バカだということが不幸ではなくて、バカであると自覚できないことが本当に不幸なんです。
山田洋二監督の『学校2』って映画を観たことがありますか。
私はこの映画のエンディング曲で使われている歌『そのままの君で』
がものすごく心に響く歌の一つだと思っています。
この曲を聞くと懐かしの中学生時代を思い出します。
私はあまり友人を作るのが上手なほうではなかったので、
この歌の歌詞の情景に憧れた時があります。
「本当に『ずっと友達でいよう』っていいあえる友人がこれからできるのだろうか?」
ってよく自問自答していました。
結果的には、
小学校から仲良くしている友人が今でもつるみあうことがある事実に出くわし、
私は幸せ者だと実感しておりますが…。
さて、この映画のワンシーンにものすごく意味深なフレーズがあります。
それをYou Tubeに載せておきましたが、
「ゆうやは自分が馬鹿だって知らないんだろう?
もっとバカだった方が良かったな。だってわかるんだ、自分でも。
バカだからなかなか仕事を覚えられなくて、計算も間違ってばっかりいて…
皆が俺のことをばかにするのがわかんだよ、先生~…」
ゆうやっていうのは、重度の知的障害者で
習字の時間には紙をむちゃくちゃにしたり、頭をガンガンぶつけたり
何をやっているのかもちろんわからない学生です。
それをみて、この主人公は自分もバカだけど、
自分はそれを自覚している分、
自分がみじめであることも悟れる最低限の認識があることがつらいと
気持ちを吐露しているのが、YOUTUBEでのシーンなんですよね。
私もこういう気持ちになったことがあるのでわかります。
私は小学校のときは間違いなく人より劣っていることを悟っていましたが、
それを実感した瞬間はいくつかあります。
まずは給食ですね…好き嫌いなしで食べられることがありませんでした。
牛乳は小学校に入るまで飲んだことがなかったので、
みんなが飲めることを知った時点で完全に遅れをとったと思いましたね(笑)
あとは、絵画ですね。「人物を描く」お絵かきってやつですが、
周りは人は肌色のクレヨンを使う一方、私は平気で黄緑や青を使っていました。
これも周りとの認識が違うことで遅れをとったと悟りました(笑)
そして、徒競走とドッジボールですね。
足は思ったよりも遅かったし、
ドッジボールも取れると思っていたボールは一切とれませんでした。
まあ幼稚園で比較されるような教育を受けたことがなかったから
仕方がないと言えば仕方がないのですが、
童心ながらこのギャップにかなり傷ついたのは今でも忘れません。
そして、私が小学生の時、
小学校の中には特別養護学級(たんぽぽ学級と名付けていた)があり、
彼らをみて「あー、明らかに俺と違う…」とさすがにあほな私でもわかり、
こいつらはハンディをもっていることでなんか守られていて、
俺はなぜあほだとわかっているのに守られないんだろう?って
国をなぜか恨んだこともあります(笑)
だから、このセリフ、物凄く昔の私に似ているなって思います。
でも、小学校に入って数年して少しずつできることが増えて、
自分の得意と苦手が見えてきたときに(小学生の時に運動を克服できなかったですw)、
彼らをみて思うことが変わりましたね。
「あ、僕はアホに気づけたからそれを直せばいいが、
それを直せない学生も世の中にはいるのか。努力しても思うようにならないこともあり、
それを支援する人がいないと生きていけないからその人が彼らを守るんだ…。」
なぜか、「そんなでくの棒はこの世に必要ない!」って思うことはありませんでしたね。
(もちろん今でもそんなことは思いませんが…。生きていることは尊いものですよ。)
とまあ、こういうできない人にはできない人の悩みってあるんですよね。
今愚かであることを自覚することはちっとも恥じることではありません。
直そうと思えて直そうと行動を移せる身体と思考を駆使できるのであれば、
それをどう愚かでなくそうかを考えたり、人に尋ねていくことができます。
そのチャンスが与えられただけラッキーぐらいに思わないとです。
「英語ができないんです」とかよく学生たちは言いますが、それを自覚して、
そうでなくするように問題を解きまくっているのが今年の学生たちなのですが、
それだけの行動力があれば平均値よりははるかに上です。
できなくともやってみる!
これが大事なんです。
引き続き、本当に頑張ってほしい!