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雑記

機械的な努力には先のステージがあることはご存知か?

さて、どの学校も1週間が終わりましたかね。

この時期は勉強することよりも、生活を整えることと、たくさん友人を作ること、

そしてたくさん遊ぶように話しています。(中学生と高校2年生にはね)

一方2021の春の私は…今年は少々苦労しまして、無事テキストが完成しました。

あとは授業をやるのみ+3か月かけて出そろった医学部受験の分析するのみですね。


さて、今年の受験生は実力者・努力家しか残りませんでした……。

まあでもいいんです。医学部受験や旧帝受験を志してうまくいく人なんて本当に少ないし、

真剣にやらなければ現役合格は愚か浪人での合格も厳しいので、

頑張る人だけ頑張れば私はいいと思っていつも指導しております。

そんなわけで、引き続き努力と研鑽を重ねてほしいと思います。


ただですね、そうなんですよ、努力だけでも受からないのが旧帝・医学部受験なんですよ。

気を付けてほしいのは、問題を解いたからといって

受験で使える知識を養えるほど大学受験は甘くないということなんですよ。

旧帝や医学部や早慶を考えている人よ。小手先だけで勝てるのは、剣道だけです。

よく、「愚直にものごとをやっていれば大丈夫」とか、

「先生に言われたことだけちゃんとこなしていれば大丈夫」とか言われますが、

これは半分正しくて、半分正しくないと思った方がいいです。

スティーブ・ジョブズや先日引退したイチロー選手は

「こつこつこなしていればいつか大きな結果になる」ことや、

「失敗してもベストを尽くせたからオーケー」っていう感じで人生訓として並べていて

それらの言葉を読むと「あー」と感嘆を上げたくなるのですが、

確かに人生全体や長い選手生命等でみたら成功者だから強力な人生譚に聞こえます…

でも、受験はそれらの人生スパンよりも

はるかに少ない時間でケリをつけるようにできあがっているものであり、

人生譚が通用しない部分があることは覚えておくべきです。

彼らの言葉を読んで、「時間を無駄にしないでガンバロウ」とは思うべきですが、

「ただ頑張ればいつか合格するだろうよ」ってスタンスでいるのであれば、それは人生における甘えです。

努力していてもどうにも越えられない壁って結構出てきます。

例えば、個人的には東大理3と京大医学部と慶応医学部は

ある程度才能的なものがなければいけないと勝手に思っていますが、

そう思う一つの理由は、絶対的に勉強している量が合格者に敵わない部分があるからです。

この3校に受かる学生の多くは、勉強量も幼いころから積み重ねた量を数えればまず敵わないし、

勉強しているうちにコツを覚えるから濃縮率も普通の学生よりもはるかに高いと言えるから。

勉強している間に膨大な進化を遂げてきているわけですよね。

それを3年~5年そこいらで、例えば幼稚園から勉強しているとか10~12年頑張っちゃった学生や、

目に見えるものがすべて科学であるとかほざいて知識だと思いながら吸収している学生に

敵うはずはないです。(よほどの激しい勉強や刺激や激変がなければ…)


こういうと、「努力なんて徒労だ」と捉える人も中に入るかもしれませんがそうではなくて、

目的のない努力当てのない努力、機械的な努力を続けている場合、

こうなりやすいというだけで、努力全般を否定しているつもりはありません。

そう、ただやっている行為をアピって称賛を得ようとか、

「これまでたくさん問題を解いてきたんだ」といって自己犠牲を相手にふりまくことで

自分のアイデンティティーを保とうとするのはやはりダメで、

問題量に固執している学生や親御様はどこかで認識欲を欲しているのではないかなと思っています。

でも、そんな学生たちであるのは当然で

もっと斜め上を言った褒められたことがない世界に行きたくないですか?

と問いたいww

「あれ、お前尋常な量やってないのにすごくね?」、

「なんか問題解きまくりつつ、要点押さえるクオリティたかくね??」、

「は、ていうか、貴様人間??」こんな称賛を欲しくはないか??www

問題をこなしてバージュ・カリファのような参考書タワーを高々4~5塔創り上げてマウントをとるなんて、

何十年前のマウントスタイルやねんって感じですよ…って思ってください。


時代は、膨大な量をやろうとしているorやっている途中で、

「あれ、俺・あーし(私)、

そんなにやらなくても大丈夫なんじゃないの???」


って自身の進化に気づいて、次の新たなことをこなせる幅広さを求めるべきですよ。

そして、結果的になんか色々バージュ・カリファどころか、

ドバイの都市全体ができたぜ的な問題量をこなせるようになってほしいなということ。


何が言いたいかよくわからない方々、もっと端的に言いましょうか。

量を求めすぎてるんです。

もっと中身の緻密な構造を抽出しろ!!
ってことです。

根性論一辺倒の勉強スタイルは終わりましたし、虚無感は容易に感じられます。

でも、矛盾しているようにも思いますが、

この事実は量をこなしていく中で本来見えてくる結論で、

量をこなしたことがない人には実は見えない世界です。

量をこなすのは当然

小学校で行った中学受験はそれでいいかもしれない。

中学生が勤しむ謎の学校課題や高校受験の問題演習はそれでもいいかもしれない。

(中学生あたりでは気づきはじめたいですね…本当は)

でも、大学受験のトップ層にいたいのであれば量ごときでマウントをとる人はごまんといて、

ビックリ人間だらけで差異が出ません。

その膨大な分量を消費しているどこかで「もうええわ」とツッコミを入れられることが、

真の勉強です。

中学受験を終えて東大を目指したり、医学部を早い段階で目指す学生さん、

高校受験を終えて、「勉強面白いからもっと深いところまで行きたいな!」と思っている高校生、

どこかで「量は制限できて違う処理方法があるんだ!」と思って進化する必要性を感じてください。



努力ができる・分量をこなせる学生さんには、進化できる才能があります。

進化できずにがむしゃらになっている人、時間を考えず、一度立ち止まってよく全体を見て。

全然違い世界が広がってきたりします。

何か今までと違う!と思えたらそれはもう進化を遂げている証拠。その瞬間を逃さずに勉強してください。

今年は荒削りばかりですが、そんな可能性を秘めた学生がたくさんいるように思います。

今年度もどうやって化けていくかは楽しみですね。

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