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1年を全うしたかどうかがすべてです

さて、3月を迎えましたね。早いです。

今年度の受験も終わりました。

あとは後期試験のみですが、後期試験を受ける多くは

前期の選考にもれてしまったために一縷の望みをのせながら受験会場に臨む

一握りの学生です。もちろん、その中にも素晴らしい学生がまぎれておりますが、

多くは勉強不足だった人たちばかりといいましょうかね。

結果がどうあれ、3月は学生の皆さんは1年を振り返ってみてくださいね。

結果が良かった人は、今回の結果を踏まえてこの先もっとよくなるように

いろいろ準備してくださいね。

思い通りの結果を得られなかった学生は、来年どうするのか、

もしくはもう受験というフィールドで戦うのをやめて

次のステップに進むのか、よく考えましょうね。


先週、確定申告で実家に帰っていたのですが、

そのとき、私は、

うちの父が去年という年に自分がなくなることを悟っていたのではないかという話を

母としておりました。

母が言うには、

「お父さんはね、去年の春に『今年で桜を見るのは最後かなー。

全部自転車で行けるところは言ったもんな』とか、

『実家に帰ってなかったうちの妹(私のおば)を親戚にしっかり橋渡ししたし、

やることはやったかなー』とか、『心筋梗塞だからタバコだめだし、卓球出来ないなー、

人生全うしたのかなー』って生前に話していたのよ。」

と回想してくれており、

父本人は自分の寿命がなんとなくわかっていたのかもしれないなどと、

私たちは勝手に今では全然わかりえない父の気持ちを想像しておりました。

私としてはもっと生きてくれてたらもちろん尚のことよかったのですが、

でも、人間にはやがて必ず死がやってくるのが宿命。

もし本当に母が言ってくれていた通り父が人生を全うしたならば、

心破裂という不幸な結末になった今でも私は割り切らなければならないと思います。

そして、父が見なかったこの先の人生を見る意味が父から与えられたのかなと

思いながら、私も前を進もうと思います。

受験もまた人生と結構大きくかかわるイベントですが、

人生が有限である以上、受験に大きく時間をかけるのはあまり得策とは言えません。

どこかで見切らなければならない、すなわち受験を終えなければならないわけで、

受験を終わらせて先を進むために、

与えられた時間の中で結果と向き合わなければならないと思います。

社会人受験であればなおさら時間が惜しいと思うでしょうから、

医者になるとか法律家になるのでしたら、死に物狂いで勉強しなければならないでしょう。

ですから

結果がどうこうなるようにしなければならない立場である予備校講師ですが、

その結果を追及すると共に、「人生を全うしたかどうか」、

すなわち「受験を通して今後の道のために死ぬほどお勉強できますか?」

ということを人生経験が少ないながらも(勉強生活は結構しているつもり…)

悟らせてあげることも予備校講師ができることなのかもしれないと

考え始め、指導する学生を取捨選択するに至ったのかもしれません。

(少なくともそんじょそこらの大学生よりは勉強しているつもりですw当たり前か。)

1年全うできるほど勉強できましたか?

この質問に「うん、できた」と心の底から言えれば、

私は結果が仮に思い通りにならなくとも与えられた道の中でめげずにやっていれば

自分に必要な道が見えてくると思います。

変に固執している方がどんどん結果とは遠ざかるように思います。

これから結果を手にしようと思っている人は、

「俺/私って全うに勉強できるかな?その準備と心意気はあるのか?」

よく考えて新学期や進学先で考えてみてください。


皆様に全うした1年がやってきますように…。

ちなみに私の去年の1年はどうか…うん私ができることにはおろかゆえに制限がありますが

自分なりには全うした、そしていろいろな人に支えられたなと思い、

来年も精一杯頑張ろうと思います。
cancan
Posted bycancan

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