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2013
09.28

まとまった時間のなかで勉強した方がいいのか。

Category: 雑記
最近、しっかり読書をしております。1日1冊~2冊。

あまりにも読書をせずに1ヶ月を過ごした先月だったので、

さすがにヤバいと思い、以前に読んだ本を読み返してみました。

しかし、なかなか仕事をしていると本を読む時間を見つけるのが難しい。

朝早く起きて、ご飯を食べ、みそ汁をすすりながら、

書本台に本を置いて本に目を通すのが日課になったのはよくても、

一気に読めないせいで、本を読んでいる瞬間に燃え滾る興味の業火は

非常に燃費が悪いわけですよね。残り火みたいな感じで、情けない。

やはり読書はまとまった時間にがーーーって読むのが一番。

特に、小説などはその時読んだ感覚は一度しか持ち得ない以上、

どうしてもまとめて読んでしまいたくなります。

というわけで、私は金曜日だけは必ず1日休みを作り、読書に耽ります。


小説を読むように、時間をまとめて1つや2つの科目を勉強するのはいかがなものか。

実はこのことは面談の中で少々話題になった内容のひとつです。

私は個人的に大賛成ですが、4教科やらなければならないとした場合、

このやり方をやっていると3教科は9割取れます、でも1教科は3割ぐらいしか取れない

といった苦手科目が必ず出来上がります。

私個人の意見としては、

「そんな人間でもいいじゃん。素敵な存在だ」と賛美するところなのですが、

一つだけこれをやるためには言及しなければなりません。

もし仮に3科目できあがり、1科目苦手となった場合、

試験の時に得意な科目の1つが大幅にできなかったときは

すべて取り返しのつかないことになります。

その覚悟はありますか。要は得意科目をミスなしで仕上げるまで卓越できますか?

ということを問うているのが、まとまった時間のなかでやる勉強なんだと思います。

結構思いっきりの良さが問われるわけですよね。

ヨーロッパでは、1ヶ月まとめて同じ科目をやり続けるといったことをしたりします。

私の通っていたストックホルム大学では3月はスウェーデン政治学しかやらなーい

って状況で、短期間で徹底的にスウェーデン政治学の本を読まされました。

その短期集中は結構残っており、いまだにスウェーデンの国会の仕組みはお話しできます。

そう思うと、スウェーデン人は結構知に対して思い切ったことをしながら、

常に勉強していることになるのですかね。日々が知との闘い。なんかいいですね(笑)



でも、万遍なくやった方が科目が多い学校を受ける以上やった方が

無難なような気がしますよ。

まあ、自分の性格と相談して考えるのがいいでしょう!!
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2013
09.27

我が道を行くよりも、ルールに沿った方がいいかも。

Category: 雑記
先日全学生の面談が終了しました。疲れましたね。

でも、弱音を言ってられません。生徒のためなのですから。


さて、最後の2人の学生の面談は厳しいお言葉ばかり飛んで、

私も厳しめの言葉を飛ばして、非常に空気が重かったです。

しかし、有意義だったというか、この時期に厳しいことを言われるというのは

いい刺激になり、今後の生活にいい影響を与えてくれると思います。

そんな中ででたことを一つ。

それは、ルールに乗れないこと。

今回、ある学生はこのことを終始いろいろな先生に言われていました。

簡単に申し上げると、その学生が先生に言われたことをやれなかったということです。

私が4月から8月までに指定したテキストと

やったものの復習をすべて中途半端に終えてきました。

完遂率0%で、万遍なく50%ぐらいでこなした感じです。

こんな学生がまあ残念ながら今年は大半です。

しかし、中にはこんなことをする学生もいました。

それは、「指定したものではなんかできないから、

僕は異なったテキストで自習する」と言わんばかりに、

新品の私が指定した他の単語帳を出して覚え始めているわけですよ。

また、構文のテキストの答えを書いたものを早い段階で渡しても、

結局時間内に終えることができずにいて、

その言い訳として「数学や化学で時間が回らなかった!」

という感じだが、実は一番その科目ができていないという……。

こういう学生は自分のやりたいようにやりたいわけですよね。

ある程度、自分が困った時には大きな奇知にすがり、

後は自分のやりかたに意固地になって、またダメになった時には奇知に頼って、

と無限ループが始まるわけです。

まあそういう方は自分で悟って、自分の道を歩んでしまった方がいいですよね。

後悔もしないでしょう。自分のやり方で全力投球するべきです。

しかし、残念ながらそういうとなかなか思いっきれないのが人間なわけですよね。

従って、ルールにはある程度乗らなければならないわけですよね。

残念ながら自分で何とかしようとする意志や力がなければ、

ある程度定評があるやり方や型にはめて(一定期間でいいので)動かなければなりません。

そこはある程度謙虚になっていかなければなりません。

実力に申し分がないと自分で思ったら、それは玉砕覚悟でもやったほうがいいですが。

私も思い当たる節があり、大学院の院試は完全に人を黙らせるために、

一人で本と対話して、論文を書いて、英語の勉強をして、

プレゼンで意志を伝えて、すべて一人で出し切ってきたので、

いいかい悪いかは別にしても、悔いはありません。

誇れる時間の1つだと自負しています(笑)

しかし、リスキー・ゲームにしたくなければ、

またはそれに自信があると言い切れない方は、

悪いことは言いません、玄人のお告げを乞うべきです。

そして、それに沿って勉強するべきです。そうした中で、自立していけばいいのですよ。

そうやって勉強はできるようになるので、

まずは迷ったり、勉強ができるようになりたかったら

その信じた人の言ったルールに乗った方がいいと思います。

まあ、私も含め、学生にはなかなか難しいことなんですよね、これ。

でも、謙虚に行きましょう。
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2013
09.26

私が思うできる人の5箇条!!

Category: 雑記
先日、私は最近雇ったある女性秘書(バイトの学生(笑))に助けられ、感謝しております。

まあ東大で頑張っている元教え子なのですが、彼女には頭が下がります。

言われたことはすぐやりますし、その先のことまで提案してくれるので、

私としてはすごく楽です。さすが東大生、と悔しいですが思ってしまうほどです。


さて、どうしてこんなにできるのだろうと思い、ふとデキル人間ってどんな人か、

人物像を勝手に思い浮かべてみました。

すると、次の4つは該当するのではないかねーって思い、

これは本当に本当に雑記として残しておこうと思います。

すみません、自己満足なので(それはいつもか(笑))読みたくない人は

スクロールしなくて結構です。読者の方々、いつもありがとうございます。

やはり、感謝です。




さて、では雑記。

1、計画を立てて物事ができる人

2、弱音をたとえ吐いても、一応ちゃんとこなす人

3、周りのことに気づけて、助けを差し伸べられる人

4、周りを窺って、自分をそれに合わせて出せる人

5、適度に遊びを入れられる人



こんなところですかね。

1は、もう私が人間ならばできなければならないと勝手に思っていることです。

これは絶対条件。やはりものごとを完遂するためには計画できなければダメです。

現実且つ高いレベルで、です。

2は、文句を言ってもちゃんとこなしてから疑問を呈することができる人と

言い換えることができます。まあちゃんと真面目にできるという意味です。

これもやはりできる人にとってはやっていることなのではないでしょうか。

3は、なかなか難しいですよね。高慢なできる人はたくさんいますが、

この助けを差し伸べるという行為は協調性をもっているできる人ですので、

やはり素晴らしいなって思ってしまう能力ですよね。

4は、どんな状況でも自分を忘れさせない存在感を出せるという、

さりげない自己アピールもできる人はしっかりこなしますよね。

これはこれからの世界で生きるためには特に必要な力ですよね。

そして、最後5は、やはりうまくメリハリをつけて

精神衛生をしっかり保てるということで、やはり今後の世界で生きるのに

ひつような力の一つですよね。ストレス社会ですから、やはり5はできる必要がある。


まあ、一つの雑記ですので、一つのわけのわからん人の一意見なだけですので、

鵜呑みにしないでスルーしてくださって結構(笑)

