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抽象性を具体性へ

「成績と自分の想像が乖離して……」

こんな表現を使ったとき、ある生徒がこう言いました。

「え、「かいり」ってなんですか?

あのー、先生の言っていることが時々わからないことがあります。」

私は愕然としました。えー、中学生ならまだしも、

高校生よりも上になってこれぐらいの言葉には躊躇なくわかってほしいものです。

私はよく説明をする時に難しい表現を使ってしまうことがあるのですが、

でも、わかるよなーという「期待」と、

こういう表現に日ごろから慣れておく意味での「訓練」として使うようにします。

(私としては当たり前な言語活動ですが……)


しかし、説明をするときに便宜を図るつもりで、言葉がスムーズになると思って

難しい表現を使用するわけですが、

必ずしもそれは生徒にとってよいことではないよなとも思います。

抽象的な表現は確かに想像力を与えそうですが、

入試問題を解くとか、正確に英文を読んだり、数学の問題の解説では

そんな抽象的な表現を多用するよりも、具体性の方へ重きを置いて

生徒目線で考えることを意識した方がいいのかもしれないとも思っています。

こんなことを今年の生徒たちから知らされて、私もまだまだだと思いました。

(半分は、生徒の語学力にも問題あるから自分だけのせいでもないぞ

と少々思っていたりもします(笑))


しかし、この抽象性をうまく利用して宣伝する予備校もあります。

例えば、「どうして勉強できないのか?」といったような

哲学的に学習問題へ問いをかざそうとする文がある場合、

それは正直言って勉強のノウハウを知る上ではまったくもって意味がありません。

よく「予備校の存在意義」を考えて、考えすぎたなれの果てには、

根性論的・精神的なな文面や、哲学的な超抽象度が高い内容となってしまいがちです。

詩的・文学的な内容すぎたものが羅列されている場合、

何かメンタル面で精通しているかもしれないと思うかもしれませんが、

受験においてそれを前面に押し出すと、

いかにも受験ノウハウをもっていないということが露呈されます。

抽象的にすることで、うわべの聞こえ具合はよくみえますが、

それはフェイクであることが大半。

いいように書いたものほど危ういことも知っていた方が良いかもしれませんね。


とまあ、抽象的にものを語るということは場面によってもろ刃の剣。

論文や発表の場合は、字数制限や時間制限があるのでやむを得ない部分があるのですが、

生徒を理解させることや、ブログで自身のことを知ってもらうためには、

もう少し巧妙に具体性と抽象性を使用するべきだなと勝手に思っています。

(ということは、こう言っていると、私の授業は抽象的な表現が多いから、

もう少し改善すべきなんだという問題を自分で生み出していますね(笑))



今日は勝手に思いついたことをダラダラ書いたわけですが、

要は抽象的なものからあまり離れようとしないでほしいのと、

自分が発していること(内容)が人々にわかっているのか、

または教科書を読んでいる内容が自分の言葉で置き換えられて

自分の理解につなげられているのか?ということを言いたかっただけです。


高校生までの勉強は、このように抽象性が強いものを

具体的なものに置き換えたり、正確に自分の力ではっきりさせるという作業

であると言えるかもしれません。

また、大学はその具現化できる能力を用いて、より抽象的な概念を

簡略化したり、それらを応用して新たなものを創造したりする場

と言えるのかもしれません。

高校生や受験生は抽象的なものからこれから目を離さずに食らいついてください。

そして、みえないものが見えるようになるまで、問題を解き続けてください。


cancan
Posted bycancan

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