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2014
07.30

「あの人」と「うちの子」というフレーズ

Category: 雑記
保護者の方とお話をすると、たまに「ん?」と思うフレーズがあります。

親御さんが息子さん娘さんに「あの人 that man」という表現をするんですよね。

あれ、なんでですか。少々気になっていました。

私はこれを聞くたびに、思うことが2つあります。

一つは、「あ、この親御さんは子供を1人の人間として尊重しているんだな。

きっと自立しているんだな、息子さん・娘さんは…」とプラスの解釈。

もう一つは「え、親御さんって子供にわれ関せず状態かな。

自分と息子は違うものなんだ、

親御さんが理想としてきた息子さん娘さんになっていないと思っているために、

距離感をもった「あの人」という代名詞を使っているのかもしれない…」というマイナスの解釈。

私としては、「あの人」という表現には何か意図があるようにしか感じません。

というか、後者のニュアンスが隠れているように思うことがしばしばです。

私としては、親からは三人称を使われるとショックを受けます。

「えっ、他人なの?」みたいな…

家族はやはり生まれてきてから最初に出くわす人間であるので、

距離は近くあるべきだと考えます。まあ分かり合えないことだってありますがね。

でも呼び方から距離感をもっているのはどうかなーって思うことがたまにあります。

だから、親御さんのなかでも「うちの子ね」って表現されるとホッとすることがあります。

「あ、この息子さん娘さんは親御さんに愛されているんだろうなー。

なんかちゃんとコミュニケーションとれているんだろうなー」って。

(たまに過保護すぎるよなって思うことがあります(笑))

とまあ、親御さんと子供の関係までこうあるべきだなんて、

尾木ママのような教育評論家ではない私の口からは言うことができませんが、

なんか「あの人」って聞くと違和感や距離感を感じるときがあります。

「人」と「子」の温度差も影響しているのでしょうかね。

日本語のチョイスは本当に微妙ですが、

いろいろな意味が含められる可能性をもっていて素敵だなってなんだかんだで

結局日本語すげーってところに収束してしまいました(笑) 究極の駄文w


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2014
07.29

悔しさから始めるのが勉強

Category: 雑記
さて、ワールドカップが終わってから2週間ほど経ちましたが、

ドイツ出身のお友達が言っておりましたが、

ドイツではまだまだ優勝フィーバーは続いているようです。

そして、ルイス・スアレス選手がバルセロナへ移籍したという報道を始め、

様々な選手のサッカー市場宣戦も勃発しておりますよね。

一方日本はというと、

コロンビアに惨敗してからサッカーの報道はかなり下火になっていますが、

早速ザッケローニ監督からアギーレ監督へバトンタッチする雰囲気を醸し出しておりますね。

なかなか切り替えが早いと言ったところでしょうか。

もう4年後の闘いは始まっているのですよね。甲子園みたいですね。

そして、話題の的となった本田圭祐選手はというと、

なんかよくわからなくなっていますね。報道でも出てこないぐらい、

彼はへこんでいるのかもしれませんね。

でも、私はグループリーグ敗退決定後の会見での彼の言葉には好感を持っております。

彼は「負け犬がこんなことをいっても何にもならないが、優勝にはこだわりたい。

自分はこの生き方しかできないから」っていうようなことを言っておりましたが、

批判を受けとめて、

それでも自分の理想を貫くために頑張ろうとしている彼の意志には

学習できるものを含んでいたように思います。

開拓者は常に揶揄されますし、孤独なのですよね。

私はそういう本田選手を陰ながら応援したいですねー。



こういう姿勢ってなかなか人間、人に見せることができません。

本当に悔しいと思っているからこそ、

そして本当に理想を突き詰めたいと思っているからこそ、

こうやって感情がむき出しになるんですよね。

こういう気持ちは、何かを成就するためには必要です。

0からでも頑張れる強さを持っている本田選手を、

受験生は見習ってもいいのかなって思います。

結果とかわからないですよ。本田だって4年後にHONDAになっていないかもしれません。

でも、彼はそういう恐怖をきっと持っているでしょうが、

それでもそうなるために4年間また闘おうと勇気を振り絞っているなんて、

素敵じゃないですか。

彼はきっと成長していくんだと思います、サッカー人として。

相手に負けたと心から思ったり、自分自身に負けたという悔しさがわからない人には、

大きな成長はおとずれません。

本田選手ほどのビックマウスは必要ないですが、

彼のような「向上心」と、

「負けてもやるぞ、いや絶対に勝つ」という「がむしゃらな姿勢」は持っていてほしいですね。

それがわかって、受験生になるといっても過言じゃないでしょう。

みなさんはもう受験生になりましたか?

なってない人は、

一回ここで模試などを受けて、全国の学習者と勝負をしてみてはいかがでしょうか。



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2014
07.28

一発逆転はありますよ、ちゃんとやれば?

Category: 雑記
今年のFIFAワールドカップをもちろん観戦しましたよね?

まあサッカー好きでなければ、日本戦ぐらいはみましたかねー。

いや、もしかしたら早朝に中継でしたから、

せめてニュースでハイライトぐらいは見ましたよね(笑)

まあ別にみていようが観ていまいがどちらでもいいのですが、

私はサッカーをやるのは嫌いですが、サッカーを観戦するのは大好きです。

その中でも、

今回のワールドカップで私はコスタリカとコロンビアの大躍進には魅了させられました。

まあコロンビアの下馬評はなかなか高かったのはいいとして

(でも、それでもハメス・ロドリゲスが

あそこまでヒーローになるとはだれが予想したでしょうか。

ウルグアイ戦で魅せたボレーシュートはおそらくW杯最高のシュートといってもいいでしょう。)、

コスタリカのベスト8にはビビりました。

ニュースや専門家の話では

コスタリカはグループリーグ敗退がほぼ確実と言われていたのにもかかわらず、

そのコスタリカがいたグループで敗退した国は何と強豪国のイタリアとイングランドで、

しかもコスタリカはまさかの1位通過ですからね。

びっくりでした。

しかも、ギリシャにPKで勝ちましたし、

ベスト8でオランダにもPK戦で負けたというだけで、

試合内容としてはそこまで強豪に引けをとらなかったことが窺えるわけですよね。

いやー、あの攻守の切り替え、formationの切り替えのうまさには脱帽です。

練習してきたものが実った証拠ですよね。素晴らしい。

一方、日本はあれだけベスト8に行けそうだとメディアでは言っていましたが、

実際にふたを開けてみたら惨劇が待ち構えていましたよね。

とまあ、下馬評なんてそんなものです。メディアの評価なんてそんなものです。

普通の勝負だろうが大舞台の勝負だろうが、勝負に絶対はありません。

これは受験においても同じことが言えますよね。

W杯までの道のりって受験の構造に類似する部分がいろいろあるなと思いました。


実際に模試でハイスコアをとっていても、その問題になれすぎているだけで、

実際に本番になるとパニックになる学生なんて星の数ほどこれまでいたわけですよね。

逆に、現役の時の私のように模試はあまりよくなかったけど、

本番ではなんとかなった人もいます。

とまあ、とかく模試の判定に惑わされて一喜一憂しても仕方がないんですよね。

勝者が1つであるようなW杯ほど受験はシビアではないですが、

周りの声や一時的な結果に惑わされずにやることをやるという意味では、

受験もワールドカップも対して変わりません。

淡々とコツコツ平常心でやっていれば、結果は出てきます。

コツコツやれなかった学生はフィーバーしたいときにフィーバーできません。

わが軍の多くの学生はこの大番狂わせが大好きというか、よく起こります。

まあ、普通の受験生よりはやっていますもん、量だけは。

一発逆転や大番狂わせは絶対に受験でもあり得ることですので、しっかり準備しましょうね!

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2014
07.27

苦手なことから逃げると伸びは消える

Category: 雑記
夏真っ只中ですが、受験生の皆さんはいかがお過ごしですか。

夏休みといえば、花火大会がありますし、

BBQがありますし、海でばちゃばちゃがありますが、

受験生にはそんなものはもはや幻想ですよね(笑)

まあこの夏をどう乗り切るかですべてが変わるといっても、過言ではないでしょう。

では、人々は夏にどんなことをするのか。

この時期にやれることの1つといえば、苦手教科克服ですよね。

私はどちらかというと、得意教科の実力を伸ばすことを促すことが多い、

超攻撃型人間な部分がありますが、

苦手科目をないがしろにしていいとはいっておりません。

まあ何事にも最低限できなければならないっていうのはありますよね。

私も受験生の時は国語が大の苦手で、現代文と古典はかなりてこずりましたが、

さすがに夏には現代文を1日1本読んで、

古典も文法書と講読書を1冊ずつ終えておりました。

まあそれでもなかなか苦手克服とまではいかないのが現実なのですが、

better than nothing!

苦手科目はできるだけ無くす努力をしてほしいとは思うんですよね。


我が軍でも英語が苦手という学生は多々います。

というか、今年の学生はその巣窟ですね(笑)(いや、毎年かw)

とにかく、

理数科目が得意で英語をないがしろにしてきた学生が集まったと言ってもいいでしょう。

そういうやつらの中にも、

英語はとりあえず「長文っ!」とか「文法っ!」ってものを

テキストで機械的にはやってきたと言い張れる学生もいます。

しかし、そういう月並みの連中というか、受験勉強に特化した勉強をしてきた学生にとって、

私の授業で扱うような問題を解くよりも長文の要約をさせて

文の流れを捉える練習ばかり与えられるのはかなり苦痛なのでしょうね。

学生たちはまあ要約ができませんねー(笑)