もしかしたら、私は無意識にこんな学生を作っているのかもしれませんね。

合格してから会う学生の多くは、この5つの内容のうち、3以上は該当しますもん(笑)
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2013
09.25

ある地方の大学の大学生がもつ英語力

Category: 雑記
大学の前期の非常勤講師としての仕事を無事に終えてほっとしているのですが、

私はなかなか残念に思うことが多いです。

私は関東のある大学で非常勤講師として文化論と英語を指導しているのですが、

なかなかというかほぼ英語が読めない!辞書なしで英語を読むなんて、

それは足に重症を抱えた患者に松葉づえなしで全力疾走しなさいというのと

同じじゃないかというまなざしを送ってくる学生が結構います(笑)

先々月、最後の授業でスティーブ・ジョブズのプレゼンを見せて

スクリプトも渡して、どういう点が良くて、どういう表現が素晴らしくて、

彼は評価されているのかを分析しながら授業を行ったのですが、

その表現に出てくる単語自体がもうわからない!というか、

全体的に何を言っているのか全然わからないというレベルで、

結局その授業は生徒一人一人に指しながら、和訳して授業を終えました(笑)

で、最後にスティーブ・ジョブズのプレゼンのまとめを日本語で書かせたら、

「わかりやすい点!」で終わっていた学生が複数…。

あ、世の中の大学生ってこんなのもいるのかって思い、

後々の日本が薄暗く見えました…。


しかし、驚いたのはこんなことではありません。

こんなことは私がいる大学ぐらいだろうと思っていたのですが、

こんなレベルの話が他の学校でも出てきました。

ある名大の先輩が非常勤で行っている大学の英語の授業も

同じようだったと話しており、その方は

「うーん、多分ね、Oxford English Bookwarmの種類だったら、

Level1~2がなんとか辞書なしで読めるレベルじゃないかな。

そんなレベルの英語力だと言わざるを得ない。あとは辞書なしでは解釈しきれないよ」

これには唖然としました。

でも、言っていることがわかるので、さらに私は唖然としました。

大学受験をくぐって大学へきているはずなのに、

大学にはいるとどんどん英語が読めない学生が増えています。

まあそれだけ一過性で勉強しただけで、継続してやっていないのでしょう。

そんなものだと思っていますが、これは大学受験の指導側にもやはり問題はあります。

問題集をただこなさせるだけなわけですもんね。

和訳や英訳をさせずに1年を終える学生ばかりですから、

大学に入って英語が使えないのは当然です。

しかし、これに付随してビックリするのは、

私が通っていた名古屋大学でもそのようなことがあると耳にするので、吃驚します。

さすがにそれなりに難しい問題を越えるために勉強はしているので、

英語がわからんぞっていう学生はいないのですが、

やはり人前に立って、意見を言ったり、まとめたりする英語力は

備わっていないことがよく話題になります。

これは名大の大学院でもそうです。アメリカ文学なのに英語の作品を読まない、

英語教授法の勉強をするのに、英語の文献を当たらないなんて結構ある話で、

英語の授業になると一気に黙ります(笑)

私も同期の学生が英語で話せないので、私が代弁して、

議論をしたくもないことをブラジル人と言い合っていたっていうことがありました。

名大の学部上がりの院生でもそうなので、なかなか困りましたね。

まあやってない人はすぐにそれだけ英語はなまるわけです。


こんなことを何としても今後避けるべく、

私は自分の大学の非常勤の授業のためにも(笑)、

ある程度英語が読めて、日常会話がそれなりに出て、表現できる英語力を

身につけさせることができるように努力したいと思います。

後期の授業は、もっと簡単な問題を作ろうと苦心しております…。
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2013
09.24

英語ができない人はセンター試験の問題をやろう

Category: 雑記
英語ができないと嘆く人が日に日に多くなっているように思います。

これは英語を意識する人が増えたためとプラスにとらえることもできますが、

それ以上に努力値が足りなくて、なんか簡単な方法で処理できないのかなーって

思っている人が増えたためかもしれません。

よく巷の書店では、「○○の7つの習慣」だとか、

「○○の50の法則」だとかいろいろな事象を一般化してやることを絞るものや

ハウツー本が出回っているせいか、

そんなのをこなせばいいんだって思って

何事も核心に触れずに処理する方が増えているのではないでしょうか。

例えば、『カラマーゾフの兄弟』を読んでも、あらすじだけ知っていて、

あとはその大事な要点を2文ぐらいで言えればいいみたいな感覚ですか。

あんなドフトエフスキーの傑作を2文でまとめるには申し訳なさすぎるし、

分かったとはいえません。それだけ情報を断片的にしか手に入れずに、

社会で必要であることだけを

自分のものさしだけで手に入れていることでいっぱいいっぱいなのか、

それで満足して、生活しているだけなのですよね。

うーん、これではいつまでたっても自分でできるようにはなりません。

意識が高い人だけが甘い汁を吸って、自分で考えをまとめ、

一般大衆に諭して、一般大衆は「あー」と考えなしに頷き、

書いてある通りに行動し、また悩む……といった無限ループにはいるわけですね。



さて、英語の勉強も同じような感じです。

ある英語ができる方が問題集を出版して、評判がよさそうなものを選び、

それをお金を払って大衆は買い、おうちで問題を解くわけですよ。

家には問題集だらけ。でも、「英語ができない」といった人は近くにいませんか?

これはみじめですよね。私は受験のために問題集研究用に買ってはいますが…。

(しかし、これはみな中古で買っています。100冊買っても2万円しません

…しかも予備校の経費も出ますし…そんなものばかり狙って買います(笑))


まあ英語というか、知識全般に言えるのですが、

あるものを一つ軸として作り上げて、1冊を完璧にすると、

次に得るべき情報はその軸から少し外れたものを手に入れることができるわけです。

だから、ある一定レベルで英語ができるようにすればいいとなれば、

5~7冊も問題集をやりこめば、それなりの実力になります。

それなりの実力と言うのは、

偏差値でいう65~70までは創り上げられるという意味です。


しかし、じゃあ何から手を付ければいいかわからないという人!!

一度センター試験というものを手に取ってみて下さい!

そうですね、できれば2006年以前のものをやってみてください。

1990年から2006年まで追試も含めると、およそ30回ぐらいはできます。

それを一つ一つ丁寧に解いてみて下さい。

これは高1でもできることですので、是非やってみてください。

センター試験は簡単ですが、捻り方は独特。

でも、全部教科書の範囲で解けます。よくできているんですよね。

これをしっかり押さえれば、最低限の英語力はあるぞと自信が持てます。

一度やってみて、「難しい」と思えば、それよりも易しいものを選べばいいです。

まあセンター試験はいろいろな指標になるので、手を付けて損はありません。

ただし、あまり新しいものをはやらないこと。

せっかく入試時に使える問題、センターの過去問として使いたいので、

傾向が似ている2007年以降のものは大事にとっておいてください。
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2013
09.23

問題集を3周やってもできないのはなぜ?

