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2013
06.30

受験に宣言は必要ない。必要なのは「やる」ということ

Category: 雑記
マーク模試で英語で184点を取って13番(文系では1番)、

数学で97点取って115番(関西の進学校にて)という席次を聞くと

生徒たちは非常に優秀な学校に所属しているんだなと、私は思わされます。


さて、今年のわが軍の1発目はまだまだ不発で、

去年のような常勝軍団とは比べものにならないほど勉強が足りません。

しかし、今年のわが軍には、いつも言っていますが、根性があります。

今の席次を聞いて、生徒たちは泣きそうになるわけですから、

まあ精神だけは立派に受験生になっていますよね。

もしかしたらぐんと成績が伸びるかもしれないので、そこに期待です。



そして、今年のわが軍は高校受験でしくじった受験生が多いです。

リベンジをかけたいという願望で臨む者がたくさんいます。

昨日もある生徒さんから

「僕は旭ヶ丘(名古屋ではトップの公立高校)にいって、

早稲田慶応という道を進む予定でいたのに、

内申点が足りなくて、なくなく違うところへ行ったんです。

だから、なんとか大学受験では見返してやりたい!」

という意気込みも見せられて、「あー、気持ちだけはちゃんと本気だよね。」

という風に思わされました。


しかし、こういったリベンジ組によくあるのですが、

彼らは「いつかみてろよ!」と口で言っているだけになってしまうことが多く、

なかなか行動で示そうとしません。

まあ以前に失敗して無意識に躊躇しているのでしょうが、

そこをもっと気持ちで乗り切らなければなりません。


去年教えた生徒(講座に参加していた生徒)のなかにも、

模試で結果を出していないにも関わらず、

「僕は推薦で愛知医科に合格できる実力があるんだ」と過信して、

結果は惨敗という生徒がいました。


また、ある塾でですが、

生徒が勉強する意気込み(いやあれは威嚇だな)を書いて掲示しているのを見て、

私は「あー、彼は受からないね。

リスクも背負わずにただ意気込みを書くなんて

できない人間がする所業にすぎない。」と、思ってしまいました。


紙に書いたり、人に宣言するレベルの意気込みなんてあって当然。

それを日々心に常に掲げて、日々自分に合格するんだと言い聞かせれば、

宣言などする必要はありません。

宣言は自分を変えるためではなく、本来人に影響を与えるための行為で、

受験においては自分へ言い聞かせるだけなので、

そんな人への宣言は必要ありません。

宣言するならするだけのリスクを提示して、

自分の首を絞めるぐらいの覚悟を決めてください。

口だけ番長にだけにはならないでいただきたい。

そのために必要なのは、口や宣言ではありません。過去へのいいわけでもありません。

ただ、「やる」 ということです。

口に出す前にやってください。やってから文句を言ってくださいね。


我が軍の一部はそれがわかってきたような気がして、私はほっとしています。

頑張れー、学生。
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2013
06.29

「専門家」という響き

Category: 雑記
私は今英語の専門家を生業として生きていることになっていますが、

大学教授や著名な翻訳家の英語力とと比べると、

自分の英語力なぞ塵にしか思えないほどです。

「英語力」で枠をくくると、私の実力はおそらくままですが、

「大学を合格させるまでの語学力」として他者と対峙したとしたら、

これは負ける気がしません。

なぜなら、今は英語の指導で生計を立てているからです。

そして、今は受験英語の専門家として、

誇りをもって生きていかなければなりません。


専門家とはとても無理やりな人間を意味しているように思います。

今や、「スペシャリスト」などと横文字にもなっていますが、

私も含めて如何にも薄っぺらい人が多いように思います。

