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理想の勉強体系

生徒の勉強が順調に進んでいます。

嵐の前の静けさでないことを祈っております。


しかし,今年は生徒の理想の体系にかなり近づいています。

私の理想は何かというと,前期に血反吐を吐くほど勉強し,

勉強の辛さと厳しさを知ると同時に,

その体験から知識の吸収に対しての素晴らしさや楽しさを感じ,

そういった感情を後期で開放するということです。


勉強は楽しいだけで成立しません。

二年前にある保護者の方からこんなことを言われました。

「授業を楽しくやってくれませんか?

中学校1年生のように,ゲーム形式をいれてやってくれませんか」

この人は高校2年生の生徒さんの保護者でしたが,

高校2年生の授業をゲーム形式を取り入れて行うなど,

まずムリです。ましてやそれを受験で生かせる実力をつけるなど,

むちゃくちゃもいいところです。

もちろん,私もすべてこなせないので,

できないことや間違っているなと思うことは

たとえ親御さんが相手でも容赦なくいうつもりです。

そういう娯楽レベルで勉強を楽しむことと,

勉強を楽しむことは質が違います。

勉強が楽しいと思えるのは,厳しさがあるからです。

これだけやらなければならないというノルマがある厳しさが

良質の嗜好を与えてくれるのです。


勉強は山登りと一緒で,チョモランマを登頂してそこから見る風景は,

登頂した人にしかその風景の美しさはわからないように,

勉強も尋常では考えられないくらいの量をこなして,

ある一定の結果を手に入れたときに初めて

勉強における楽しさを手に入れられるんだと思っています。

こういったことを知らずに,ただ「やれ」といわれても,

それは苦行にしか見えませんが,

「ある領域に到達したときに何かが見える」と言われて,

「何かって何だろう」と模索してしまった人は

勉強の楽しみを知るに足る人だと思います。


ただ,別にそれを知らなくてもいいという人は,

私はそれを知らなくてもいいんだと思っています。

私が山を登らない理由と同じで,

興味がなければ専心してやらなくてもいいんだと思っています。

アルピニストからしたら私なんて,

へなへなの草食系男子にしか見えないでしょうが。




ただ,私はアルピニストではないから山の素晴らしさは語れませんが,

人並みよりもちょっと勉強をたしなんだので,

勉強をしていいことがあったことはお話できます。

勉強のすごいところは

実際に「体験」できなくても,断片的に「知る」ことができるという

幅を利かせられるということです。

山登りをしなくても,山の名前は覚えようと思えば覚えられます。

自分が泳げなくても,鯨の専門家だという人もきっといるでしょう。

こういった話をしていって,

自分はやっぱり何かやるために勉強は必要なんだと

気づける人がこの勉強の素晴らしさ,楽しさに到達できるのです。


そして,この感情と体験はお金で買えません。

これが「勉強する」という行為の価値が高い理由でしょう。

体系的にはお金で教育を買っているように見えますが,

お金を出して勉強する行為だけ購入し,結果を手に入れても,

本来の勉強の醍醐味を知らないままでいる人は多いと思います。


そういったことを1年では物足りませんが,

わが軍の生徒達に植えつけようとしています。

生徒が自分で勉強し,私が少々わずらわしく感じるようになったら,

もう理想系の完成です。寂しいものもありますが,

生徒のためです。生徒が自立すれば,いうことはありません。

師は第二の親で,そこまでの領域に行った連中は,

本当に困ったときだけ,その親の元に現れます。

それがあるべき人間関係でもあるのではないかと勝手に思い込んでいます。

手取り足取りするのは中学生までで十分。

私が小・中学生を積極的にもたないのは,

この精神を手に入れるには大半の小中学生が精神的に未熟な為に,

習得できない,または信じてもらえないためです。

しかし,高校生なら

勉強ではなくてもそれなりの何か大きな過ちが一回や二回はあるもので,

それを一変させて大きな結果につなげたい

と思う人も少なからずいるでしょう。

そういった高尚な楽しみを,人々に知ってもらいたいです。


苦難を潜り抜けた後に見る風景は,どんなものも綺麗に映るものです。

さて,11月も頑張りましょうね。

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cancan
Posted bycancan

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