Category: 雑記
先週、去年教えていた生徒とお話をしていました。

その生徒は医学部を志望している学生で、

去年の試験では数学や英語が奮わず、なくなくもう1年頑張ると決めた学生です。

今年はその生徒の実力が上がり、一つ上のレベルのクラスに行き、

私の下からは離れていきました。

が、なかなかその学生とはフレンドリーに話せる関係にあるわけですが、

その学生と久々にちゃんとお話をしました。

うまくいかないで腐ってないかなーって思っていたのですが、

結構前向きに取り組んでおり、頑張っていて何よりでした。

しかし、なかなか今年も成績が思うように上がらず悩んでいるようで、

英語の話を彼女に振ってみました。

私:「どう、最近の英語の状況はだいぶよくなった?」

学生:「いや、なかなか英語ができるようにならないです。問題集を3周もやっているのに。」

私:「え、3周もやってるの?偉いじゃん。去年の鍛練を合わせれば、完璧じゃん。」

学生:「うーん、でもなかなか点数が奮わないのですよ。なんででしょう?」

私:「うーーーん、あんたは実力あるんだけどなー。」


なかなか根が深い悩みを抱えているようで、

しかも去年の実力からは明らかに変わった瞬間をみていたので、

このまま進化するかなーって思っていたのですが、どうやらそのチャンスを逸したようで。

やりかたに問題があるのかもしれませんね。

さて、ここで上記の学生が言っていた「問題集を3周やった!」という主張。

私からすると、同じ問題集を3周もやれば、

8割ぐらいは終わらせられると思っているのですが、

どうやらそうではないようですね(笑)

まあこなす量だけでは、できるようにならないという典型例ですね、今回は。

私が学生に勧めるのは、

問題集を繰り返すときは、まず1周は答えを見ながらでもいいのでじっくりやりこんで、

2周目は1周目よりも速くやりこみ、説明もできるようになるまで落とし込み、

3周目で何も見ないで完答する努力をし、ダメな問題はノートにまとめたり、

先生や講師に質問にいって効率が良い方法を教わったり相談する

といった流れでやるということです。

問題集の内容が多い時は、章ごとにくぎってやらせています。

例えば、VintageやNextStageのようなものでしたら、

最初はなんとか2~3か月ぐらいで、文法・語法のところを1周する、

またはある単元までと自分で決めて自分が回せるなと思えるところまで

しっかりやるようにする感じです。


さて、学生の話に戻しますが、

彼女の3周はおそらくかなり惰性的にやっており、

覚えるというレベルまで落とし込んでいないでしょう。

これが問題なのですよね。そう、問題を繰り返すということは、

問題を覚えるぞっていうレベルまでやることと同義です。

一語一句を覚えるというよりは、

問題の仕組みや何を聞かれているのかなっていうことを

しっかり理解するということです。

問題をめちゃくちゃな量を繰り返しやることは、決して悪くないのですが、

これはものすごく時間がかかるし、文法ばかりやっている気分になり、

しかも同じ問題を10回も20回もやるのはさすがに少々飽きますよね。

まあ3回ぐらいなら勢いで繰り返しやる価値があるのかなと思っていますが、

その3回で自分はどうしたらできるようになるのだろう?と自問しながら

やはりやってほしいと思っています。

すると、私の雑感ですが、やはり

問題集の1周目か2周目でじっくりやる時間をとる必要性がどこかで

作らなければならないでしょう。

もちろん、じっくりやるという作業を入れると、受験生が切羽詰った状況にある場合、

なかなかこのやり方は機能しませんし、焦って結局失敗するでしょう。

(そういう場合は、問題集を選ばなければなりません。)

状況によって、やりかたは一長一短になりがちですが、

量を繰り返すことで身につくということを信じて、尋常ではない量をやるよりは、

どこかで落ち着いて立ち止まり、最低限度の量で問題集をやりこむようにした方が、

他の和訳や英訳等にもスムーズにいけるのではないでしょうか。

文法問題をやり込みすぎると、文法サイボーグになってしまい、

長文を読むのが遅くなる場合があるので、それも考慮すると、

ますます文法を量で押し切ることはしたくないですね。

でも、まあ3周というのは最低限度の範囲だと思いますので、

是非とも目安にしてください。
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2013
09.22

今年は練習問題の添削が多いです。

Category: 雑記
今年は例年以上に藤田・愛知医科の対策問題を差し上げて、

その添削に追われています。

今年は、問題の添削作業と答えの配布と、

コメントと勉強の仕方や傾向を書いて、

お問い合わせをいただいたところに郵送しております。

ここまですべて無料です。まあこれぐらいは当然だと思っております。

中には後に「自信がついた!」、「苦手な部分がわかった!」、

「対策してよかった。的を得ていた!」という声をいただいております。

本当にありがとうございます!お役に立てて何よりです。

そして、そこから短期の対策授業もいくつか依頼をいただき、

遠くは秋田から来る学生まで出てきました。直前2週間だけですが…。

数学はもう一人お知り合いの先生に数回みてもらうように

シフトを組み、その学生は直前までは

スカイプと週末のアドバイスメールで乗り切ろうと頑張っております。

いやー、うれしい限りですね、本当に。

とはいえ、依頼は東海地区の学生が多いですね、やはり。

いろいろな学校の実力を知ることができ、私も少々面白くなってきました(笑)

現在手元にあと9件あります。全員受かればいいのですが、

依頼数が定員数を越えているので絶対に誰かが落ちることになります…。

でも、こうやって力になれるのは本当にうれしいです。

オリジナル問題を作った甲斐があります。

是非とも11月まで突っ走ってください!!


(申し訳ありません。今月で添削作業は終わりにしております。

あとは対策授業等を受講なさる方は、よろしければお問い合わせください。)
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2013
09.20

苦手科目から逃げない!

Category: 雑記
面談も終盤を迎え、いろいろ試行錯誤が見え隠れしてきました。

今回の面談でわかったことは、

英語を嫌って逃げている学生がちらほらいらっしゃいました。

うーん、残念です。まあ苦手科目から逃げたいという気持ちはわかりますがね。

私も理科を年がら年中やれって言われたら、やはり嫌ですもん(笑)

しかし、受験でそうは言っていられません。

どんなに苦手でも必要であれば、取り組まなければなりません。

中には苦手科目を捨てて乗り切る学生もいますが、お勧めしません。

例えば4科目英語・数学・化学・生物が必要だとして、

英語があまりにも苦手なので、他の3科目で乗り切ろうと言ったら、

2科目は、そのうち一つは数学が、満点に近いスコアが取れなければなりません。

これってきついですよ。特に数学を毎回どんな問題でも満点近く取れる学生は

あまりいないでしょう。

そこまで究めるには1年や2年ではどうにもならない部分があります。

(多分数学で満点取れるぐらい頭脳明晰なら英語もそれなりにできるようになるはず)

それでしたら、他の科目の実力を伸ばした方が絶対に近道ですよね。

また各科目に足切ラインが設けられているところもあるので、

特化したものというわけにもいきません。

医学部の場合、科目に特化した勉強しかできないのであれば

帝京大学の医学部しか道がありません。これは医学部受験生としては残念すぎる。

いろいろなデメリットがあるので、やはり苦手でも苦手科目は

足を引っ張らない程度に処理されていなければなりません。

科目が少なくなるのは集中できるのでいいのですが、

リスクは大きいので、あまりお勧めしません。

やはりできる限りいろいろな科目ができるようになった方がいいです。

ちなみに私は仮面浪人を経てもモノになった科目は

4科目ぐらいです…英語・数学・政治経済・地学ぐらいですかね。

あとの国語・生物・世界史はイマイチでした。

特に国語・生物は苦手だったので、本当に困りました。

それでも人並み以上に意識して勉強すれば、

センター試験なら8割から9割は取れます。

苦手と言っても努力次第では、8割まではなんとかなると思いますので、

まだ苦手だから他の科目でカバーしようなんて逃げないでくださいね。
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2013
09.17

