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雑記

過去を美化する文をよく読むが、大方意味はない。

過去にすがっている予備校講師ってたくさんいます。

「僕は~をしたことで席次が100番も上がったんだ!」

「全然できなかったから、勉強して合格した!」

過去を教訓にして未来に向けたお話や

自分の失敗談をネタにして、どういう内容を得られたかを

語るのは構いませんが、

過去を美化して自分に聞かせ続けるのは、生徒にとって苦痛と言うものです。

それを読んだり聞いたりして、紐解くのは歴史家だけで十分。

予備校講師一人一人の来歴を全部聞いて、歴史書としてまとめ上げたら

なにかしらの勉強方法が解読されるかもしれませんね。



私も自分の失敗談や当時のことを回想してものを話すのは好きです。

英語は状況判断や感覚がものを言うときがあるので、

私が英語を教える時には

話を盛り上げてこういったニュアンスを必要としているのだということを

彼らに指摘します。

傍からすると私の授業は間違いなく雑談に見えるのですが、

全部英文解釈と繋がって話しているわけで、

話一つ一つが「知性」へと変化させる種です。

面白い授業・飽きない授業を展開するのであれば、簡単には負けませんよ(笑)



ただ、大学受験での授業は勉強の面白さよりも、

知識の正確さや知識をその場で引き出す力を養うことに焦点を当てなければなりません。

(だから、大学受験生をゼロからの指導は非常に苦手。

というか、指導はできるが、もし生徒が勉強してこないと

イライラがモロに出てしまうことがある(笑))

そう言う意味では、私は大学受験の内容を教えるよりも、

学部生のような勉強しきった人間に英語を教えたり、

逆に中学生に英語を教え、早い段階で英語の楽しみを伝える方が

向いているのではないかなと思うことがあります。

私はガッチガチの点数量産型の学生を作るよりも、

人間の知性を刺激しながら英語を興じるがごとく読んで解釈する学生を

作り出しているのかもしれません。

(または、それを無意識に目指しているのかもしれません。)

そう思うと、大学受験で英語ができなすぎて切羽詰っている学生が

私のところに来たとすれば、少々煩わしいところがあるかもしれません。

点数目的のみの指導で点数は取れると思っていないので、

(最終的には点数は自分でとれるようにするのが私の願いであり目標。)

生徒が点数だけを見据えたり、駆け込んできても

長い目で見て実力をつける私の指導は短期速効型ではないかもしれませんね。

(それでも、1年でセンター試験のスコアが

70点~100点も跳ね上げる人は多数いますが…)


まあ「無駄だと思われがちなこと」と

「焦点をしっかり合わせていることをバランスよくしていれば、

必然とスコアは上がってくるのですが、

生徒はもちろん、私もそのバランスをどんな比率で取るのかは

非常に難しい裁量なんですよね。


過去を美化した回想的なものはあくまでも参考レベルにとどめて、

そこから自分なりの人生構築を考えてみて下さい。

それが、センター後のこれからの1ヶ月の生活に影響するんだと信じています。

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