すると、ある学生(ある意味熱心な学生)がこう切り出すことがあります。

「先生、要約の問題なんて出ないのに、

なんであんなことばかりするんだよー。問題解こうよ。」

まあもちろん問題を解いていないなんてことはないのですが、

大手予備校に行っているととにかく問題を解かされるので、

解かないと不安なのでしょう、要約だけですと何か物足りなく感じるのでしょうね。

でも、そうやって言ってくる連中ほど、

好きなことしかやってないんですよね。

要するに要約が嫌いだから、要約やる意味がないと思い込んで、

それから逃げようとしているんですよね。

要約だけやっていると、

確かに入試問題が解けるということに直結するわけではないのは一理ありますが、

やはり文の流れをしっかり追えてまとめられる読解力を作るためには、

要約やある内容をまとめる記述問題の方が実力養成においては適しているように思います。


こう好きなことばかりやって、

苦手なことから逃げ回っている学生は視野が狭いんですよね、物事を捉えるという意味で。

例えば、和訳もある領域を超えなくなるんですよ。

ある短文そのまま抜き出された和訳独立問題ですと和訳がきれいにできるのに、

長文の中の和訳になると一切内容が取れなくて、ダメダメな和訳になるとか、

とにかく全体像を把握できない力が出来上がってしまいます。

これは同時に英語の問題においてだけでなく、

他の教科のバランスに関しても同じようなことが言えます。

1つ~2つの科目が良くても、1つの科目が全然だめだから、

結局合格から遠のく。

私立3科目の試験であれば若干カバーできるかもしれませんが、

前にも言ったかと思いますが、

医学部受験で2科目できないとなるともう合格は無理でしょう。

何事もやっていることは将来意味があるもの、

受験生でしたら合格に繋がるものだと思って物事をこなしていかなければならないです。

今年はとにかく、こういった好きなことしかしない学生を多角的な思考を持ちながら

受験を制する人間を創り上げてやろうと思います。

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2014
07.26

並び替えはひらめきです。

Category: 雑記
我が軍では並び替え問題をたくさんやっております。そうですね、

おそらく1年平均で並び替え問題を解く量は、最低700問~1000問でしょうか。

今年はそれを少々上回っております。

とにかく一緒に並び替えをしながら、構文と品詞の理解を深める努力をしております。

しかし、なかなかぱっとできるようになりませんよね。

ある程度文法を頭の中に入れてきた学生でも、

並び替え問題が苦手であると思う学生は少なくないと思います。

確かに難しいし、こんなんやっていて何の役に立つのだろうかと思うこともしばしば…

どうせいなら英作文にすればいいのにって思います。

しかし、おそらく試験問題を英作文にすると生徒は解けませんし、

採点する先生たちも面倒くさいのでしょう。

並び替え問題というのは、学生と先生お互いの仲介点を見つけた上で

出来上がった出題形式なんだと勝手に思っております(笑)


とまあ、文句を言っても覆ることがないのが入試問題なわけですが、

ではどうしたら並び替え問題をスムーズに解くことができるのか。

この答えを1つ挙げてみたいと思います。

いろいろあるかと思いますが、

私は並び替え問題というのは英作文の1つの形式と捉えております。

だから、英作文同様に単語を知っているのはもちろんですが、

それ以上にひな形を必要とする問題形式だと考えます。

つまり、並び替え問題を解き抜くためには基本英文をはじめとした英文をたくさん覚えて、

単語をみながらその骨格になる文のイメージができる力、

すなわち「ひらめき」が必要になってくるというわけです。

数学の問題を解くのに似ております。

どの用法を用いるか、設問の与えられた内容を考えながら解法を思いつくわけですよ。

この力がない学生は単発で知っているものをつなげて、

ごり押しするしかないでしょう。

しかし、それだとものすごく時間がかかり、アウト―ってなりかねません。

センターレベルであればいいですが、結構痛い目みますよね、並び替え問題って。


というわけで、英文を覚えるということは少し英語を学習する場合には気を付けましょう。

講師の中にも例文が思い浮かばない方がいますが、あれはなんででしょうね。

さすがに講師で200~300ぐらいの例文がぱって浮かばないのはまずいでしょう。

先日、模擬授業を聴いていて、少々講師としてなめていると思い、

その方に一言申してしまいました。

すみません、きつかったかなと少々反省です(笑)


で、よかったら並び替えの問題を50問ほど差し上げます。答え付きで。

必要な方はご連絡ください。ただで結構です。解説もついています。

微力ながら受験生の手助けになったら幸いです。

ちなみにわが軍は

このオリジナル並び替え問題を500問こなしているorすでにこなし終えたという具合です。

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2014
07.25

そのときに気づかなければ忘れます。

Category: 雑記
テストや宿題や授業等、一度終わった後に皆さんはどうしておりますか。

大半の学生は、「1度やったからいいやー」ってなって、遊びに行ってしまったり、

とにかくやったことをないがしろにして時間を過ごしてしまうのではないでしょうか。

まあそうではないにしても、後回しにして、

長い間放置してしまうということはよくあることでしょうか。

我が軍にもこれをする学生はたくさんいます。毎朝単語テストを行っているのですが、

朝の時間に来ないでテストはうけていない……

100歩譲って、そのテストをその日のうちに出すように指示しても、

いろいろ言い訳をしてその日にテストを出さないで終わってしまうという傾向があります。

そしてこれが累積していくわけですよね。

これについてはさすがに激怒をしているのですが、

一過性に終わる場合も無きにしも非ず、うーん、難しいですね。

こういう何かを溜めてしまうのは非常によくないですね。便秘と一緒で体によくない。

特に無限に時間があるなーって思わせてくれる今真っ只中の夏休みでは、

気を付けてほしいですね。あとでやるあとでやるって思っていたら

あっというまに8月ですし、すぐ9月がやってきます。

受験生にとっての夏休みは刹那に感じることでしょう。

いくらやっても時間が足りないと思うのが普通の受験生、

時間の膨大さを感じさせる夏休みの罠に引っかからないでくださいね。

緻密に計画をたてて、それにまっしぐらになれる学生が夏を制します!

とにかくやることはその場で気づいたら、すぐやる。

頑張りましょう。
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2014
07.24

エネルギーを感じると言われるとうれしいです。

Category: 雑記
先日、家庭教師から帰るときに、

ご父兄の方に「先生はエネルギーを感じますよね、いつも」って言われ、

私は非常にうれしかったです。

また、お問い合わせメールでも同じようなことが書かれていて、うれしかったです。

何がそう思わせるのかよくわかりませんが、私の指導を受けている学生の親御さんや

私が普段プライベートで付き合っている人も、私の彼女も

バイタリティにあふれた人ばかりです。しかも、かなり変わっています(笑)

類は友を呼ぶのでしょうかね(笑)

まあ正直言いますが、私のブログを読んで指導を決定する方は

よほどの覚悟を持っていたり、インスピレーションを感じたりできる方だと思っているので、

いい意味で普通ではない方がだと思いますし、そういう人にお会いできたことに誇りもあります。

私の周りは特に経営者の方が多いです。

お店の名前等はプライバシーの関係上言えませんが、

大企業の重役のご子息や病院経営はちらほらいます。自営業の方が多いですね。

こういう方々の共通点は、むき出しにするしないを抜きにして、

バリバリにやっていられるということでしょうか。とにかく、「はっ、うちはできますけど!?」

と気迫を感じることはしばしばで、私もどちらかというとそういう方の人間なので

ものすごくお話がしやすいです(笑)

これは、きっと自分が「何か教育で変えたいな」とか

「多くの人に英語でのお悩みを解消できないかな」と思ってから動き出したことで

それを常に邁進してきたことで、こういう方々が多く集まったのかなと思います。

要は、自分で何かをしようとしないと、何も始まりませんし、

そういうバイタリティに富んだ人は集まってこないんですよね。

予備校にだけいるとこれがわかりません。予備校はただ授業をして、生徒の気を遣って、

受験の分析だけをしている、受験生養成マシーンのように動いている存在でしょう。

実際に私が予備校にいる時もそういう状況にならざるを得ないわけで、自覚しております。

でも、それだけだと生徒との接し方や生徒のニーズについて発見がありません。

だから、生徒のトータル面をみることができるようになるために

個別指導をしながら修行しているわけですよね。

こうやって何か自分で動いていくことで初めて、こういった動きに肖ろうと思い人が集まるんですよね。

この構造は岐阜県にあるおちょぼ稲荷がそうですよね。

あそこはとにかく人が集まっており、力がある場所ですよね。

力をもらうためにあそこに毎月訪れる方も少なくないです。

(逆にあそこは力がない人はいけないってのもある。なんか圧倒されて疲れてしまう。)

私のもとに集まる方の多くは、おそらく自分で何かをやってみて、

そのことを成就するまでにものすごくご苦労と努力を積み重ねた方で、

それがたまたま経営者に多かったのでしょうと勝手に分析しております(笑)

そして、ブログを熱心に読んでくださって、何か思い当たるふしを得ていただいた方とは

本当に稀有で大切にしたい出会いだなと思っております。本当に感謝の一言に尽きます。

私の指導のウリは英語力を養成するとか、勉強する習慣をつけるというよりも、

この推進力を手に入れることなのかもしれませんね(笑)

(⇒これはあまりよくない(笑)

  その推進力が英語力に直結するようなことをもっと真剣に考えよう(笑))

まあとにかくこの推進力を手にすることで、全教科に影響できる指導はいずれできたらと思います。

これは家庭教師をしていて思ったのはもちろんですが、大学教育においても大事なことだと

最近大学生を教えていて考えさせられました。(だって大学生はやる気がなさすぎるもん(笑))

そして、まずは英語に派生させられるように頑張っていこうと思います!
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2014
07.23

「あ、じゃあ」というセリフを吐く学生

Category: 雑記
授業をしているときによくある光景です。

というか、昔から気になっていたので書いてみます。

ある生徒に「これってなんのことを意味しているかなー?」とかなんとか

質問をするとしましょう。しかし、その学生は答えが思い浮かばず、黙り込んでしまう…。

そんな生徒を見かねた私は、その答えに行き着くためのヒントを言うとしましょう。

そのときにヒントを基にして「じゃあ、○○」と答える。

さーて、これはいたって普通の光景のように見えるかもしれませんが、

すごーくヤバい光景です。というか、ヤバいのは生徒の答えに対する姿勢です。

まず、答えを待っているんですよね、学生はきっと。

でも、もちろんそれを分かっているので、答えだけは私から言うことをしません。

それを踏まえて、ヒントを言うようにしているのですが、

そうしたらヒントを待つようになってしまうんですよね。

そして、そのヒントを基にしてしか答えられないんですよね。

だから、「じゃあ~」と発言するようになってしまうんですよ。

つまり、「じゃあ~」という口癖みたいなものは、実は

生徒が何も考えていないで答えているにすぎないことを露呈しているわけですよ。

「じゃあ~」と答える学生は、

実は進歩しているようでしていません。ただ私のヒントを基にして、

または利用して応えられただけで、できたような錯覚を得てしまうわけですね。

そして、これを吐く学生は、「答えられたからできるんだ」と思うがゆえに、

復習などしません。

「じゃあ~」という言葉は、我々の日常会話では「相手の流れに乗る」ということを前提にして

吐く言葉じゃないですか。自分の意志って消えちゃう言葉だと思うんですよね。

よって、この言葉から

「勉強なんて別にしたくないしー」っていう意志表示も見え隠れしているんですよね。

なんて残念な言葉なのでしょう。

学生はヒントなしで、

というかヒントを問題用紙から見出すことも実力のうちであることを知らなければなりません。

ヒントを先生に出された瞬間に負けだと思っていいです。

そして、「じゃあ~」と答えていることは、

教えてもらっている先生にものすごく失礼な言葉なので、発してはいけないでしょう。

甘えが抜け切れない学生によくある言動です。

私はこれを見逃すわけにはいきませんでした。

ちなみにこれを発している学生で優秀になった例はありません。

「じゃあ」という口癖をやめて、自分で考える努力をしろ!って

説教をした学生が過去にいるのですが、

その学生は相当反省し、その日から「質問」にかわりました。

「なんで、~になるの?」、「どうして~には○○が入るの?」

と根拠がわからんから、そこのところをレクチャーしてくれというようになりました。

同時に「答えは絶対に言うなよ!」って付け加えてくれました。

その意識の変化だけで、偏差値が15もあがるんですよ。

その学生はちゃんと早稲田に合格しています。

使う言葉を変えるだけで、人生は一変する例の1つかと思います。

じゃあ、気を付けましょう(笑)
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2014
07.22

指示されたことはしっかりやること

Category: 雑記
言われたことをしっかりこなすって実は難しいことです。

伝えられる側がしっかり聞くことはもちろん、言う側も気を遣わないといけません。

ちゃんと伝えることが我々講師の仕事ですもんね(笑)