分かり合えない人も世の中にはいます。

Category: 雑記
先日、ある予備校の授業で、

生徒が宿題を忘れたことや授業を休みがちであることを指摘されたら、

机を叩いて、出て行ってしまったという事件(?)があったようです。

これはひどい。自分が悪いのに怒って帰るのは言語道断。

まあこんなことが様々な塾ではあるようです。

私の授業ではそんなことは今まで一度も起こっていませんが、

逐一言うときはあるので、いつそんなことが起こるかわかりません(笑)

他にも、生徒全員が意味がないと思って、ある授業に誰も出なかったということも

大手ではいくらかある話を聞き、ぞっとしました……。

ボイコットなのか、本当に意味がない授業だったのか、

正直よくわかりませんが、いいとは言えない思えない行動ですね。

自分の完全なる非を認めなければ、成長は望めません。

それが受験期にわからないのは残念ですね。自分勝手と言わざるを得ません。

まあ、中には自分勝手を貫いてやりきる人もいます。

そういきたい人はあえて先生に教えを乞わずに、

参考書だけで乗り切るのもありだと思います。

だって、毎回そんなのされたら、

講師もですが、周りの学生も嫌な思いをしますよね。


そんなわけで、私は基本的に明らかにそうだという学生を指導することはありません。

申し訳ないのですが、それはただ結果だけを欲しているだけで、

本当に努力をしたり、勉強したりして勝ち取る意義ある勝利を

そういう学生は手にすることができないと思っています。

それがわかっているのに「一緒に頑張ろう」と

強く鼓舞してまでやらせる気はありません。

分かり合えない人間と無理やり付き合う必要はありません。

学校や会社では仕方がないかもしれませんが、それで不快な気分になったり、

仕事に支障が出るのであれば、避ける勇気も必要です。

放射能と付き合って生きなければならないというのは、

確かにそうですが、それを平気で海に流している東電や日本政府に

嫌気がさしているので、自分の命や身内や彼女を考えると

日本を脱出することも考慮しなければならないのと同じです。

いくら話しても解決策へ向かわないのですもん。

世代の理解もそう。私はバブル時代を生き、そこで一山当てて、

その勢いで現代を語る人も嫌いです。

それが例外なく予備校の経営者のなかにも結構いるのですよね。

そういう時代に謙虚でない方とは、やはり私はお話がつかないので、

避けるようにしています。

(これは失敗から学びましたね。プラスのことしか言わない人とイケイケすぎる人はダメ。)

平等に人同士接しなければなりませんし、そうだと確かに私もあるレベルでは納得しますが、

できないものはできない。それが本音で、人間の性の一面ではないでしょうか。




ゆるぎない意志までとは言いませんが、

ある程度自分はこれを目指して、これをやらないとダメなんだと思ってから

勉強をしてほしいと思います。


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2013
09.16

悔し涙は良い環境を作ります!

Category: 雑記
ある学生が私に記述模試暫定の採点結果を聞きに来たのですが、

結果に唖然として、突然泣き出してしまいました。

まあよくあることなんですが、やはり毎年見ていても慣れませんね。

心の奥底から振り絞って、「く、くら(や)しいです……」…。

そりゃそうですよね、思っていたスコアとギャップがあったらこうなります。

私まで悔しくなってきますよ。

でもですね、残念ながらこれが現実。現実は受け止めなければなりません。

その彼女はマーク模試が160点を初めて越えたわけで、

私も本人も非常に喜んでいたのですが、今回の模試では面食らいました。

記述になるとこれだけ実力が出せないとは……。

基礎がまだまだがたがたなのはわかっていたとはいえ、

本人はやはりだいぶ覚えるものを覚えて理解できてきた分、悔しいですよね。


こういう学生には期待しています。

結果の味を知り、結果に落とされた瞬間も知ることができた。

結構じゃないですか。

「では、何が足りなかったのか」がこれでわかるじゃないですか。

彼女の次の修正具合と、次回の記述模試に大いに期待します。

1滴の涙には価値があるもあります。貴重な時間が凝縮されているので、

悔し涙は嫌いではないですね。


そして、悔し涙は伝播します。

近くで聞いていた他の学生は、

そのあと自分も気になり、いろいろ私のところに聴きに来ました。

彼ら自身の結果と今後の方針を……ですよ。

真面目に取り組んでいない学生でさえもこの先を案じたのでしょう。

よかったよかった、いい方へ彼女の涙は伝播してくれました。

真面目にやっている証拠です。指示通りやってくれて、ありがとうと言いたいですね。

我が軍の流れが変わることを祈ります。悔し涙は良い環境を作りますよ!
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2013
09.15

一つでも完遂していないと自信もつかなきゃ、明日もない。

Category: 雑記
さて、面談も中盤戦。今のところ泣き出しているのは2人だけ(笑)

前半戦(第1週目)成績が良かった学生が多く、私もやんわりな発言が多いです。

しかし、おそらくやばいのは後半戦です。

叱責しなければならない学生が多いでしょう。気が重いです。


さて、今回の面談はマークの個票返却、

記述模試の暫定結果を伝えること、そしてそれを踏まえた上で

9月にどのように勉強をすべきかを考えるために行いました。

その中で私は全員に聴いているのは、

「Vintage(問題集の名前)を1冊1周でもやり終えましたか?」

ということです。

まあ最近お馴染みになっているのですが、

1500問ぐらい文法・語法問題が並んでいる問題集のことです。

これを5か月にちゃんとやっていれば、

苦手な学生でも1周はできるぞって4月の初めから話をしていたのですが、

まあ多くの学生はできていないんですよね。残念ですよ、本当に。

しかし、じゃあ他のことが終わっているよね?と思って聞いてみると、

「いや、途中です……単語も終わっていません……」

終始「終わっていない」というフレーズが連発させた面談が多かったです。


さて、夏を過ごし、一皮むけなければならない時期なわけですが、

この時期に問題集を2~3冊は終わらせて、

そのうち1冊を自分にとってのバイブルとして仕立て上げ、

これから難しい問題にとりくむぞーってなっていなければ、

それは失敗だと思った方がいいです。

そのぐらいしなければ、少なくとも英語を得意科目にはできません。

どんな模試でも偏差値をコンスタントに65を取ることはできないと思ってください。

我が軍の中で一番解いたなーって思わせてくれた学生は、

NextStageを2年で17周していました。しかも、それは理系です。

そして、ちゃんとその学生は一昨年国立の医学部に現役で入りました。

彼はそういう努力値が人を創り上げるのかという典型例でしたね。

そういう頑張りを見せる学生は確かにまれかもしれませんが、

稀だから難関と言われる大学にさらっと入るのだと思います。


こんなわけで、夏を思うように越えられなかった学生への最後のチャンス。

私はそんな学生に言うのは、

「1冊でもいいから完璧にしてみなさい!!」

これなら、結構できる学生が多いんですよ。

他の科目が出来上がっていて、英語が苦手な学生には

あえてこう言った方がうまくいくことがあるので、私は迷わずこう言ってします。

まあそれでも合格しようと思えばできるんですよ。

いろいろなエッセンスが吸える問題集を1冊選べば、それだけでよかったりするんですよ。

あとは過去問を死ぬほど解けばうまくいくわけです。

そして、何より、「1冊終えた」という実感があるのとないのでは、

本番での答えの書き方が違います。

「やっていなかった」となれば、

わからない問題に遭遇したときには「あ、やってないからできないのか」ってなりますし、

やってないがゆえに答えの根拠としてすがるところもなければ、

そうではないかと思った答えが複数あったときには判断しきれず、

結局消極的な答えしか出ないんだと思います。


まずは1冊だけでいいので、隅から隅までやりぬき1冊完遂してください。

1冊終われば明日が見えるのであれば、安いもんでしょう。

(それだけやったで理屈は通らんこともありますからね(笑))
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2013
09.14

