先日、英検3級の問題を中一の学生とやっていました。
もちろん中学校1年生ですから、中学英語の文法のいろはを学んだばかり。
それでもなんとか中2の半ばまでに必要な知識を詰め込んで受験に臨み、
なんとか1次合格までたどり着きました。
まあ
この結果は彼が一生懸命に詰め込んだ努力と覚える実力があったからといえるのですが、
合格した要因は次のやり取りから他にもあると思いました。
私:「えー、この問題ってまだやってない範囲からだけど、自信ありげに答えていたね。
なんでそう思った?」
学生:「えっ?お母さんがね、よくおにいちゃんにNo, not yet.って言うんだもん。」
私:「あらそー。えっ、じゃあこの問題も全然単語聞いたことないといったけど、これはなんで?」
学生:「うーん、fishが魚ってわかるから、aquariumって意味が分からないけど、
aquaが水っぽいから…。」
私:「えー、じゃあこれもそんな感じ?」
学生:「fanってお母さんがいうもん。なんか見たことなくても音で聴いたことがあるものが多かった!」
言語ってこんなものです。
こういうのびのびと教育をしているご家庭にお会いできて私は感動です。素晴らしい。
こうやって普段使っていたり聞いていたりしている学生にはかないません。
私がどんなに英語の先生をやっていても、ネイティブのセンスに勝てないのと同じです。
(だってネイティブほど英語を使ってないもん(笑)日本にいれば思考は日本語ですもんねw)
単語帳でしか単語を覚えようとしない学生にはわからない世界ですね。
単語の理解っていうのは、覚えるというよりも染み込ませるって感じなんですよね。
だから、ただ日本語の意味を機械的に覚えている学生はすぐに忘れるし、
使ってみようという意志がないので染み込んでいきません。
どんな知識にも意図があるのですよね。その意図を組んだうえで、
無理矢理でもいいから自分のことと結び付けていかなければ、
どんな知識も入っていかないでしょうね。
これは自分自身が身をもって感じます。
例えば、私は社会や英語や国語古典等の知識は人並み以上にあると一応仮定してw、
理科の知識をみてみると、やはり自分の生活からかけ離れていたり、
研究内容から乖離していることもあって
私の思考の中にはあまり理科的な思考が入っていません。
だから「肝臓ってどこにあるの?」って生徒に言われても、
「はっ?体の中のどこかに決まってるんだよ。身体なんてブラックボックスでいいのだ!」
なーんて言って、あとからwikipediaでも引いているんですよねw
こういった知識や言語を身につけるには、やはり親御さんが知性を出して
彼らに接してあげなければなりません。
普段から少々むずかしい言葉を使ったり、子供が見えるところに本を置いたり、
子どもと勉強ではないですが歴史や社会の話などをしたりする時間を設ける
なんてことをしていると、教科書でやっていない内容でもぱって解けることがあります。
工場見学とかもいいですよね。あれもいろいろ勉強になります。
(先ほど書いた学生は社会科見学みたいのが大好きみたいで、
今度お団子の工場やNASAに行くそうな)
中学生の英語なんてその極みです。
聞いたことがあるから正解でしょうって具合な問題ばかりです。
学問のセンスの有無は、親が創るといっても過言ではありません。
そして、同時に講師も自分の教えている学問のみの話をしていては
教えている学生たちの思考に刺激を与えられません。
センスは環境から生まれるものですので、
自分の授業をもっと知性あふれて、面白いものにしたいと思います。
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