学生にはよく指示を出すのですが、なかなか課題をやってこれない学生も少なくないです。

まあやってくるのはいいのですが、自分が意図しているレベルまでやってくる学生となると、

「もとめてはいけなかったね、ごめんね」って言いたくなるぐらいに少なくなりますね。

ちなみにある医学部受験上位受験生たち8人のうち、

私の意図をしっかりとらえて課題をやってくる学生は1人でしょう(笑)

そんなに難しい課題や難問を出していないのですがねー(笑)

それぐらい実際に伝えるむずかしさもあり、理解する難しさもありますよね。

でも、東大の問題をみていると思うことがあるのですが、

東大の問題って注意書きが結構ちゃんと書かれているんですよね。

特に数学とかってしっかり注意書きが書かれており、

それを読まずに独自の方法で問題を解いているとダメになるようにできているんですよね。

要は、「東大には注意書きごときの縛りを読めない・わからないやつなんていらない」って

言っていることになるんですよね。だから、東大に合格している学生はよっぽど天才かキチガイか

ちゃんとしている学生しか入れないんですよね、きっと。

こういう意図を捉える力をつけるのも我々講師の仕事ですよね。

東大がいつも問題用紙に書いている設問一つ一つに隠れた意図があるんですよね。

難問というよりも、しっかり質問に答えられますかっていうことを促しているように思います。

英語ではこういう意図を読む訓練や指摘を私の授業の中でしております。

それは設問がこーだあーだって言うレベルではありません。

ある英文を読んで、「作者はこういうことをおおむね伝えたいんだよ、

そのためにこういうロジックや単語を使っているんだよ」ってことを徹底的にやっております。

そのためにはまずテキストを多読することなり、例文を覚えるなり、

構文や文法を叩き込むように努力している次第です。

全部ちゃんとやってはじめて問題が解けるようになるのですよ。

高度な意図がわかるためには、いろいろ知らなければなりません。

そのための知識をわが軍の学生には容赦なくたたきつけている状態です(笑)

学生は講師が指示していることをなぜこなすのか、考えてみて下さい。

そして、無駄だなーって思うことをなぜするのかも考えてください。

それでも納得しない時は、先生に意図を尋ねるといいですよ。

ちなみに私は先日ある学生から

「僕は要約問題が出る学校を受験しないのですが、どうして要約の授業やるの?」

って言われたので、逐一要約とその学生の英語力養成に繋がることを弁論してきました(笑)

その学生はきっと面倒なことをしたくなかったんでしょうね。

渋々認めながら、自習室にもどっていきましたねー。いやー、意図があるから、物事には必ずね。

というわけで、学生はできるかぎり理不尽でない指示をこなしましょうね。
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2014
07.21

結果と向き合わないと進歩は望めない。

Category: 雑記
そろそろいろいろな模試の結果が揃い始めるころでしょう。

我が軍の多くの学生が4月よりも偏差値が最低10は上がっております。

(偏差値65以上の学生は最低5ぐらいはあがっているかなー。)

とにかくよくやっている学生が多く、私としてもうれしいです。

しかし、もちろん必ずしも思ったような成績が出ているわけではありません。

実際に勉強していても、「僕の結果ってこんなものか」って

落ち込んでいる学生も少なくありません。

それが原因で、生活が乱れている学生も少なからずいるんだと思います。

この時期、模試の結果を手にすると、

1、模試の結果をみて、どのように夏を過ごすのかを分析する学生と

2、とりあえず今回が悪かっただけだと現実逃避をする学生

に分かれるのが窺えます。

後者はもう論外。結果を見ずして成果を出すなんて、言語道断。

コンパスを持たずに山の中をうろうろするようなものですよね。

どんな結果を目のあたりにしても、それを受け止めて、

尋常ではないスピードでこなさなければならないものだったり、

苦手分野を克服するプランニングするのが、デキル・合格する受験生です。

現実逃避をするぐらいなら、受験を諦めてAO入試でも受けたほうがいいですよ。

そして、Fランクの学校にでも行けばいいんだと思います。(今日は厳しい(笑))


一方、前者はもちろん問題ないように思いますが、

結果ばかり目で追ってしまうことを注意してほしいですね。

模試でいい結果が出てしまって、

数字だけ追っていると、「あ、なんだー結構できるんじゃん」と思いがちですが、

分野別でできなかった部分を分析することを忘れないでくださいね。

自分で判断できない場合は絶対に近くの先生に相談したり、

意見を求めたりすることを所望します。

この時期のプランニングは秋以降の勉強生活に影響を与えます。

現実を見てください。怖くても見る勇気があって初めて、受験生と言えるんですよ。


しっかりプランニングして、夏の天王山を乗り越えましょう!


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2014
07.20

朝の生活を変えようと努力する人々

Category: 雑記
私の大学院のときの指導教官がよく言っていたことですが、

「朝は起きてしまえばどうってことはない。朝起きてしまえば、なんとかなるものだ。

大事なのは起きる、つまり布団の上から立ち上がってしまえるかどうかだ!」

私は指導教官が嫌いでしたが、

それでもいくらかまともなことを言っているなと思い、逆らいはしませんでした(笑)

そんな語録の中の一つです。


さて、我が軍は朝が弱い学生が結構います。

去年から通っている学生も浪人が二年目、3年目突入したというにもかかわらず、

平気で遅刻してきます。申し訳なさもなくですよ…。

でも、そういう学生の多くの特徴は、成績がイマイチ振るわない、

もしくは以前の成績より上がっていないという状況でしょう。

まあ朝が起きられないからといって成績が下がることはないし、

朝起きれたからといって成績が上がるというわけではないですが、

朝を有効に使おうとする学生の多くは、

費やす時間がない中で工夫している学生なのでは?…とは思ってしまいます。

万年遅刻していた学生の数人が、「さすがにやばい」と言い出して、

朝早起きして、1番ノリで予備校にきて、学習しようと頑張り始めています。

その学生の一人がこういっていました。

「さすがにヤバいって思ったのは、効率が上がったせいか、

なんか生活というか時間が無限にあるように思えて、無駄に過ごす時間が増えたんですよね。

だから、朝律して、夜は夜更かししないで勉強する努力をしようと思いました。

目標は名駅のモーニングを制覇することですね(笑)」

まあいいのではないでしょうか。なまじできるようになると、

やらなくてもできるじゃんと錯覚を起こしがちなんですよね。特に多浪してくると、

知っている問題が増えてきて、変わりばえがないし、勉強しているのかなーって思いながら

ぼけーってしていることも多いかもです。でも、そうしていると成績はあがらない、

やばいなって思うんですよね。

そこで生活を変えようと思ったのが、朝起きるということなのでしょうね。

口酸っぱく遅刻するなと言った学生も朝来るようになりました。

やはり人生変えるためにも、

何か生活の1部分を変える必要があるかもと思ってくれたのでしょうかね。

今のところはしっかり朝遅れずにくるようになりました(笑)

こんな初歩的なことが20歳すぎても大学生になってもなおらないとなるとまずいですよね。

私も高校の時は遅刻200回を記録したことがありましたが、

意志を持って遅刻していました(笑)

「高校の先生に教えてもらうことなんてないから、俺は行きたいときに高校に行く。」

なーんてほざいていました。やめちゃえばよかったと思う時もあります(笑)

今思うとばかだったなーって思いますが、

それでも大人になれば遅刻はまずいと思うものです(笑)歳をとりましたな、私も。


さーて、学生たちは果たして早起きがどれだけ続くのか、見ものですね。

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2014
07.19

遊びつくして暇になったから勉強する

Category: 雑記
「先生、僕は遊びつくしたから今勉強しているんだと思います。」

おーおーすげーこというじゃねーの。

「何やってきたのよ?」と聞くと、

「高校生的なことはすべてしてきました。中受で勉強したし、

そこから麻雀、賭け事、部活、スポーツ全般、バイト、女遊び、花火、男の悩み、ファッション…」

まあ挙げたらきりがないのですが…、っていうほど高校生生活を謳歌していたそうな。

まあ羨ましいですね。

私も高校はいろいろして濃い3年間でしたが、勉強から離れた日はあまりなかったですかね。

遊びほうけなかったという意味では、彼より私の方が社会的だったように思いますw

しかし、人間らしかったのは私よりも彼だったように思います。

最後の最後に選択肢がなくなって勉強にたどり着いた……

これは実は理想の到達プロセスですよね。

何かに挫折して、見返してやろうという動機で勉強する人は結構いますが、

全部やった末に残ったのが勉強だというのは幸せなことですね。

部活動を3年間悔いなくやってきた奴とかを含め、

そうやって全力で何事も取り組んできた学生が勉強をすると

その学生たちの勉強の伸びは全然違います。

その瞬間を一生懸命に生きている奴には敵いませんよね。

むろん、例の発言をしてきた学生はものすごく勉強をしてきます。

「俺は英語だけなぜかできないもん。勉強したないもんなー。

先生課題出して。潰すぐらい出してください」と

何かをやりきった学生は量に圧倒することは少ないでしょう。

というわけで、容赦ない課題を突き付けて頑張らせております。

中途半端に勉強してきた学生に膨大な量を与えると、引いて勉強しなくなるときがあるので、

それに比べて考えると、やりきったことがある学生は根性ありますもんね。

私自身も物事を貫徹することを生きがいにしているところがあるので、

彼らの気持ちがわかります。

ちなみにその学生は、医学部受験校は3校で、すべて高レベルのところ。

そこまで貫徹しちゃうの。思考までかよー。

まあそれぐらい度胸があるのは素晴らしいですが、

人のことになると私はビビってしまうので、

1校だけは滑り止めみたいなところを受けさせます!(笑)

今日遊べ、そして今日学べですな!

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2014
07.18

(サブ科目の処理の仕方)センター試験の勉強で大事なことを1つ挙げるとすれば…。

Category: 雑記
さて、この夏にセンター試験の勉強をする人はまだいませんかねー。

我が軍の学生達にもセンターの過去問を解かせておりません。

まあ、この時期にそんなことをしなくとも

まだまだ夏の時点では基礎力をつける勉強に傾倒させております。

基礎力を確認するためにセンター試験を利用することがあっても、

戦略を立てた話はもちろんしていません。

しかし、国立理系+国立医学部でしたら社会、

国立文系でしたら理科の科目だけはセンターの詰めをさせております。

まあこの時期のように学生が自由になる時間がなければ、

面倒であまり重要視されない科目をまとめることはできないですよね。

で、センターって傾向を掴むことが大事になってくるので、

1日に全教科をやるのはだめなんですよ。

ここでセンターの過去問をやるにしても、

それに準じた問題を解くにしても同様のポイントがあります。

それは、1日1科目!とにかく10年ぐらい解き抜く!!