「いじめ」の扱いに関して(推薦書等を書く場合)

Category: 雑記
実はある学生の自己PRの書き方というか、何を書くべきかを相談され、

その学生(大学生)は、

「僕は高校のときにも、中学生のときにもいじめにあったから

いじめのことを書いて、立ち直った自分のことを書きたいんだがどうかな?」

と言い始めた。うん、気持ちはわかるのですが、ダメだと言いました。

こういうには2つ自分の意見としてあげると、

1つは同情票を買うようにも見えるので、絶対しない方がいいと思います。

もう1つはいじめで立ち直ったことは確かにすごいことで、

忍耐強いと言えるかもしれませんが、

反対に人と輪を保てない場合ってあるのかーと悪くとられる場合があるので、

やはり言わない方が無難だと思います。

これは難しいですよね。

残念ながら、「いじめ」の辛さはいじめられた人にしかわからないと思っています。

もちろんわかろうと努力はしますよ、絶対に。

でも、そのつらさの度合いは説明しがたいし、

自身こそ説明したってわかってもらえないよねって思うはず。

だったら、それをオブラート全開に包んでプラスにかいたらどうだろうかと考え、

彼には話の展開をガラッと変えた内容を提案しました。

本当はこれを公開してあげたいのですが、

本人の負のプライベートなので公開は却下。

AO入試や推薦書を書く時期ですが、そろそろ書くことをまとめてくださいね。

そして、どんな些細なことでもいいですから、プラスの内容を書いてくださいね。

過去へのベクトルではなく、未来へベクトルを向けてくださいね。



これは就活の話になってしまうのですが、

「いじめ」のネタはどうですかね?っていうことに対して

お応えしているブログ内容を見つけたのでどうぞ。引用文です。

出典:http://blog.livedoor.jp/contact_ganchan/archives/51036545.html



________________________________________________________________________________________________

さて、今日の本題の「いじめられた経験を自己PRで使えるか」の話をします。

先日ある就活生のからESの添削をたのまれ、読ませてもらった時のことだ。自己PRの欄に、「私は中学時代いじめを受けていたけど、卒業までがんばって耐えました。その時私は忍耐力がつきました」という旨が書かれていた。今までたくさんの就活生のお話を聴かせてもらった中にも、同じような内容の自己PRをされていた方がいて、まっすぐな気持ちや正直さに別の心配をしてしまうことがあった。

「中学時代にいじめにあって、それを乗り越えたことを自己PRにしたいんだね」「はい、そうです」「それはどうしてなんだろう?」「ぼくにとって過去の経験の中で誇れるエピソードといえば、これしか思い浮かばないので」「あなたがそうしたいのなら、ぼくはだめだとか、やめたほうがいいとは言わないけど、あまりおすすめはしないけどね」「そうですか、でも、自分としてはこれかな、と」「そうなんだ、じゃぁ、何か別のエピソードとか、自己PRに使えそうなものはない?」「いえ、別に」「そうかぁ、でも、もう一度よく考えてみてみようよ」「そうですね、はい」「自分の中の大切な思い出として、しまっておいたほうがいいような気もするよ」「はい、考えてみます」

その時は、そんな会話をして終えたんだけど、次の日の朝いちばんで彼から「ぼくは、やはりいじめを克服した経験を自己PRにしたいと思います」と連絡が入る。「でももしかしたら、あなたのその正直さを受け入れてくれる採用担当者は多くはないかもしれないけど、それでもいい?」とちょっときびしめの意見をしたところ、「はい、逆にこんな自分を受け入れてくれる会社を探そうと思います」と、力のこもった答えが返ってきた。「そうか、じゃあこれからの就活の中で何か困ったことや、うまくいかないことがあれば、遠慮なく相談してね、連絡してきてちょうだいね」「はい、その時はよろしくお願いします」と受話器を置いた。

そもそも自己PRというのは、「自分のいいところ」を相手に伝えることだと思う。一般的に「いじめられたこと」はネガティブな印象を与えてしまうだろうし、それを「克服した、耐えしのいだ」ことが本人にとって誇れること、がんばったことであったとしても、「すばらしい経験だね」と採用担当者からプラスの評価を得ることはあまり期待できないのが現実だろう。なかには理解をしてくれる採用担当者がいたとしても、評価者はその人ひとりじゃないわけで、残念だけど人事部の全員が分かってもらえるとは思えない。それでも、だからこそ自分を理解して欲しいと、いじめの経験を真剣に伝えようとするその気持ちに、ぼくは共感し応援したいと思う一方、就活に関わるカウンセラーとして複雑な思いでもいる。

それは、彼がどれほどの思いでいじめの経験を自己PRにしようとしたかを思うと、とてもつらい決心だったのではないか、ということだ。もしかしたら彼は、就職活動の中で今までの自分と正面から向き合い、自己を受け入れ、許容し、そして今までの自分とは違う自分として、次の一歩を踏み出そうとしたのではないか。その決心を揺るがないものにするために、あえて自己PRというかたちにして社会に提示する。一歩間違えれば社会からはじかれてしまうリスクを覚悟で、自分に正直にあろうとするその態度は、とてもすばらしいし、美しくもある。だからこそ、その思いが伝えられなかったとき、大きな落胆と後悔が彼を待っているだろうことに、ぼくはどうしても心を痛めるのだ。

社会をよく知る物わかりのいい大人として、「そんな経験は自己PRにはならないよ、やめたほうがいいよ」とアドバイスをすることが、たぶん最良の指導なんだとは思う。それを十分わかった上で、彼にはそのまま、まっすぐな正直さを持ったまま、就活を続けて欲しいし、エールをおくりたいと思う。それが彼の人生にとって必要な試練なのだと、そしてその試練を乗り越えたとき、彼は大きく成長することができると、ぼくは信じたい。
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2013
09.12

うろうろする学生

Category: 雑記
よくある先生の前をうろうろしている学生がいます。

こんなやりとりです。

ある先生(A):「よし、今日はさっきまで何した?」

学生(B):「勉強してましたよー。生物の視神経のところの復習です。」

A:「そうか、じゃあ数学やろうか。どうせやってないでしょ。」

B:「やってますよ。でも、わからないからやりたくありません」

A:「そんなこといつも言ってるからダメなんだよ。じゃあ先生が課題だすよ。」

B:「えー、いいです。やるべきことはたくさんあるから!」

A:「そう言ったってやらないじゃん!」

………

こんな会話が毎週月曜日の午後あたりに聴けます(笑)

おそらく他の日もこんな感じなのでしょう。

これって先生が引き留めているように見えますが、

全然そんなことありません。先生に構ってもらおうと生徒が

「自分は結構やってますけどねー」っていうことを

一種アピールしているのではないですかねー。

この類の学生は非常に増えてきましたね。

とりあえず何か言われずにポーズだけは作っておくぞと

先生の前ではやっていることを説明したり、やっているものをちらつかせたりします。

これは私もしていたのでよくわかります(笑)

その先生に捨てられたら困るんですけどっていう精神的な動きもあるんですよね。

不安なのはわかります。不安ですよね。

でも、それをも乗り越えないとできるようにならないのが勉強です。

最後の最後は自分で乗り切る!他者からの相対評価ではなく

実力で勝負しなければならないので、

先生の前でうろうろせずに机に向かってほしいですよね。

先生と言うのは結構よく見ているものですよ。

会話の節々からどんな生活をしているかなんて、ものの5分あれば見えるものですよ。

(講師の洞察をなめるなよwww)

とにかく、この学生には自立して勉強してくれることを祈ります。
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2013
09.11

