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2007-11-25 Sun 00:06
ハイデガーやハバーマスという20世紀に活躍した哲学者が考えるcommunicationと、現代のcommunicationのあり方を比較して論じている。この2つのcommunicationの背景はまったく違う。前者は、「会話=理解」というものを前提にしてcommunicationが成立すると論じるのだが、後者はその過程をすっとばして情報=communicationというようなイメージをもたせ、さらにはそれをシステム化していくことに帰結している。20世紀の哲学者達は、このような現代の風潮を警告している反面、互いに与えられた時間においての共通点があるということを明確にしていたこともわかる。 興味深いです。しかもハイデガーの「存在と時間」を少し読んで、理解に苦しむ点もあったので、その理解のアプローチというか引用の仕方が少し勉強できたかな。これに関しては、また別の場所で詳しく書きたいと思います。 |
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| caseな生活 (書籍紹介編) |
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