すると1週間で10か年分ぐらいできますし、その日にその科目の要点をまとめやすくなります。

1日に5教科やろうとすると、ポイントもおさえられないし、なんか間延びしてしまうんですよね。

というわけで、夏のサブ国立科目は学生たちに夏休みの間に50回分は解かせます(笑)

私は苦手な理科をこうやって短期間で作り上げました。しかも理科2科目。

苦痛でしたが、仕方がないですよね、受かりたいのですもの(笑)

センター試験突破はいかに早い時期に理科社会終わらせられるかにかかっています。

特に国立医学部を目指す学生にとって、

社会に傾倒するのは今の時期しかありません。まだな人はせめて基礎事項は創り上げましょう。


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2014
07.17

方法論を探しているだけな人は抜け出したときには地獄絵をみる。

Category: 雑記
さて、そろそろ学校は1学期を終える形になりますかね。

夏休みがやってきます。この時期に考えてほしいのは、

「もう勉強してますよね?」「もう勉強するべきことをちゃんと考えてありますよね?」

「もう各科目の勉強方法はわかっていますよね?」

ということ。さすがにどうしようかなーって悩んでいる人はいないかと思います、

いや、そう信じています(笑)

まあ一通り基礎事項が終わって、もうワンステップ踏み出すという場合でしたら、

話は別ですよね。細かいところまでできて、且つ演習問題に突入できるのであれば

それなりにやり方を講師の方々と考えますよね。

でも、私は先日ある生徒からこんな質問をされて耳を疑いました。

「先生、英語ってどうやって勉強すればいいのですか?」

いやいや、もう6月終わりですよーっていう時期に言われたので、吃驚しました。

6月を終えると模試の結果が返ってきて、他の科目との兼ね合いや、

自分の現時点での実力がわかりますよね。

それをみてその質問をした彼は悩んでいたのでしょう。

しかし、どんなに点を取れなかったとしても、それはマズイ。

「どうやって勉強するんですか?」という質問をする人の多くは、

先に言われていた方法を全うせずに不安を持って勉強してきた学生でしょう。

今お話ししている生徒とは別生徒が、

「今の説明重視スタイルよりも、もっと型ハメにしてほしい」と考えているようで、

私のところに相談に来ていました(今年の私の英語は結構型にはめることをしています。)。

でも、実際にその生徒を担当している先生とお話をしていたのですが、

その学生が基礎事項をおろそかにして、やることをやっていなかった学生だったことがわかり、

甘えているだけだったわけですよね。

そして、その学生は他の科目も同じように方法論を聞いて勉強しているわけですよね。

うーん、ダメですよねー、方法論と参考書の浮気は。


先日、このように方法論を問う生徒たちのことを考えながらコンビニに入ってみると、

ある週刊誌のなかに、「年収200万から抜け出せない」という記事が私の目に入ってきました。

ちょっと読んでみると、

万年年収200万の人は「自分のやり方にこだわっている」人らしいということがわかりました。

まあ自分のやり方を持つことはいいことですが、週刊誌で言いたかったことはきっと

「ただただ自分のいいと思うものを取り入れて楽をする方法がまずい」ということなんですよね。

私も正直やりたい放題やっている部分はありますが、

要所要所で努力と時間を要するときがあると割り切って、

回り道してでもやる雑務はしっかりこなします。

このずぼらな私でさえもそれをするのですから、

やっていない人はよっぽどダメなやつなのでしょう。

(さすがに目標を持っていても努力をせずに年収200万はまずいでしょう、30越えたら。)


で、これを読んだ後に思ったのが、

「これって偏差値や模試のスコアも同じこと言えませんかねー」ってことです。

「万年偏差値50、万年得点率65%以下」というのは、

いろいろ理由はあるかと思いますが、そのなかの1つとして

自分にあったやり方が見つかるまでいろいろ話を聞いて模索している人が

陥る状況なのではないかと思います。

あるやり方を終えて初めて自分に合っていたかどうかがわかることが大半です。

例えば、ある単語帳を一通り覚えて初めて、

他の単語帳は必要かそうでないかがわかるのと一緒で、

勉強すべき試金石がなければ、いつまでたってもやり方を変えてもダメです。

つまり、「どうやるんですか?」と聞く学生は、

自分で考えた勉強法をしたことがなくて、

できるだけ、いや全く痛い目を見ずに、うまくやれるかどうかを探っている

「うわべはまともにみえるが中身はハイパーずぼら」学生で、

高校に入ってからどんな小さな単元でもいいから完遂したことがない学生

なのではないかと思います。

まずは何でもいいからやってほしいですね、一度完璧に。

それから文句を言っても遅くはありません。

こういう学生にとっての夏は、「ある単元を、またはある科目を完遂すること」

という目標設定した夏であることを祈っております。

方法論なんて何でもいいのです。巷のやり方を聞いて、

一度3か月ぐらいそれに沿ってやったら、自分の勉強スタイルなんて見えてくるものですよ。

私もある女性の英語の先生に「説明重視でいきます」と言われて、

それに従いながら文法書を読みながら勉強していましたが、

進みは遅いし、基礎文法ばっかでできた気がしなくて

「あーダメだ。俺に合わない。とりあえず全部重要なものを覚えて、

それから文法書を読んだ方がはえーわ。先生は悪くない、俺が頭悪かっただけだ」

って割り切って、暗記先行型の勉強に切り替えて、

そのあと文法書を熟読したら大方わかるようになり、

1年経ったらみんなとは違うゴールにたどり着いていました。

一緒に勉強した所属英語クラスの人々は

「偏差値55ぐらいの平均値組」、私は「偏差値75で英語変態クラスへ大移動」。

そんなものです。あるセオリー的なやり方にそったり、

先生に言われたことだけをやっていたってできるようになりません。

与えられた方法を基に自分のやりかたへカスタマイズすることが大事なんですよね、勉強って。

人のやり方が全部ハマったら、むしろラッキーか奇跡。

方法論の重みとはそれぐらいであってほしいと思います。
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2014
07.16

科目数と実力と時間の問題。

Category: 雑記
先週から予備校で行われた模試の結果を踏まえて、

模試の総括と学生の勉強方針を決めるためのミーティングをしていきました。

ものすごく成績が上がった学生もちらほら。

でも、まだ詰めが甘いなーって思うところもしばしばみうけられました。

そんな中、壊滅的に悪かった学生もいないわけではないです。

7月の時点で、3教科or医学部だったら4教科のうち、

2科目以上が半分以下の実力(スコア的には60点or偏差値的には55ぐらい)だと

正直自分が目標にしているところに合格することからは遠のきます。

たとえ夏に一杯やると言ってもたかが知れており、

平凡にやってきた学生の力に追いつくレベルに到達するのが大半で、

ここから実力をあげるためにはよほどの努力と理屈じゃない頑張りを要します。

こういうスコアに陥ることに以前はびっくりしていたのですが、

最近こういう生徒をみすぎたせいか、やり方に問題があるとかそういう問題以前の問題かなと

思うことも増えてきました。

一つ挙げれば、1年で4科目を仕上げるなんて正直無理です(笑)

というわけで、学生に与えられた時間を考慮してもどうにもならないときがありますよね。

(まあそれでも高校3年間あったのに何もしてこなかった学生が悪い!と思っています。)

さて、ここで問題が生じます。

1年で4科目を仕上げなければらないという状況になったときによぎるのが、

今年までに入学するのであればどういうスタンスで勉強させるか、

浪人を視野に入れるのか。こういう状況に陥った時には

現実と立ち向かってこの2択を考えなければなりません。

さーてどうしますかねー。

こういう生徒がいる場合、私はもう4科目であったら2科目はごまかすことを考えます。

そう半年で2科目を完成させよう!という目標に切り替えます。

ものごとを整理してあげて、高校生活をそれなりに送っていた学生であれば

なんとか2科目を仕上げることができるでしょう。

残りの1科目or2科目は学校の授業を返上してやるなり、

隙間の時間で処理しなければならないでしょう。

または科目数を減らして受験することができる学校を選んだり、

センターを目指して形式練習でごまかせる試験方式を選ぶしかないですよね。

2科目を完璧にする努力をしていれば、

万が一浪人したとしても、科目にかかる負担は減りますよね。

目指すところによりますが、大方2浪まででそれなりの大学にはいけると思っております。

そうやって計画的に勉強できないのであれば、よっぽどその大学に縁がないのか、

お勉強をちゃんとやるための、話を聞く力とか、ドリルをこなす力がないという

基礎体力の問題になるかなーって思います。要は今までで培ってきた実力の問題ですよね。

これに悩む学生も少なくないですよね。

私は申し訳ないですが、「やる気がない」と「壊滅的にできない」

(四則計算ができない+アルファベットが書けないなど)が2つとも同時に存在する学生を

みることをお断りしていますが、これから講師として

これを何とかする方法は考えたほうがいいのかもしれませんね。って最近思い始めています。

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2014
07.15

話を聞いていない人たちの末路。授業で大切なこと。

Category: 雑記
先日、私はある公共の施設でお料理教室と言われるものに参加してみました。

スリランカカレーを作る教室です。率直な感想を言うと、非常に勉強になり、楽しかったです。

そして、手でカレーを混ぜて食べるうまさを知りました。

しゃびしゃびのカレーは手で混ぜながら食べたほうが絶対にうまいです!