明らかにできないことは「言わない」・「しない」

Category: 雑記
今月はまた生徒と面談をする時期となりました。

記述模試が終わり、予想スコアを出し、今後の展望をお話ししています。

とはいえ、今回というか今年の学生はとにかく夏を満足なものにしなかった学生が多く、

あまり進展的な話にはならない感じなのが残念です。

中にはものすごく成績が伸びた学生もいます。

そういう学生にはもう次に何をすべきかをお話ししていきますが、

さて、今回何もしなかったというか、

あまり行動が芳しくなかった学生たちに何を促す必要があるのか

これを考えてみました。

それで、英語ができない学生に九通してできないことが1つわかりました。

それはいろいろある複数の課題を5か月経っても

1つも完遂できなかったということです。

とにかく中途半端。周りばかりして、

自分は進度が進んでいる、相手は進んでいないから大丈夫という

心理が働き、とにかく自分の意志で何もできるようになっていませんでした。

まあ無理難題ではないのですが…

テキスト一冊読了と、授業でやった問題の復習だけですからね。

非常に残念です。ただそう悲観視ばかりしていられません。

そこで私が思い切ったのが、

無理な計画は「しない」・「言わない」、

すなわち、できないことは「しない」・「言わない」。

例えば、今回の場合、

5か月で1問題集(文法1500問ぐらいのもの)を1周できなかったわけで

(本当にこれはダメだと思う。上位大学に行く資格がない。)

これを勢いであと1ヶ月で「終える!!」ということを言わせませんでした。

すべて、日割りして、自分の実力に相応させてブランを考えさせることにしました。

そのためにまずは「今できること」と「今はできないこと」を

はっきりさせるように促しています。

そのことだけわかれば、大体の指針とやることは見えてきますよね。

これは大人になってもそういう人が多いんですよ。

ある予備校の人間がこんなことを言っていました。

「独自で相対的な実力分析表を作ろう!」とか言うんですよ。

これって要は河合の模試や駿台の模試で渡される個票と一緒で、

それを独自で分析して作ろうと言うものなんですよ(多分)。

でも、すでにあるものや明らかに河合等の個票のが優れているのがわかっているのに、

そして一番突っ込みたいのですが、そんな壮大な作業を短時間でできるわけがないのに

それを口にするのは非常に愚かとしか思えません。

ロマンじゃないんですよ、受験は。空想的すぎる。

(私が「できないんじゃないか」とぼそっていってら、その人は本当に怒った…

非常に器が小さいと思った瞬間でしたよ。)


そういうわけがわからんことを言わないで、

根性論全開でものを行わないように、今はしっかり道付けしてあげるのが

私の使命な気がしています。

というわけで、今月の私は少々ハードモード。

どれだけ罵倒して、そのあとの褒めちぎりをするかが私の任務。

このせいで私は胃が痛くなり、下痢をしております(笑)

(汚くてすみません…(笑))
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2013
09.10

模試終了後にみた学生の表情と反応。

Category: 雑記
先日記述模試が行われました。第二陣といったところでしょうか。

今回は飛躍的に伸びた学生がちらほら。

自己採点ですが、高得点は170点から180点の間が4人、

そして、一人だけ180点(先週も言いましたかね)取れましたね。

140点前後が多かったように思います。

ただこれだけあれば、ひとまず受験では足を引っ張らず戦えると思っています。

まあガミガミ言った甲斐があったのでしょうかね(笑)



さて今回は素人からみた行動心理のお話し(笑)

できたぞーって言っていた学生は、

テストが終わった後に私のところに一目散にやってきました。

それだけうれしかったのでしょう。

でも、その学生の「できた」はまだまだレベルが低い。

本来はもっとスコアを獲ってもらわないと困るのですが、

200点満点で50点しか取れなかった学生が、

記号問題だけで60点を取ってしまったら、記述問題の配点が100点あるので

半分取れたら大進歩ですよね(笑)

いやー、頑張りました。と言っておきましょう。(その彼には期待したいので厳しく(笑))


一方、大半の学生は私を見ると、基本的にあまり目を合わせずにすたこらすたこら。

そんなものです。でも、そういう学生の一般的な心理ですが

自分に非があると思うが故の行動でしょう。

要するに、それほど「やっていなかった」ということを露呈しているわけです。

もし勉強をそれなりに満足してやっていて試験が出来なかったら、

どうしてダメだったのか探求するでしょう。

それをしないというのは、まだまだ甘い。

仮に私に何か言われると思って避けているとすれば、

どんな理由であろうと、

自分に与えられた現実から目をそむけているということになります。

こういった困難にも耐えられるようになるのが、

受験で培える力な気もするので、そこには真摯に立ち向かってほしいです。


しかし、今年の学生の心は折れやすい……

もっと優しくしなくては1年を終えられないと思うと非常に胃が痛いです。
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2013
09.09

批判される方が華だと思うのだが…

Category: 雑記
先日、ある出版社の方から本が届きました。ありがとうございます。

「是非、どこかで感想をしたためさせてください」とメールを打っておきました。

さて、その本の帯にはこんな文句がありました。

「批判はなぜその力を失ったのか」

これは今の世の中の流れだよなって感じさせるものでした。

正直、少々強く批判をすると「空気が読めない」、「その人の考えも尊重しよう」、

こんな風に何でもかんでもプラスの意味ですべてとっていこうという

ノリが見られるわけですが、これは少々違うと思うわけです。

(これも社会に対する批判ととられたら、何を発言して自己を示すのでしょうかね(笑))

こんな世の中なわけで、学生たちに授業をするうえで

怒らないのが前提といった話がよくされるわけですが、

(まあ予備校は信用第一ですから、きつく言えないのが大半です……。

これはアメリカにいくともっときついでしょう。)

あまりにも勉強しない者に指摘しないのはいかがなものだろうか。

勉強はある程度意志を持ったうえでやるべきであるというのが

私の中で前提としてある以上、

それに相乗してスパルタな部分があってもよいと思っております。

だから、私は明らかにやってないとわかれば叱りますし、

その批判は容赦ありません。

その社会では正しいが、違った社会に行けばその事実は正しくなくなるなんて

詭弁を言うが、真理として違うだろうって感じ得るものはたくさんあります。

だから、どんな世界に生きようとも批判はつきもの。

ただ、批判だけだとどうすればいいか迷ってしまうので、

生徒に対してはそのアフターケアを忘れてはいけません。

つまり、「君はこれこれが悪いが、

こうしていくことでいい方へ向かいと思うのだが、君はどう考える?」

と振ることですね。

生徒のために批判回避への逃げ道は作らなければなりません。

勉強をし始めてまだまだ数年の学生に現実だけすべて押し付けたら

それはそれで少々かわいそう。

私たち講師は、悪習に対しての解決策が具体的に示すことができて初めて

その批判ができるはずなのですよ。

でも、多くの先生は批判をせずに、ただ生徒のやりたいようにやらせたり、

面倒なこと・ストレスなことを回避するために何も言わない者もいます。

私もその躊躇はもちろんありますが、生徒の先のことを考えれば、

今言っておいた方がどうしても得だなって思い、ガツンと言ってしまいます。



「批判の力が失われた」というのは、どういうことなのかを

考えるためにこれから読書に耽ろうと思います。
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2013
09.08

学歴の話と学生に求めたいこと

Category: 雑記
先日、ある医学部の教授と盃を交わしていた時にこんなことを言われました。

「えっ、君、学部は名大じゃないのか。東京出身ってことは、東大?

