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2018
06.23

【国立に受かるために】和訳演習を有限化する

Category: 雑記
少し忙しかったというか、厄介な仕事を終えるために

作業に時間を費やしておりました。

先日まで早稲田大学の文化構想学部と社学と文学部の入試問題を

5年分ぐらい解き直して、少し医学部受験用に加工しておりました。

私の授業では基本的に市販の授業を用いずに、

実際に私が入試問題を解いてみて、それで得るものが多そうな問題をチョイスして

学生たちに解かせるようにしています。

そして、過去問を解く時期になったら、その学校の形式に合わせたものに加工し、

オリジナル問題として学生に提供するのも私のウリなのですが、

その際に共通してやっているのが、「和訳作業」です。

ここ10年、色々なところで問題を作る機会を得て、

和訳を無数にしてきて、やっと国立受験で形式的にこうするべきだと

言い切れる指導ができるようになった気がします。

もちろん私はプロの翻訳家ではないし、まだまだ未熟者すぎるのですが、

ここ最近の和訳指導や記述系の指導には自信を持っております。

実際に記述模試を始め、本番での国立2次でも70%を切った学生は

(自己申告と開示でどちらもですが…)

昨年は一人もいませんので、

なかなかのスコアをたたき出してきたと自負しております。

(その分マーク形式でやられた学生がたくさんいて、少しショックでした。

藤田保健衛生大の開示をみて唖然…マークのスコアがギリギリで

トータル見ると合格者平均に一気に近づいていたので、

何でマークできねーんやねんってなった……

てなわけで、今年はマーク形式の指導をもう少し本気でやることにしました……)

そんな結果を出すために、毎年必ず初期段階で文法事項を定着させると同時に、

市販テキストの訳出課題を出して、私独自の解説を渡しながら

添削していく作業をしております。

もちろん英語は英語で理解してほしいのですが、

文法事項を理解する上では日本語が介入された方が理解が早いし、

日本人なので最初は日本語でしっかり意味を、イメージをとってもらおうと、

そして何より自分の母国語を鍛えることなしに

英語習得を完璧なものにはできないので、

周りの賛否両論に左右されることなく、和訳指導を組み込んでいます。


しかし、和訳作業に関しては、

個人的には全身全霊を込めた賛辞を送ることはできません。

最後の最後はやはり英語として意味を理解しなければなりませんので、

「和訳は英語における諸悪の根源ではないか」という主張に関しては、

一理あるねーっていうのが本音なんですが、

英語を英語で理解できない学生もたくさんいるのが現状ですし、

日本語がそもそも壊滅的な方もたくさんいるし、

日本語を捨てて、すべて英語で処理するわけにもいかないので、

やはり高校までは英語と日本語を併用した方がいいと思っております。


ただ、もちろん和訳においてはルールを用いております。

和訳は最初は面倒な作業なのですが、色々分かってくると、

そして品詞がみえてくるようになると中毒性が増して、止まらなくなります。

過去にも私の指導生にも、「英文を1年間全訳してきた」とか

「構文系の文題集を7冊こなした」とかなかなかの強者もたくさんいました…。

しかし、そういう構文至上主義的に来た学生の多くに共通するのが、

長文が読めない

特に1文対応はできても全体像が見えないから内容一致がみえないし

理由やロジックに関わる問題では一気に精度が落ちる

そうなんです、

和訳構文系の問題集をやりまくっていても英語は読めるようになりません。

和訳構文系の作業で培われるのは、

英語における構文の理解力と構成力

段落形式のなんとなく内容の理解向上

ぐらいであり、内容を理解する総合読解力をつけるまでには至りません。

所詮はその総合力を培うための1アプローチです。

でもですね、和訳構文問題集ってなんか謎の構文や、

奇文難文が沢山散りばめられて、それに対してものすごく細かい説明がなされていて、

「やべー筆者は俺たちのためにここまでしてくれるんだぜ」という

労をねぎらうがごとく謎の感情がこみ上げて、

「俺もお前の答えに、応えるぜ」っていう親近感を抱いてしまうのです…。

そう、構文問題集はのめり込みすぎると宗教的な経典に変化し、

見事にその筆者の信者となります。

しかし、言っておきますよ、例えばポレポレとか、透視図とかは

プロの視点から言及されたら多分完成している日本語文はくそレベルです。

もしくはきれいな答えすぎても、「あ、入試ではこんな答え多分出せない…」となるでしょうね。

例えば行方先生の和訳解説の本はものすごくいいですが、

いやいやいやいや、先生ですからその答えが出るんですわ。

「凡人にはとても引き出せない語学力ですわ」ってなります。

(ただ、本気で東大や京大の英語で万点近く獲りたいなら読むべきです)

要するにくそっぷりにも程があるし、極めたら極めたらできりがないし、

実は構文演習だけに傾倒するのは英語ができなくなるor

英語を試験的にしかとらえられないとか、享楽or研究のためのものとして

捉えるようになってしまうのです。(4技能推進派はここを突く主張が多い)


では、どうすればいいか。

和訳演習するという作業をある基準で有限化してください。

和訳をする訓練をするのは、

基礎構文事項と品詞を覚えるための作業

と割り切って、100から150文で構文精読は終わり!!

この区切りをするだけで、あとはガンガン長文を読み込んで武者修行。

このプロセスで割り切るだけで、書くことには強くなるし、

英文を読む精度はそこそこ上がります。

そして長文に移行する際には、

構文で培った知識をわざと引っ張り出しながら読み込むことです

たまに構文演習=和訳セクションの対策という構図を描いている人がいますが、

それでは和訳作業は意味を成しません。究極の二度手間です。

最後の最後の英語における1つのゴールは読解ですので、

和訳を読解に生かそうとしなければいつまでたってもできません。

私の指導生にも毎年いますが、

和訳添削して私に褒められることを生きがいにやっている人がいます…

ね、和訳作業すると、教祖と信者の系図が出来上がっちゃうんですww

そうではなくて、読解処理に生かすための補助輪としてぐらいに考えてください。


英語は英語で解釈するのがベストです。

和訳は「そのためのプロセスであること」を忘れないで学習してください。


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