混ぜる塩梅は手の方が精度が高い気がします。

さて、こんな日記的なことをここで書いても仕方がないのですが、

カレー教室をしている中でいろいろ見えることもありました。


グループでカレーを作ることになったのですが、

私たちのグループは4人で、私と彼女以外は全く知らない男の人たちでした。

他のグループも5つほどあり、先生が調理室の前の方で説明をいれて、

それに従って料理をします。

まあ我々は順調に言われた手順で料理をするのですが、

グループの中に料理に不慣れな人もおり、

みじん切りの仕方に「そんな切り方があるのですねー」って感動しているのをみたとき、

あ、自分は結構料理をやっているほうなんですねーって思いましたよ。

最低限の知識は何事も持っていた方がいいですなと自身を鼓舞しておきましたw

とはいえ、我々のグループは周りのグループよりも少々進みが遅く、

「なんかやべーな」って焦燥感が漂ったのですが、

あるおばちゃんの先生に対するお話の聞き方にびっくりしました。

先生:「最初にスパイスをいれて、玉ねぎ入れて、水を入れて、…」

おばちゃん:「えっ?最初にスパイスを入れて、玉ねぎを入れて…トマトはどうするの?」

先生:「トマトは水入れた後ですね。」

おばちゃん:「わかった。最初にスパイス入れて、お水入れて、トマトを入れて、玉ねぎを…

        水はどれぐらい?」

先生:「3カップちょいですね。」

おばちゃん:「わかった。最初にスパイス入れて、お水入れて、玉ねぎ入れて…他のスパイスもあるよ?」

先生:「……えーっと」

結局おばちゃんは順番を分からず適当に入れていました(笑)

そして、みんなはそのおばちゃんに合わせたのかどうか知りませんが、

みんなカレーの色が薄めになったのですが、

我々は先生の言われたとおりにしていたら、黒っぽくなり、「うわー失敗かなー。終わったわー」

なーんて悲観していたのですが、先生にみてもらうと、

「あ、これこれ。あなたたちのカレーが正解。みんなお話を聞かないで、先にやるからダメよね。」

とぼやいており、私も先生の苦労を教職者として察してしまいました(笑)

大人が話を聞けないのですから、子供も聴けねーよなっていうのも納得。

お話を聞けないのは、実は親御さんたちのしつけか?と疑うこともありましたw

とまあ、何はともあれ我々のグループはおいしくできて、

うまくいったのでいいのですが、お料理教室の先生も大変だなー。


何かを覚えるためには、正しく話を聞いたり、テキストを読み込むことが大切であることを

こういう一般のお料理教室で学ぶことができました。

また今回は生徒として参加することで、

「教えてもらう」という謙虚さをもって授業に臨む大切さを確認することができました。

この2つがしっかりできれば何事もうまくできるようになるのかなと、

そして、それを明確に伝えられる力を先生は日々磨かないといけないんだろうと

勉強になることが満載な1日でした!

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2014
07.14

中の上の学生が危ないと思うとき

Category: 雑記
さて、夏休みが始まりますねー。高1と高2生の期末テストのスコア等が出てきました。

まあ進学校に通っている学生はまずまずの結果を残しており、

私としてはそこそこ満足ですが、もちろん受験のことを考えると油断はできません。

一方、私の大学の授業の方も前期の成績をつけております。

まあ私が非常勤で指導している大学は全然ぬるーいところなので、

あまり難しいことはやっていないのですが、積極的に答えを書いてくれる学生が結構います。

その学生たちは正直めちゃくちゃできる学生わけではないですが、

しっかり課題に取り組んで自分なりの答えを出そうと努力をしている点で、

評価したいなーって思うことはしばしばあります。

一方、医学部受験生で中途半端にできる学生の方が心配になってきます。

例えば、日々の小テストでいいスコアをとるために、直前だけ死ぬほど勉強をするが

大きな模試になると一向に継続しないがゆえに惨憺たる結果を迎えたり、

とりあえずワークの枠内を埋めて、提出するとか「やった!」と言い張ることがあります。

この傾向が中の上の感じですよね。

怒られないためにとりあえず課題を提出する、先生の言うことを聞く、それをもれずにやってみる。

まあ言葉だけ聞いていると「優秀だなー」って思うのですが、

実際こういう学生たちは、「身につける」ということを中心に物事を考えておらず、

「どうしたら課題を処理できるか」、「どうしたら手間を省けるか」ということしか考えていないのです。

このことに関して、半分は先生たちがそうさせている部分があると思います。

特に中途半端な偏差値の私立中学・高校ですね。

無駄に全教科において課題が多く、

学生たちは「やらないと怒られる、できなくなる」という切迫感に追われて生きているので、

処理する方法が先行してしまいます。

処理する方法に先行してしまっても、頭がいい学生はその中で仕組みを覚えてしまうのですが、

反復を無駄にやっていても問題はできるようにならないのが普通なのですよね。

つまり、処理することだけ考えて、

自分で問題を解く上で着眼点を探すということは身についていないので

いくら同じ問題をやってもできるようにならないのですよね。

特に中学生の時点でこれを刷りこまれすぎてしまうと、

高校でもこの癖が残り、やたら問題集を解いているのにもかかわらず、

スコアや偏差値が芳しくないなんてことはよくあることです。

そして、高校生の時に無駄に苦悩し、

いびつな精神が出来上がって浪人を迎えるたり、大学に入ったとしても、

勉強生活で思った以上に内容が入ってこなく、

遊びに置き換えたりして勉強生活を乏しいものにしてしまうことが多いですかね。

中途半端に先生に従順だったために

中の上の学生たちは自分の意志で問題を解決することができない!

そういうことだけで言ってみたら、

今指導しているFランク手前の大学に所属しているけど熱心な学生や

遠回りをしたが地道に勉強してきたぞという学生や定時制の学生の方がまともかなって思います。

人間らしいというか…。

中途半端な規範にとらわれている学生たちをみているとあまり人間らしくないなーって

気の毒に思う時があります。

勉強はやりたい人がやればいい。やりたいときにやりはじめればいい。

大学受験がすべてではない。医者や弁護士のような権威ある仕事に就くだけがすべてじゃない。

中の上の学生達には、従順にしてきて手に入れた力をどうやって自分で生かすかを考えてほしいですね。

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2014
07.13

追い詰めても、逃げ道は1つ隠し持ってなければ生徒はつぶれる。

Category: 雑記
さて、現在親御さんと面談をしております。

夏に向けて親御さんに

どういう状況であるかはお話をしなければならない時期なんです、この時期は。

そういう位置づけをしてからもう数年が経ちましたが、これは結構いい効果が出ております。

親御さんがどういう状況かわかってから、

親御さんからも生徒に向けてエールを送ってもらえますし、ダメダメなときは叱責が飛ぶと思いますw

とまあ、勉強方法の軌道修正だけでなく、精神的な影響も与えられるわけですね。


そんな感じで学生とミーティングをしたり、

面談をしたりしながら細かく彼らの状況を見ているのですが、

なかなか先生からの苦言や叱責が多いです。それだけ真剣にやってくれているからでしょう。

私は叱責するよりも、どちらかというと生徒の擁護に回っています(笑)

去年とは大違いですね(笑)

まあもちろんやっていない学生は忌憚ない苦言を、

英語ばかりに時間がとられすぎている学生にはバランスに関して苦言を言いますよ(笑)

ただ気を付けなければならないのは、

各教科の先生全員に叱責されてしまうと萎縮することもあるので、

叱責しても大丈夫かなーっていう学生かどうかを見極めなければなりません。

まあそれが大丈夫だなーって思ったとしても、

叱責するためには納得のいく前提があった上での叱責でなければなりません。

理不尽な叱責は誰でも嫌ですからね。

とりあえず、全員で叱責する雰囲気になったら誰かしら擁護役に回って、

最低限の逃げ道を隠しつつも、与えてあげられるように準備しなければなりません。

飴と鞭の使い方を勉強させてもらっているような気分ですね。



とはいえ、怒られるってことは期待の現れです。

正直、

大丈夫かなーって探ってみて、「あ、怒ったら潰れてしまうだろうな」って講師に思われたら

おしまいだと思っていいです。大学受験は全入時代と言われますが、

上位はまだまだ熾烈な争いをしているので、立ち向かっていけないのであれば

成就するのは難しいでしょう。強いハートを作りましょうね!
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2014
07.12

英語におけるモチベーションの維持

Category: 雑記
さて、今年のわが軍の医学部組は結構出来上がっています。

英語だけでなく他の科目も出来上がっている学生もちらほら。

今年の合格者は多そうな予感です。でも、まだまだ油断はできないですよね。

私も気合入れて頑張っています。


さて、そんな順調そうに見えた学生たちにも悩みがあります。

それはモチベーションの維持ですね。

今年は本当に早い段階で出来上がってしまった学生が多く、

3年前の常勝軍団に引けをとらないような集団ができつつあります。

そのときは文系組が多かったのもあり、物語やペーパーバックを輪読したり、

難解な社会学の本とかを訳していましたが、

今回はそこまでの意欲がないのでなかなかそちらへ持っていけません。

残念なのはそういった難解な英文を読めるほどの国語力がないということですよね。

出は今回はっていうと、実は少々手詰まりです。

こういったモチベーション維持は、生徒が努力するのもそうですが、

先生の方も気を付けなければなりません。

簡単すぎてもダメ、難しいというか入試に極力外れないレベルのむずかしい問題を与えるという

ものすごく裁量が微妙な感覚が先生に要求されるのですよね。

今年は天声人語でも週に1回英訳させようかなって思っています。

あれなら日本語の勉強にもなるし、負担にはならないでしょう。

そして、長文は今年紡ぎあげた長文100選をやらせようと思います。

英語においてモチベーションの維持で大切なのは、

難しい長文問題と簡単な長文問題を分けてやることです。

難しいものばかりやっていると萎えますし、そうでないものだと不安感が襲います。

あとはなかなか触れられない英作文なんてやってみるのもいいと思います。

あとは辞書を引きまくっていろいろ覚えて、先生とお話をするとか。

まあ私は365日分の長文を3レベル別で持っているので、問題ないのですがね。

明確な答えは未だに出てきません。

勉強することにおいてあまりモチベーションが下がったことがないので、

というか常に知識や論理を発見しているので、

モチベーション下降する意味がわからないので、

このことに関しては生徒の気持ちが1ミリも組めませんねw

まあなんにでも疑問を持って、常に探究することですな!

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2014
07.11

真面目な奴がバカをみることはしないっ!

Category: 雑記
さて、医学部受験予備校では

毎朝単語テストを決まった時間にテスト形式でやることになっています。

これは結構きついのですが、英語の実力を1年でつけるためのやむを得ない荒行、

受かるためにはなんとかやってほしいなと思っております。


ただこの単語テスト、先ほど申したように開始時間が決まっております。

8:40ぐらいにおこなうのですよ。(正確な時間を忘れたw)

生半可な気持ちで毎日行うことはできないくらい、学生にとってはキツイと思います。

だから、遠方から通ってくる学生の中には遅れてテストを受けられない学生もちらほら。

まあ本来は私はなんでこないんだーって怒らなければならないのですが、

多分私にそれを強制されても、私はきっとできないでしょうからw生徒に叱責できません…。

しかし、私の中には叱責する最低ラインというものはあります。

それはその日のうちの休み時間に誰かが監督している中で単語テストを行うということです。

監督者は教務室にいる先生とかでいいんですよ。

不正しないようにみていればいいだけですから、誰だって一緒ですよねw

それを1日が終わるまでに必ず提出することが最低限の目的。

最悪、1日ずれたら次の日は2枚必ずやるぐらいまでが本当の許容範囲ですかね。

でもですね、ここまで譲歩をしてもできないのですよね。

じゃあ私は知らんふりをしているかというと、そうではないですよ。

怒るときは怒ります。先日、3人ほど警告をし、即刻提出を指示しまして、

そのうち1人が遅れたので、机を思いっきり叩いてブチ切れました。

まあ当然です。これを良しとしてしまうと、真面目にやっている学生に示しがつきません。

公開処刑して当然の結果です。

まあ性格的にまじめにやっている奴がバカをみることを、

みて見ぬ振りできないのですよね、私は。

中には満点を取るために一生懸命前日に覚えているのに、

何でスコアが出てこないんだろう?っていう学生も中にはいます。

現役に近い学生で勉強をしてこなかったけどやったら真面目な学生ほど

こういうできるやつに「なんであいつはテストやんなくていいのだろうか?」

って思うもので、彼らには余計な心配や不審を抱かせたくないのですよ。

真面目にやってばかみることほど理不尽なことはありません。

そして、勉強することで幸せになれる、努力をすれば報われるということを

身をもって感じさせるために、

真面目に勉強に取り組まない学生には容赦なくキレます!!

