最近、いじめ・体罰報道が多いですね。
名古屋に来る前にアルバイトで指導をしていた時のことをふと思い出しました。
ある授業後に私は奇妙な日本語を聞きました。
私が机に座って見渡せる視界には、ある女の子1人が右にいて、
4人の女の子グループが左にいた。
そして、その女の子がグループでいる女の子にこう言います。
「ねえ、帰れたら、一緒に帰ろう。」
私は自分の仕事をしていたのだが、
これを聞いたとたん、仕事の手を止めてしまいました。
とても不自然な日本語ですよね。
この言葉は、こういうシチュエーションなら成立します。
ある男の子が、才色兼備でつとめて皆に優しくしていられる女の子に恋をした。
そして彼は、彼女ともっともっと一緒にいたいと思い、こう述べる。
「ねえ、もし帰れたら、一緒に帰らない?」
この場合、そんなに不自然ではないですよね。
少し、謙遜しすぎな言葉かもしれないが、これは成立しますよ!!(笑)
帰ってくれるかどうかはわかんないけどさ(笑)
でも、昨日のシチュエーションはどうだろうか。
明らかに聞いていて気持ちが悪かったです。
しかも、そのグループにいた女の子の答えは
「○○ちゃんに聞いてみて。」
これを聞いて、当時の私は心がものすごく痛みました。
今でも鮮明に覚えています。あの美談のない日本語を聞いた瞬間。
日本語というか言語は、人の心のなかが滲み出てきます。
特に日本語は悪い内容ですと、それが辛辣に出ます。
日本語は、circumlocutionしてなんぼだけど、
彼女の言葉は、遠まわししきれていない…。
また「帰れない」と問いかけたほうも、遠まわししきれていない…。
こういう対談が、美談のない日本語を生むのであり、
日本語は荒んでいき、人としての美しい心さえも失っていくわけですね。
いじめはいじめる方が悪いに決まってます。
いじめられる方は、何もできないからいじめられるわけです。
では、いじめられる方が強くならなければならないという人がいますが、
それはいじめられるほど弱者の立場に立たされた時に、
それを行おうとする行動力への精神的浪費は尋常ではないでしょう。
それを踏まえず、
簡単にいじめられている子たちに無責任な言葉を発しないでほしいですね。
立場が弱い人にあったペースで自分の居場所がどこにあるのか示したりすることが
人に与えられた仁義ってやつですよね。
弱者へのいじめは美談にはなりませんよ。
立ち向かうなら、強者にしなさいよ。
そして、残念がら、
友人(友人でなければ学生)同士だけでなく、
講師と生徒の間でもまた美談が失われています。
ガツンというのは必要だと思いますが、手を出してはいけません。
また執拗に学生の弱みを潰す気で指摘してはいけません。
愛があるまでとは言いませんが、手塩をかけて育てる気でいれば、
必然とアメと鞭は使いこなせるはずなんですけどね。
感情的になるときもありますが、限度をわきまえてほしいですね。
それは講師の暗黙ののルールですよね。
こう渾沌としている社会だと、このいじめ問題を解決するとなると難しいですね。
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