「どうしていい大学に行かなければならないか?」
良い就職をするため?後々楽をするため?お金をもらうため?
優越感に浸るため?
20%ぐらいはこのようなことを考えてもいいと思います。
就職する上で、大学の名前で足切りする企業もあるでしょう。(しょうがない部分はある)
学校で出世するスピードも若干変わってくることもあるでしょう。
それなりに知名度がある大学に入ったならば、ちやほやされることもあるでしょう。
しかし、それだけで大学を選んだ場合、幻滅することは必至。
「難関と言われる大学に入ったから、もう大丈夫」と言う時代は終わったと思います。
それにプラスアルファが課されるのが現在のエリートたちでしょう。
よって、実力があるのであれば、そして、勉強する最低限の環境があれば
大学は正直どこでもいいわけです。
しかし、そうは言ってじゃあどうして難関大学を目指そうとするのでしょうか。
またはするべきなのでしょうか。
それは、奨学金と人徳の問題と関連すると思っています。
私がストックホルム大学や名古屋大学に入ってメリットがあったのは
まず奨学金が取れる量が圧倒的に多いということです。
やはり大きな大学ほどお金を持っているというか、お金が回ってきます。
その恩恵に肖るチャンスがあるのであれば、挑戦しないわけにはいきません。
タダで大学に行けるのであれば、バイトをせずにお金をもらえるのであれば、
やはり学生中に勉強して難関と言われる大学に行った方がいいように思います。
そして、もう一つは人徳が得られる可能性が大きいからです。
やはり難関大学に入るために、勉強をしてきた生徒がたくさんいるわけで、
そこから生まれる連帯感は強いし、どんどん面白い方へ向かっていきます。
要は(いい意味でも悪い意味でも)変な人がいて、
進むべき道の選択肢が必然と増えてくるということです。
例えば、私の周りには学者もいれば、ベンチャービジネスを興した社長もいれば、
バーテンダーも、大手企業に勤めている人、官僚、チャレンジャー、スポーツ選手
お水の人に、風俗嬢と……挙げればきりがありませんがいろいろな人がいて、
いろんな出会いがあります。
確かにそれは行動力がある人間からすれば、フェイスブックとかを駆使して
出会う確率を上げていけば不可能ではないでしょうが、そういったアクティブな人は
なかなかいません。
しかし、学校や大学であれば、それがもっと自然に容易に出会う可能性が生まれ、
早い段階で深い仲を創り上げることができるわけです。
生徒さんにはその千載一遇のような出会いをするために勉強をして
難関と言われる大学に入ってほしいと、私は思っております。
私がもしスウェーデンに行っていなければ、
スイス人の億万長者にあうことはなかったし、
服飾の仕事に携われたこともなかっただろうし、
ポテトチップス屋さんでインターンシップをしなければ、
当時のカルビーの社長等に会えなかったでしょう。
難関大学に行くと、
なんでかわかりませんが、偉い人とか有名人にあう確率が上がります。
そういう人は少なからず努力しているわけで、やはり類は友を呼ぶのでしょうかね。
そんな出会いをしてもらうために、そんなチャンスを得るために
生徒には、
最低でも現在の自分の身の丈よりも一つ上の大学に行ってほしいと思っています。
1時間にも及んだお話だったのですが、
彼らが何かインスピレーションを感じ取れたらいいなと思っております。
また4月がやって来ます。大学受験の世界も、再び新たな時間が動き出します。
頑張っていきましょうね!
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