ちなみに机を叩いて起こったその日、生徒の間でものすごい話題になったそうな…。

(仲のいい学生から聞きましたw)

それぐらい最低限の威厳を出して初めて先生はやっていられるのですかね。

普段はへらへらしている講師である私が、全力で声を上げて怒ったので

相当インパクトがあったようです。

まああまりこういう Rage Impactはつかいたくないですな。

精神的にも肉体的にも疲れますしね。

言われた最低限のことはやってほしいものですね、学生達よ。

真面目にやった(自分で決めた信念を貫いた)やつが最後に勝つのは、世の中の法則だと思ってください。

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2014
07.10

その場で覚える努力

Category: 雑記
ある学生が2週間前にやったことを真っ新にして授業に臨んでおります。

無論、2か月前に授業をやった内容など忘れています。

しかし、その生徒の言動やしぐさからあることに気づきました。

その言動とは、いつもやたらと「自分には時間が足りない。」という言動。

そして、しぐさというか説明をさせてみると、一語一句聞き洩らさぬというよりも、

「とりあえず単語単語だけ聞いておいて、似てる問題は手順通りにやればいいや」的に

大雑把な手順しか覚えないという杜撰な思考が見られたわけです。

これらの行動から私は次のことを彼に指摘しました。

「えー、君ってさ授業の間に物事を覚えてしまおうって考えたことないの?」

復習をするってことをはき違えている人っていませんか。

授業はホワイトボードの内容を書き写しておくための時間であり、

復習とはそれを覚える時間である…………

もしこんなことを思っていたら、高校なり大学なり教育機関に行かなくていいです。

時間の無駄です。遊んだり、カラオケ行ったりセックスする時間に充ててください。

きっと満足のいく時間を得られるでしょう。

授業の中でできる限り聞き洩らさずに内容を聞いて、

お家に帰って完璧にその時間内で理解できなかったことと、

とりあえず一通り理解したものを確認するために机に向かってやり直すのが

復習ってものですよね。

ただ写して、もう一度ノートをみる作業を全力でやろうとするから、

授業の時間分だけロスを生じているんでしょうね。

多分授業は書写するのでいっぱいいっぱいで覚える作業なんてしていないんでしょうね。

またこういう学生もいました。

学生A:「これってどういうこと?」

私:「これは〇●とイコールってことでしょうね。」

学生A:「なるほど。はーい。」

10分後に同じ内容を他の生徒に説明する学生A君

生徒B:「これってなんて言ってたっけ?」

学生A:「これは××と≒ってことなんだって。」

〇●っていったはずなのに××で伝わったのと

イコールが≒として伝わっていたことから

「あ、こいつは人の話を半分聞いているだけなんだなー。

あとは自己の類推解釈しているんだねー。伝言ゲームみてーだなー」

って具合に、

学生たちは人の話をすべて刑法で用いられるような類推解釈をしているのでしょうね。

なんだろう、私の言葉の真意がわからないために、探偵が容疑者を探すときのレベルぐらいに

おぼろげに答えを出そうとするのでしょうね。

これは伝え方がまずいってのもあるかもしれませんが、

教科書に書いてあることやテキストの内容がはっきり書かれているレベルのもので

この理解力と聴力なのですから困ったものです。

まだまだ勉強する意識が低いという証拠ですかね。

勉強したくないという気持ちが強いと、

授業はとりあえず出ておこうかぐらいの気持ちになるのでしょうね。

授業はもれなく「その場で極力覚えようね」っていうオプション付のワークショップですよ。

それをしたくないのであれば、勉強はまずできるようになりません。

いや、運動の世界でも高度なことは身につきません。精進しましょう。

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2014
07.09

時間がないなら、徹夜して時間をつくるか、早起きして時間をつくるしかない。

Category: 雑記
数人の学生が口をそろえてこう言います。

「先生、時間が足りないです。私(僕)はすって知識が入っていけるような脳を持ってないので、

必然と覚えるのにも時間がかかります。どうしたらいいでしょうか。」

私はこういう時に「えー、じゃあ復習事項の精度を少し落として、問題集重視に切り替えて、

若干理屈がなくても効率を上げながら実践的な力をつけていったらどうかねー?」

っていつも提案するのですが、それをすると

「丸暗記になりすぎる」か、「精度が下がって逆効果」か、「処理能力が上がらない」

とかって回答がかえってきます。

問題をやっていったり、物事をちゃんと筋道通りに理解して覚えていったら、

必然と覚えるものは少なくなります。

例えば、中学校の基礎知識をがっつり懇切丁寧に覚えていったら、

高校で覚える文法事項はものすごく少なくなります。

比較の基礎知識を覚えていたら、イディオム的なものを覚えるだけだし、

単元として増えるのは、仮定法と話法と関係副詞と過去完了・未来完了ぐらいですからねー。

もちろん高校で覚えるものの中で細かいのはたくさんありますが、

それでも1年足らずで高校2年生の基礎知識を詰めてしまおうと思えば

詰めていける量だと思います。

そういう最低限の詰め込みをしてこなかったために、1年でなんとかしようとしているのですから

確かに他の科目もってなると時間はもちろん減りますよね。

処理能力を上げていくしかないのですが、多科目で力を注げないという問題もあり、

英語のように時間に比例してデキルようになる顕著な科目を

細切れ細切れの時間でできるようになるのは難しいかもしれませんね。

うーーん、そうなると朝を有効に使うか徹夜するしかないですね…。

まあ徹夜するにしても学生には2時までには寝るように指示しています。

3時を超えると、なんだか知らないのですが、

ユニコーンガンダムのNT-Dシステムように急にスイッチが入ってしまうんですよね。

そして、起きていてもなんだか大丈夫って気分になるんですよね。

それでは結局次の日に影響してしまうので、2時を限度にしようねって学生には話します。

まあ2時に寝て、7時に起きれば5時間寝れますもんね。

それぐらいの無理は許容範囲でしょう。それ以上しなければならないのであれば、

まあ自分の神経をすり減らす覚悟をもってやるか、私なら諦めるかなって思います。

自身の能力によっては、限界を越えないとわからない・見えない世界ってあるんですよね。

いつも言いますが、自分の力とかけ離れた目標であればあるほど

理屈では成就しないんですよ!

受験生には夏は1日15時間以上勉強してもらいますよー!


個人的な持論ですが、寝たいなら受験終わった来年寝てください。

それぐらい勉強して、合格証書を勝ち取りに行ってほしいです。

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2014
07.08

講師が考えるだろうこと+見捨てられる生徒の特徴

Category: 雑記
ここ数週間ものすごく忙殺しております。正直かなりきついです。

指導が思ったよりも多いですね。やはり毎年同じようなことになるのですよね。

でも、以前にも言いましたが、朝が空いているので、

たまに寝坊しちゃったってなんてことで焦ることもなくなりましたw

しかし、どんどん増えていくのは、商売的に結構なのですが、

見切りもつけなければならないこともあります。

正直、私の指導料は自分で設定しておいて言うのもおかしいのですが、結構高いです(笑)


私は1時間6000円いただいて、

(遠方はすみません、名古屋市以外の愛知県内なら6500円、県外は7000円いただいてます)

どんな学生でも1年で勉強のサイクルを作り、

自分でできるように指導しております。

基本的には1年から2年で大学受験レベル

(センターで160点から200点をコンスタントに取れる)まで、

中学生でも無理なく実力をもっていくように心がけています。

(高校3年生から始める場合は、ある程度仕上がっていないとここまでにはいかないっす。)

だから、完成した中学生には「じゃあ高校になったら予備校の1番上の授業にいく?」

それとも「頻度を減らして、現状維持で難しいことを一緒にやる?」

って質問をして彼らの自主性に任せるようにしております。

今の自分よりも数段実力アップすることを目的に切り替えて、

私と全国トップクラスへ上り詰めようという学生も少なくないですが、

基本的にはこのように授業料が高いので、

お金をもっと違うところにかけてもらうようにお話をします(笑)

とまあ、私は基本的に1~2年で

英語の実力を偏差値でいう60~70(自身の実力から偏差値15~20アップ)、

高校受験でしたら開成・灘クラスの英文を解くことができるように心がけております。

そうなるんだったら結構安くないっすか?(笑)(⇒いや、安くない…すみません。)


という感じで、

1年~2年の投資と考えてくれる方とはうまくやっていけるのではないかと思っております。

でも、勉強をしようと思わない学生には申し訳ないので、

指導はしないことに決めております。中には自発的に変わらない学生や、

指示を出してもやってこない学生もいますが、

申し訳ないのですがそういう学生に対しては容赦なく私は指導困難であることを告げます。

そう告げられて、

改善点を自分のなかで見つけられれば継続できるかどうかを

話し合って引き続きということもありますが、

言われても何も変わろうとしていない学生を追うことはないです。

時給6000円もらうためには、

1年でどんな学生も勉強ができるようになる指導をする覚悟をもって、

私も一応指導しているので、やる気がない人には私は向きません。

そういう風に考える先生は少なくないはずです。

熱心な先生は「俺もやるからお前(生徒)も本気出してやってみようよ?」って思っているはず。

「できなくてもくじけずやれるよね?」って思いながら、

生徒に接しているはずです(限度はありますよ、もちろん)。


こうやってよくわからん(と人は思うかもしれない)ポリシーをもっていると、

見捨てる学生は最小限に済みます。

だから、以前にも言ったことがありますが、

わが軍全員を贔屓できる状況になるわけですよね

(=私がどの生徒にも全力で指導できるということ)。


逆に中途半端な気持ちで指導する学生をみようとすると、

正直な話、「うーん、1年じゃ無理だな。」とか

「目標と実力が乖離しすぎている」とか思ってしまい、

「できるところまでやろう」とか

「浪人したときに困らないような実力を作ってあげよう」という具合に

目標を転換してしまおうとする講師も少なくないです。

というか、講師のほぼ全員そういうことを1%は考えているでしょう。

でも、こう思ってくれる先生はある意味親切で、

逆に「何としても受からせてやる」

と口ばっか言いながらテクニック的なことばかり教える先生もいますよね。

それで受かればいいのですが、ダメだったときの虚無感といったらないです。

こういうことを大々的にできるのは本当に実力ある講師か、

極端に指導に過信している講師かどちらかなので、見極めなければなりません。


しかし、これもいいのですよ、まだ。

一番ヤバいパターンは、受からないと見切った瞬間にやる気がなくなったり、

授業も市販のものばかり、

またはなまじ実力がないのにもかかわらず難しい入試問題を適当にやらせたりする講師ですね。

まあこれも多いです。

そして、彼らが考えるのは

「どうやって浪人したときにその学生を引きつけるか」ということが思考の中で先行し、

尤もな入試生活における難しい過去問をやりながら

「これが受験で私はこれを知り尽くしていますよー」

といわんばかりに授業をするわけですよね。私も多分無意識にしていたようにも思います。


では、自分の指導経験も踏まえて、

正直講師がこうやって見切る生徒はどういう生徒か。

私が思うにですよ。次の5つ。

1、講師の指導や指示に従わない。
2、言われたことをちっとも直そうとする努力のかけらもない。
3、ノートやメモを取らない・取れない。
4、言い訳ばかりする。
5、努力もしないのに高望みだけは超一流。


