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2014
10.31

中学生の指導で必要なこと

Category: 雑記
今週は少々私事で忙しくて、記事を書くことができませんでした。

3週間前に公立中学の中1生の指導をしておりました。

公立中学の教科書をなぞる勉強をするのは久しぶりでした。

埼玉で教科書に沿った指導で黒板の使い方や集団授業の修行もしたので、

ある意味体にしみこんでいることですし、中学生が何を欲しているのかはなんとなくわかります。

埼玉で公立指導をしていたときに、中間テストの英語は平均点が40点でも

1位(95点)から12位(88点)まですべて私の生徒でした。それぐらいの指導力は備えております(笑)

でも、学校のコピーみたいな勉強をさせるのが嫌になって、

ここ最近は公立の教科書指導をせずにきましたが、

今回のご依頼はかなり切羽詰っていたので

少々その成績をみて気の毒に思い、指導に踏み切りました。

しかし、いざ準備不十分ですと、思っていたような成績が出ませんね。

公立中学のでスコアをたたき出すためには、

①学校の先生がどういう問題を作っているかを把握し、分析する。

②教科書に準じた全訳や語法を載せたプリントを作って本文を覚える。

③本文に沿った問題をたくさんおこなうものをそろえる。

がそろってないといけません。とにかく英語の指導力というよりも

準備がどれだけできているかという機動力のが問題となってきます。

それでいいのかって思う部分があるのですが、まずはスコアをとってから考えることにして、

頑張りましょう!私は新課程のテキストを製作中です!頑張ります!
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2014
10.27

私は受験に受かる人間よりも、先の人生を考えられる人間を創りたい。

Category: 雑記
さて先日、金沢医科の推薦の発表がありましたが、

今日になってもう一人個別で指導していた学生が合格していたという

連絡をいただきました。いやー金沢医科推薦2人合格になりました。

いやーうれしいですね。おめでとうございます。

そのうちの1人は浮かれすぎて、いろいろはっちゃけようとしていたので

いろいろな人に怒られていました(笑)

いやー推薦で受かったんだからとりあえずおとなしくしてようね。


で、昨日もう一人先ほど知らせをくれた学生と会ってきました。

その学生、なんと合格したらとりあえず冬に短期留学して英語の勉強をするとのことで、

私のスケジュールを考えても年内にはもうあえそうにないと話していたので、

夜遅くながらぎりぎりでお話をしてきました。

私:「いやー、受かってよかったねー。おめでとうねー。医者じゃんねー。」

学生:「ありがとうございます。

    でも、先生、本当は先生は私に一般でもっと国立を受けてもらいたかったんでしょ?」

私:「うーん、受かったかもしれないからねー。でも、自分では納得だったんでしょ?

   ならなにも言わない!」

学生:「医学部受験で浪人はしたくなかったので、本当に今回は最短ルートを考えました。
    
     これからはどうやってさまざまな医学を学ぶか考えます。

     そのために英語をやろうと思いました。先生と話をしていると、英語の重要性が

     身に染みました。というか、私やばい。だから、短期で留学してきます。」

私:「えー、そうなの?(この時点で彼女の決定を詳しく知らなかった私。)

   まあ、高校卒業できるならもう自由になんかやったほうがいいよ。行ってきな。

   英語が詳しいよりも使えるかどうかが問題になるから、厄介な勉強はさっさと終わらせなさいよ。

   とにかくあとは勉強して楽しい人生を送るがいい!」

学生:「先生には面白い話ばかりで、毎回盛り上がっていましたね。

     あと文法のテキストには感謝です。おかげで文法で困ることはないです。

     これから先生のおすすめの『I am Malala』読みます。ありがとうございました。」


こういうやり取りをちゃんとするために予備校講師をやっているようなところがあります。

今回はこの学生私が英語1本で指導していたので、喜びが倍増しました。

彼女には例のダンディ会にご招待をしました。

きっと東大早稲田連中たちが大学のことや留学のことで助けてくれるでしょう。


私は受験に受かるためにとにかく授業をするというよりも、

生涯で英語を勉強しなければならないとか、

本を読まなければならないんだってことを受験勉強を一緒にしていきながら

気づいてくれたらそれで万々歳です。

まだまだ前半も前半の勝負。

これからもっと合格を出して、

さっさと海外に出てわが軍の学生には活躍してもらいたいですね。

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2014
10.26

甘えは捨てろ。

Category: 雑記
藤田の推薦入試と愛知の推薦入試が始まり、

ある学生がこんなことを言っておりました。

「先生、藤田の問題集ありがとうございます。それでこれをやってみたのですが

なかなか難しくてできません。そこでどうしたら合格できるか考えているのですが、

今から何をやればいいと思いますか?」

うーん、かなり難しい問題ですが一応彼の心を折らない様に話を進めました。

「えーと、うーん、この英文が全然読めないということは、基礎がやばいってことよね。

じゃあさ、とりあえずできる問題集をやってごらんよ、この問題をやる前にさー。」

と言って文法の問題集を提示したのですが、

「うーん……そうですかー…」って答えたことで、

彼が文法をやりたくないんだなーって思い、私はここで

「あー、君さ、文法やりたくないのに合格をしようとしているのは甘いよ。

その甘さが君を合格から遠ざけているんだよ」って言ってしました。

まあ文法事項が基礎レベルに入っていない時点でアウトです。

どんなに努力をしても、基礎文法や基礎英単語2000個覚えることから逃げるのは

もう見込みがありません。落ちてくださいって言いそうになりました(笑)

何もやらなくてもできるよーって言ってくれる先生を探しているわけですよね。

まあ甘えに出会う旅みたいな…。

とにかく「大丈夫だ」って言ってもらうために生徒は

「やるぞっ」っていう意思をインプットしているんですよね。

本当に自分に甘いなーって思います。

人に甘えている間はどんなにやっても出来るようになりません。

だってできることの範囲内でしかやってないんですもん。

甘えるので、できないことはできないままにしますもんね。

甘いことを言ってくる先生は、その生徒に対して気を遣っているだけで、

もはやその学生の成就をあきらめていますよ。

先生がめっちゃ厳しく細かく指示してくれるってことは学生に大きな期待を抱いている証拠です。

甘えを捨てて頑張ってください!
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2014
10.25

黙々とやっていれば結果が出てくる!

Category: 雑記
わが軍の中で今年はめまぐるしく変わった学生が10人ぐらいいますが、

英語が苦手な学生だった学生が

足を引っ張らないレベルにまでに仕上がったというのも結構います。

一人は医学部予備校の学生で前期まで5クラス中4番目のクラスにいて、

後半から2番目のクラスまで上り詰めました!

その学生がどんな学生だったかというと、

センターマーク模試では100点ぐらいしかとったことがなかったみたいですが、

5月の1か月で覚えるものに徹しろと指示して、過去問2年分やらせてみたら

まさかの130点で、そのあとはうなぎのぼりというのはいいすぎにしても、

2回目の模試では170点ちかくまであがり、

記述模試でもそこそこのスコアを出すようになってきました。

そこまで出来上がってきたことから「こいつを潰してはいけない」と思い、

クラスを1ランクあげてもいいやって思ったらまさかの2ランクアップでした。

実際に先月の模試でも国立組に引けを取らないスコアになったので、

この調子で向かってほしいですよね。

さて、この学生のいいところは、英語を苦手だと割り切って、

他を伸ばすことはもちろんのこと、

同時に英語に関して覚える事の最低限のラインは必ず網羅しようと一生懸命になったおかげで

うまくいったと思っております。

スコアはまだ揺らぎますが、あと2か月でキープすることをにしても、

こうやって自分の力を過信せずに一生懸命やってきたことが

「できるんだ」とうぬぼれている学生よりもはるかにできるに至っていました。

コツコツやっている奴にはかなわないときがあります。

彼は英語はダメダメですが、他の科目はぴか一。

彼は金沢医科の数学で満点を獲れる学生です。物理も化学もすばらしいので、

さすがに今年はどこかに受かるでしょうと信じています。

このコツコツがどこまで結果を伸ばすかは、見ものですし、

私としてはこのコツコツをダダダダダダッってできるように指導していきたいです。

焦っちゃダメなんですよ。果報は寝て待て!

