FC2ブログ

「専門家」という響き

私は今英語の専門家を生業として生きていることになっていますが、

大学教授や著名な翻訳家の英語力とと比べると、

自分の英語力なぞ塵にしか思えないほどです。

「英語力」で枠をくくると、私の実力はおそらくままですが、

「大学を合格させるまでの語学力」として他者と対峙したとしたら、

これは負ける気がしません。

なぜなら、今は英語の指導で生計を立てているからです。

そして、今は受験英語の専門家として、

誇りをもって生きていかなければなりません。


専門家とはとても無理やりな人間を意味しているように思います。

今や、「スペシャリスト」などと横文字にもなっていますが、

私も含めて如何にも薄っぺらい人が多いように思います。

島崎藤村は専門家について、

「専門を定めるということは、多くの場合に、衣食を得るの必要から起る」

というように表現し、もともと人間は専門性なんてない存在だと、

悟っています。

私は彼の言葉を読んで、

専門家として生きている人はどこかやむを得ず、

その仕事を選んだ人がこの肩書にあるんだという、

「専門家」という響きに、少し脆弱さを覚えます。



こう思うと、私はこの仕事を一生やるつもりはないと思ってしまいます。

私の本当の心は、英語という枠を越えて、

「勉強の楽しさ」を提供したいというところなのです。


これは学部のときに強く思ったことです。

私の恩師である教授は、私の英語の先生でしたが、

それ以上のことを星の数ほど教えてくれました。

先生は法学部の先生にも関わらず、

「法律に目もくれずに、まずは英語を勉強しなくてはならない」

と入学初めに言われたのを覚えています。

私は最初この言葉を、

「え、英語を極めたほうが法律家よりも優れているということか?」

という比較論でしかものを捉えられませんでした。

しかし、無論真意はそこにはありません。

そんな浅はかなことを、真の教授であれば言いません。

彼が言わんとしていたのは、

英語をしっかり勉強した上で、法律書を読んで初めて、

法律の正しい使い方がわかるのだということだったのです。

つまり、英語の知識を明るくすれば、

すべてに通ずるということを意味していたのです。

早い段階で私はこれに気付けて本当に幸せでした。

だから、私も恩師と同じスタンスで英語の指導をしています。

そして、今は大学受験というステージで英語を教えつつ、

少しだけ勉強の楽しさや厳しさを伝えていきたいと思いながら、

指導しています。

英語の学習は所詮通過点で、当然の作業。

21世紀における人間の生業であって、

英語の専門家と名乗るものほど、偽りに見えてきます。


私の10年後はおそらく海外生活をして、

世界の荒波にもまれているというシナリオになっています(予定(笑))。

その荒波を越えていける英語力をつけることこそ、

学問の登竜門だと思いながら、

私はまたあしたも、あさっても、来週も指導していきます。

にほんブログ村 受験ブログ 大学受験へ
にほんブログ村
人気ブログランキングへ
人気ブログランキングへ
cancan
Posted bycancan

Comments 0

There are no comments yet.

Leave a reply