう。
うーん、でもそうなるまではもっと辛抱してよね。
偏見をもって生きるのは大変なんですよー(笑)
(私も偏っている見方をもっているので、
どこか自分に言い聞かせながら書いている部分もあります(笑))
コメント
コメントがありません。