ちゃんとやった奴たちよ、後は任せろ。

あとは俺がちゃんと合格する力をつけてやるから!迷わず進め!
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2014
10.23

センターができないとセンター対策、模試ができないと模試対策…

Category: 雑記
いろいろな注文を学生からされています。

和訳お願いしまーす、問題集くださーい……それぐらいならけっこうですが、

やはり一番困るのは、

「先生、模試がよくないんですよー」とか「センター英語ができない」っていう

限定的なようにみえて中途半端な限定が一番困ります。

ある形式で英語ができなくなることほど厄介なことはありません。

それをとりあえず打開するためには、「○○対策」です。

センター模試が悪いと「センター的な解き方を教えてください!」、

記述模試がわるいと「記述対策をしてください!」

こういうことをしてもその模試やセンター模試がうまくいくだけであって、

本番では何も意味がありません。

受験勉強って模試のために勉強しているわけではないんですよね。

それをやるぐらいなら正攻法で勉強してしくじったほうがまだましです。

こういう対策を求める学生って、その形式に沿った練習を積んでいるだけで

全体的には英語ができないことを私に示していることになるんですよね。

わが軍にもそんな学生がいました。

マーク模試ですと180点前半をたたき出せるんですが、

記述模試になると偏差値55で100点前後の点数しか取れなくなる学生がいます。

それってどうして点数獲れるの?って思うのですが、

ある程度断片的にも単語とかわかってしまえば、

センターレベルの簡単なものでしたら消去法でできてしまうんですよね。

それが実力だと思い込んでいると、痛い目を見ます。

私は基本的にセンターが何も勉強しないでも170点取れていればOKってことにして、

むしろ記述模試で偏差値70を獲れるような勉強をするように努力しろといいます。

記述模試は読解も記述も英訳もいろいろな実力が試せるので

これで150点ぐらいとれるといい線いくんだよなーって思うのでそう指示します。

それを対策レベルで処理しようとしても、記述模試で高得点をとる事はなかなかできません。

こういう対策レベルの話は12月に一生懸命しましょう。

11月中旬までは実力をあげるために万遍なくお勉強をするべきです。

対策で逃げる人は、

まあ偏差値45ぐらいでMARCHにいきたいなーって夢見ているようなやつでしょう。

20年分ぐらい探してそれを丸暗記したら、なんかしらスコアが取れるかもしれませんね。

中にはそういう学生もいますが、まずやらないことをお勧めします。大学に入ったら大変ですよ。

頑張りましょう!!
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2014
10.22

失敗は人を変える。でもいい方へ変えることもある。

Category: 雑記
私は西きょうじ先生のポレポレ英文解釈の中に出てくる次の英文が結構好きです。

I do not consider that making no mistake is a blessing. I have erred once, but I shall not make the same mistake again. Nothing is gained by wasting time in regretting mistakes. It much better to employ that time in analyzing and correcting what is wrong. The greatness of man dose not lie in his being faultless. Error is sometimes inevitable. The real virtue of man lies in recognizing that faults can be set right and in striving to correct them.

この英文にあるように、間違えることで修正しようとか分析しようって思うもので、

間違えを通じて初めて人間の精度って上がるんですよね。

だから失敗することは悪いわけではないんですが、

失敗しすぎるとやる気を削がれ、勉強しなくなります。

わが軍にもそういう学生がいます。まあ自業自得と言わざるを得ない部分がありますが、

なかなか成績が上がらずに悩みに悩んで、クラスを落として、

一生懸命に這い上がろうとしていますが、やはりいろいろ気づいていないので

うまくいきません。そう、失敗した時には、やはり英文の通り

分析ともう間違えないぞっていう気持ちが大事なんですよね。

つまり、何が自分であっていて、

何が間違っているかをまずは間違い探しが出来る実力もつけないとですよね。

間違い探しもせずにふてくされている学生もいます。

そして、自分のやり方に意固地になっている学生もいます。

まあ落ちると思いますので、あまり気にかけていません。

大きな失敗をして、失敗したんだと自覚しない限りそういう学生は気づきません。

そこで初めて人生が変わるかもしれない出来事が起こるのです。

でも、落ちたーってなったって、また来年があるとすぐ切り替われる人は、

今度は「もうあなたに受験の権利を与えません」と親御さんが圧力をかけて初めて

自分の失敗に気づくんですよね。そこで這い上がれたら、人間として立派だとおもいますが、

まあそこまで打ちひしがれると、なかなか立ち上がれません。

でも、意識できることも人生で必要な能力の1つ。

小さな間違いにも間違っているんだって受け入れて直すことができるようになると、

間違いも人生には必要だなって思えるようになります。

元々頭がいいかどうかではなくて、

頭がいい人っていうのはそういう違いにしっかり気づけるだけです。

ものすごく細かいレベルで違いを処理できるかどうかで天才の度合が

決まってくるのではないかなって思います。人生って間違い探しであって、

人間は

それを価値あるものにかえるかどうかの瀬戸際にいる危うい錬金術師なんですよね。


本番前にたくさん間違えて、たくさん気づいて、たくさん蓄積しましょうね。
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2014
10.20

心が揺らいだ時に負けます。

Category: 雑記
錦織圭選手がグランドスラムで準優勝して少し経ちましたが、

そのあとの3大会のうち2つは優勝、もう一つは1回戦負けしていましたね。

やはり年がら年中勝ち続けるのは難しいですよね。

スイスのフェデラー選手でさえも5年前でしたら、「お前に勝てるテニスプレイヤーいるんかい?」

って思いましたもんね。でも、勝てなくなる時ってありますよね。

それを一度実感したり、思い込んでしまうと、なかなか抜けなくなるんですよね。

錦織選手もけがというか違和感を感じてからやはり格下に負けることが多かったようですね。

私もテニスをやっていたので、錦織選手ほどレベルの高い悩みではありませんでしたが、

格下と初戦で当たるとわかると、本当に大丈夫かなーって思いますもんね。

そして、本当に委縮して負けたこともあります。テニスのメンタルトレーニングって大事ですよね。

さて、受験もそういうメンタル勝負があります。

自分のなかで迷ったり委縮していると本番でもそんな答えばかり出てきてしまい

採点者に思いは届かないわけで、合格通知をもらえないんですよね。

そういう本番に弱い学生が今年のわが軍には結構います。

極端に弱ければやはり外部に模試を受験しに行きまくるしかないでしょうね。

あとはテスト形式をどれだけやれるかで精神を作るしかないですよね。

私の授業ではとにかく質問に答えてもらうことが多いのと、説明してもらうことが多いので

しかもどの英文が出るか本人たちもわからないので、

みんなの前で説明するのは緊張すると思います。

それは一種の本番強さをつける訓練でもあるので、有効だと信じてやっていますし、

これからもやっていきますw(だから、私の授業は疲れるんですよね)

あと、そうですね、

自分のやっていることは間違っているかもって思っていながら勉強していると

結果は出ませんね。あと、周りばかり見ていると、やはりだめですね。

自分のやっていることは、こうだって決めたうえで選んだ手法だ!やってから是非を考えよう。

ってスタンスでいたほうが上手くいきますよ。迷っている内に心が揺らいでいる内に

時間はなくなっていきますので、進みましょう。

そして、やっているやり方を捨てると決めたときは思い切って捨てて、

自分の合いそうなやり方にこれまで培ってきた価値観を加えた方法を考えてみましょうよ!

覚えてしまえばどんな方法でもいいのですから、迷ったら動く、そして解消!

心だけは揺るがないように自分をもつ訓練をしてください!

そういう意味でできるだけつるまないでほしいです、他の人と。

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2014
10.19

内輪の戦いで満足してはいけない

Category: 雑記
わが軍の学生によく言うことですが、

「自分の学校では上位10%に入る努力をしてね。

そしてできれば一回ぐらいは学年10番には入ってね。そうでないと、実力あることにならないからね」

まあ進学校にいるとそういうわけにはいかないのですが、

私がいた大宮西高校のような中途半端な進学校と呼ばれる学校では、

まずトップ10に入っていなければ大学受験でそれなりの結果は残せません。

私は西高で3教科で2年半トップでしたが、まあ当たり前です。

(5教科は理科が苦手で2位のときありwあと勉強してなかったとかもありw)

