先月末、私はイギリス人のお友達の誕生日会に出席したときの話です。
私はその張本人とはあまり面識がなかったのですが、
この機に仲良くなろうと思い、友人と一緒に参加しました。
(じゃあ友達と言えるのか(笑)?今は間違いなく友達です(笑))
もちろん、周りはみんなイギリス人やアメリカ人、タスマニア人、
人種の多くはアングロサクソン系。それに日本人がちらほらという感じです。
というわけで、日本人がマイノリティーだったので
会話はもちろん英語です。
さて、久々に英語をしっかり話したのですが、
不思議と英語は出てくるものですね。流暢さは衰えてしまいましたが、
まだまだ使えるレベルにはありますね(笑)
そんな感じでまた外国人の友人を増やしてきたのですが、
残念な一面もありました。
それは英語が話せる日本人とのやり取りの時です。
うーん、その人たちはカップルだったのですが、
どうやらそのカップル、以前にオーストラリアに住んでいたという…
あー、じゃあ海外経験豊富だから、外様な私も受け入れてくれるかなーっと思いきや
外国人とお話をするといったスタンスで、私がわざと会話を振っても
その話に返答してくれるのは、なんと外国人だけ…。それには非常に残念でした。
結局私もそう思ってしまってからは話を振らず、
その人たちとお話ししようと思わなかったのですが、一体なぜなんでしょうか。
私は非常に疑問でなりません。
要は日本人=英語を話せないのが大半な人種で、
自分は話せるから優越であることを見せつけたかったのでしょうか。
実は英語が話せる日本人の多くは、こういった慢心っぷりを露呈します。
あたかも自分は外国のコミュニティーに入っていけるぞーって。
私からしたらそのレベルのコミュニケーションしかできないのは
二流だと思っています。
コミュニケーションが本当にできる人は、
英語の技術だけではなくて、
会話する場をどのように作ろうかという気配りまで回せるものです。
英語ができると慢心を持っている人は、
文化の意義を知らず、言語の運用の仕方だけ覚えているわけですね。
それでは、真のコミュニケーションはできあがりません。
英語を堪能にするためには、言語の技術だけではなくて、
その背景知識などをしっかり習得していかなければなりません。
これは受験で英文読解でも同じことで、話す内容がなんとなくわかってしまえば、
英語がそんなにわからなくても、実は読めてしまうのです。
こういった盲目的な言語習得者にならないでください。
私が贔屓にしているある寿司屋さんの大将が
アメリカ旅行に行ってきたあとにこんなことを話していたのを思い出します。
「いやー、英語はねあんたよりできる気がしないけどね、
なんとかなっちゃったよ!言葉ってのはよ、気構えだよな。
俺、今お前の先生になっちゃったな(笑)」
こんな粋な大将は英語がただ運用できるできる中途半端野郎よりも
数千倍人を知っているなと思います。
英語は英語だけ習得して満足するようじゃ、まだまだ甘い。
英語を使っていろいろな知識を吸収していってください。
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