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雑記

全力を尽くせない人とは…

私の友人にこんな人がいます。

「いやー、高校生の時はあんまり勉強していなかったんだけど、

医学部には余裕で入れるんじゃないかなーっていう実力があったんだよね。

模試の判定ではA判定だったもん。

でも、お金がなかったから医療に関われる学部にいったんだ。

まあそれはそれでいいんだけどね。」


えーと、こういうことを言う人はきっと悪気があっていうのではないのでしょうが、

虚勢にしか見えませんし、一生懸命やっている者は不快でしょう。

私は自分の生徒たちにこんな学生になってもらわないように指導しています。

私からすると、こういうことを言う人たちは

限界値を知らない不幸な人間、

もしくはこれまで何かに全力投球をしたことがない人間であり、

人に対して堂々とものを支持する資格はありません。

講師というのは、頭の良し悪し以上に、いかに生徒を前進させ、

全力投球できる人生を送らせるかを知らせることを生業としている職業で、

後ろ向きなことを勧めるような言い方はしてはいけないと思います。

(たとえそう思っても、その学生にとって現実的な道を与え、

言い方を考えながらそのことを伝えなければならないですね。)

こういうことを一種の「あきらめの美学」のようにあがめて、

「あまり頑張らないで、自分の限界なんて知らない方が幸せなこともある」

といった吹聴をする予備校の先生は、意外に潜んでいるように思います。

そして、そういうことを言う人って実は真面目な人のなかに多いのですよ…。


当たり前ですが、大学は定員が決まっているので、

もちろん行きたい大学に入れないこともあります。

でも、それがすべてではありません。

それは受験講師にとってはすべてかもしれませんが、

生徒にとってそれはすべてではありません。

生徒は今後何になりたいかという人生の決断を控えているので、

こっち側は講師の視座を、生徒にそのままぶち当ててはいけません。

全力でやることの美学を講師はもっと深く知り、これからの生徒たちに教えましょうよ。

諦めの美学を語るのは、イギリスのスノッブ(俗悪根性全開の人たち)だけで結構。

思考におけるダンディになってください。


そして、我々は時間が経てば、誰かの上に立つ時が必ず一度はあります。

そういうときに年上の人や実力がある人、ある分野で非常に精通している人が、

全力でものごとをこなさずにそのポジションに立った時、

ものすごく苦労することになるでしょう。

その人の言葉は薄っぺらい脂取り紙のような使ってすぐ捨てる価値しか

創造できません。全力でこなしたという経験は一度でもいいから持ちましょう。

それが受験生にとっては今なのです!

悔いが残らないように、のこりの時間で最善を尽くしてください。

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