または早稲田?(私が出身校を答えたら)

えーーーー、日大法学部!?へー、何があった?(笑)」


まあこんなことは日常茶飯事で、中学生や高校の同級生からすると

大学に行くこと自体が結構頑張ったじゃないかと言われるほどです。

高校の同期からしたら名大の大学院なんてとても考えられないようで、

「やはり、お前はキチガイだったか」、「あのときから意志だけは違ったよな」

「あいつってそんなに頭が良かったのか??」なんて言います。

まあこれでも、勉強は人並みにしています。(笑)

すると、それがわかった途端に彼らは露骨に態度を変えます。

「あいつはもうあの時のあいつじゃない。」、

「あいつはバカやってたが、俺は何もかわっていないから……」

こんな話を人伝いで聞いたときには悲しかったです。


正直、この稼業をしていると学歴はある程度は必要になってきます。

私が最近仲良くさせてもらっている先生も

「学部は短大なので、とりあえずマスターとって

形だけでも見せなければならないかもですよね。まあ実力さえあればなんでもいいですが。」

って話していました。

しかし、私はどちらかというと学歴は会ってないようなものだと思っております。

実際に私は、現役の時に補欠で早稲田の教育学部、

仮面浪人の末に早稲田の社学と群馬大学の医学部には合格しておりますが、

結局いろいろ考えてそこに進学をしませんでした。

学部では法律がやりたくて、

いろいろな見識を1年でもはやく広げたほうが得だと思って日大法学部に進学したので、

結果的には決して悪くない選択だったと自負しています。

(決定したときは、相当不平を言っておりましたが(笑))

しかし、この受験業界ですとそうはいきません。

この業界では受験での経験がものを言うので、

ある先生は「僕はセンター試験で95%を取得して東大に入った!」、

「勉強ゼロから1年で早稲田・慶応の法学部にはいった!」、

と自己紹介の初めにおっしゃる方もいます。

私としては「なんじゃそりゃ?」って感じです。

官僚や一流企業での宴の席でもそんな話になることがあるそうです。

グローバル化して、終身雇用制が崩壊し始め、

過度な学歴に関する感覚が緩和してきたのですが

それでも、

「入試でのスコア=お偉いさん」といった感覚がまだまだ根づいている…

こういったヒエラルキーから抜け出せないのは

どこか残念ですよね。

私自身もこのヒエラルキーに巻き込まれたことがあります。

ある予備校で私の名前を掲載するときのこと。

「君の経歴さ、学部が日大法学部だから、カッコがつかないんだよね。

だから、ストックホルム大学の方を書いて、それから名大院と書いて掲載していい?」

と言われたことがあります。


まあなんてスノッブな考え方なんでしょう。(笑)

個人個人とおっしゃっている人だったのにもかかわらず、

自分の属しているものや、自分がそれなりに持っている学歴の方を大事にするなんて

もはや矛盾をきたしている……茶番もいいところですよ。

残念ながら、受験をけん引してきた

多くの先生がこのようにお話ししているのは残念でなりません。

(これは村上春樹もたしか同じようなことを何十年も前にかいていましたね。

彼はちゃんと20年も前から物の価値をしっかりわかっていた方なので

私は作家と言うよりも人間として彼を好きだと思っています。)


私は学生を、こういった良くわからないプライドを持ったりする学生や

ヒエラルキーに呑まれていずれ社会に安座しようという学生に

しないために今この仕事をしているのかなって思っています。

じゃあ家の近くの学校に行くのかというとそうではないですが……。

難関と言われる大学を目指すのは、

今後付き合うだろう志の人間がそういった難関大学に集まりやすい、

または集まる確率が高いためでしょう。

そう思える大学に行ってほしいといつも話しております。

そう、わが軍の学生はみなりっぱでなくていいです。

まともな人になってほしいと心から願います。
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2013
09.07

時間を「かける」は「賭ける」ではダメか?

Category: 雑記
私はあまり勉強していない学生にこんなことを言います。

「君が1ヶ月で問題集を100ページできたら僕は1000万ぐらい払ってもいいよ。」

すると、生徒たちは「えっ、できますよ!やってみせます!」と言います。

そして、私はじゃあやってごらんと1ヶ月様子をみます。

1か月後、ある生徒にこのことをお話しします。

すると、「先生、やっぱりできませんでした。」と言って終わろうとする。

しかし、私はここで「えっ、待って待って。できなかったのよね?

どう落とし前をつけるのよ(笑)?」と言ってみる。

もし私が浪速の極道とか博多を闊歩するヤクザであったら、

この学生の小指は詰められていることでしょう(笑)

そう、多くの学生たちはリスクを背負わずになんとかならないかなって思っております。

彼らは賭け事を知らないのですよね。本当の意味で。

大事なものを賭けて、それを失うリスクが大きくても

目の前の手に入りそうで入らないものを全力でとりにいきたいという

気持ちがやはりないのかなって感じざるを得ません。

そう、これって、もしなりたいものがあっても、

「決してそれになれなくても死ぬわけじゃないし……地球は変わらず回っているんだよ」

っていう保身があるのかもしれませんね。

もちろん、すべてそれを投げ出してやれっていっているのではないのです。

でも、その身をかけるべきリスクが少々小さいのではないかねー……

そう簡単にほしいものは転がり込んでくるわけではないのです。

そこんところ、よろしくと彼には言ってみました。(響けばいいのですが…)


そして、最近はこういう思考を親御さんもするようになっており、困るときがあります。

お金でリスクを負っているじゃないかという考えもありますね。

これは半分筋が通っているが、半分は少々事情が異なります。

勉強は本人がやる以上、生徒本人がやはりリスクを負ってほしいですね。

そういう意味でも、予備校や塾を決めるにあたって、

親子内で少しずつ本人の自主性や真剣さを

しっかり確認する必要があるかもしれません。



本当にできる学生に

「君が1ヶ月で問題集を100ページできたら僕は1000万ぐらい払ってもいいよ。」

と言ったら、本当にやってきてしまうので絶対に言いませんが…。

まあそれなりに根性があったり、意志を持っている学生は

そんなまとめて短期間で詰め込むようなことをしません。

うーん、やらないというか、短期間で詰め込むために

長い期間をか(賭)けて、事前にベースをじっくり作っていると言った方が

正しいかもしれません。

そう、時間をかけるの「かける」は、実際に「賭ける」のかもしれませんよ。


おあとがよろしいようで(笑)
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2013
09.05

推薦入試・AO入試が始まりますね。

Category: 雑記
今年もAO入試の募集が始まり、一部合格も出始めています。

去年は9月入学で早稲田の国際教養学部に合格した学生が出ました。

いやー、うれしいですね、ホントに。今年もどれだけでますかねー。


さて、そんな感じで私の方が10月~11月なると

推薦入試で学生が抜けていき、少々楽になりつつあります。

受験学生の受講は難しいのですが、11月を目処に授業ができるように

また準備をしていくつもりです。

というわけで、ここで告知いたします。

高2・高1で早くから準備を始めて難関大学に合格しようと思っているのだが、

英語の基礎がままならないという熱意のある学生や、

中高一貫生なのだが英語がついていけなくて、これから大学受験を見据えて

今のうちに英語を得意教科にしておきたいという中学生等、

もしご興味があったら、一緒に英語を勉強しませんか。

よかったらご連絡ください。


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2013
09.04

この時期に言ってほしくないフレーズ(9月以降)

Category: 雑記
英語に関してこの時期にこんなことを言っていると

うーん、合格はなかなか難しいぞってフレーズを上げてみます。


1、「10月入るまでには文法を終わらせますから!!」

これはあまり期待できません。

我が軍では毎年受験生には9月までに文法を8割から9割方完成する努力をしましょう

と推奨しているのですが、この時点で出来上がるのは毎年6割から7割です。

できない学生は他の科目で補正をかけるように促し始めます。

それを脅しでいうわけですが、そのあと大半の学生が言うのがこのフレーズ。

そう、英語の勉強ってしわ寄せながらできるようになるはずがないのですよ。

しかも、1ヶ月でできあがるならそんな5か月も猶予を上げていませんって!(笑)

