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雑記

家庭教師・予備校講師の役目の変化

最近、受験サプリが無料で過去問や解説を公開し、

ベネッセがスマートフォンの無料アプリに参入しはじめ、

教育界で大きな動きが出てきています。

「大きな動き」と言ったのは、「無料公開」ということを強調したい!

という思いからです(笑)

うん、これはすごいことですよね。

私が高校生のときは無料で何か勉強に使えるものを得るなんて

ありえなかったわけで、効果的な解説や授業を得るためには

少なからず塾を通うなりしてお金をかけなければありつけませんでした。

しかし、震災後の仙台に行った時にも気づいたことですが、

パソコン一台でネットを通じて

youtubeやtwitterで授業や反復練習をすることができる意義を実感し、

誰でも最低限の授業、いや一流の授業を聴けるようになり、

教育のレベルがどんどん平等化へむかっています。

これは相対的に見たらいいことです。

貧しい学生にも授業を提供される可能性は作られたわけで、

意欲さえあれば、はっきり言って学生が勉強する環境は

学校でなくてもいいわけですよ。

では、この流れで行くと、

予備校なんていく必要なんてないのではないかって思うじゃないですか!


そうなんですよ、ここで家庭教師の存在意義ってなんだろうって思うわけですよね。

私はこの家庭教師の存在意義が大きく変化していくと思います。

家庭教師とは

中世の大学生が高貴な生まれの子供にラテン語や詩などを教え、

子どもたちに世界の見識を与えることで存在していました。

しかし、そんな知識は今ではgoogleなりyahooなりwikipediaで検索すれば、

大半の社会情勢や世界状況はわかり得るので、

「見識を広げる」だけの授業はもはや機能しなくなってきました。

特に自発的に学習できる者にとってはもう1人で勉強することができるでしょう。

とすると、先生なんて超一流の先生だけがなって、それをネット配信すれば、

公教育の先生の存在や我々予備校の先生の存在も危ぶまれます。

ある意味、最近の学校の先生や一部の予備校の先生は

何を目的にしているかよくわからずにやっている人が少なくないので、

私を含め先生としてはこういう出来事が起こると刺激になるでしょう。


しかし、そんな厳しい中で、私も予備校講師として、

または家庭教師として存在していかなければならないわけで、

(一生ではなくいつかはやめますので、今のうちは(笑))

どういう講師像をもってこれから授業をしていかなければならないか

を考える必要は絶対にあると思います。。

では、なんでしょうね、それは。


私が思うことをさらっと書くことですので、

あまり間にウケないでほしいのですが…。

やはり、

1、サービス向上を常に意識することですよね。

あ、ただ、何もかもを与えるということではありませんよ。

例えば、復習までも手取り足取り一緒にやろうなんてことまでする気はないです。

そんなことまでサービスとして提供したら、

良い学生は創り上げられません。

それは経済が先行した第三次産業の思惑と幻想です。

そうではなくて、当たり前のことですが、

その生徒一人一人にあったカリキュラムと、

志望校に見合った問題演習ができるものや、使える情報を提供することに

全身全霊をこめることでしょう。

特に医学部受験において、専門予備校が高額であっても

そういった専門予備校は有益な情報をちゃんと持っているものなので

(持っていないところもある、個別で医学部受験を謳っているところは注意。)、

そこに投資するのは(できる限りですよ)あながち悪いことではないでしょうね。

(過度に払うのは厳禁ですよ。例えば年間500~600万とかね。これはかけすぎ。)

情報や有益なものだと誇って、お話を聞きたいと言われたら

自信をもってお話しできるように最善を尽くそうと思うことが

非常に重要なんだと思います。

それができなければ、家庭教師なり予備校講師はする資格がないでしょう。

今の状況を何も考えずに惰性や今までの経験と貯金で授業をしている方も

多いので、(東京や名古屋では残念がら本当に多い)

依頼するときには注意しなければなりません。(私ももちろん努力しなければなりません。)



そしてもう一つは

2、自立させる方法を考えてあげる。

そして、これが今重要だとおもうのですよね。

先生がいなくとも、ある程度は勉強できるぞという実力を作ってあげることです。

家庭教師は生徒の数だけいるとよく言われますが、

多くは幻で、精査して選ばなければ損をします。

その多くは、「自分のところにいれば大丈夫!」、「私がなんとかしてあげる」

というメッセージを飛ばしながら、

「私に依存すべきだ!」というコノテーションが込められているわけです。

私はプロフィールとかにも書いてありますが、

おおよそ学生には2~3年ぐらいしか教えません。

というのは、文法や構文、長文を教えるのにそれ以上の時間を必要としないためです。

中には5年という人もいましたが、それはもう例外の例外。

精神的に強めるということも踏まえての指導で、

英語事態の指導は3年で十分です。

例えば、中学1年生から英語を教えて、

高校に入るころには大方の学生は国立の入試問題を半分までは取れるぞっていう

実力を毎年必ず創り上げています。(中にはできない人もいますよ。)

私はちんたら勉強するのが好きではないので、

学生には自立の仕方を精神論とともに叩きつけます。

そして、強固な精神を作り上げ、たくましい学生を作る努力をしています。

そういった「自立」を目標にした勉強を目標にしていける

講師はやはり優秀だなと私は思います。

まあそういう先生は大方大手の予備校講師になっていますよね(笑)

本来の家庭教師なり個別指導は、

べったりつくことが売りな部分もあるので、

家庭教師の存在に関する観念的なものを破壊しているようにも思うのですが、

現代生活の課題でもあるように、講師が自立の仕方を指南することは

今後重要になってくるのではないかと信じています。


とまあ、あとはライブでしかわからない説明や臨場感といったものが

人々の頭に記憶として焼き付ける装置として、

授業は存在していることもあるので、

授業のいいところはたくさんあるのですが、

無料で勉強ができるということは、我々講師にとっては脅威なわけで、

それを越えた内容を常に考えることは必要不可欠です。

頑張ります。そして、今日はある塾で講演をしてきます。

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