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2013
07.07

ものがあふれている社会にいると見えない世界。

Category: 雑記
今日は授業を1つ潰してきました。激怒のあまり、途中放棄。

まあ同じことを1度や2度、3度ぐらいまでなら私も我慢は致します。

しかし、5回も10回もやってできないのは、

もう正直そいつの問題。やる気がないとみなし、私は授業放棄してきました。

そんな愚か者に付き合ってられないっていうのが私の言い分。

それで医学部合格を成就させるなんて、甘い甘い。


そんな感じで激怒することが今年は多いですね。

授業のクオリティーは前と同じ、

いや、今年はむしろいろいろ刷新してレベルを上げたので

授業で不満が出ることはないはずなのですが、

今年の学生はとにかく覚えてくれないので悩みの種です。

中には改善へむかっている学生も多いのですが、

全然気づいていない学生も少なくありません。


「そんな感じだねー、今年は」と他の英語の先生や、

他の教科の先生ともお話ししていたのですが、

そのお話の中で出たのは、

「甘え」と「ものの豊富さ」が

英語をはじめとした勉強ができなくなっているのではないかと

話していました。

そうなんですよ、私のあくまでも主観ですが、

正直、授業料を払うことができずに満足な授業を受けられない学生の成績よりも、

授業を受けまくって、授業に時間を確保する学生の方が

圧倒的にできない傾向にあるように思います。

中2で12月から指導開始した学生は

現時点で高校の入試問題で9割を余裕でとれるレベルに到達したのですが、

最初の2か月は週3回の3時間でしたが、

今は週2回の2時間しか授業をしていません。

あとは演習の宿題と自発的にノートをまとめるように指示するだけで、

そのレベルまで到達してしまいました。単語もそれなりにやってます。

他の科目も8割まで復活させて、今では不登校から優等生へ変貌しました。

まあこの結果は確かに本人のポテンシャルも手伝ったかもしれませんが、

それでも授業をそんなに受けなくともできるようにはなります。


一方、週2回で合計5~6時間とって、

他の塾に缶詰めに近い状態で勉強をしても

正直芳しくない学生というのは、しばしば目にします。

去年も個別指導で何十コマもとっても、結局医学部に合格しなかった例なんて

私の指導以外でもたくさん耳にします。

今年も直前で10~20コマ増やしてやるぞーってなっている学生がいますが、

私はその指導をお断りしました。ほぼ無意味なので。


さて、ここで考えてほしいのは、

授業を受けているのになんで勉強ができなくなるのでしょうか。

先生にべったりついて授業をしているはずなのに

どうして勉強ができるようにならないのでしょうか。

先生の問題?これは確かに我々講師は指導方針を1度は見直す必要がありますよね。

でも、それを改善しても、なかなかうまくいかない場合が大半なのですが、

どこに原因があるのか?

これはなかなか根が深そうですよね。ちょっと閑話休題。


去年、東海地区屈指の進学校の1つ、東海高校の学生と

岐阜のナンバーワン公立高校の岐阜高校の学生、

そんな2人いたのですが、前者は受験受験で人生を送ってきた猛者、

後者は高校受験で勉強した口の努力家な学生。

まったく違う道を歩んできたのに、共通していることがありました。

何でしょうか?

答えは携帯電話を一度もつかったことがなかったという…。

お金がなかったから持っていなかったのではありません。

必要ではなかったために持たなかったと言っていました。

こんな利便性が上がっている社会でケータイなしで生きていけるのかとも思うのですが、

彼らは学問において、他の学生よりもとびぬけてできていました。

頭がいいからでしょうか?いやいや、もしそれだけで片づけてしまったら、

それは彼らに失礼です。この2人は死ぬほど努力して、

それぞれ国立の医学部と東大の文系学部に入っています。



さて、先ほどの

「先生がいても、授業を受けまくっても勉強ができないのはなぜだろうか?」

という問いに戻ります。

実はこの2人の共通点がヒントになります。

彼らは利便性から遠ざかったことで、自分で考えて生活をする時間を増やしたわけです。

つまり、学問においても無の状況から「どうしよう?」と考え、

自分の力だけで対処してきたわけですよ。

この甘えからの脱却が大きな違いになったわけですね。

そう、与えられたものをただ蓄えるだけではダメなのです。

これは身体の構造と一緒で、ただ食っちゃ寝、食っちゃ寝していたら、

身体の体積だけ増え、思うように動けなくなるわけですよ。

食べるにも工夫や食材を吟味して、体にいい方法で良品を食べようとして、

よい健康生活が送れるわけですよ。

(不健康すぎて医者に改善を求められたので、このことが身に染みてわかる(笑))

