先ほど医学部予備校の前期授業がすべて終わりました。
今年はひそかに国立を狙っている学生も多いことも多く、
センター試験の練習を!って求められることが増え、久々にちゃんと対策をしております。
もちろんある程度読める前提がある人にしかテクニック的なことを教えないのですが、
一応、戦略的なことは伝えられたかなと思います。
(それでも普通に解いて20分ぐらい余って、200点~190点はとれよって思いますww)
でも、今年の学生も頑張っている受験生ばかりで、質問も鋭いのが多く、
是非とも全員うまくいってほしいなぁと思うところです。
そんな学生たちの机を上を良く目にするのですが、
その時感じるのが
「私が学習したときよりも問題集の山が多いなぁ」ということ。
また私の自宅は東海高校の近くなのですが、彼らのバッグが大きいのなんのって…
二宮金次郎もびっくりで、勉強というよりもエベレストでも登頂しようかっていうほどの
荷物量を背に背負っているのを見ると、すげーなって思います(私だったら慢性的な肩こりになっていたでしょう)
でも、申し訳ございません、それに比べて以前よりも優れているなと思えるかというと
そんな風には思いません。
むしろ、類似した問題集や参考書が横行して、学生たちが踊らされた結果
無数の本が机にそびえているように思えてなりません。
そして、問題を解くだけでできるようになった学生がたくさんいるかと思うと、
そんなことはなくて、むしろ辞典のように
「あの知識はあそこに載っているからわからなくなったら見ればいい」
「この知識は覚えるの大変だから、あの本に書いてあることを(index:目録)覚えておこう」と
なってしまい、博士的な人間が増えた気はしますが、
実戦的に知識を使えるor覚えて、
自発的に使っていこうという力が著しく乏しくなった結果なんだろうなと
私は感じています。
そして、小学校の時点でそのようにされてしまい、自分で覚える「手間」をかけないために
覚える力がつかず、中学高校になっても英単語帳を覚えられない人が増えており、
非常に厳しいなぁと思うこともしばしばです。
ものごとを覚えることで、読むべき本は減ります。
減るというか、無駄な読書が減ります。そして、1冊目の先の立ち位置にある本に手を出すことができます。
つまり、自分が知らない情報だけの本を選べるようになって、知識の幅が広がります。
そして、本来そういうための勉強のはずなのに、
「受験に合格して人よりも優越感を得たい」とか「お金持ちになって他者から羨ましがられたい」みたいな
小さくて脆弱な精神レベルの目標のためだけに、二宮金次郎スタイルを取るのは
やはりかっこいいとは言えませんね。
(まあ年々覚えることが増えるので、物理的に教科書が増えるのは仕方がないですが、
それでも少し異常な量で、登山バックみたいなカバンが売れることに私は驚愕し、
ヨーロッパ人の友人に「やっぱ日本人って変な人種だな。頭に入れるなり、
せめてもっとIT化して、macとか持たせるべきだろう」って言われました。)
私としては覚えることをしっかり定着させて、持つものを少なくして、
もっと高尚なものを手にさせること。
単語帳よりも、難しい問題集や辞典レベルの読み物。
文法書1冊よりも、断片的にコピーしたものやその日に覚えるもの、
もしくはそれをデータ化したもの(最近インテリ学生はこれをしている)。
この夏は学生に膨大な暗記をしてもらおうと思っております。
(医者になったら英単語以上にキツイ暗記が待ってますからね。)