FC2ブログ

人は何のために勉強するのか。

昨日はいろいろな方とお話ししました。

どうもありがとうございました。

京都大学と大阪大学の教授陣とお話しさせてもらって、私も刺激をもらいました。

そして、大阪大学のある研究科から「よかったら来年うちの博士きませんか?」

とまで言ってくれたのには本当にうれしかったです。

というわけで、名古屋を離れようか少々検討中です(笑)


さて、昨日はその中でも1日中

「勉強って何のためにするのか?」ということが私の頭に付きまとっていました。

これが堂々巡りしたのは、大阪のある保護者さんからのお話からです。

「うちの子は不登校だけど、うちの家系はみんな京大か阪大卒でして…。

そこに劣る学校に行くと家庭内でメンツがなくなるんですよ。

どこの学校に行っても京大なり阪大には行けると思うのですが、

うちの子は先生みたいに強気というか、

踏ん張りきろうという気持ちがないのですよ。

だから、今の時点である程度なところに行って、可能性だけは作ってあげようと思い、

高校はそれなりのところに行かせたいのですが、なんとかならないでしょうか。

部活ものびのびとやらせてあげたいところでもあります……」


この類の話を昨日は大阪でも名古屋でも聞かせてもらいました。

そんな中、ある教授がおっしゃっていたのはこんなことです。

「勉強ねー。なんでやってるんだろうね。

高校の時に僕は別に「勉強をしよう」と思ってしていなかったんだけど、

あるときショウジョウバエの研究の論文を英語で読み終えたときに、

あの爽快感が忘れられなくて、英語と理科をひたすらやって、

たまたま阪大に入れたって感じかな。阪大に入ろうなんて思ってなかった。

最初はとにかくショウジョウバエとか昆虫の研究ができるところに行きたくて、

たまたま関西には京大か神大か阪大か立命館でしかできなそうだったから、

そのどこかに入るべくやった感じかな。

親はそれでもよく入ったねって言ってくれたけど、僕はその宿命を必然だと思ってる。

僕は大学教員をやっているからよく、「大学の息子・娘をやっぱ京大に入れるんでしょう?」

って言われるんだけど、結局親の背中を見ても、

親のためになんて勉強してもらいたくないんだよね。

勉強って自分の好きなことをやるために、幅を利かせようとするためにやるんじゃないの?

そういうところが「俗人」(私はこのフレーズに(笑))はわかってないんだよね。

勉強を本当にやり抜いていたら、プライドとかメンツなんてどうだっていいのよ。

勉強していると、

やりたいことをやるために勉強する・研究する場がほしくなるしね。

それがわからないってのはまだまだ勉強が足りないよ。

進学校の高校をでて、旧帝や医学部に行けないのは

そこにプライドがあるからだよ。

高校もそうやって見栄を張って入ってきているスノッブなんでしょ?

プライドより「やりたい」と思うことが先でしょ。

家系??考えたことないよ。僕の母は教育熱心だったけど、

教育者じゃなくて専業主婦だしね。」


我々「俗人」とある先生の考え方の差。

勉強の前に先立つものがあっただけで、自身はぶれるわけですね。

先生のおっしゃっていたことはなんとなくわかります。

こういう思考は、ある一定のレベルで勉強し抜いたり、

あるレベルの高等機関で学習しないと、

またはそのレベルの先生といっしょにいないとわからない感覚かもしれません。


私も名大やストックホルム大学に通っていてわかるのですが、

その親御さんが結構偉い人・高学歴だったりする割合が多いです。

しかも、ノウハウを重視している財界のエリートってよりも、

教育者や技術者、医師、弁護士といったどちらかというと

教養を重視した職業についている親御さんが多いように思います。

(もちろん、私のような一般サラリーマンの家からもたくさんいますよ!)

その学生たちは口をそろえて、

「いや、一応ね勉強って目的あるじゃん。

名大って東海じゃ一番おっきいし、ちゃんとしてる学校だから

名大にに入ろうって思う人も多いと思うけど、

やれることやれればいいやって思って、入るやつもいっぱいいますよね。

東大行けるのに、近くのやることができる名大に行くっていう学生は

愛知の公立出の人の中には多いんじゃないんすか。

とにかく、何かしら目標をもって学校に進んでいるとは思うよ。」



これもやはりその通りで、やはりやりたいことをやる人が大学に行くんだ!

という精神は変わりませんね。

こういった学生たちは

教養(自然な感じのね)を植え付けられて育っているわけで、

「ここに行かなければならないから、やらなくてはいけない」

という義務感に駆られているよりも、

「これこれをしたいので、ここに行きたいな。

(もしくはここにいくしかない)」というような、

若干願望を含みながら学校を志望するわけですよね。

勤勉な人ほどやはりこの感覚は分かってもらえると思います。



「大学=就職予備校」化している世の中で、

大学のステータスは中身よりも、名前に比重が置かれてしまいがち。

しかし、それではやはりなんの意味もありません。

学部で通っていた日大法学部でも、

8割方の学生がが「最低ラインで入っていて大丈夫な大学」という感覚をもって、

とりあえず就活をして、仕事に就くんだと思います。

しかし、中には私やその周りの人間のように

(勉強に力を入れるのではなくて)

とりあえずその学校相応のことをして、無理せず、それなりにこなす、とは違って

自分のやりたい勉強に没頭して、法学部の先にやれるところがないから

外に出て自分のやりたいことができる学校にトランスファーする者もいます。


「メンツ>>勉強する意欲」と無意識にでもなってしまったら、

もう東大は愚か、それなりの旧帝には入れないでしょう。

例えどんな学部でさえも。

それで入ったとしても、きっとつまらない大学生活を送ることでしょう。

なぜなら、今度は就職の場所もまたどこなのよ?って言われるわけで、

一生その柵のなかで生きていかなければなりません。

私も同じような経験をしています。

私の家系もみな東大と早稲田の法学部卒で、

大方高級官僚と呼ばれるような役職にいますが、

その人たちが私に会うたびに言うのは、

「お前は学部は日大だからな。もっと勉強しろよな。

あ、今はお偉い先生ですか…かかかかかっ。文部省にでもいまから入れ」

と言われるわけです。

もちろん、そんな方々に耳を貸さないのが私の生き方。

私は自分が正しいと思う道、自分が謳歌できる道、

そして、私と歩んでくれる、または仲良くしてくれる人と生きるために

勉強をして、生活をするわけです。

柵なんてなんのその。家系があっても、私は私。

そこの部分をもっと植え付けてあれば、

そして、自分を究めようと学生が思うようになれば人は必然と勉強します。


そこに気づける人とそうでない人が「俗人」と「識者」の差なのでは?

と先の先生は言いたかったのではないのかなと思いました。

(間違えないでほしい…私が決して「識者」だと言っているのではないですよ!)


勉強していて悩んでいる人はたくさんいると思いますが、

悩んでいる時ほど、どうして勉強しているのかを良く哲学してみて下さい。
cancan
Posted bycancan

Comments 0

There are no comments yet.

Leave a reply