島崎藤村は専門家について、

「専門を定めるということは、多くの場合に、衣食を得るの必要から起る」

というように表現し、もともと人間は専門性なんてない存在だと、

悟っています。

私は彼の言葉を読んで、

専門家として生きている人はどこかやむを得ず、

その仕事を選んだ人がこの肩書にあるんだという、

「専門家」という響きに、少し脆弱さを覚えます。



こう思うと、私はこの仕事を一生やるつもりはないと思ってしまいます。

私の本当の心は、英語という枠を越えて、

「勉強の楽しさ」を提供したいというところなのです。


これは学部のときに強く思ったことです。

私の恩師である教授は、私の英語の先生でしたが、

それ以上のことを星の数ほど教えてくれました。

先生は法学部の先生にも関わらず、

「法律に目もくれずに、まずは英語を勉強しなくてはならない」

と入学初めに言われたのを覚えています。

私は最初この言葉を、

「え、英語を極めたほうが法律家よりも優れているということか?」

という比較論でしかものを捉えられませんでした。

しかし、無論真意はそこにはありません。

そんな浅はかなことを、真の教授であれば言いません。

彼が言わんとしていたのは、

英語をしっかり勉強した上で、法律書を読んで初めて、

法律の正しい使い方がわかるのだということだったのです。

つまり、英語の知識を明るくすれば、

すべてに通ずるということを意味していたのです。

早い段階で私はこれに気付けて本当に幸せでした。

だから、私も恩師と同じスタンスで英語の指導をしています。

そして、今は大学受験というステージで英語を教えつつ、

少しだけ勉強の楽しさや厳しさを伝えていきたいと思いながら、

指導しています。

英語の学習は所詮通過点で、当然の作業。

21世紀における人間の生業であって、

英語の専門家と名乗るものほど、偽りに見えてきます。


私の10年後はおそらく海外生活をして、

世界の荒波にもまれているというシナリオになっています(予定(笑))。

その荒波を越えていける英語力をつけることこそ、

学問の登竜門だと思いながら、

私はまたあしたも、あさっても、来週も指導していきます。

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2013
06.28

叱咤には二種類ある。

Category: 雑記
先週私は胃腸を壊し、

一日だけ医師と栄養士と相談するためにあえて入院をしました。

まあ相談というのは私の食生活の改善と、野菜やビタミンの摂取法の解明ですね。

その相談に彼女も付き添ってくれていたのですが、

とにかくいろいろ改善点を挙げられてしまい、非常に心が痛かったです。

何より、彼女さんには相当言われました。

「今までもこうやって胃腸を壊して、改善することを誓っていたのに、

今回も病院に行くまでわからなかったというのは、

自分が不摂生であることを露呈しているし、自分が怠けているからだよ。

自分の身体だから早死にしても酒を飲みたい、好きなものを存分食べるのは結構。

でも、早く死んでもらっても困る存在が、

少なくとも私以上の人間がいることを忘れないでほしい。

節制してください。一緒に考えましょう。」

うん、非常にうれしかったですね。自分のダメさを露呈されて憤慨するよりも

自分のために親身になって考えてくれた姿勢に感謝です。


さて、まあ私もここ数年で

人に何か文句をいう立場になってきていることが多いのですが、

やはり自分に対して非難してくれる人もいます。

いい意味でも、悪い意味でも。

悪い意味での批判は、もうほぼ無視です(笑)

テキストの手を加えてくれないのに無理難題な要求をする、

成績が上がらないのはお前の指導がぬるいからだというような態度でいる、

(これは直接言われていないが、

去年は間接的に言われたようなことを人伝いにきいたことがある。

それが理由の一つでやめましたが…

私がやめた瞬間にその予備校の校長はどこかに消えていました…。

結局自分が悪いのではないか……。)

