さて、今週末は教え子だった学生が数人私のところを訪ねてきました。
3人来ました。1人は阪大に行った学生で、
もう一人は立命館を2浪で入った学生、
そしてもう一人は今年法政に入った学生です。
いやー、なかなか話が弾み、楽しいひと時でした。
引き続き英語の勉強をしているのを聞けてよかったです。
万事順調だということもあり、なかなか素敵な会食でした。
まあそういった再会というのはうれしいものですが、
私は基本的にそういったものを期待しません。
私が合格した学生たちにいうことはこんなこと。(今回言ってきたことです(笑))
「君はもう大学生。自分で勉強する時間を手に入れたんだ。
ここから何を目指すかはてめぇの勝手。僕はそこまでは面倒を見る気はない。
好きなように人生を謳歌しなさい。
そして、『先生がいたから成就した』なんて口が裂けても言わないでくれ。
そういう言葉は自分が本当に困難を乗り越えなければならなくなったときに、
一瞬僕のイメージや僕が言った言葉が浮かんだら、僕の前で話してくれ。
易々とそんな重みのある言葉を使ってはいけない。
そんな大そうなことを僕は彼らに諭したつもりはないので。
多くを忘れて、
たまに『あ、確か高校の時に教わった英語の先生は変わってたんだよな!』
って君たちの中にあれば僕は幸せです。」
まあ、要は生徒に恩着せがましくつながらないということ。
そして、将来は自分で見つける努力をして、
入らぬ大人の声ばかりを頼りにせずに、自分の見たもの・聞いたものを大事にして
自身で切り開く努力をしていてほしいですね、生徒には。
僕にとっての仕事は、彼らがはばたいてくれることこそ仕事の達成であり、
彼らを傘下に入れることが目的ではないわけです。
彼らがもし僕を必要としたときには、彼らから自分の意志でやってくるでしょう。
そう、そして彼らが困って僕のもとにやってきたら
僕は新渡戸稲造のように指南するように精進しています。
生徒自身の意志でやってこなければ、それは真の関係はできあがりません。
それがわからず、生徒の声や有力者の声を全面に押し出す予備校が
いまだにあることに残念。バブルは終わり、
もう、21世紀なんですけど…。
そういったHPを見てみると、
(受験界はもちろん、資格取得専門の学校等のパンフレット等を読んでいても、)
「この予備校・塾に入る=絶対に成績は伸びる!」
というものすごくパワーで押し切ろうとするイメージが強いですよね。
私は非常にそういった生徒の声を書いて、出汁にするような行為は大っ嫌いです。
だって、いい風に書くに決まっているのですから。
生徒の声を聞くためには、生徒本人か
やはり指導した先生としっかりお話をしなければ聴けません。
そして、自分に方針があっているか、そうでないかは
やはりその指導講師と話をしてみないとわかりません。
その辺について、私はきっぱりor
きっぱりではないですが、他の方法を提案しながらあんまりあってないよー
ってことをお話しします。
何でもかんでも実力を上げることができるわけではないことは
自身の指導力を考えてわかっております。
とまあ、最終的にはお引き受け依頼をする親御さんと本人さんが
慎重に決めていただかなければならないわけです。
声は、本当の「声」を聴いてください。
だから、私は生徒の方法論に関する詳細を
私にご依頼してくれた方にしかお教えしません。
それが教え子がくれたGiftであり、私の人徳となっているのだと信じています。
大事なものは心にしまっておきましょうね。
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