えートップってすごいじゃんと思うかもしれませんが、

できない人々の巣窟で1番になるのは当然です。

だから、1番だからといっても私はうぬぼれることはありませんでした。

ちなみに、西高から外れ塾に行けば私より上はごろごろいます。

英語は私より出来る学生は少なかったですが、

国語や数学では化け物みたいな学生だらけでしたもんね。

彼らについていくのは不可能だって思うぐらいへこみました。

特に国語は実力の差が大きくて、予備校の授業レベルを落としましたもん。

とまあ、あるカテゴリーで1番になることはすごいことのようにみえますが、

やはりそれなりの人たちが集まったなかでの戦いの中で1番をとらなければならないことは

肝に銘じておきたいですね。

さて、そんなことを思い出させてくれることが予備校内ではあります。

そう、ある女学生なのですが、「先生、やっと英語で1番になったんですよ、校内で!」

いやー、お前ね、それね、去年英語が出来たやつが受かったからそうなっただけで、

お前がすごくなって一番になったのとは少々違いますぞ!って少々思ってしまいました。

まあもちろん思っていても、本人にはそんなことを言いませんがね。

でも、その学生はほかの校舎の学生と比べると、

1番ではなくて10番~20番まで落ちるんですよね。

ね、1番の意味とか重みって意味ないでしょ……。

学校で1番を取ったとか、成績が良かったとか、大学受験では参考程度であって

それほど重要ではないんですよ。

仮に河合模試や駿台模試で全国1番を取っても、

東大理3に合格するかといえばそんなことはありません。ガンガン落ちます。

だって、開成や灘の学生はあまり模試を受けに来ませんもん。

特に高校3年生になる前まではあまり頻繁に模試を受けたりしないようなので

受けても本腰を入れてきませんので、実際の河合模試とかだって1番をとっても

絶対的な指標はありませんよね。私が思う信憑性がある指標は

やはり、東大や灘や筑駒のような東大合格者ランキングで10位ぐらいに入っている学校とか、

全体の7~8割が旧帝の国立や医学部に入っている学校で

行われている試験や競争での結果です。

開成や灘でトップ10をとったり、もしくは久しく取り続けていたら、さすがに

「俺、一応東大には行けるかな…医学部だったら旧帝ぐらいは通るだろう」

ってなりますよね(笑)たぶん。

浪人の威力ももちろん半端ないのでなめてはいけませんが、

やっぱり争わなきゃいけないと思っていたらとにかく自分のいるテリトリーで

猿山の大将になって当然ぐらいの気ではいてください。

あと、私の志望は○○大学だからこの学校のこの辺に居ればいいって

思うのもやめましょう。

選びたければとりあえず所属しているカテゴリーの中で1番になりましょう。

モチベーション維持でランキングを使ってほしいです。

そういう意味では先ほどの彼女は戦うスタートラインには立てたのかなって思います。

でも、まだまだ勝てるにはいかないんですよね。

(それは本人もわかっているので、やはり面と向かっては言わない。)

常に自分はカテゴリーの外で勝負したらどうなるんだろうってことを考えてください。

私は高校1年生の時に西高の中間テストで8教科満点であとの3教科が97点以上をとり、

完全にその後のテストはなめきりました。それでも1番を取り続けていたってことは

よほど学生がお勉強していなかったってことだと思います(笑)

灘のテストでそんなことができたら、いいんですけどね(笑)そんなやつはいないでしょう。

ランキングより、自分との戦いと出来るやつとの戦い!そして受験との戦い。

相手を間違えないでくださいね。偏差値よりも順位よりも合格証書です。

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2014
10.18

「和訳がないと勉強できない」は限界をつくります。

Category: 雑記
わが軍の学生はまじめな学生が多く集まったのですが、

何か盛り上がりに欠けてしまい、やっている割にはできるようにならないって

嘆いている学生が結構います。まあそれでも、みんな偏差値60~65で悩んでいる学生です。

最低限の実力は備えております。ただ医学部受験でそれですとまだまだ足りません。

私立医学部に合格するためにはできれば4教科トータルで偏差値68~70が欲しいですね。

さて、わが軍はとりあえず1年で最低偏差値65以上を目標にしているのですが、

クリアする学生は7割ぐらいです。まあスタートラインにも依りますがね…。

さて、そんな熾烈な戦いをしなければならないのですが、

英語は学生がなかなか成績を上げるのに苦心している科目の様です(笑)

私からすると、英語は単語を覚えて、文法を覚えて、読みまくれば大方できるっしょー

って思うんですけどね(笑)惣は問屋が卸さないってねー。

そんなことを思っているときにある学生がやってきます。

学生:「先生、英文を読んでいるのですが、和訳ってないんですかー。」

私:「えー、だって授業でやったじゃん!必要ないでしょう。いいじゃん。」

学生:「いや、欲しいんですよね。自分の書いたことに自信がないです…。」

うーん、こういう他者が作った和訳に依存していると、英語はできるようになりません。

最初は和訳にたよりながらお勉強しなければ進まないのですが、

ある程度できるようになってからは、一通り自分の解釈を考えて、

やばい英文だけ自分でおおまかの解釈をしてみて質問するぐらいにしていかないと

いつまでたっても迷いある英文解釈のままです。

授業で和訳を渡すのは一応確認のためで、

それがあると頼って授業中に集中してお勉強していなければ、結局二度手間ですし、

いつまでたっても依存症です。ある程度点数が取れるようになっても、

こういう癖があると偏差値60~65の間をウロウロして、伸び切りません。

英文解釈の場合、

全部一語一句取りきれなくても大丈夫なわけですからそこまで神経質にならないでくださいね。

それよりも骨格となっている英文がしっかり意味とれているかなーとか、

構文わかっているかなーとか、全体の流れがしっかりわかっているかなーとか

その辺に気を付けて解釈してください。

その領域に行きついていない人は、まずは長文精読100本して、

全訳でもしてみてください。すると、和訳のパターンや英文の構造がみえてきます。

わが軍の高1~高2+中学生(文法が終わった学生)にはこれをやらせるようにします。

あえて和訳をあげずに、自分の解釈に依存する。その中からいろいろ学び、それを応用して

ルールにのっとったうえで自分なりの正しい解釈を手に入れることが

真の英語の実力といえますよね。

和訳がなくても実力と辞書を用いながら英文解釈をしっかりしましょ!

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2014
10.17

辞書は確認する道具として使わない。

Category: 雑記
さて、引き続き授業を行っているのですが、

英語の授業でこんなことをしている人いませんか?

予備校の先生の中で、辞書を持って授業に臨む先生っていませんか。

これってかなりやばいっすよね。辞書に頼っているレベルの授業を行うのであれば、

それは辞書を読めば成立するっていうことですもんね。

もしくは自分の言っていることを常に確認するために辞書をつかいまーすと

宣言しているようなものですよね。

また、学生のなかで辞書を片手に先生の言ったことを逐一辞書を引く学生っていませんか?

これもいただけないです。確かに一見非常にまじめそうに見えますが、

辞書に頼るのであれば授業だって必要ないじゃないですか。

一人でやっている方が効率的ですよって思います。

先生も生徒も辞書に頼って授業展開している、授業聴講している空間は

いかにもお勉強ができないって感じですよね。

私の師匠がよく言っていたことなのですが、

「講師が教壇に立ったら、自分の知識がすべて。辞書や書類にすべて頼るようなら、

そんなやつは教壇に立つ資格はない!」

一流は何もなくても授業を展開できるぐらい知識をインプットしていて、

ある程度ウィットがきく話をできるれべるでなければなりません。

そういう意味で考えると、講師が辞書をもっているのはちょっとねーって思います。

せめてデスクで辞書を引いて、何を言うべきかを考えてから授業に臨んでほしいですよね。

ちなみに先日ある高校へ見学に行きましたが、

見事にほとんどの先生が辞書で、「なんだっけ~?」って辞書を引いておりました。

すべての高校の先生がそうだったらガチ切れしますが、

やはりレベルがいただけない学校にはそういう先生が集まりますよね。

意識の低さは伝播します。

一方生徒の方も実は辞書を引かなければいけないのですが、

辞書の使い方を間違えないでほしいですね。

辞書っていうのは一般的には「語句を確認するためのもの」ですが、

それでおしまーいって感じにならないのが受験です。

逐一この文法は長文で出たものと異なる、あの用法はここに書いていない…

そんなのは当たり前です。言葉は人によってチョイスが違うのですから

それをすべて網羅できるはずがありません。英文は推測レベルの解釈がつきものです。

辞書はそれを極力一般化して、

例外も極力その一般的な訳から解釈できるようにしているものですので、

辞書にかなう参考書はありません。だから、先生に辞書のことをすべてぶつけても意味がありません。

それはあらさがしでしょうって学生が多々いますよね。

ま、それでも私は辞書なしで辞書で覚えていることを基に言い返しますがね(笑)

こちらも辞書は最低限読んでいますのでね(笑)

そうやって辞書って使うんじゃないんですよ、本来は。

辞書は先ほど言った通り、確認するためのものなのですが、

ある程度自分で覚えるべきものに目星をつけなければならないわけですよ。

そう、辞書の内容を確認するだけでは受験ではいつまでたっても意味がないってことなんですよ。

辞書の内容を薄めてというか、実戦的に落とし込んで自分の中で覚えるってことをしろーって

言いたいんです!