理不尽なほど偉そうにしている…まあ挙げればきりがないですが、

とにかく私のいないところであーだこーだ言っているのは、ほぼ無視ですね。

自分が正しいと思っていることをやっているので、

当事者ではない連中は言及しても意味がありませんね。


しかし、いい意味で、つまり発展的に話につなげることを意識して

叱ってくれる人には感謝します。叱咤激励。

そう、叱咤することはその人に期待をするから叱咤するわけです。

私も今年は生徒に厳しいことを良く言います。

先日もダメダメな生徒に容赦なくダメ出しをしました。

それは若干イライラもあったかもしれませんが、

それ以上に「まだ時間があるから修正してくれ」というメッセージが

その彼への主な含意です。

でなければ、ただの僻みになってしまいます。

まあ予備校の多くの先生はクレームかこの僻みのオンパレード。

それが生徒に対してもだし、講師同士でもあるので非常に残念です。

そうではなくて、建設的に話を持っていける関係であるわけです。

例えば生徒に言及するならこんな感じです。

「君は正直、1か月間何をしていたかよくわからない…正直ダメだったと思う。

これこれはしていたし、あれあれは全くやってなかったし…。

正直がっかり。でも、そこで終わればさらに先は見えないから、

まず何をすべきかを整理して、何が必要ないのかを把握してほしい。

それには~はどうですか?……はどうですか?」

と言う感じですかね。

わからないと思われる講師や学生には、

あえてその人の目線でお話をしなければなりません。

そして、できれば何か新しい案を提案をして

場を円滑に進めることが必要になってきます。

そういう叱り方をしてほしいですね。


あと、こういうのはよくないです。

「君は~であまりよくなかったね。次はじゃあ~にすべきですよ。」

これは講師に多い発言ですが、

それは講師自身のエゴで、提案ではなくて勧誘。

こうしないとダメなんだ!と強く主張する人は洗脳。

「~すべきだ」、「~したほうがよい」は受け手に押し付けるので、

講師の意志が強すぎると、生徒を導けたときは絶大な支持を受けますが、

そうでなければ、トラウマを作ってしまいます。

だから、講師が高慢すぎるのはよくないと言及するわけです。

そういった「わかってくれる人だけでいい」という考えは

もちろん構わないですし(私も実際にはそうですもん)、

その受講者にしっかり説明をすればいいです。

しかし、マニュアル的に考えていると、お金もうけに走っていると、

この語気の傾向が多く見受けられます。


怒られていることはいいことなんですよ。

ただいい意味で怒ってくれているかどうか、つまり

こいつは先のことをよく考えた上で叱責しているのか

よく見極めてください。
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2013
06.27

量は恐怖をも凌駕する。

Category: 雑記
先日、ある予備校内で模試を行いました。

私の中ではなかなかの傑作で、

結構ちゃんと結果が出るのではないかと思っていました。

まあ難しいのですごいスコアを出すにはそれなりの学習量が必要ですが。

200点満点の問題で、

150点から170点を出せたらかなり優秀ということを想定したものを

作ったつもりですが、

それでもやはり記述が多かった分、それよりも全然下回りました。

うん、今年はヤバいです(笑)もう進路変更をしなきゃダメだろうなって

思う方も正直出ております。

そんな最初のスタートダッシュの成果が問われたテストだったのですが、

自分が甘かったなと思った人は多かったのではないでしょうかね。

さて、そんなテストの中、いろいろ傾向が見えてきました。

傾向は2つ。

一つは、問題形式の変化によって全然対応できなくなる学生が非常に多い。