1と2は当然ですよね。

1の場合は、指導が合わないとかもあるから生徒に一度話を振ってから判断しますが、

大方何もしていない奴が指示に従いません。

3は能力的な場合があります。

講師が言ったことを書きとめられないのは勉強生活においては問題です。

全部逐一講師が書いていたらやるべき範囲なんて終わりません。

これは厳しいかもしれませんが、

高校3年生でこの状況で受験の高望みをしていたら私は多分指導しません(すみません)。

4と5は見極めないといけませんが、

4は大方学校の宿題云々を言っていることが多いのですかね。

それだったら予備校へ通わずにその学校だけの勉強だけやればいいじゃないかって思うのと、

目標をはっきりしたうえで指導等を依頼するべきだと思うので、

私はやはり指導に消極的になってしまいます。


とまあずらずら書いてみましたが、

多くの方々は「こんな怠惰な受験生なんているのか」っていうような事例だと思ってくれるでしょう。

それを本気でたたき直してやるっていう先生をしている方をみると、

私は本当に「すげー先生だなー」って感心します。(私にはやはりそこまではできません。)

ただ、その反面、そこまで生徒に手をかけてしまうと、

生徒は自立しなくなるので「できない」というよりは「しない」ですかね。


幸い毎年多くの出会う学生が熱心な学生で、

そういう学生が私の周りにはたくさんいるので幸せに思います。

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2014
07.07

講師の言葉を鵜呑みにしてしまう学生

Category: 雑記
「先生が創ったテキストをやっていれば大丈夫なんですよね?」

これを言われたときには、「おっ、忠誠心全開の講師からするといい学生だねー」と思う反面、

「いや、そこまでガリガリに覚えていればいいってもんじゃないんだよね。」

って、学生に若干不安を感じることもあります。


講師が創るテキストってどうでしょう?

正直なところ、予備校の講師の多くは、1年ですべての英語の内容を教えるのは不可能なので、

講師自身がやりやすいように授業をしたり、テキストを編成しています。

まあ中にはこれを良しとしない先生もおり、

そのせいか、市販のテキスト通りに道順にやっているのですが……

まあそれに沿わないで覚えやすい方法もあるんだよって思う講師は

自分なりにやりやすい方法でやればいいのではないかって思うんですよね、個人的には。

でもですね、1つのテキストをやっただけで英語ができるなんてそんな甘いことは言っておりません。

確かにどの先生もテキストを1冊終えれば、

大方の問題には対応できるよーって思いながらテキストを作っていますが、

そのテキストを完璧に使いこなすためにはもちろん他の問題集をやったり、

別の解説本や文法書を読んだりしなければできるようになりません。

「このテキスト1冊で大丈夫」というのは、

「このテキストでベースを作れば、実践でわからなくなったらここに帰れば復習できますよっていう

あなたにとっての「受験期における英語の宿場」になりますよー」

ってぐらいのニュアンスで言っております。

TOEICで900点を勉強せずに取るぐらいになるのでしたら、

もちろん500ページぐらいの文法書を1冊ぐらいは目を通したことがあるぞーってならなければ

難しい芸当ですよ(笑)

でも、入試でそこまでの実力を作るためには、最低1年~2年は必要で、

切羽詰った浪人生やあまり継続して勉強してこなかった学生には無理だと思っております。

そういう意味では、ダイジェスト版でもいいから網羅できて且つ実践ができるテキストがほしいと

学生だったら思うのではないでしょうか。

とはいえ、それだけを鵜呑みしながらやっていてもダメですよね。

私とは別の先生に、私が受け持っている学生が質問に行ったときに、

その生徒はその先生に「文法書がきれいですねー。だめですよねー。」

って言われたそうで、英語の先生同士言っていることが違うと悩んだようですね。

いやいやいや、一つのテキストを理解する・完璧にするためには

辞書を引いたり、文法書で確認して初めて出来上がると思っているので、

結局私が言っていることと、その先生が言っていることは一緒なんですよね。

まあ彼に対する私の「このテキストだけやればいい」という表現が良くなかったのですが、

それでも鵜呑みに考えてしまっているなー、または短絡的にものごとを考えているなーって

学生達から勉強させられました。

言われたことだけやっているだけでは、勉強はできるようになりません。

言われたことをこなしたうえで、

その先生の言った真意とその先にある内容をしっかり捉えなければなりません。

発言を記号通り発音できたって、意味が通らなければダメなんです。

意味が分からなかったらダメなんです。

言われたことを鵜呑みをするのではなく、どういうことなんだろうかを熟慮してから、

講師たちの指示をこなしてほしいと思います。

そして、我々講師はそれをどうやったら伝わるかを考えながら発言しなければなりませんね。
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2014
07.06

てきているかどうか程度を逐一聞く学生。

Category: 雑記
毎週のように課題で出した問題を解き終わった後や

週テストを解き終わった後に私の下に来る学生が数人います。

「先生、あの問題は難しかったですよね?」「私はできていましたか?」

この発言をしている学生の多くは、

自分のことをよほど過小評価している極端に不安を抱いている学生か

お勉強をしていない学生か、媚びを売ろうとしている学生です。

前者ならいいのですが、まずいのは後者2パターンにはまる学生。



「お勉強していない学生」がこう聞きにくるのは

「みんなできてるのかなー。それとも自分と同じぐらいなのかなー」

って周りばかり気にしている証拠で、自分との闘いから逃避し、現状のことしか考えていないのですよね。

こういう学生は最初はいいですが、うまくやらないと後でつぶれます。

特に上位のクラスに所属しながら頑張ってても、こうやって探りを入れている学生は、

周りが思いのほかできるようになってしまった場合に、

パニくって最後は何をすればいいのだろうと途方に暮れて1年が終わります。

こういう人のことが気になってお勉強をしていない学生は、容赦なく突き飛ばします。

そうしながら自立してお勉強できるようにならないと、いつまでたってもダメですからね。



また媚びを売ってくるパターンの人。

これは論外ですからね。まあ甘い言葉とか、励ましがほしいんですよね。

励ましすぎるとこの状況から抜け出せずに結局無理をしなかった1年を学生に迎えさせてしまうので、

私は容赦なく改善点を提示し、こうすればできるようになるよと

アメと鞭を使い分けるようにしています。鞭は容赦なくたたきますかね(笑)

アメと鞭のバランスは2:8ぐらい(笑)


できているかどうかって一番学生がわかっているはずなんです。

例えば、九九が全部言えた時の達成感って覚えていませんか?

あれと同じようなものですよね。もう少し難易度が上がったものだと、

例えば、オスプレイってどうして問題になっているの?みたいに、

論理的に相手にわからせようとすることを誰かに説明できたあとに

相手を縦に首を振らせたときの

やりきった感ってのはなかなかたまらんものがありませんかね。

こういった説明って自分がわかってないとできませんよね。

でも、同時に自分がわかっていないときに無理やり説明をすると、

「わかるよね、わかるよね?」って同意を求めようとしませんか。

これって自分の言っていることに不安を抱いていることがしばしばでしょう。

これと同じなんです。自分の答案を出した後にデキを聞きに来るってことは

自分の答えが不安である以上に、わかっているかどうかがすでに曖昧なんだという行動なんですよね。

できたやつはそんなことをちまちま聞きに来ません。

できなかったら、すぐに切り替えてテキストや問題集を見直したり、解き直します。

これができる学生の姿です。その場その場のテストやできをみて

「自分ができた」なんて思うのは、まだまだ自分に甘い証拠。

できるヤツは日本中にごろごろしています。そいつらを蹴散らすためにも

まだまだ時間が足りないぞーって焦るぐらいが精神的に正常だと思います。
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2014
07.05

少ない授業で実力をつけられる学生

Category: 雑記
さて、夏期講習も始まる時期になりましたね。

夏の日差しが厳しく我々に浴びせられて初めて、

あーーー、ついにきたねー受験シーズンっ!!って気になりますよね。

毎年同じようなことを言っておりますが、

大手予備校の夏期講習をたくさん受講するのはナンセンスです。

まあ7科目やる学生は多くなるのも仕方がないのですが、

それでも、別々のもので5~7講座ぐらいにしておいた方が無難です。

中には10講座15講座をとろうとする人がいますが、復習がまず追いつきません。

そして、予習する量も増えて、いろいろ面倒なことになるので

大量受講はお勧めしません。自分が明らかに苦手だなって思うものをとるべきです。

そして、あとはベースとなるものを崩さずに勉強するのが真の学習者だと思います。


そんなわが軍の学生も今年の夏は多くても英語の授業は週に2回までにしております。

ただ高校受験の英語が極端に苦手な学生のためには、短期集中で時間を割いております。

そして、夏だけ受講しますよーっていう受験生もちらほら今年はおります。

そんななか、

「11月の推薦入試まで10回だけ授業をお願いできませんか。」という依頼がありました。

これはさすがに隔週で授業をすることになるので実力が乏しければお断りをしようと思ったのですが、

体験で授業をしてみると、ものすごく自発的に問題や課題をこなせる学生だし、

普段の自学習もそつなく行われていましたし、素直でとても気持ちがいい女学生さんで、

頑張っている人をほったらかしにはできずお引き受けしました!

テキストや学習管理も私がやっております。

授業だけ出ればいいっていうのは少々違いまして、やはり最終的に大事なことは

自分でいかに勉強することができるのかということを考えながら授業をとることですよね。

授業を受けて、あとはほったらかしーってなっていたら、

どんなに授業を受けてもそれは時間の無駄。

少ない授業を提案する多くの学生は、自分の弱点が良くわかっておりますので、

私も彼らと話し合って弱点と改善点に的を絞った授業を提案することができます。

またこういうことはしっかりしている学生は、

「授業でできないところは自分でやります」といって本当にやってくるので

授業数も効率よく決められているということは、

自分のスケジュール管理にもぬかりないんだろうなーって

感じさせますよね。素晴らしい!!