そんなことに気づけない者は悉く1月でグダグダになります。

本当に目標が達成できない時は、それを最低限何とかできるように

修正をかけるべく近くにいる先生にご相談をするべきです。


2、「いつまでたっても品詞(自動詞・他動詞)がわからない!」

これもよく聞くことなのですが、

これも英語の勉強をしっかりやっていない証拠。

これを分からずに

よく「英単語帳は覚えたのですが……」と一部の学生たちに言われるのですが、

例文を読んでいないのが見え見えですよ。

1文の中でいいから意味を考えてわかるレベルに一度でも達成したら

覚えたと自負してほしいですね。

こういう甘さからやっているぞアピールをするわりには

この「品詞・自他動詞の識別」の無理解を棚に上げてきます。

品詞を覚えるためには、精読が不可欠です。

精読しながら学習して英単語を覚えることこそ英語の学習の第一歩。

この時期にこの話はしたくないというのが本音ですよ。


3、「参考書を変えたほうがいいですか?」

参考書は浮気してはいけません。

もっと早い段階で浮気をするべきですよね。

せめて夏前にやるべきものを吟味して、情報を集めて準備するべきですよね。

この時期になると、結果がほしくなるので即効性があるものをほしがるのですが、

それでやりきったといっても何にもなりません。

まずあるべき問題集を1冊やりきる忍耐力をつけましょう!

そのあと新しい問題集に移行するなり、単語帳を読み直してください。



えー、マジでそんなことをいう東大受験・早慶受験・医学部受験の学生なんているのか。

こう思った人はまあ最低限勉強して来ているのではないでしょうか。

(まあもちろん最低の最低の最低限ですよ(笑))

引き続き高いレベルで頑張ってください。

でも、この類の学生は少なくないのは確かです。

期限を守ったり、目標をある程度掲げて頑張るなり、

これぐらいはできるようになってほしいですね。

是非ともこの9月を生き抜いてくれることを私は願うばかりです。
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2013
09.03

英語はスパルタ気味で覚え、教えなければならない。

Category: 雑記
村上春樹が「やがて哀しき外国語」の中で、

スペイン語の教室の話を介しながら、言語教育におけるスパルタを少々話しております。

これにはまったく同感で、言語はスパルタよりにやった方ができるようになります。

私も英語はスパルタ的に叩き込まれたようなもので、

正直手取り足取り教えていただいたという経験はありません。

私の師匠である諸坂成利先生から教わった文法構造は

「現在形には一部始終の感覚の意味があるんだぞ!」ってことを

1時間じっくり事例を出していただきながら

他の時制とともにお話をいただいただけで、

あとはもっぱら「英単語」、「速読」、「海外に行け!」と

捨て台詞のように言われていただけです(笑)

まあもちろん英語の以外の話に魅力を感じてついていったのですが、

私がもし「どこで英語を覚えたのですか」と聞かれたら、

私は迷わず「諸坂先生とお話をしているうちにできるようになっただけです」と

答えるでしょう。

そうなんですよ。英語ができる人って、

英語の文法を知っている感覚ではないのですよね。

英語が熱心に読めるようになるために努力する人しかできるようにならないんですよね。

つまり、自分のなかで必要性を感じないとできるようにならないわけですよ。

必要だと心底思わなければ、言語っていくらでもいい加減に覚えることができるんですよ。

そして、話すだけとか伝えることを重視するだけだったら、

いくらでも適当でもコミュニケーションがとれるんですよね。

だから、私は英語の先生の立場にある以上

好きかどうかよりも、英語をやらなければならないので

言われたことをしっかりやりますという学生を歓迎しています。

無駄に言い訳する人や、

やるべきことから逃げる人はどうぞできなくて結構と思っています。

そうでなければ、いつまでたってもできませんのでね。


好きか嫌いかで判断しないでください。

科目はやるかやらないかでしっかり選んでください。

英語は残念ながら大方逃げることができないので、

苦手な人は諦めてどうすればいいかよく考え、小さな努力を重ね、

動機づけを強めてください。英語は、英語のことを思えば思うほどできるようになります。

そう、英語という科目は素直な性格です。

そんじょそこらのひねくれた女子や男子とは違いますよ(笑)

さて、9月も頑張りましょう!

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2013
09.01

目標と代償は等価交換で成り立っている。

Category: 雑記
夏がついに終わり、また二学期がやってきます。

二学期は学校行事や部活の大会も多く、受験生は模試や推薦入試のことを考える時期で

勉強以外にやることがたくさんあります。

しかし、それでも時は刻々と進んでいくわけで、人々を待ってはくれません。

学生たちは一生懸命に両立させたり、

やりたいことややるべきことを天秤にかけながらこなしていかなければなりません。


そんな時期が始まる前に、

みなさん今一度自分の生活を振り返るべきです。

特に受験生のみなさんは、9月の頭に河合の全統記述模試があります。

ここで成果を測るために頑張ってきた学生は多かったのではないでしょうか。

結果が出てからでもいいのですが、軌道修正をするために生活を見直してみて下さい。


ここ最近のわが軍は、

「あまりにもふろしきを広げすぎた」症候群に陥っています。

夏前に学生があまりにも勉強しなすぎて夏を迎えたために、

夏に膨大な量の課題をこなしている学生が多く(基礎事項多し)、

収拾がつかなくなっている学生が多く見受けられました。

仕方がなかった部分はありますが、やはりこの時期にそれを迎えたのは痛いです。

9月にどうやって修正するかをこれから学生と考えます。



One Pieceで、モンキー・D・ルフィとロブ・ルッチの戦いの中で、

負けん気を見せるルフィに対して、

ロブ・ルッチはこう言います。

「お前はすべてを望みすぎている!!」

このセリフをルフィの心の強さとギア2のすごさで乗り切りましたが、

なんだかんだで結局2年修行するに至っています。

どんなに勉強をしていても、腰を据えるときは必要です。

あまりにも大きなことを抱えすぎていると、

それを処理できない時はどんな人にだってあります。

そうだと感じた人は、結構感性が鋭い人です。

自分が達した限界で乗り切る努力は確かに必要ですが、

無理をしすぎてすべてを失うこともあるので、どこかでブレーキをかけなければなりません。

ある学生はこんなことを言っていました。

「英語でやるべきことがすべて中途半端になってしまったので、1つに絞ってやる!」

またある学生はこんなことを言っていました。

「私は学校の行事に参加しすぎてしまって、また1つの塾に時間を拘束されすぎて

自分の勉強をする時間がないので、もっといらないものを排除した生活を送ります」

どの学生も頑張りすぎたがゆえに、多くのことを抱えすぎてしまい

前が見えなくなっていました。

というわけで、今月は多くの学生たちにやれそうで意味があることを一人一人話し込み、

目標を絞りました。

ある学生はVintage3周。ある学生は英語と数学で1日各3時間以上の学習。

ある学生は生物の基礎事項を完成させる。……



何かを犠牲にしなければ、

大きなものを得られないことを少しわかってくれたように思いました。

そうなんです。自分の等身大よりもでかいものを手に入れる場合は

それなりの代償があるわけです。

鋼の錬金術師で言えば、エドとアルが母親を人体錬成を行おうとしたら、

肉体を代償に失ってしまいましたね。

そう、すべて等価交換で物事は出来上がっているといっても過言ではないのですよ。

与えられる時間はみな一緒なのですからね。


なんか漫画の例えばかりになってしまいましたが(笑)、

学生が少々成長してくれたのではないかと感じることができてよかったです。

引き続き突っ走ってくれたら幸いですね♪
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