今回我が軍で顕著だったのは

センター試験で160~170点をたたき出せる学生が、

記述重視になると60~70点になってしまうという現象。

100点も削がれたのには私もびっくりしました。

それだけ記述になると、その形式に構えてしまうというのが残念ですね。

それでも、こういう結果を出す学生は

基礎事項をおろそかにしているできないという典型です。

基礎ができた上でわざと崩しながらスピードを意識して読み込むことで、

スコアや実力が上がっていくわけですよ。

直訳気味にやっていた学生もセンターでは何とかなるのですが、

自分で記述する場合になると、限界がやってきます。

直訳で大きな意味がとれても、

細かいところがわからないので長文の流れが結果的に読めないということは

少なくありません。直訳で処理している学生は今から改善が必要です。

まあもっと記述を意識させるタスクを増やそうと思いました。


もう一つは、

テストをしていて思ったのが、「普段できていたのに本番になると弱い」

というパターンの学生がここにきて結構いることを知りました。

まあメンタル面の問題ですね。

先ほどの「記述=嫌悪感」みたいなことから来ていることもあるかもしれませんが、

とにかく本番で真っ白になる学生がちらほら。

そういう学生はやはりまだまだ練習量が足りません。

特に難しい問題を解こうとする意欲や分量がまだまだ不十分だということです。

基礎的なことばかりやっていても、それはあくまでも練習。

実戦で実力を発揮するためには、

基礎や自分の実力の2つ上を目指してやらなければなりません。

もちろん、ある程度基礎ができたという確信を持ったうえで…ですよ。

分量は質を凌駕するのとともに、恐怖をも凌駕します。

初めてスペースシャトルに乗る宇宙飛行士が宇宙に行ったことがなくても、

現地でしっかり仕事をこなせるのは、

いつも筋力トレーニングをしたり、半重力システムに入って実感したり、

宇宙の神秘についての知識を増やして、それを基にありうることを

想定しながら対処法を考えているためです。

量から質が生まれるとよく言われるのは、失敗から何かを得ようとするためですが、

量が恐怖を凌駕すると言えるのは、失敗から得た対策を無数に集め、

次に何がくるかを想定することで自分の負担は軽減できるためです。

量をこなしても分析がなければ、それはもはや徒労。

いずれはオナニーと同じようなものになるだけで、意味はありません。


万全な策を立てる前に、今回は基礎を見直そうというような位置づけが見えてきました。

また基礎を徹底する授業をしようと思います。
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2013
06.25

Category: 雑記
先日、コンフェデレーションズカップが開催されていましたね。

私はサッカーはできませんが、観るのは好きです。

特に代表戦は大好きです。

まあ私なぞ、

ミーハーレベルのそんなにサッカー偏差値の高くないサポーターなのであしからず(笑)

さて、そんなミーハーな私がサッカーを話題にお話をするのですが、

先日のメキシコ戦後にサッカー日本代表の本田選手が

こんなことを言っていました。

「日本代表は必ず成長しているし、必ず力をつけているけど勝てないというのは、相手も成長しているから。そこで上回るにはどれだけの覚悟を持ってやらないといけないか、それがまだ足りないと思います。自信の差がそのまま格になります。百戦錬磨のイタリアはあれだけやられていても勝ってしまう。プライド、負けられないというものが自分たちを動かす力になる。僕らはとりあえず練習でやったことを100パーセント出そうとやるものの、勝ち方が分からない。一生懸命やって、いいサッカーもやっています。相手を圧倒しているけれども、その差で点を決められない。そこは格になる。」

