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泣ける生徒

「泣ける歌」とYou Tubeで検索を入れると、

これがなかなかたくさんヒットして、

私は「人々はどんな歌を聴くと泣けてくるのか」とちょっと気になってしまい、

それを片っ端から聴いてみることにしました。

んー、すると彼らは私が思っている以上に感傷的で、

和語を多用している言葉に敏感で、ストレートな気持ちが表に出た歌が

「泣ける歌」になることが多いなという雑感を覚えました。

なかなかストレートに気持ちを表現することは難しいですよね。


しかし、わが軍にもこんな泣けてくる生徒がいました。

英検3級の問題集を片っ端から解き、

その前にも中学校の基礎文法に関する問題集を二冊終えたにもかかわらず、

プレテストになるとなかなか納得のいく結果につながらなくて、

ついつい涙した生徒がいました。

「自分が思う限界までやっているのに、これ以上できないってほどやっているのに……」

と言いながら、先週私の前で泣き崩れていました。

正直、私からすると「まだまだなんだよね、もっとやらなければいけないんですよ」と

言ってしまいたい気持ちもあるのですが、

その生徒に「死ぬほどやった」と泣きながら言われてしまうと、

自分の気持ちも少々押し殺さざるを得ません。

(ここで言ってしまったら、死亡宣告をしてしまうようなものなので、

それだけは言えません。)

こうやって、自分が精一杯やったことに対して泣けるというのは、

一見キモく見えるかもしれませんが、私はりりしい姿だと思います。

今の学生で泣けるほど勉強している人に、私はそんなに出会ったことがありません。

多分、日本の高校生であればごく少数でしょう。

特に浪人ができる環境に多い日本の受験生は、全員とは言いませんが、

この感覚には程遠い人ばかりのように思います。

しかし、こういった泣けるほど勉強したという経験の有無が

後々の人生に大きく左右してきます。

なかなか「頑張る」という行為が、今を生きている私たちにとって

美しいものだととらえられなくなっており、

私たちはどこか「頑張る」という行為に背中を向けて、

気取った態度をとろうとします。

一種の嘲笑主義的な態度なんでしょうか。

そういった風潮の中で、ストレートに気持ちを前に出せる人は、

そうじゃない人からすれば、僻みの対象にしかないように見えないかもしれません。

でも、勉強はそんなにスマートに解決できるわけではありません。

どんなに天才と称される人でさえも、

裏付けされた努力の量は無類のものであることが多いです。

私の師匠も、今では「日本近代文学界の新進気鋭」と言われていますが、

実際の勉強の話を聞くと、度肝を抜かれます。

私はその話を思い出すたびに、「まだまだゴミです」と思わされ、

口が裂けてもその人の前では、「勉強しています」と言えません。

そういう真剣さをもって勉強した人ならば、

ダメだったときには号泣するし、結果が出たときには狂瀾するでしょう。

書いていても、どこかカッコ悪くきこえるのですが、それでもやはり、

私は、エリートになるために、この経験が不可欠だと思っています。


「泣けるぐらい勉強したら、気持ちだけは一流だ!」

気持ちが一流になれば、自然と実力も一流になるはずです。

それはイギリスの歴史が証明しています。

15~16世紀にかけて、

ジェントルマン階級と都市市民などで形成される有産層の区別がわからなくなり、

中には後者の人間がジェントルマン階級の人間よりも

偉くなってしまった人間がたくさんいたはずです。

それは服の装いからもわかるのですが、

精神を着飾るだけで、身体も優れてくるものです。

成就するためには、皆さん、心だけはエリートでいてください。

私は今回話した彼のような人々を量産していきたいと思っています。

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cancan
Posted bycancan

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