ただ膨大に問題集が目の前にあっても、ただ授業がたくさんあっても、

それを適量として消化できなければ、理解不十分で問題を終えてしまうわけで、

意味がありません。

そして、自身の消化する力を少しずつ上げていかなければ、

大量のものをやっていても消化不良になるわけですよ。

だったら、自分のペースで自分の時間を有効に使いながら復習する時間を

作ってほしいと思うのですよ。

講師は半分は流れを作る作業をしなければなりませんし、

生徒も導いていかなければならない存在です。

しかし、すべてこちらですよーっとは言えません。

ガイドはできても、付添はできません。

本番のときに、私は生徒の隣にいられないのが世の中のルールです。

なので、

問題を解いている時でさえも自身でなんとかできる努力をしなければなりません。

その感覚が、

ものにあふれて生きてきた学生の多くにはわからないのですよね。

最近、なに不自由ない学生が勉強できないケースだらけです。

正直、公立高校の受験に躍起になっている学生と、

3年間私立の中学校生活をしている学生とでは

実力に大きな差が出てくることが多いです。

もちろん、徹底的にやってくださる中高一貫校の上位の学生は

そのなかで苦労をしているのでむちゃくちゃできる学生はできあがりますが、

中位~下位は……。もう笑えない学生が少なくありません。

高校生が中学校の英文法をやる話は少なくありません。

それは大量に与えられているだけで、ものにあふれているから

それをいつかやれば大丈夫なんだと余裕があるわけです。

ドレッシングを大量にかければ、嫌いなブロッコリーが食べられるのだ!

というのと一緒ですよ。

それで必要な栄養を摂取できたとはなりません。

脂質もたくさんとっているので実質的にはチャラです。

こういう甘えの構造にどっぷりつからないような生活を

私は心から学生に所望します。

クラーク博士が言っていましたね。

「少年よ、大志を抱け!」と。

これは諺の「可愛い子には旅をさせよ」と意味は似ていますね。

自立させることを強く親御さんからもしてほしいですね。

私の家には車と言うものがなかったので、

雨が降ったり雪が降ったりしても、

大事な試合や授業や試験は自転車や徒歩でよく行ったものです。

かっぱを着て、傘をさして、夏の日差しを浴びて、

そういったことを耐え忍んで、よく目的地にいったものです。


じゃあ、私自身車がなくて不便だったかというと、

ちっともそんなことを思ったことがありません。

緊急であればタクシーを捕まえればいい。

タクシーは走っていますよ、日本も、シンガポールも、マレーシアも…。

ステータス向上のためや仕事量を増やすために車を買ったら?

とよく友人に言われますが、

いやいや物理的な理由を乗り越えるまでやらなければならないほど

私は人生や生活に困っていないわけで…。


とまあ、こんな環境の違いだけでも、思想は変化します。

大きな利便性がなくても、社会にはなじもうと思えばなじめます。

自分の都合がいい生活を営むために、ないものを補う力っていうのは

人間にはレベルはまちまちにしても備わっているものです。



私はそういう利便性から少々離れることで、

何かが見えてくるのではないかなーって思います。

ものを考えてください。工夫してください。そして、自立してください。

勉強ができないのは能力がないからではありません。

勉強ができないのは、人に何とかしてもらおうと依存しすぎているからです。

ものを大量に処理すればなんとかなると依存しすぎているからです。

そこのところを今一度学生や親御さんに考えてほしいなと

最近僭越ながら思う次第でございます。


明日は池波正太郎の「碩学と勘」の話をしてから、

授業をしようと心に決めて寝ます。
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