彼は「格」について言及してきました。

どんなにいい練習をこなしてきても、どんなにいい試合をしていても

最終的には勝たなければ代表戦というか、サッカーの世界では

意味がないことを彼は強調しています。

そして、彼のインタビューの締めくくりでわかるとおり、

「格」とは最終的に勝ったことで自信を貫き通せた証明であることを示唆しています。

こういった彼の勝負から生まれる美学は

生きていく上でも学ばなければならないですね。


さて、これは受験の世界でも同じようなことがいえます。

ある英語ができる学生がいたとしましょう。

実力的には偏差値70ぐらいをコンスタントに出せるぐらいの学生。

まあ偏差値40あるかないかの学生が先に言った学生にはむかうのは

おこがましいようにも思えますが

(偏差値+30上乗せしたの実力を一時的に作れても、1年で覆せるほど世の中甘くない)、

偏差値で60近辺にいる学生であれば、「あ、手に届くかもしれない。」

3回に1度は模試で上回ってやるぞって思えるかもしれません。

もしそこで「一泡ふかしてやるぞ!」って思いながらガリガリ勉強して、

そいつに0.1の差でも勝てば、これは格が上がったことになります。

本番当日でガリガリやっていた成果が格として乗っかっているかもしれません。



偏差値60を取って満足している学生は、

「あ、まあ人よりは上かな。この調子で頑張ろう。70なんてとる必要はない」

って冷めている人が少なくないかもしれないわけですよ。

よく偏差値59から64をキープしていても、

MARCHに一つも引っかからない学生がいますが、それはこの格の差ですね。

合格してやろうという勢いや覚悟が足りないのですよね。

こういう精神論はね…って言いますが、

そこをなめていると、やはり最後の最後でやられますよ。

本番で模試のような平常心で受験できる人がどれだけいるでしょうか。

受験に絶対がない以上、1%以上は精神崩壊する可能性はあるわけですよ。

そういう精神状態が崩壊したときにでも、

英語ができるようになるレベルに立つことを想定して勉強をしてください。

それが格をあげる第一歩だと思います。


一人一人自身の品格をあげてください。そして、受験で合格を勝ち取りましょう。
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2013
06.24

速読は意識しなければできない。

Category: 雑記
さて、わが軍の学生の大半は文法事項の学習を終えようとしています。

来週からイディオムやディスコース・マーカーの話をして、

長文の内容に突入しようとしています。


そこで話題になるのは速読なのですが、

先日前から読む努力をしてねとお話ししました。

しかし、「まだまだ英文解釈のレベルが低いのでなかなかうまくいかない!」

というのが自然の学生の解釈だと思います。

というわけで、わが軍では当面長文を精読していきます。

まあ精読は大事なんですよ。

ただ注意していただきたいのは、

ずーーーーっと精読をしていればいいわけではありません。

実は長文の精読は、すでに4月の時点で始めています。

週に2~3本は英文を読むようにプロジェクトを組んでいますので、

精読に関して多くの学生はだいぶ板についてきたと思います。

だからこそできるのかもしれませんが、

7~8月に時点で精読の量は一気に減らします。

週に2本ぐらいの長文(難易度は難)を精読してもらい、

速読気味にセンターの問題を皮切りに、最終的には医学部受験用の英文を

読んでいきます。

よく「精読が大事。スピードはあとでついてくる。」

といいますが、残念ながらそれは英文をたしなむためにやっているだけで、

受験のように処理が重視される場合には、効果的ではないです。

そんなのは文芸好きの道楽で、研究者になったり、

英語が好きである人がやればいいのですよ、私みたいな人がね(笑)

精読だけではスピードは上がりません。

読むスピードは自分で意識して初めてついてきます。

だから、英語講師は速読と精読のバランスをものすごく気にしなければなりません。

できれば速読していい長文と、精読重視な長文を分けて

講師が問題集を提示してあげられるといいですね。

ちなみに私はそれができています。

私は精読用の長文を50本、速読用の長文を100本、

そして、医学部10大学の対策用の問題演習オリジナルテキスト

(愛知医科と藤田のオリジナル問題数は100を越えます。)

をちゃんと揃えております。

それができずに、ただ闇雲に読んでいるのであれば、

それは宿題で渡せばいいので、その場合先生は必要ありませんね。

まあ今年の私は2年ぐらいの集大成という感じなので、

特に長文の吟味は注視しております。

だから、偉そうなことを堂々という自信もあります。

なので、精読だけで満足している人は考えを改め下さい。

速読すべきものもしっかり揃えましょうね。

精読だけで英語ができるようになる学習法は20世紀の過去の産物。

(あ、勘違いしないでほしいのは、精読を甘んじる発言はしていませんよ!)

時代が情報過多なので、大量に読み取れる体力とスピードは欠かせません。


今年の学生には、毎年以上に長文で苦しい思いをさせません。

多くの人に、

「ダンディの読み方で実力が上がった!」と言わせて見せたいと思い、

また精進します。

(藤田と愛知の対策をしたい人は本当にご連絡を!!(笑))
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2013
06.22

中学生からタイムマネージメント。でも何から始めるか?

