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努力していない奴は簡単に自分を愛でていてはいけない

最近、ある先生から「先生、最近で行き詰っています。

何かアドバイスありませんか。ていうか、安定して家庭教師の商売してますよね。

なんでそんなに生徒が定期的に集まってるんですか。秘訣を教えてください。

僕だってちゃんとやっているのになー。」

って言われました。

ちゃんとやっているなら、それなりに仕事って回ってくると思うのですが、

回ってこないってことは何か悪いのでしょうね。

しかし、実際に彼にやっていることを聞くと杜撰。

何にもやっていないに等しくて、私が自分ですべてテキストを作っていたり、

自習課題のプランニングを毎回したり、一か月おきに学生のスケジュールを

管理し、親御さんに毎回説明し、ブログもほぼ欠かさず書いていることを伝えると、

「やばいっすね…ていうか指導の量も考えたら休みないですね……」と。

それをきいて少々頭にきたので、

「ていうかね、休もうとしている時点で講師としての自覚が低い。休みは大事だが、

やることをやっていない奴が嘆いて、休みとか言っている時点で仕事はこないよ。

学生以下だね。学生のが勉強していますよ。」

と言ってしまいました。まあ当然です。学生だって真剣にやっている…はず。

私が休もうとしているときだって彼らは

未来のためにやらなきゃいけないって思っているのでしょうから、

「それに付き合うよ」と契約を交わした以上、私は付き添ってあげなければなりません。

この程度のことができなくて「努力をしている」というのはぬるい。

大学教員で教授の方は、学生の成績を出すために夏休みを返上して

大学へ行き、そこでは事務員がいないためにクーラーが効かないそうな・・・

「教授なのにねー。死んだら過労死で訴えるわ」とおっしゃってましたが、

それでも、その教授は腐らず(腐ってはいたかな…)やってらっしゃいます。

そうやって努力というか、むちゃくちゃ仕事をしている講師は多いですし、

偉い人たちはきっとそうやっていろいろ積み重ねているはずです。


そうやってやっていても自分を簡単に愛でていると、

自分のミスに対しても甘くなり、忍耐力とか精神力が強くなりません。

よく「自分のことを褒めてあげよう」というマインドアップ講座がありますが、

あれは「自分はできない人だ」と開き直って、とりあえず評価してくれる、

もしくは仲良くしてくれる人とだけつるんで、自分の居場所を探しているだけなようにみえます。

それではどんなに上を目指そうとしても、上には行けません。

(そういう方々は本当の意味で「上にいこう」という上昇志向はないのかも…)

人生ではそういう生き方もありなのかもしれませんが、

受験では今の自分の実力よりも上にある学校へ行くのであれば、

居場所探しみたいな気分で勉強していてはいけない……と私は思います。

努力していれば、環境が変わってきます。

努力していることがある人に伝わると、その人は努力している人を

バカにしなくなりますし、努力している人の周りには孤独感があるようでも

接してくれる友人ができます。周りの接し方が変わることから努力していることに気づきます。

自分で「努力をしている」と言う人ほど、たいしたことがなかったりします。

私は人の評価でそれを思い知ったことがたくさんありますが、

その中でも高校の体育の評価を得た時に

「自己評価」って所詮「自己評価」なんだと思い知ったことがあります。

高校2年生の2学期のある体育の授業で、

先生が「お前、体育の成績を自分でつけるとしたらどれぐらいだと思う?俺に申告しろ」

と言われました。

私は体育がものすごく嫌いなのですが、

(運動ができないわけじゃないのですが、チームプレーの授業が多いのと汗をかく嫌い)

種目はバドミントンで、比較的楽しくやれたし、ペアのやつのフォローもできたし

(市内のバドミントンの試合で一度3位に入ったことがありますw)、

作戦までたてて勝ち星をたくさん得たことからも、

「自分では申し分ないほどの体育への参加貢献だ!」って思ったので、

その先生に、「私は10段階で10しかつけようがありません」と申告しました(笑)

しかしですよ、実際に成績についた数字は「7」。

さすがに頭にきて、「どうして僕が7なのかわからない。評価について

どうせ7が覆らないのはわかっているし構わないが、

僕は体育が大嫌いで、その中でもちゃんとやったのだから、

絶対評価なんだから10もしくは9でいいでしょ。」

と猛抗議。(そのときは評価訂正とかなるかもって思った(笑))

でも、「嫌いなのはわかるがもっと嫌いでやりたくない人はもっと努力していたんだって。

そして、そうやって7でもいいってところが7なんだよ。ちゃんとやっていないってことじゃない。」

と逆手に取られてしまったこともあり、言い返せなくなってしまったのですが、

自己評価ほど宛にならないものってないなって思い知りました。

まあ私の境遇で体育で10をとっても、なんも自慢にもならないのですがね(笑)

でも、このやりとりから「自分なりにやったという評価」は簡単に与えてはいけないのかも

ってことを得ることができたように思います。

だから、体育のような嫌いなものに本気を出さなくてもいいですが、

本当に必要不可欠で自分がやらなければならないことには、

徹底的にこだわりを追及して、相手に有無を言わせないほど、ぐうのねを出させないほどに、

努力をしてやろうってなりました。

それが私にとっての英語とか社会の勉強だったのかもしれません。

誰かに認められるためにものごとをやるってのは社会的には必要。

だから、自分をよくみせるために「自分はやっている」とアピールすることも

ある程度は必要ですが、アピールするために

人によくみえるように物事をやっているのでは、できる人々には

「中身ねーなー」と見透かされます。

何度も繰り返しになりますが、努力しているかどうかって人が評価することなんですよね。

そこに気づけていない先ほどの先生は、正直まだまだダメですね。自分に甘い。

学生にもこの精神は今のうちに植え付けてあげて、どんなにきつい状況から逃げずに

高みを臨めるようにしてあげたいと思っています。

逃げない精神をつける訓練もしながら、私は指導しております。

意思がない人にとって私の指導はきついです。でも、ちゃんとやっている学生には

ものすごく鼓舞します!やってないときは容赦なく言います(笑)

それらの飴と鞭は私の責務。引き続き我が軍の学生たちは一生懸命それに耐えながら

実力をあげている姿をみていると、私自身も誇らしく思い、やる気が出ます。

その勢いで夏も乗り切りたいと思います!
cancan
Posted bycancan

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