2018
06.15

できる人は自分のまとめ方を持っている!

Category: 雑記
できる人のイメージってどんなのでしょうかね。

「勉強をやっていないのにできる」感じですかね。

「それとも特別な力を秘めている」感じですかね。

もちろんそんな人も多分世の中にはたくさんいます。

右目と左目片方ずつ使って、違った本を2冊同時に読み切っちゃうとか、

謎人間が実際に存在するわけで、

先天的に機能が卓越している人もいるでしょうが、

大半の学生の多くは、人よりもたくさん勉強しています。

勉強量を増やして増やして増やしまくって、

徐々に「ここまででいいや」と有限化したり、

「自分の今持っている知識でこの深度で理解できる」と

割り切って先にガンガン進める姿を見て

傍からあの人は頭がいいというように見えるだけで、

実際はむちゃくちゃ勉強しているorこれまで勉強してきたという、

現在完了、もしくは現在完了進行形の状況が

頭がいい人の世界なのだ、と私は信じて疑いません。

こういうことを言うと、

「じゃあ俺なんてつい最近勉強はじめたからもうダメじゃん…」となるかもですが、

そんなことはありません。

どんなに頭がいい方でも、余計な仕事が回されたり、

精神的にぶれてしまったり、遊ぶことが楽しくなって勉強をしなかったりと

何かの事象が邪魔をしてずーーーっと勉強することはなかなかできない。

できる人は本当にごく少数です。

小学校では神童だったが高校生になったらそうでもない学生は

私もたくさんみてきましたし、実際に自分の同期にもそう言う方はたくさんいます。

でも、実際に「一般的に勉強ができる」とか、「あの人ヤバいよね」的なレベルであれば、

実はちょっと時間をかけて習慣をつくる努力をすれば、誰でもそのレベルにはなれます。

そして、実際にインテリの人がすでにできていて、

今言ったレベルの人間になるためにやった方がいいことが1つあるんですよね。

それが自発的な、自分による、自分のためのまとめ作業です。

世の中には色々な問題集や参考書がたくさんありますが、

やっていて「一瞬」思うことが一つあるのですよ。誰でもそうなんだと思っています。

何か。

「いやー、俺のがまとめ方うまいというか、こうした方が俺は分かり易い!」

これは別にその方法をdisっているのではなくて、

自分の感性や経験から得た見方ってどんな分野にもあって、

このことが問題集や参考書の限界点であり、

ある程度の実力しかつくれないものなんだと思っています。

(だから「参考」書なんでしょうが。)

お気づきになり始めた人もいるかと思いますが、

参考書や問題集だけやっていては自分なんて見えてこないし、

そこで得た知識は自分の血や肉になんてならないのですよね。

教科書が作りだした社会的な「ノリ」はどこか強制的で窮屈に感じる。

特に中学校の授業なんてその極みで、学校の先生が文部省認定のテキストで

社会的なノリを学生に強いるわけで

(それが正しければまだいいのだが、理不尽なものが多い)

文部省と何も考えない先生とのコラボな「ノリ」の押し売り。

これは私がホストクラブに連れてかれて、シャンパンタワーのお酒を

全部飲み干すために金爆のごとくアゲアゲでいなさいと言うのと同じぐらいの苦痛です。

(私はあのパリピ感が大っ嫌いな人間です。)

そこから敢えて空気を読まずに、自分のノリへもっていくことで

自分に知識がついてくるんですよね。

(このノリの話をもっともっと詳しく知りたい人は、

千葉雅也先生の『勉強の哲学』を読もう。これはマジですごいし、勉強になる。)


そのツールとしてやはり根本に帰って、

ノートを自分なりにつくっていうことは再評価されてもいいかなと思います。

非効率に見えるかもしれませんが、

問題集をバカみたいに解くために財を費やすことは最低限で抑えられるし、

実態がつかめないままとりあえず社会のノリでいいやって感じで

間違ったまま進んで大人になって修正することのほうが二度手間で不自由です。

またノートが作れる人は、どこかで中断しても復帰・再開できる力を得られます。



自分で一度考えながらノートに思ったまとめ方の通りに書いて

自分なりの解釈をおこなってみるのです。

すると、参考書に書いてあることが受け入れられるものと、

そうでないものが出てきます。そこを質問するなり、調べるなりして解決すると、

1つの分野や単元で大きなマップができる。

ここまでが一種の暫定的な、「自分のノリが全開な新たな知識」となります。

それを今度は知識として自分自身に本気で落とし込もうとするわけです。

もちろん最初は完璧にものごとを覚えられないので、細かい知識を削ぎ落して、

最低限必要な骨格から覚えるようになって、その基礎に枝葉がつくように

細かい知識をくっつけて、そのプロセスで骨格がさらに強固なものになる…

それを繰り返して「まあOK」と言えたものが自分のノートであり、

自分の知識となるのです。

私の授業でも私のテキストノートをベースに授業を行っていますが、

最終的には学生の自発性にまかせています。

もちろん最低限、ここは完璧に覚えろ、この仕組みは完璧に理解しろって言いますが、

彼らにとっての完璧と私の完璧の整合性が完全に一致することなんてありませんので、

私のなかで一定のラインを引いて、「あとは問題やりながらお前なりに極めな!」

と投げますww放置ではないですよ、愛ある放任ですww


まとめる力があれば、問題やっていても自分でトコトコ進められるんです。

効率は実は上がるのです。学生がやっていて、進みが悪いなーって思ったら

講師が指摘してあげればいいんですww

という具合で、日々勉強できる人が創造できるように私も生活して

講師としての「自分なりのノリ」を模索しておりますww

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