大学受験においてもこのフレーズは、
英語における新進気鋭なイメージを私たちに与えています。
しかし、実際に「英語は暗記するものではない」と掲げている人を授業をみると、
「えー、このレベルで暗記するなっていうの?」
と、彼らの指針に無理やりさを感じざるを得ません。
例えば、willの意味の一つとして「習性」を表すことを、
受験生は覚えなければならないわけですが、
あるテキストは『「100%に近い内容が起こるんだ」と覚えておけばいい』と、
学生たちに促しています。
これを見た時に、確かにそうかもしれないけど、「甘い」と思ったわけです。
結局、元の意味を覚えても、後々正確に頭で整理しなければならないので、
一つの意味を覚えるという作業をすることに変化はありません。
つまり、このように「暗記はするな」という人々が意味する「暗記」とは、
昔、論語などをそらで言える学生のレベルを想定しているようなことであって、
非常に狭義な意味でしか用いていません。
しかし、消費者はこの言葉のマジックに惑わされてしまいます。
「暗記はもう必要ない」といるフレーズがあるものを手にしたら、
人々は苦労をしたくないという衝動を必然と持ちますので、
その方法を知ろうとし、実践してみようと思います。
しかし、大学受験で点数を取る、論文が読めるようになる、
英語を自分の思考レベルで扱うといったレベルで扱う場合、
暗記というか膨大に覚えるという作業は不可欠です。
「英語で良本を一冊書くためには、最低1冊は文章を丸暗記しなければ書けない」
と豪語している先生に、私は何度もお会いしています。
それぐらい、他国の言語をマスターするには至難の業なのです。
それと比べたら、
大学受験の英語の科目で覚える内容は微々たるものなはずです。
しかし、残念ながらこういった勉強に時間を割かずにいるために、
英語は本当の意味で出来なくなっています。
そして、とにかくその楽な方へ、楽な方へ向うがために、
成功する人もいるなかで、失敗する人も数え切れないほどいます。
むしろ、楽な方を安易に選択した人は失敗した人の方が多いでしょう。
本来、「暗記は必要ない」というレベルの話は、
大学入学以降の話です。
持ち合わせている文法や英単語の知識を持った上で学習法を応用していけば、
確かに暗記をせずに済みます。これは事実です。
自分の母国語である日本語の言語習得を考えてみてください。
小学校のときに膨大な漢字書き取りをさせられませんでしたか。
また何十年も日本語で書かれた文章を目にしてきていませんか。
その作業をたかだか3年間である程度習得するためには、
しかもネイティブの読み物をある程度解釈して読み込むためには、
残念ながら意識的に文法や単語を覚えざるを得ません。
無理がきくteenagerだからこそ、「暗記」に近い理解は必要なんだと、
私は考えます。
ヨーロッパ人はこういう作業に労苦を惜しみません。
私の知っているスウェーデン人の友人は、
大きな料理用のボウルに膨大な単語カードを入れて、
それを手でシャッフルし、その中の一枚を取りだして、一人クイズをしていました。
その結果が、日本語検定1級取得です。
日本人に比べると、ヨーロッパ人は隣国の人間と接触する機会がもともと多かったため、
他の言語を知らなければならないという危機感もあったのでしょうが、
彼らの言語に対する執着心について、正直「脱帽」だと言わざるをえません。
私たちは、もっと外国語を覚えなければならないんだ、そして、
国際人として他の国々の人間と共存していかなければいけないんだと
いう感覚を持っていかなければなりません。
TOEFLの勉強をしていたときに、Without learning wordsといったテキストは、
一つも見たことがありません。
中国でTOEFLの問題が出回っていると言っても、
彼らは基本事項をしっかり覚えたうえで、酷似した問題を覚えているから
ハイスコアを出す人々がたくさんいるのです。
本質から逸脱して成就するほど、世の中甘くはないのです。
その本質に気付けた人ほど、英語だけでなく自分が喋っている母国語にも
愛着がわき、自分自身をより高いところにおきながら
生きていけるのだと思います。
そのことが大学受験を通じてわかっていれば、
大学生活でも幅広い生活ができると思います。
そうなるために、受験生は今を生きてください。
よかったらココをクリックしてください。いつもありがとうございます。

にほんブログ村