ちなみにその辞書をよく引いている学生は、テストは良くできる方ですが、

偏差値70を超えるまでには至らない、万年偏差値68人間です。

これまで見てきた辞書好き学生もやはり同じような感じでした。

偏差値75をコンスタントにとれるようにするためには、まずは辞書を引くこともそうですが、

それ以上に辞書の内容を自分のキャパに合わせて落とし込みながら覚えるかを

意識することです。

受験生よ、頑張ってください!!ものをもう少し覚えてください!
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2014
10.15

プロ意識は高い方が良いに決まっている!

Category: 雑記
先日、予備校の先生と過去問のことでお話をしておりました。

問題のネタがものすごく哲学チックで、

2011年の岩手医科の入試問題で

エーリッヒ・フロムの哲学に関する言及が出てきているのですが、

真面目に解くとマジではーー?ってなってしまう問題についてお話ししておりました。

まあフロムを私もよく知らないのですが、「現代人は自由という名の刑に処されている」

的な発言は聴いたことがあったのと、権威主義に傾倒することはなんとなくわかっていたので、

私にとってはその英文に違和感がなかったのですが、普通に知識なしで読むと

「あー、こういう英文って読むのきついんだー」って勉強させられました。

まあその先生は物知りで、とっても勤勉な方で、英語がものすごくできるので

私は日々勉強させられております。いやーそういう先生にお会いできるのはうれしい限りです。

そして、問題一つ一つに対してものすごくするどく突っ込んでいる姿勢は

大学入試指導者としては敬意を払うに値します。本当にできる人なんだなーって思いますよ。

(ちょっとあまりにも鋭い時があるので、周りのことを考えようぜってときもありますがねw)

でも、私もそこまで入念じゃないかもしれませんが、

全訳を創るスピードや量はもちろんのこと、

ある程度ストックを溜めたあとの精読は負けませんよ。

しっかり自分の解釈を踏まえた上で納得した和訳を創った上で、

そして、いろんな先生のご意見を組み入れて、一緒にテキストとして使用しております。

一回問題を解いて思いついたことをまとめて、問題を再編成し直すときだってあります。

(その編成し直しがオリジナル問題として学生たちに渡っているのですよね。)

こういうプロ意識は大学受験指導者として誰もが持っていなければなりません。

特に予備校や英語指導一本でやっている講師で、

一通りの流れを持ったうえで、どうやって話を持っていくか道筋を示せるかができなければ、

基本的にプロとして予備校講師をやってはいけません。私はそう思っております。

しかし、私の経験ですが、予備校の先生の地位にいたり、

それなりに高額な家庭教師さんはそういうテキストや話の持っていき方・道順は

しっかりお持ちなので、そこで効率とかで差がちょっと出るぐらいでしょう。

大事なのは常に分析して、

その既存で手持ちのものをしっかり進化させているかどうかなのですよね。

そのプロ的な分析と応用と、学生に対するそれらの提示ができていない方が結構います。

これは予備校業務や他の学校等で掛け持ちをしていると難しいんですよね。

既存の問題集だけを使っていたり、使いまわしの問題を毎年使ったり……

うーん、それでは学校とやっていることは変わりません。

それは自習課題としてしっかり与え、授業ではこうやって解くんだよってことを

しっかり学べることをしないといけないんだと思います。

私は特に今年は、既存のテキストをほぼ使っておらず、

自分が編集したものだけ使用しています。

自習課題だけは既存のものに頼りますが…答えとか充実してますしね……。

とまあ、自分のやりやすさや効率を考えてしまう分、生徒には絶対に読み方や文法や

今後の英語学習で意味あることをやっていこうと考えております。

既存の問題や赤本の問題に対してあっているかどうか、

疑問を持たずにまたは妥当だと心から思えずに、

プロとして問題を取り組むわけにはいきません。

来年は自習課題までオリジナルにしてやろうかってぐらい、私は気合が入っております。

もうそろそろそんじょそこらのプロ家庭教師とは言わせませんわよ(笑)


でも、プロ意識が高くなりすぎて、

批判じみたことはできるだけしないように努力しなければですね。

できる人がよくやりますが、私には一生できない芸当w
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2014
10.14

ちょっとしたお知らせと私の近況

Category: 雑記
2日空けてしまいました。すみません。

今月はものすごく忙しかったのと、原稿締切が多々重なって、それに追われていました。

書きだめしていたのもすべて吐き出してしまい、ストック切れです。

まず、いろいろご報告。来年私はあることを企画しており、

来年は自分がものすごく動きやすいようになるつもりです。

すでに指導依頼の方にはお話ししておりますが、私の境遇が少々変わりますので、

来年の指導をお考えの方はお早めにご連絡ください。あと2枠ぐらいと考えています。

また2月ごろに最終決定のお話をしますが、すでに来年の予約でいっぱいです。

来年は効率よく仕事をして、一人でも多くの学生を救えるように精進する次第です。

あと、もう一つ。もしかしたら、短期間ですが一時的に日本を離れ仕事をするかもしれません。

場所はスリランカ。ある大学で日本語指導と

現地での植民地でのイギリス文化研究で必要なことをしようと思っています。

ある教授から私のエストニアとスウェーデンの日本語指導の経験と英語指導のノウハウを買われ

お話が舞い降りてきました。一生行くかどうかも含め考えますが、

今のところ一生行く予定はありません。もう少し境遇がいいものを求めようと思います(笑)

まあ予備校シーズンが終わってから動こうと思います。

他にも11月にはチェルノブイリの計画に参加しようとか、

アメリカで学会参加等を予定していたのですが、

赤本のご依頼や高校受験の問題解説の執筆等をいただいていたので、

なかなかすべてできずにおりました。

来年はもっと負担を軽く生きていこうと思っておりますので、よろしくお願いいたします。


最後に先日作ったピザを。強力粉と薄力粉とドライイーストとオリーブオイルと砂糖少々で

生地を作りました。練って発酵させるまで30分かからない程度です。

その生地にコチュジャンとみりん少々多めのソースにキムチとベーコンとたまねぎ少々と

エリンギスライスをのせて、チーズたっぷりで焼きました!

焼き上がりにのりをぱらぱら…大成功でした。スライス御餅いれてもおいしそうですよね。

もう一つは白みそベースでネギや鶏肉やパプリカ、卵をいれて和風ピザも作りました。

料理のレパートリーも着実に増えております!
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2014
10.10

参考書関連『道場主の英文法いじわる2択250』

Category: 参考書関連
さて、引き続き私は問題をたくさん作っているのですが、

マンネリな問題ばかりできてしまい、あっと言わせるような傑作はあまり生まれません。

とはいえ、今年は自分の中での傑作は結構あって、豊作だったと言えるのですが、

そう言えるのも、様々な先生の問題を参考にさせてもらったり、

いろいろ問題を解いてきたおかげでもあるかと思います。感謝ですね、偉い先生には。

勉強させてもらっております。

そうやって一生懸命に学習している人たちもいれば、

てきとーに毎年進歩や変わり映えのない授業をこなしておわりーな老害みたいな先生も

多々いらっしゃるんですよね。正直腹が立ちます。


さて、腹を立てながらも私はいろいろ問題制作活動をしているときに

今回ご紹介する『道場主の英文法いじわる2択250』に出会いました。(4年前ぐらいかな。)

予備校講師としてとりあえずやっていこうと思い、

問題作りの駆出しでそれなりに問題をつくっていたのですが、

英語の問題のストックやマンネリ化が生じた際に手に取って読んでみたところ、

いやー、ものすごくいやらしい問題ばかり揃っている問題集だなーっていうのが第一印象です(笑)

しかし、私自身もこういう参考書があったらいいなーって思っていたところで、

それを問題集として出しているものがすでに出ていたので、参考にさせてもらいました。

少々無理やり感がある問題もありますが、英文法の本質はわかるようになると思います。

ある程度基礎を作った学生やNextStageやビンテージをやりまくった学生には

刺激となる一冊でしょう。私もできなかった問題がいくらかありました。

受験の世界は奥が深いですね……本当に(笑)

