FC2ブログ

ナポリ滞在して~都市と英語~【以前に投稿しました】

最近、イタリア人と話すことが増えました。そして、友達が増えました。

いいイタリア人が周りに増えたので、ナポリとカプリ島に行ったときの話をしたら

喜んでくれました。あとリビアからの移民がめっちゃ増えた話もきけました。

そんな会話をしていたら、昔のナポリ話を引っ張り出したくなって、

ここに載せます。読んだ人は今日はブログお休みの日だと思ってください(笑)

\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\

バカンスというのはとてもいいもので、嫌なことを本当に忘れてしまいますね。

日本の航空会社も安くなったことだし、

今年は韓国や中国といったアジア諸国に赴こうと思います。


イタリアでバカンスを楽しんでいたわけですが、

今回の旅は、私にとって勉強になった旅でした。

今回は家族で旅行したわけですが、

一人の放浪旅行と家族旅行では、勝手があまりにも違って、

私はとても戸惑い、どこか煮え切っていないところがありました。

そして、イタリアという国が私が想像していた以上に、

先進国といわれる国といえども底辺に位置しているなということを

感じたくなくとも感じざるをえないといった感情を抱きました。

まあ、ここまでのことを要約していえば、

私が少し大人になって、海外の実情を知ったということです。



家族に関する話を受験と関連させてお話をしたいところですが、

それ以上に私は少しナポリにいて思慮したことを、

受験生やその保護者様へ何か伝えたいなと思います。


私は過去にアシスタント・デザイナーとして

一度ミラノという都市に行ったことはあっても、

周りは世界の一流モデルとデザイナーとセレブの中に囲まれていたので、

ミラノという都市像をとらえることができませんでした。

また実際にショッピングをしたり、街を散策したりする時間がなく、

やはりイタリアの実情を知ることができずにいました。

そんなわけで、今回が私にとっても初イタリアといってもおかしくないのですが、

ナポリという都市に滞在したときに、思っていた以上のギャップがありました。

私はナポリという都市が

中世のローマ帝国にあった軍事都市であることは知っていますが、

それ以外の知識は持ち得ていませんでした。(恥ずかしい)

