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雑記

極限状態で得られた技能はそう簡単には忘れない。

先日、ある学生がこんなことを言っておりました。

「わかり切った手法や問われることを予測できることだけやっていても、やはりダメですね。

確かに知っていることはそれで増えますが、『使える』はまた違いますね。模試を受けてよくわかったんですが、

やり方を変えて、覚えることが安定してきたので、今度はもらった難しめのプリントを基に演習しまくる。」と。


ついにわかってきましたねって感じでして、この学生の言うとおり、書かれていたことをある程度のクオリティで覚える事は

前提条件に近いもので、それなしで頑張るのは相当量を解かないといけないので時間がかかります。

「暗記はできない」っていうのは正直なところ甘えでして、まあ受験でそれを避けていっても、

大学のお勉強の世界ではどうにもならないです。そして、就職しても今の時代は「即戦力」みたいな人を必要とするので、

経験値をすさまじく持っているか、言われたことをぱぱっと覚えられる人でなければいけないので、

まずは暗記するをある程度身につけなければ、時間内での戦いには多分詰みます。


じゃあその能力が高ければもちろんうまくはいくので、その能力をあげるしかないとなると、

鉄分が多い食べ物を食べるとか、魚を食べると、謎の食事療法とかを連想するかもしれませんが、

そんなのは微々たるものです。習慣というのは強いのですが、一朝一夕で身につくものではないです。

じゃあどうするかというとですね、実践空間を常に日々に入れることです。

まあ日常会話とか英語のスピーキングと一緒なんですけど、

間違えてもいいからガンガン話すという場をもらった瞬間、何が飛び交ってくるかなんてわからないんですよね。

私はスウェーデンである程度の単語量を詰め込んでいったもののスピーキングの練習はほぼ0でいったので、

「自分が習得した単語で会話が確実にできる」と過信したことと、

「周りの留学生の英語力は大したことはないだろうからリスニングもある程度何とかなるだろうし、

生活して会話をやっていってできるようになるだろう」っていう甘えと見くびりをしてしまったことから大惨事を招きました。

まあ授業は聞けなかったし、最初の政治哲学の授業は詰みました。

今の今考えると、まあ詰んで当然という感じで、そのとき知識をぶち込んであることと使えることは別世界のことだと痛感し、

私は知識を詰めるという作業をすべて捨てて、3~4か月は実践的に使うためにどうするかを考えつつ、

恥を承知でぱぱっと出てきた英語を頑張って自分なりに音にしてしゃべるようにしました。独り言も含めてね。

会話の中ではヨーロッパ人や南米人が多かったので、英語特有の表現というよりは

みんながわかりそうな表現がボカスカ飛んできた感じで、まあ自分が思っていた範疇の英語が出てこないこともよくありました。

でも、幸いだったのが「知らない」ってものはほぼなくて、使ったことがなかっただけだったので、

おうちに帰ったら出したフレーズとわからなかったフレーズの単語を思い出して、書き出して、

あとはその人が話した口調を真似して、自分でアレンジして自分のものにする……これを繰り返していました。

まあそれぐらいしてやっと人より劣るけど、話はできるし、授業では記述で勝負すれば勝てるかもってなって

何とか大学生活を乗り切りました。


とまあ、暗記があったから実践である程度何とかなっただけで、暗記することをしていなかったら

多分帰国とかをマジで考えていたかもしれませんね。

留学は日本での準備がすべてというのは本当で、日本でできないことは海外でできるようにはなりません。

受験も一緒で、所詮基礎レベルとか市販で売っている多くの問題集というのはある程度の目的と意図が含まれており、

想定内の解答が出てくるようになっているものが大半。それは、技術を授けてくれるものなだけで、

その先の「即戦」とか「アドリブ」で対応することに触れていなければ、まあ入試本番では力なんて発揮できません。

だから、暗記ができることは基礎能力であり、なかなか活かすのは難しいのですが、かならずやらなければならない活動です。

こういうことを大真面目に言うと、結構学生にも親御様にも煙たがられるんですけど、

それでも真実だし、やった方がいいし、それを理解してくれる人だけでいいやって私の中ではなっています。


まずは最近の学生さんは暗記事項の弱さが問題になることが多いですが、

その次の段階である極限状態・逃げられないという「即戦」・「アドリブ」的な空間をぜひぜひ作ってください。

本当は受験生はそれだけになっているのが理想ですが、まあそうじゃない人も多いので、そうなれるように頑張りましょう。

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