しかし、よくこういう問題が思いつくよなーって感心してしまいます。

飯田先生、あんたはすごいですよ、ホントに(笑)結構尊敬しております。

道場主の英文法いじわる2択250道場主の英文法いじわる2択250
(2008/07)
飯田 康夫

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2014
10.09

受験科目は乾電池ではない。

Category: 雑記
昨日、ある生徒に科目変更をするべきかを相談されて、

一喝してしまいました。

内容はこうです。

「私は世界史が厳しいから、政治経済に変えようと思うんですが……」

実は、こういう生徒がこの時期になるとたくさん出てきます。

確かに私は、政治経済は簡単だ、と言っていますし、

そう信じています。

しかし、みなさん但し書きを聞かずにそういうことをしているように思います。

私の言っていることは、

(1日3~4時間を政治経済に時間を費やして、

さらに、ほかの科目もいつもどおり勉強できるのであれば)、


政治経済は短期間で終えられます。」

ということなんですね。

一通り政治経済をやるにしても、

教科書でおよそ200ページはあるのですから、

しっかり基礎を作り上げるにしても1か月はかかります。

それだけで確かにうまくやれば、

大抵の模試で偏差値60ぐらいなら出せますが、

それがどれだけ大変なことか、少々考えたらわかるものではないでしょうか。

科目を変更するのは私立文系に多いです。

それは文系学部があまりにも多様な領域を求めているために、

どの分野の知識も必要なため、

科目の多彩さに余裕を持ってしまう部分があるのかもしれません。

しかし、この時期に科目を絞りきれないのは

今まで大学の情報を集めてこなかった、そして

真剣に勉強をしてこなかったという生徒側の「怠慢」であり、

先生・講師側の指摘不足であると言わざるを得ません。

本来科目決定が高校2年生が終わる前には決まっていなければ、

私の感覚では、難関校へ受験するのはかなり厳しいと思います。

1年で3~5科目を80%はおろか、70%に仕上げようというのは、

いささか至難の業で、どんなエリート先生であっても

頭を抱えると思います。

受験はそれほどマジックを効かせられるほど甘くはないし、

それで大学に行くのは間違っています。

しかし、それを承知でもなんとかしなければならないというのが

この10月という時期なわけですが、

ここで一変させることは、自分にものすごく負担をかけることなので、

覚悟しなければなりません。

しわ寄せを直すには、容易な作業で済むわけありません。

電池がないから、新しい電池に換えようというように、

他の教科がダメなら、簡単な教科で代替してうまくいくほど、

物事は単純ではありません。

その方法でうまくやれた人には、

それなりの代償はあります。


奇抜さは、平凡の上にあるから光るのです。

受験生のみなさん、それだけは間違えないでください。



昨日は心が痛かった…。

そして、昨日は夜風が思ったよりも私を震わせました。



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2014
10.08

いろいろ読めない人っていますよね。

Category: 雑記
私が住むマンションに、いつもゴミをちゃんと捨てられない人がいます。

マンションの入り口にある掲示板に分別方法と収集日が書いてあるのに、

その人は頻繁に間違えます。

間違えてゴミを出しているのがわかると、私も癪に障るので、

張り紙をして間違いを指摘するようにしてきたのですが、なかなか治らない…。

(というか、これは管理人がすることでしょうが!(笑))

まったく困ったものです。

それが名大生だとわかった時ほど、ショックなことはありません。

ニュートリノの研究は天下一品でも、

本来、

名古屋ではエリート面をしなければならない(一応プライドはある)名大生が

どうしてこんなに非常識になってしまったのか…。

情けないです、本当に。



さて、私は何が言いたいのか。

ゴミ捨てはちゃんとしよう!ということではありません。

(それは住民の義務であって、当然のことで言うまでもないです。)

掲示板の内容を読み取れないということです。

最近の人は、この読み取るの能力が少々低下しています…。

私も比較的低い部類に入るように思いますが、

今の人はそれを大きく上回るように思います。

活字だけでなく、空気も読めない人もなかなか少なくなりませんね。

逆に空気を読む能力は高くて、全部保守的な行動になる人もいますが、

それもそれで、本当に「読み取っている」能力が高いとは言えません。

なぜかというと、ちゃんと読み取れていないから、

「とりあえず当たり障りないことをすれば問題はない」という行動へ

持っていくだけで、問題解決には至らないのです。

readではなくて、skimしているのですよね。

こういう風潮がどこにでもあります。

例えば、あるIT関連の社長になりたいという青年が

私にあることを教えてくれました。

「先輩、社長になるんだったら1年で1000冊本を読むらしいんですよ!

僕、今頑張って読んでみようと思ってます。」

んー、普通に考えて1000冊はありえない。

雑誌にもこの類のことを言っているが、それは中身が薄い本や

同じ内容に近い本ばかり読んでいるわけで、

それは読書と言えるのでしょうか。

ハウトゥ本は個人的には20~30冊ぐらい熟読して、

自分のスタイルにまとめ上げれば、そんなに読む必要はないと思います。

頭をザルにして本を読むのと、頭を大理石のボウルになっている人の読書では

比較になりません。

もし、ドフトエフスキーの「罪と罰」を2~3時間で内容がわかったというのであれば、

それは今世紀最大の天才か、今世紀最弱のほら吹き野郎のどちらかです。

そして、そういう人ほど良くしゃべる反面、内容が薄い話しかしないのです。

スキミング(skimming)を読書というのであれば、

私は間違いなく1年で5000冊は軽く読んでいます(笑)


このスキミング能力がものすごい能力だともてはやされているがために、

ゴミ捨てといった大事な作業を軽んじてしまうんですよね。

読む(reading)と、(ざっと)読む(skimming)のは違うのです。

後者は受験の英語長文や、国語の現代文で使う能力だったり、

会社で膨大な量の書類を読んだりするときに使うスキルで、

応用しすぎると大事なことを見落とすデメリットもあるのです。


そして、このことが受験でも同じことが言えるのです。

教科書をざっと読んで問題集を解いてもできるはずがありません。

先日、日本の終戦記念日を忘れてしまった例を出しましたが、

これは教科書にちゃんと載っていて、

本来は無意識にでも習得しておかなければならない知識です。

教科書は面白くないかもしれませんが、

我々の知の源と言っても過言ではありません。

そういったものをおろそかにする人は、教科書事項の知識に泣きます。

基礎がないなと思った人は、教科書を引っ張り出して、

熟読してみてください。きっとヒントを与えてくれることでしょう。


この「熟読」を忘れないでください。

熟読できない人は、きっと近い将来大きなミスをやらかします。

大事なのはテクニック的なもの以上に、

意外に忘れられているあたりまえなことなのかもしれませんね。


ゴミの分別表が読めないだなんて……、どうしたことやら、日本の若者よ。

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2014
10.07

我が軍が向かっている方向性

Category: 雑記
最近のスポーツ漫画をみていると、

あるモードに入ってしまうことで、

キャラクターが強くなってしまうという設定が多くみられます。

それを「無我の境地」とか「ゾーン」とか「サンクチュアリ」とか

というような表現をして我々に伝えていますが、

実際に私もそれに近いことはあります。

私もテニスをずっとやっていたのでこの感覚はなんとなくわかります。

ある領域を超えたとき、

相手の動きが天井から見下ろすような感覚になり、

次に相手がどこに打つかというのが自然とわかってしまって、

その結果大逆転勝利してしまったことが一回だけあります。

漫画のそれは大げさすぎるところもありますが、(特に「テニプリ」)

これは間違いなくあるものなんだと信じています。


そして、これは勉強の世界でもあります。

勉強である一定のレベルで限界を迎え、

それを越えようと努力していると、

その問題・事象を解決するために入り込もうとしてしまうということです。

そして、周りが見えなくなっていき、それが解決された時には

大きな力を手に入れるわけです。

(しかし、その代償として日付を忘れていたりする(笑))

これは大学院の院試の時にこの極みに行き着きましたが、

仕事をしていても、どんなに疲れて横になっても、寝言も

すべて論文に関するもので満ち溢れていました。

例えば、寝落ちる前に鉛筆をもって寝ると、無意識に布団にメモをして、

次の日にそれを解読するぐらいの集中性があったということです。


なかなか意識してこれはできないのですが、

勉強をしていて、どちらか一方の領域に入った時に、

「境地」に行き着くのではないかと思いました。


一つは「完全なる負」の領域です。

つまり、混沌とか恐怖に強く結ばれる状況です。

例えば、あまりにも課題が多すぎて、しかも期限が締切に迫っていた時、

人間どうしようかなと思うわけですが、

ここであきらめてしまえば、「死」=「落第」とか「叱責」という方程式が

当たり前ですが生まれてきます。

しかし、人間はもちろん死のうと思って生きていません。

怒られるために生きていません。落第するために生きていません。

それを回避しようという力が本来あるわけです。

その力が回避するために全力を注ぐわけで、逆説的に考えれば

「恐怖」は勉強のための重要なスパイスに変換されるのです。

これを常に持っていれば、勉強はできるようになります。

ただ、これは一種の追い詰めなので、精神的に強くなければ多用してはいけません。

だから、スパイスなのです(笑)気を付けましょう。


そして、これを受験生に知ってもらいたいことです。

勉強が楽しいと思う「完全なる正」の状態。

英語は数学などよりもそれが味わいやすいのではないでしょうか。

ある単語や文法を知って、覚えたての知識を使って入試問題を解いたとなると、

これは誰もがうれしいと思うのではないでしょうか。

勉強は解けなければ楽しくありません。

なので、最初は難しいものを手にするのではなくて、簡単なものを手にして、

そのあとで難しいものを手にするというプロセスを繰り返していけば

必然と楽しくなっていくものです。階段を上るのと一緒ですよね。

ただ、これにも注意書きが必要で、

いつも楽しいわけではありません。

楽しくなるまでには時間もかかることをお忘れなく。

楽しくするためには、自身が楽しくなるまで我慢して課題をやり続けます。

その域を超えた先に、この「完全なる正」へ入り込むわけです。

続けることがこの領域へ誘ってくれるわけですね。


私の指導の最終目標はこの境地に到達することです。

私に何も言われず、普段はへらへらしていても、

いざ勉強をするときは「モード」に入り込み、

それ以外のことは何も聞こえなくなる状態を、

生徒に植え付けていこうというわけです。

これはものすごく強い精神安定剤を飲めばできそうですが、

それは危ないし、不自然ですよね(笑)