Category: 雑記
中学生のある学生が中間テストの結果を隠していました。

私は別にスコアが悪くても、「次頑張ろうね」ってなっていたのですが、

そのお母様は大激怒。まあ世の中の親御さんはそうであるのが普通ですよね。

確かにその学生の答案には激怒するほどのミスが多かったので、

仕方がなかったわけですが……。



さて、しかしながら、テストのスコア云々をずっと言っていてもしかたがないのです。

そこでその生徒が一体何をしていたのか、私は探求すべくいろいろ尋問をしていました。

とはいえ、私は生徒に質問を振るのですが、

自分のことなのに多くはお母様が答えている状況。

うーん、よくないですねー。その学生はまず自分の状況を

よく把握できていないのですよ。中学受験を越えてきた学生に多いのですが、

先生や親御さんにやらされている状況に近かった学生は、

中学生になると、高校生になると悩みます。

まずはどの生徒にもですが、

自分でできることはするように生徒に指示しています。


そして、今回重要なことは次のことです。

その生徒に「1週間どんな生活をしているの?」と質問をすると、

やはり基本的に塾の時間に追われ、

自身の時間がどれぐらいあるかわかっていませんでした。

そう、歯車は隙間がないと動かないのと同じで、

勉強にも隙間の時間が自分で取れていないとできるようになりません。


つまり、生徒に意識させたのはまず

「自分の時間はいったいどれだけ与えられているのか」

ということを意識させてみました。

その生徒について私が最初に思ったことは、

塾にいく時間が多すぎて、自分がすべき勉強がおろそかになっている

ということでした。

しかし、まあ後で「全然時間があるのに勉強できていなかった」

という結論に至り、私が叱責をするのですが……(笑)

それでも、自分がいかに時間を下手に使っていたかは理解できたようで、

早速その学生は様々な改革を始めています。

その仕方はまたいつかどこかで(笑)

でも、自分の時間を知ることは大人になっても重要なことです。

「時間がない、時間がない」と言っているのは、

そういう隙間の時間を自覚していないために発することが多いです。

「時間はない」ってことはないのです。

時間は作るものです。しっかり、タイムマネージメントして

勉強する時間を有意義なものにしましょう。
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2013
06.21

慢心をなくせ!

Category: 雑記
私は毎週土曜日に小テストを行なって、

一週間の進度を確認するようにしているのですが、

新学期突入からここまで10回こなし、

いろいろ学生の苦手な分野がわかってきました。

読みは完ぺきなんだけど、

日本語から英語に指定されたカッコの範囲があるとわからない学生、

文法はできるが長文が読めない学生、

基礎分野がわかっているが応用できない学生……

とまあ挙げるとキリがないのですが、いろいろな弱点が見えてきます。

しかし、そんな採点をしながら生徒の実力分析をしていると、

ある生徒が私の下にやってきて、スコアをみてこんなことを言っていました。


「えー、先生、私ピリオドがないことで減点されなかったら、

結構まともなスコアじゃないのですか!英語、できているってことですよね?」

えーと、その生徒は今回二度目のピリオドなしの指摘です。

2度ピリオドをつける習慣がちっとも身についていないということは、

今までもいろんな知識を「うっかりミス」として捉えて、

流してきた証拠です。

ピリオド一つまともにつけられないなんて、私からしたら英語ができるうちに入りません。

だって、文豪が日本語の文章を書いて、句読点を付け忘れるとか、

効果的に文を切ったり、終わらせられないということがあるでしょうか。

いや、絶対にありません。

「ピリオド一つなんだよ!?」って思っている者は

そういう慢心から、いろいろなものを失っていることに気づいていないので、

きっと後からもっと重大なミスを犯します。


またこんな学生もいました。

「僕って前よりもできるようにはなってますよね?