でも軍事都市だったからでかいだろうと勝手に思っていたのですが、

なんか私が抱いていた都市空間とは異なっていました。

それを感じ得た理由は

英語が全くと言っていいほど通じなかったということです。

ナポリでまともに英語が通じたのは1回だけです。

帰りのチェックアウトを済ませる時に話したホテルのレセプションの女性だけでした。

チェックインするときにはホテルには従業員がおらず、

いたのは警官という異例の状況で、私はかなり戸惑ったのですが、

その人はほぼ英語は皆無で、片言でしかわかってもらえませんでした。

個人的にはシンガポールのが英語は通じないだろうと

勝手に思っていたのですが、

シンガポールのシングリッシュのがまだマシで、

タクシーの運ちゃんでさえ英語は聞きづらくとも話せました。

しかし、イタリアでは英語で対応しようと思っても、わかってもらえません。

私が勝手に先進国だと思っていたイタリア像が、

彼らとの会話のやり取りで崩壊してしまいました。

私は、都市空間の条件として

やはり一般人の間でもある程度英語が通じることも含むんだと

思っています。

私のいっている「都市」は多分傍から聞いていると

「(国際)都市」と同じニュアンスに聞こえるかもしれません。

こういうと、こんなことを思う人もいるかもしれません。

「日本だって東京は良いにしても、

大阪や、名古屋や、福岡(いったことがないからわかんないが)は

都市といえないかもしれねーじゃねーか」

私の独断と偏見的な定義にぴったりはめてしまうとその通りなのですが、

しかし

個人的に外国人が名古屋とか福岡とかをぱっと思い浮かべてくれないのは、

英語が多用されているかどうかに比例するところが

少なからずあるのではないでしょうか。

外国人に「日本の都市を言って御覧」と質問しても、

まず出るのは「東京」と「京都」と「大阪」ぐらいなもんで、

「埼玉」とか「滋賀」といった地方都市が出ることはまずないでしょう。

そう思うと、皆さんがふつう思い浮かべる「都市」は、

やはり「東京」や関西だったら「大阪」といったイメージが強く

あるのではないでしょうか。

このように都市を分別できるわけですが、

その条件の中には、やはり今の時代であれば

「英語ができる」ことを入れてみてもいいんだと勝手に思っています。



よって、名古屋もそうですが、都市に住む以上

土地が広く、その空間が充実しているわけで、

地元の人間はもちろんのこと、外国人も住もうと思えば住めるわけです。

そして、多民族で構成される可能性を容易に否定できなくなった今の時代では、

我々はどこかで共通の言語を使用しながら

他者とその都市空間で共存していかなければならないと思っています。

ヨーロッパ諸国でも、

こういった状況を危惧して、移民排除へ積極的な活動を起こしている国もありますが、

(ノルウェーでのテロは悪い典型例だけど、移民排除が目的でしたよね)

やはり自国で理不尽でどうしようもない状況の人(フィリピンのスカベンジャーとか)が

能力があるのにもかかわらず、冷や水を飲まされて生きているのも癪だなとも思うと、

グローバリゼーションの波に乗って、移民として基盤がある国へいって、

尊厳をもって生活するのもありなんだと思います。

ナポリは確かに黒人やスラブ系の人種も多く住んでいましたが、

どこかイタリア人とは隔絶があるように見えました。

これはどこにでもあることとはいえ、イタリアではそれを強く感じました。

また同時に、ヨーロッパ人の間でもどこか隔絶があるようにも見えました。

ヨーロッパ人の中でもイタリア人は異質なのでしょうか。(よくわかりませんが)

そう思うと、ナポリは別に移民の排斥運動をしているわけでもなく、

かといって、移民を快く受け入れたり、異民族と共存したり、

国際都市として生まれ変わろうという動きもないので、

どこか時代に取り残された都市のように見えました。

(いいか、悪いかは抜きにしていっています。あくまでも雑感です。)


ここで私の今までの考えを少し覆されたようにも感じました。

すなわち、

「ヨーロッパの主要諸国であれば、それなりに英語は処理してもらえる」

という考えが、ものすごく甘いものなんだと実感しました。

英語ができるのはやはりどの国でもある一定のレベルに到達している人であって、

culturalであるということなんでしょうね。


じゃあ、英語ができなくてもいいのではないかというと、

そうではないです。

残念ながら、今の時代が求める我々への能力は、

雑多の集団の中でもコミュニケーションが最低限とれることが一つあげられます。

その手段が英語であることはここ50年は間違いありません。

つまり、私が生きる世代はもちろん、

その周辺の世代も英語とは切っても切れない関係のように思います。

ただ、どこかで私たちはその事実に安座るのではなくて、

「郷に入れたら、郷に従え」の精神に則って、

その都市の主体性を考える心があってもいいのかもしれません。

それを理解するためには、

もっと英語はもちろん、私がわかるフランス語やオランダ語も

もっと真剣に勉強しなければならないなと改めて考えさせられました。


受験で英語を勉強できるということを有意義な時間だと思ってください。

大学受験の時に、しっかり英語の勉強をしていない人は、

この先英語を再挑戦しようと思っても、ものすごく苦労します。

是非とも、今のうちに苦労しておきましょう。

そのお手伝いができるのが、

私の今の仕事なんだと、思考を回帰することができました。


よかったらココをクリックしてください。いつもありがとうございます。
にほんブログ村 教育ブログ 家庭教師へ
にほんブログ村
人気ブログランキングへ
人気ブログランキングへ
cancan
Posted bycancan

Comments 0

There are no comments yet.

Leave a reply