これを意識的にできるレベルにすることを目標として、

半ば軍隊的、半ば自由放任という状況で指南しています。

正と負の力を両方知った時、自分でそれを使い分けながら、

生きていければ、それは面白い人生へ様変わりします。

つまり、どんなに落ち込んでも

負の力のままで押し切り、いつの間にか正の領域にいたという状況まで

起こりえるわけです。

要は、正も負も表裏一体。紙一重なんですよね。

どちらともうまく付き合える力をつけて、最強への道をわが軍は闊歩していくまでです!


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2014
10.06

意志を持っている生徒の悩み

Category: 雑記
カレーやスパゲティーを週1~2回のペースでつくっていると、

どこかマンネリになって、

「一工夫してみようかな」って思うのですが、

こういったマンネリを打破しようと思うことはありませんか。



勉強においても、実は

「僕(私)はどこかで流れを変えなければならない」

というような、

マンネリと変身願望の狭間に立たなければならないことがあります。

人は正直簡単に自身を変えることはできません。

自分が変化するときは、自身が強い意志を持って変えようという

「意思」の力による変身と、

ある大きな出来事が自分自身に影響を与えて変わろうとする

偶発的な「事象」の力による変身に二分できると思っています。


ただ後者を自分で引き起こそうとするのは、ほとんど無理です。

例えば、古典の先生で有名な吉野先生は

彼女にフラれて、それをバネにして勉強して大学に入ったといったような、

大きな出来事は人間にそんなたくさんありません。

一見、「フラれることはよくあることだ」というかもしれませんが、

その負の力が大学受験に向かうのは、それほど多くはありません。

たとえ、その事象によって方向性は受験に向かっても、

それをバネにして相手が度肝を抜くような成就は、

女の子にはまだあっても、男の子には非常に少ないものだと思います。

(受験生をみていて、男の子はフラれると立ち直るのに時間がかかる……ようにみえる。)

友人や両親や大切な人が亡くなったとか、

ある些細な一言で一変するというようなことは、

普通はあまり想定できないことで、このような事象に運命を賭けてはいけません。


ではどうするのか。

自分で運命を切り開くしかありません。

すなわち、前者の「意志」に求めるしかありません。

しかし、さっきも言いましたが「意志」を強く持つのも至難の業。

なかなか初志貫徹した人も多くないでしょう。

しかも、それを貫徹したからと言って

絶対的な成就が保障されるわけではありません。

おそらく、ここの心持が悩める生徒さんたちが問題にしているところですよね。

つまり、多くの変身願望を持っているが変身できない生徒さんは、

「やりたい」と思っているのだが、失敗したらどうしようかという

一抹の不安を抱いてしまうために踏み切れないというのが、

問題になっているということです。

これは雑感ですが、彼らには「人生」がとても繊細に映っていて、

一つでも壊れてしまったら自分はもうダメなんだと思ったり、

逆に一度も壊れていない人こそが成就しているんだといったような

彼らは「人生の一回性」に対して過度に固執しているように見受けられます。

よく、「人生は1回しかないからよく考えるのだよ」と言いますが、

その考えの裏側には「大学に行け」とか、「エリートになれ」ということが

社会的に「正解」であるのだとほのめかし、分岐点で彼らをとどまらせているのです。

もちろんそれは教師の義務でもあるので、否定はしませんが、

必ずしも「大学にいく」とか「エリートになる」のがゴールにはならないことも、

彼らに教えていかなければなりません。

本来はそうあるはずなのに、

変身願望を抱えた受験生は

この社会が作り出した、一部虚偽を含んだ「正解」に悩み、

その正解にたどり着くために、何かを犠牲にして、

心は満たされぬまま正解かどうかわからないものを追って戦っているわけですね。


このような雰囲気で、意志表示をするのは難しいのですが、

ここで「じゃーやっぱ俺はここまでの人間でいいや」と結論付けるのは、

それこそ真の負け犬になってしまいます。

そこで、自分がその状況にあっても「変わりたいんだ!」っていう気持ちが

上回って、プランとかどうでもよくて、なりふり構わず何かに専心することで

その人の器が大きくなる瞬間なのです。

陶芸家がよく傑作に近いものを思い切って割る光景を

テレビなどでもよくみますが、まさにあのまんまです。

人はみな、人生という器を割って割って割りぬいて、

もしかしたら理想の器(=人生)になりえないかもしれないが、

少しでも思い描いている器に近づけようと、

震えながら、勇気や意志を奮い立たせるのです。


精神病になるほど自分を破壊するのはまずいですが、

勉強していて「あーーーーー」といったように発狂したり、

一瞬ものにあたるといったようなことは

勉強してきた人たちなら必ず1度や2度はこの類の行動は

経験しているはずです。

そうなってまでも自分の意志を貫いて

何かをやり遂げた瞬間に出くわしたとき、

以前とは別人のような人格を手に入れているでしょう。

スマートに進めなくていい。泥臭くやってください。

高校生で泥臭いのと、社会人で泥臭いのは

どちらが許せるか。

私は泥臭く何かに集中できることはいいことだと思っているので

どちらも敬意を払えますが、

どちらかと言えば、高校生の苦悩の方が美しいかなと思います。

悩める子羊は、最後の最後に獅子になればいいのです。

(生物学的になれないかな(笑))


「意志」を持って何かをやり遂げれば、

それは奇行であっても、意外に傍から見ると凛々しくみえるもので、

傍観者はそれをみて何か感じるものです。


私の周りにはこういった「眠れる獅子」がたくさんいます。

覚醒した生徒も多いですが、

もっとそのことに対して自覚をもってほしいです。

私の指導は、英語といった教科のお勉強というよりは、

「いかにしてお勉強するか」ということを体得する指導になっています。

それを創り出すために英語が最も使いやすい教科であるだけで、

英語ができてしまえば、他の教科もできるようになるはずだと、

勝手に思っています。(自分がそうだったというごり押しもありますが……)


一度、思いっきりましょうよ!

明日から10月なので、そろそろ精神に革命を起こしましょうよ!

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2014
10.05

英作文小噺

Category: 雑記
先日、ある学生が同じことを言っていて、思い出しました。

私が河合塾のある先生と雑談していた時の話です。

私は河合塾で英作文を指導していて、

彼も違うところで英作文の指導をしているというので、

話題は「英作文」に。

するとものすごい辛辣なご意見が……。

「いやー、日本の英語教育はなんだかね…。

僕はある国立大学の入試問題の自由英作文を採点したんだけど、

全員一点もあげられないよね。

なんで、あんなに書けないもんかね。これは彼らが悪いのもあるが、

日本の英語教育にも大いに問題があるでしょ。

終わっている……。」


さすが、河合のベテラン先生だけあって厳しい。

こんなことがあってから、自由英作文は指導しないで、

ひたすら和文英訳をさせているそうです。


私も学部生のときに、

ある私立大学の採点に関わったことがあるのですが、

教授が同じことを言っていました。

そして、その教授が空欄を見つけた瞬間、

「あー、こんな英作文書けない、英文を訳せないようなら

大学来なくていいよね。法学部でこれ訳せなきゃ、あとが思いやられるよ。」

私からすると心が痛いのですが、

厳しいことをいえば、そりゃそうだと思わざるを得ません。



英作文は上位難関大学でしか扱われないからやらなくていい

というのは大間違いで、

英作文ができなければ、英文がしっかり理解できていないことを

露呈しているようなものです。

和文英訳ができなければ、英語だけでなく日本語もわかっていないことを

露呈することになり、実力がある英語とは言いにくいです。


和文英訳を極めるというのは、賛成です。

これをすることで英語の知識もつくし、日本語の理解も深まります。

名大の院試でも和文英訳が出るぐらいで、

これができなければやはり英語ができるとは言い難いですよね。


しかし、英作文は一朝一夕で書けるものではありません。

本気で英作文を書けるようにするには、

生徒はもちろん、添削者も気合を入れなければなりません。

とりあえず、100~150問を一緒に英作文を解く作業をしてください。

(まあそういう先生を探すのが大変かも…)

私は今年は2人の英作文を見ていますが、

なかなか良くなってきましたが、まだまだ荒削りです。

洗練された英作文には程遠いという具合です。

私も生徒の英語をみると勉強させられるので、この添削作業は好きです。

自分もTOEFLのWritingの勉強をしたときは、

ひたすら朝日新聞の社説を英訳し、

次の日に出る英訳版と一致するようになるまで

およそ半年間ずっと書きまくってました。

彼らとやることは一緒で、英作文は書きまくって、丁寧に読みまくる

というコンボで攻めていかなければなりません。


なかなか先生も厳しいことをおっしゃいますが、

私的にはとりあえず、

「ある程度形になった英語が書ければそれでいいじゃないか」という

スタンスでいます。

どーせ、留学すれば嫌でも英語は書かなければならないので、

できなければ恐怖のどん底に落とされるだけなので、

それを回避すべく勉強することでしょう。

(今の発言、大学に入ったら留学することを前提に話していますね(笑))


とにかく、英語を書く習慣はどこかで作った方がいいかもしれません。

国立志望の人は今から書き馴れておかないとだめですよ!

