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受験におけるキセキのおこし方。

「奇跡は簡単には起こらないものだ」とある保護者に以前よく言われ、

まあだから「奇跡」なんだよなーって確かに思ったわけですが、

音だけとったら「奇跡」は「軌跡」という意味にもなるわけで、

あながちキセキって起こるものなんじゃないの?って結構信じて頑張っています。

まあもちろん頻繁には起こらないのですが、奇跡みたいなことって

1つぐらいだったら結構起こそうと思えば起こせます。

どうすればいいか?それは単純なことです。

繰り返し結果が出るまで腐らずやることです。

でも、これは単純なことなのですが、なかなかできないことなのです。

1年間一心不乱で10時間以上、指示通りにor意思通りに勉強するのって

物凄く大変です。成績が落ちることもありますし、伸び悩むこともありますし、

全部それを受け入れて頑張らなければならないわけですよ。

しかも、初学というか、

大学受験みたいに無茶苦茶な量をやらなきゃいけない勉強って、

さらには中学受験や高校受験みたいに暗記指向型の勉強ではなく、

暗記に加え、思慮をところどころに含ませなければならない勉強ですから、

経験値がないなかで一生懸命やらなきゃいけないし大丈夫かなーという不安と

闘わなければなりません。

でも、とにかく確固たるやり方を貫いてちゃんとやれば、不安はなくなります。

そして、人に言われないように自分で勉強方法を決めるなり、

講師とは一蓮托生であり、その先生にとりあえずついて行くぞ!っていう信念があって、

それが少しずつでも結果が見えてきているのであれば、

それを続けていくだけで奇跡と言われていたものが、勝手に「軌跡」に変わっていきます。

この変容に失敗している学生の多くは、

自分で勉強をしようと方法の工夫をしない(考えない)

(ベースができてからは講師の方法から独自の方法へ落とし込むことは必要)、

もしくは、言われたこととは180度違うことをしているわけで、

自分のこととは遠い出来事になっているから「奇跡」にしかみえないのです。

「奇跡」を「軌跡」にするためには、自分から事象に歩み寄らなければなりません。

今年の学生が結果を出したのは、

私が提示したやり方で最初から覚えることにどっぷり浸かり、

覚えることに命懸けになって、そのあとの解放感全開で問題に取り組んで、

自分の解釈がどこまで許容範囲かを把握する作業を

最終的に自分で行いながら、自分なりにルールを作っていったからです。

もちろん、学生が思い込んだルールにダメ出しをすることもあれば、

称賛することもあり、人が傍から授業をみると

一種の方法論を扱う契約とその確認事項だけ行っているようにもみえるかもしれませんね。

そう、「これじゃダメなの?」って意見をぶつけられるまでの知識への自信と度胸をつけるのが、

私の理想の授業風景であり、ちゃんと勉強しているという足跡を作り、

その歩んだ場所が軌跡になるわけです。

中学受験を経験した親御さんに本当に多いのですが、

ただバカみたいに目的を持たずに問題をやらせたり、

その反対に効率よく最小限の労力で戦えるまで分量を削ぐとか、

(本当にこのパターンが多い。無駄なことをやって得られることもあるから。

効率の良さだけを求めたら面白みも糞もなければ、

知識が身につくわけないじゃん。そういう中途半端インテリ家庭はけっこういるが、

実は勉強の醍醐味を分かっていない。

社会的な術を身につけた上では豊かなように見えるが、心が豊かではない。

だから大学受験で失敗するパターンがたくさんあるんですよ。)、

効率性維持のために親御さん主導で中学以降の学習にも口出し続けるのは、

人生トータルで考えたら超無意味な勉強オナニーなんですよ。

こういう大それたことをせずに、常に勉強で受け入れられるものを受け入れ、

そうでないものには疑問を抱いて、それを講師にぶつけ、その問題を解決し、

学生自らがその知識を血とし、肉としないとダメなんですよ。

親が奇跡を起こしてあげようとしてはいけません。

学生が軌跡を興せるように適度な距離をとりましょう。

中学生から高校生の間でこのような「軌跡」を作らせることが、受験におけるキセキなのです。

さーて、あなたは「軌跡」を辿るのか、それとも「奇跡」を呆然と待つのか、

はたまた自分の願望を「奇跡」的な目標のままにしてひれ伏すのか?

そんなことを考えて、また1日を過ごしてほしいですね、地道に。
cancan
Posted bycancan