こうやって自分でなんとか打開策を、つまり自分のできる範囲での最善を尽くしている学生をみていると

私はほうっておけないですねー。絶対にその学生を10回の授業で合格させてみせますよ!
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2014
07.04

テストの範囲のところまでやれない奴は伸びない。

Category: 雑記
さて、7月を迎えましたねー。早いですね。もう2014年も折り返し地点を迎えました。

私は例年通り教える仕事がたくさん入り、忙しない毎日を迎えております。

この時期になると学生の時にはわくわくしたものなんですがね…。

今では「どれぐらい仕事が増えるのか?うおおおおおーーー」って感じでびくびくしておりますよ(笑)

医学部受験組がなかなか英語の知識を定着させられません。

何回も反復してほしいのですが、なかなか他の科目と並行してやれていないようです。

そんなわけで毎週週テストがあるのですが、

週テストは基本的に範囲を生徒に指定してされた内容が出されます。

しかし、私はある実験をしてみました。(というか、いじわる?w)

指定範囲と、指定していないがすでにやった範囲で週テストを作り、

生徒にやらせてみました。するとどうでしょう?

「先生、やった範囲と異なっていたんだけど、どういうこと?関係詞出ないって言ったじゃん」

いやいやいや、数日前とか1日前にやった範囲なのに白紙はないでしょう!

どんなにやっていないとは言っても、一過性の勉強のしすぎです。

授業の中でできる限り覚えておこうという思考がないのにびっくりしました。

話を聞いて楽しいかどうかとか、講師は生徒の気持ちをわかってくれるかどうかとかで

学生たちは授業の好き嫌いを判断しているのかなとも思いました。

自分が勉強したところしかできないのは当たり前ですが、

そこまで可視的に範囲を狭められてしまうと、私もどうすることができません。

入試問題で出題された問題のパターンを

全部やらなければならないことにもなりかねないので、

もう少し自分の意志を持った勉強をして、応用できる基礎をできる限りたくさん、

できる限り短時間で創ろうとする努力をしていただきたいと思いました。

1日2日にやったことを忘れるというか真っ新なのだから、

1か月後2か月後はどうなることやら……怖くて夜も眠れません。

そらで言えるようになるまで復習あるのみです。
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2014
07.02

バックグラウンドの有無で、英語の読める読めないが決まることがある。

Category: 雑記
先日、授業で扱った問題です。名大の過去問です。さて読んでみましょうw

At the center of the nineteenth-century commercial world, Victorian London was perceived by Continental visitors as combining the extremes of urban life: it had fabulous squares and parks, yet appeared to be dominated by cold and mechanical industry.The theme of industrial modernity captured the tourist imagination, sometimes overshadowing London’s monuments and cultural accomplishments. As London offered a vision of a potential industrial European future, the Continental visitor found London an unsettling experience. Its conservatism, privacy and individuality were depicted as representative of the British political economy, the unique blend of free-market capitalism, governmental non-interference and personal liberty that was to be found nowhere else in nineteenth-century Europe. Thus, Louis Énault could claim in 1859 that London was “the head and heart of the nation.”

A strong current of discontent is evident in the tourist writing between 1840 and 1900, centered on the theme of urban modernity. Continental visions of the city therefore suggest a differentiation between types of urban modernity. The more technologically orientated sites of progress ― railways and gasworks, for instance ― represented only the most obvious and intrusive results of this modernity. On the other hand, London’s cultural products ― which were perceived as being influenced by the British Empire ― were praised highly as indicators of civilization and splendor, being necessary to refresh and advance the city’s pool of intellect.

The perception of modernity as being divided into “industrial” and “cultural” streams, and the rejection of the former in the case of Victorian London, has its roots within patterns emerging in nineteenth-century urban tourism. As industrialization contributed to the death of the romantic landscape of the early nineteenth century, the idealized imagery of the sublime was replaced with rather brutal representations of urban life of the 1840s. For Continental visitors, London ultimately signified the onset of an uncertain and anxious future of steam and steel. In this respect, as Andrew Lees has argued,Britain was useful as a “social laboratory”; the country manifested “processes and problems already evident to a lesser degree or soon to make their appearance in other countries as well. It was a vast experiment that might instruct and benefit foreign as well as domestic observers.” Many of those who wrote about London were present there in order to represent the British capital to their own audiences, as a way of comprehending the coming changes. It is no accident that they were journalists, authors, and travel writers, all of whom had an interest in understanding the human condition and the challenges of industrial modernity.


どうでしたか。1段落目で「もういや!」って思った人、名大には行けません、多分。

3段落目まで読んだ人、とりあえず受験資格はなんとかあるでしょう。

でも、内容がちんぷんかんぷんだった人はこれからしっかりお勉強しましょう。

さて、この英文のおおざっぱな主題が取れた学生…素晴らしいです!!

おそらく名大の中ではトップクラスに難しい英文だったでしょう。非常にキツイ英文でした。

ちなみにこれはまだまだ3分の1ぐらいで、この量の英文があと2ページ続きます。

名大は落ちぶれた旧帝とは言え(私はそう思っているが)、

それでも入るのもなかなか大変かもしれないって思う大学かもしれませんねw


さて、今回は産業革命の話って割り切った話だと捉えてしまったら、

それは少々間違いで、

これは産業革命がもたらしたmodernityに対する批判論だと見えてほしいわけです。

しかし、残念なことにわが軍の学生たちの多くが産業革命に関する知識が乏しくて、

「産業革命って最初アメリカで起きたんですよね?」ってしたり顔で答えていたのですが……

いやー、すごいですね、今の学校教育の燦たる結果は!(笑)

(私の理科もこんなものでしょうと苦笑いw)

英語ができる学生でさえもこの英文をちゃんと読めた学生は少数でした。

というか、今年は東大京大に行ける学生はいなそうなので、

知識あふれる答えはなかなか出てきませんでした。(真面目で秀才が多い!)

さて、でも受験に知識あふれる答えを出せないからダメだってことはないのでご安心ください。

要は一文一文がわかれば、それなりに読めてしまえばいいわけですが

それでもある程度のバックグラウンド(背景)知識を入れる努力をしてほしいです。

医学部の学生でしたら、医療ネタや理学理論ネタを読んでいないとダメですよね。

言語学部でしたら、言語ネタが多く出題されますから、

最低限の世界史や日本史は大雑把でも頭に入れておかなければなりませんよね。

英文が難しいと思うかどうかは、構文が厄介で英語が高級であることで決まるのもありますが、

それ以上に書かれていないのに前提内容がありすぎて、

それがわからないから何を言っているのか、訳せるのにわからない!ってことで

決まることだってあります。

例えば、英文で出てきたContinentalという語句。

これはイギリスに対しての「大陸側の」って意味ですので、

フランスやネーデルランドのことを指しますよね。

って具合に内容が見えてこないとわかりませんよね。(だから大文字なのかってのもわかりますね)

私の授業は英語の読み解き方はもちろんのこと、

こういった背景知識の話もたくさんしております。

医療ネタも話をするために論文を読むようになりました。

だから、現代医療の話や介護の話もしますよ。

というように、臨場感をもって英語に触れるというのも英語教育では必要であると思います。

こういう意味では、私は文法がっつりな言語学者みたいな英語の先生とは

少々違っているかもしれませんね。

ただ、授業をする時は英語の話をするときと、この背景知識にまつわる話をする量のバランスが

ものすごく難しいです!

後者が多くなれば雑談ばかりになり、英語の授業としては大失敗になりますからねw

ちなみに、先週やったクラスではあまりにも歴史を知らん人が多かったので、

ほぼ雑談というか社会の授業になってしまい、反省しておりますw

英語力を見極めたうえで、英文をチョイスするのも私の役目ですよねって

再認識させられましたwでも、頑張ります!
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2014
07.01

環境の利。センスは環境から出来上がる。

Category: 雑記
先日、英検3級の問題を中一の学生とやっていました。

もちろん中学校1年生ですから、中学英語の文法のいろはを学んだばかり。

それでもなんとか中2の半ばまでに必要な知識を詰め込んで受験に臨み、

なんとか1次合格までたどり着きました。

まあ

この結果は彼が一生懸命に詰め込んだ努力と覚える実力があったからといえるのですが、

合格した要因は次のやり取りから他にもあると思いました。

私:「えー、この問題ってまだやってない範囲からだけど、自信ありげに答えていたね。
   
   なんでそう思った?」

学生:「えっ?お母さんがね、よくおにいちゃんにNo, not yet.って言うんだもん。」

私:「あらそー。えっ、じゃあこの問題も全然単語聞いたことないといったけど、これはなんで?」

学生:「うーん、fishが魚ってわかるから、aquariumって意味が分からないけど、
 
     aquaが水っぽいから…。」

私:「えー、じゃあこれもそんな感じ?」

学生:「fanってお母さんがいうもん。なんか見たことなくても音で聴いたことがあるものが多かった!」


言語ってこんなものです。

こういうのびのびと教育をしているご家庭にお会いできて私は感動です。素晴らしい。

こうやって普段使っていたり聞いていたりしている学生にはかないません。

私がどんなに英語の先生をやっていても、ネイティブのセンスに勝てないのと同じです。

(だってネイティブほど英語を使ってないもん(笑)日本にいれば思考は日本語ですもんねw)

単語帳でしか単語を覚えようとしない学生にはわからない世界ですね。

単語の理解っていうのは、覚えるというよりも染み込ませるって感じなんですよね。

だから、ただ日本語の意味を機械的に覚えている学生はすぐに忘れるし、

使ってみようという意志がないので染み込んでいきません。

どんな知識にも意図があるのですよね。その意図を組んだうえで、

無理矢理でもいいから自分のことと結び付けていかなければ、

どんな知識も入っていかないでしょうね。

これは自分自身が身をもって感じます。

例えば、私は社会や英語や国語古典等の知識は人並み以上にあると一応仮定してw、

理科の知識をみてみると、やはり自分の生活からかけ離れていたり、

研究内容から乖離していることもあって

私の思考の中にはあまり理科的な思考が入っていません。

だから「肝臓ってどこにあるの?」って生徒に言われても、

「はっ?体の中のどこかに決まってるんだよ。身体なんてブラックボックスでいいのだ!」

なーんて言って、あとからwikipediaでも引いているんですよねw


こういった知識や言語を身につけるには、やはり親御さんが知性を出して

彼らに接してあげなければなりません。

普段から少々むずかしい言葉を使ったり、子供が見えるところに本を置いたり、

子どもと勉強ではないですが歴史や社会の話などをしたりする時間を設ける

なんてことをしていると、教科書でやっていない内容でもぱって解けることがあります。

工場見学とかもいいですよね。あれもいろいろ勉強になります。

(先ほど書いた学生は社会科見学みたいのが大好きみたいで、

今度お団子の工場やNASAに行くそうな)

中学生の英語なんてその極みです。

聞いたことがあるから正解でしょうって具合な問題ばかりです。

学問のセンスの有無は、親が創るといっても過言ではありません。

そして、同時に講師も自分の教えている学問のみの話をしていては

教えている学生たちの思考に刺激を与えられません。

センスは環境から生まれるものですので、

自分の授業をもっと知性あふれて、面白いものにしたいと思います。
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