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2014
10.04

ナポリ滞在して~都市と英語~【以前に投稿しました】

Category: 未分類
最近、イタリア人と話すことが増えました。そして、友達が増えました。

いいイタリア人が周りに増えたので、ナポリとカプリ島に行ったときの話をしたら

喜んでくれました。あとリビアからの移民がめっちゃ増えた話もきけました。

そんな会話をしていたら、昔のナポリ話を引っ張り出したくなって、

ここに載せます。読んだ人は今日はブログお休みの日だと思ってください(笑)

\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\

バカンスというのはとてもいいもので、嫌なことを本当に忘れてしまいますね。

日本の航空会社も安くなったことだし、

今年は韓国や中国といったアジア諸国に赴こうと思います。


イタリアでバカンスを楽しんでいたわけですが、

今回の旅は、私にとって勉強になった旅でした。

今回は家族で旅行したわけですが、

一人の放浪旅行と家族旅行では、勝手があまりにも違って、

私はとても戸惑い、どこか煮え切っていないところがありました。

そして、イタリアという国が私が想像していた以上に、

先進国といわれる国といえども底辺に位置しているなということを

感じたくなくとも感じざるをえないといった感情を抱きました。

まあ、ここまでのことを要約していえば、

私が少し大人になって、海外の実情を知ったということです。



家族に関する話を受験と関連させてお話をしたいところですが、

それ以上に私は少しナポリにいて思慮したことを、

受験生やその保護者様へ何か伝えたいなと思います。


私は過去にアシスタント・デザイナーとして

一度ミラノという都市に行ったことはあっても、

周りは世界の一流モデルとデザイナーとセレブの中に囲まれていたので、

ミラノという都市像をとらえることができませんでした。

また実際にショッピングをしたり、街を散策したりする時間がなく、

やはりイタリアの実情を知ることができずにいました。

そんなわけで、今回が私にとっても初イタリアといってもおかしくないのですが、

ナポリという都市に滞在したときに、思っていた以上のギャップがありました。

私はナポリという都市が

中世のローマ帝国にあった軍事都市であることは知っていますが、

それ以外の知識は持ち得ていませんでした。(恥ずかしい)

でも軍事都市だったからでかいだろうと勝手に思っていたのですが、

なんか私が抱いていた都市空間とは異なっていました。

それを感じ得た理由は

英語が全くと言っていいほど通じなかったということです。

ナポリでまともに英語が通じたのは1回だけです。

帰りのチェックアウトを済ませる時に話したホテルのレセプションの女性だけでした。

チェックインするときにはホテルには従業員がおらず、

いたのは警官という異例の状況で、私はかなり戸惑ったのですが、

その人はほぼ英語は皆無で、片言でしかわかってもらえませんでした。

個人的にはシンガポールのが英語は通じないだろうと

勝手に思っていたのですが、

シンガポールのシングリッシュのがまだマシで、

タクシーの運ちゃんでさえ英語は聞きづらくとも話せました。

しかし、イタリアでは英語で対応しようと思っても、わかってもらえません。

私が勝手に先進国だと思っていたイタリア像が、

彼らとの会話のやり取りで崩壊してしまいました。

私は、都市空間の条件として

やはり一般人の間でもある程度英語が通じることも含むんだと

思っています。

私のいっている「都市」は多分傍から聞いていると

「(国際)都市」と同じニュアンスに聞こえるかもしれません。

こういうと、こんなことを思う人もいるかもしれません。

「日本だって東京は良いにしても、

大阪や、名古屋や、福岡(いったことがないからわかんないが)は

都市といえないかもしれねーじゃねーか」

私の独断と偏見的な定義にぴったりはめてしまうとその通りなのですが、

しかし

個人的に外国人が名古屋とか福岡とかをぱっと思い浮かべてくれないのは、

英語が多用されているかどうかに比例するところが

少なからずあるのではないでしょうか。

外国人に「日本の都市を言って御覧」と質問しても、

まず出るのは「東京」と「京都」と「大阪」ぐらいなもんで、

「埼玉」とか「滋賀」といった地方都市が出ることはまずないでしょう。

そう思うと、皆さんがふつう思い浮かべる「都市」は、

やはり「東京」や関西だったら「大阪」といったイメージが強く

あるのではないでしょうか。

このように都市を分別できるわけですが、

その条件の中には、やはり今の時代であれば

「英語ができる」ことを入れてみてもいいんだと勝手に思っています。



よって、名古屋もそうですが、都市に住む以上

土地が広く、その空間が充実しているわけで、

地元の人間はもちろんのこと、外国人も住もうと思えば住めるわけです。

そして、多民族で構成される可能性を容易に否定できなくなった今の時代では、

我々はどこかで共通の言語を使用しながら

他者とその都市空間で共存していかなければならないと思っています。

ヨーロッパ諸国でも、

こういった状況を危惧して、移民排除へ積極的な活動を起こしている国もありますが、

(ノルウェーでのテロは悪い典型例だけど、移民排除が目的でしたよね)

やはり自国で理不尽でどうしようもない状況の人(フィリピンのスカベンジャーとか)が

能力があるのにもかかわらず、冷や水を飲まされて生きているのも癪だなとも思うと、

グローバリゼーションの波に乗って、移民として基盤がある国へいって、

尊厳をもって生活するのもありなんだと思います。

ナポリは確かに黒人やスラブ系の人種も多く住んでいましたが、

どこかイタリア人とは隔絶があるように見えました。

これはどこにでもあることとはいえ、イタリアではそれを強く感じました。

また同時に、ヨーロッパ人の間でもどこか隔絶があるようにも見えました。

ヨーロッパ人の中でもイタリア人は異質なのでしょうか。(よくわかりませんが)

そう思うと、ナポリは別に移民の排斥運動をしているわけでもなく、

かといって、移民を快く受け入れたり、異民族と共存したり、

国際都市として生まれ変わろうという動きもないので、

どこか時代に取り残された都市のように見えました。

(いいか、悪いかは抜きにしていっています。あくまでも雑感です。)


ここで私の今までの考えを少し覆されたようにも感じました。

すなわち、

「ヨーロッパの主要諸国であれば、それなりに英語は処理してもらえる」

という考えが、ものすごく甘いものなんだと実感しました。

英語ができるのはやはりどの国でもある一定のレベルに到達している人であって、

culturalであるということなんでしょうね。


じゃあ、英語ができなくてもいいのではないかというと、

そうではないです。

残念ながら、今の時代が求める我々への能力は、

雑多の集団の中でもコミュニケーションが最低限とれることが一つあげられます。

その手段が英語であることはここ50年は間違いありません。

つまり、私が生きる世代はもちろん、

その周辺の世代も英語とは切っても切れない関係のように思います。

ただ、どこかで私たちはその事実に安座るのではなくて、

「郷に入れたら、郷に従え」の精神に則って、

その都市の主体性を考える心があってもいいのかもしれません。

それを理解するためには、

もっと英語はもちろん、私がわかるフランス語やオランダ語も

もっと真剣に勉強しなければならないなと改めて考えさせられました。


受験で英語を勉強できるということを有意義な時間だと思ってください。

大学受験の時に、しっかり英語の勉強をしていない人は、

この先英語を再挑戦しようと思っても、ものすごく苦労します。

是非とも、今のうちに苦労しておきましょう。

そのお手伝いができるのが、

私の今の仕事なんだと、思考を回帰することができました。


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2014
10.03

何事もシンプルに考える。

Category: 雑記
今日の朝、ある生徒からこんなことを言われました。

「先生は何でも簡単そうにいうから、何でも簡単に見えてきた」

これはうれしいことでもあるのですが、

気を付けてねという風にも捉えられます。

大学受験の範囲で言えば、

英語だったらごく一部の問題を除けば、

手順をしっかり追えばそれほど難しい問題は存在しないと思っています。

そして、難しいと思うのは、

基礎があやふやであったり、本来当たり前のことができていないからで、

基礎に立ち戻る、そして基礎の戻り方、

応用問題が基礎問題の派生にみえるようになることがわかれば、

東大の英語の問題でさえもそれほど難しくありません。

数学も理科科目もみんなそうだと思います。

あるパターンにはまるのがわかって、それが複合的にみえるようになれば

それほど難しいと感じるものは減ってきます。

それを応用して、

社会のあらゆることが何を根底にして形成されているかわかれば、

それを調べ上げて、ものごとをこなすようにすれば、

できないことは減ってくると信じています。

もちろんできないこともありますが、

それはそれで、

何度やってもダメそうだなと思ったら割り切ってしまえばいいのです。

それが受験であれば、ここまでの最低点は取ろうとかと

割り切った勉強をすればよいと思っています。


いきなり複雑なものを考えないようにしてください。

シンプルなものがどれだけ複合物から見とれるか、

そしてその複合性はどのように組み合わされていて、

この組み合わせはどうしてうまく組み合ったのかがわかれば

それは先日言った勘を形成するとともに、

その複合物自体はシンプルなものとなり、

自分の頭の中にあるデータベースへ蓄積されていくのです。

さらにその知的活動はずっと続くのです。

要は自分が知っているものがシンプルな基礎になり、

そこからまた新たな複合性の構造を解析する手掛かりになるわけです。


シンプルをつくる基礎は侮りがたし。

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2014
10.02

謙虚に積み重ねる

Category: 雑記
元スペイン代表のラウール選手(昔はシャルケにいてDF内田選手の同僚)は、

毎日水風呂に入る習慣があるそうです。

このことに対して、

内田選手は「やはり日頃の訓練と積み重ねは大事だと言っていました」が、

サッカーと同様勉強も同じですよね。


大学受験となると人生の大半がここで決まると思い、

受験生はどこか焦ってしまい(いいことなんですけどね)、

自分の立ち位置が見えなくなってしまうことがあります。

そして、受験生はどこか新しい問題ばかりに目移りして、

それが1問だけでもできてしまうと、

自分の実力は本物だと思うようになってしまいがちです。

でも、それは錯覚であることが半分ぐらいです。

難しいことができたのは、経験の断片にはなりますが、

それが実力であるかを判断するのはもっと先です。

ある程度時間が経過して、過去を振り返ってみたときに、

「あのとき」が起点になってできるようになったんだよなと言えるのです。

(このように、「人間が歴史をつくるんだ」といったサルトルは、

レヴィ・ストロースにボコボコに非難されていましたがね(笑))


路傍の石になることは人間にとって不可能ですが、

欲望を消さないまでも、自分の実力に対して謙虚にいてください。

「まだまだだ」と思うぐらいでちょうどいいです。

そして、10月はそういった精神状態で勉強してください。

過信は厳禁。

「できるんだ、俺は」と暗示をかけるのはまだ早い。

暗示は、やり抜いた人間にかけて、初めて力が発揮します。

というわけで、謙虚に謙虚に積み重ねてください。

すると、ラウールのようにすごいストライカーになれるのです!

あ、受験生だから……なんていえばいいんだろう……


まあ、そんな感じです


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2014
10.01

「何をすればいいかわからない」はタブーなり。

Category: 雑記
先日、イタリア人と話す機会がありました。

その彼はとっても無礼で、そいつのおかげで

イタリアでの嫌なことを思い出したのでそれを書きます(笑)


3年前に行ったイタリアでのやり取りを1つ。

Dandy(私): Excuse me, My ticket shows I should take No.4 couch in this train.

But it is the restaurant car, isn't it?

Where can we take seat in the train?



Officer: Today's train has changed. So you can seat car No.3.



Dandy: But is it a first-class car, right?


Officer: Today's a second car, sir? (like getting mad)


One passenger in the U.S.:

I have no idea why we can seat in spite of reservation for the car no.4 seat.


さーて、

会話まんまだったので、文法うんぬんはあしからず。

要点はこうです。

電車のチケットには4号車の席に座れと言っているのに、

その電車の4号車は食堂車になっていたために、私たちの席がなく、

どこに座ればいいかわからないという状況に陥りました。

そこで、私は車掌に聞いてみたところ、

どこでもいいから座りなさいとキレ気味に言われ、

なんじゃこりゃーっていう感じになったということです。

実は今回は電車でのトラブルが多発しました。

ダブル・ブッキングやイタリア人が居座って、私が座れないとか…

書いてあるはずのシートがないとか……。

ありえないと思っていたことが、すべて起きました(笑)


日本じゃこんなことはまずありえません。

まあ、あったとしたら日本ではまずすることがあります。

「謝罪」です。


私はさすがに今回のことは問題だと思ったので、

イタリア人たちが謝罪すると思い、少々待っていたところもあったのですが、

一向に謝りませんでした。いやいや、悪口らしきことを言われました(笑)

イタリア語だったからわかりませんでしたが、ジャポネという音は聞こえたので、

多分私のことを言っていたのでしょう。

私も納得しないと日本語だろうが、英語だろうが、フランス語だろうが、

文句をいうことがあるのですが、

添乗員さんたちはかなり気に障ったのだろうと思います。

でも、

詫び一つ入れられない人種は横暴で、どこか美学に欠けます。

ヨーロッパ、特にイギリスには素晴らしい騎士道があるはずなのに、

イタリアにはそれが浸透していないようです。(笑)


アメリカ人が後にブチ切れていましたが、これは当然でしょう(笑)


しかし、もう一つ私が納得しなかった行動を見てしまいました。

同じ問題で、同じ状況に陥っていた日本人旅行者(学生)に遭遇したのですが、

彼らに状況を話しを聞くと、

「ツアーコンダクターの人がお話しに行っている」

と答え、私は同じ日本人として情けなくなりました。

ツアーコンダクターさんにとってはそれも仕事だから当然の行為だと思いますが、

どうして自分たちで事実を追求しようとしないのでしょうか。

もちろん言語の壁があるというのはわかっていますが、

それは私もイタリア語ができないので、

思っていることを正確には伝えられないという点では、

同じ立場にあります。

こういうと、「お前は英語ができるからできない人の気持ちがわからないんだ」と

言いたくなってしまうかもしれませんが、

私はそれは間違っていると思っています。

日本人である以上、英語は最低限の知識はあるはずだから、

片言でも意思を伝えることはできるはずなのに、

彼らはそれを拒否しているのです。

それはちっとも人間的にも、言語能力的にも成長は期待できません。

「間違っていること」を間違っているんだと思っていても言えないのは、

ジャイアンにそう言えないスネ夫だけで十分です。

こういう若者をみると、今後の日本が不安になります。

そして、こういったおとなしくうまく状況を逃れたり、我慢するのが

必ずしも日本人の美学であるというわけではないと気付かない限り、

日本はどんどんいいように搾取されてしまうように思いました。


要は、私からしたら「詫びない」イタリア人もどうかしているし、

「言わない」日本人もどうかしています。

さっき登場したアメリカ人もきっと同じことを思ったでしょう。



このようなことは大学受験でも同じです。

よく「何から手を出せばいいかわからない」という質問を耳にしますが、

それは裏を返せば「私は何もできません」と白旗を上げているのと同じことです。

「何をすればわからない」という前に、

まず自分が持っている教科書や単語帳を一冊網羅して、

それを踏まえてどうすればいいかを先生に尋ねるのが

尋ねる礼儀だと思っています。

一流の生徒は課題を自分で見つけ、自分でそれをこなすのです。

超一流は、課題を見つける上に、その課題を超える問題点まで指摘し、

さらなる課題へと昇華させるものです。

そして、その自分に提示した課題に対して、

もう一度しっかり見つめなおして、ダメだったら謙虚に受け止めて、

正確な課題を作り出すといった試行錯誤をするべきです。

そうしていうるうちに実力はいつのまにかついてきて、

より複雑な問題が浮上してきます。

そのとき、息詰まって初めて身の回りの先生に質問できるのです。

やらずに質問するのは、やめましょうね。

回り道をして、それが実は近道だったということは結構あります。

高村光太郎の「道程」のように、歩いた道が自分の道になるし、

アントニオ猪木の「道」のように、行けばわかるのです(笑)


1、2、3、だーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!


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