みんなはどれぐらいですか?あ、みんなとそんなに差がないからいいか!」

これはもっと危ないです。

まず、常に過去との比較論でものを考え、自分ができるようになっていることを

常に確認し、些細な実力上昇でも「大きな進歩」として捉えてしまう。

これが慢性化すると、自分に甘いので実力が大きく向上しません。

また周りとの相対論を展開する場合、

周りがとびっきりできる学生でない限り、成長は消えてきます。

そして、頑張ろうとしなくなるので、やはり相対的な判断ではなく、

自分自身との闘いをしてほしいですね。

そして、自分自身に対してものすごく辛口に評価してほしいですね。


とまあ事例をいくらか挙げましたが、

共通することは彼らにはまだまだ慢心があるということです。

これで実力が伴っていることが証明できていればいいのですが、

残念ながら彼らはセンター形式の問題でも、100点を越えるかどうか

という学生たち。変に慢心がある学生は、申し訳ないが、

センターで言えば120点の壁を越えることはできません。

それだけ知識をとりこぼしますし、読みも粗くなるので

長文でも点数を落とします。

こういった慢心を消すためには、常に

「自分はまだまだ不十分。そらでいえるまで確認をしつづけよう」

ってな感じに神経が回るようになってほしいですね。
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2013
06.20

読書は文化であり、環境がなければ育まれない。

Category: 雑記
「本を読め!」と言われても、なかなか手を出せないでいるのが

本を読まない学生の傾向ですよね。実は私もそうだった一人です。

私は、読書やクラシック鑑賞というものは好きだからやるのではなくて、

環境がそうさせて好きになっていったというのが正しいと思っております。

私の家は父も母も働きづめで、なかなか本を読む環境になかったと言っております。

だから、私の家には立派な本が並んでいる本棚はありませんでしたし、

本自体を読み込んで教育してくれたという機会は少なかったように思います。

ただ父は学生のときに本をよく読んでいたようで、

物置にはいろいろなジャンルの本があり、

読書をする文化が断たれていたわけではなかったようで、

そのせいか父は私が小学生になると「本を読んでおいた方がいい」

と諭すときがありました。

でもですね、ただ「本を読め」と言われてもわからないのですよね。

だってただ与えられても、その味わい方を知らないのですから…。

さらに、私は残念なことに学校でそういった教育をしてくれる先生に

大学に入るまで出会えなかったのは痛かったですね。

そんなわけで、

本を読むという行為では間違いなく人よりも遅れてしまったわけです。

それが後になって私の読解力に大きく影響するわけですが、

今でもそれには悩んでいる最中だといっても過言ではないです。


さて、暗い感じで話を展開してしまったのですが、

うーん、実はここのところ国語力がなさすぎて実力が伸びていかない

という学生がものすごく多く、頭を抱えてしまう状態です。

かといって、じゃあ覚えることを重視して、

私が思う限りの懇切丁寧な説明をして、覚える内容を生徒の頭にぶちこむか

というと、その膨大な知識量を入れ込む力はなかなか持ち得ていなかったりします。

やはり、ここはオーソドックスな国語力を養うために、

学生が比較的読みやすく、興味が持ちやすいものだけど、文体はムズかしめ

なものをチョイスして読ませるようにします。

例えば、堀辰雄の『燃ゆる頬』(短編)を渡して、

「これはね、実はBLの要素が含まれた文でね、どこがそう思わせるのか?

ってことを追いながら読んでご覧♪」

なんて先に目標を与えて、文章を読ませています。

(BL(Boy's Love)を意識させる文章をチョイスさせる私も私ですが(笑))

つまり、あらかじめ内容の確信を伝えるんだけれども、

文体は比較的今の軽い日本語ではなくて、むしろ文豪や名文を書く人々の

日本語や英語に触れさせて、読み取る努力をさせるわけです。


これによって、まず本を読むきっかけになるといいなと思っております。

中には、これを機に、自分が好きなジャンルで課題をくれないかと

私に進言して、本を読むようになった学生がいます。

これはうれしいことですね。


もう一つは主題を見つけようという心理が働くようになり、

一文一文を大事に読んでくれるようになります。

どうも英語を読んでいる学生はデータ処理のような英文解釈をするわけですよね。

それをたくさんやっていても、英語はできるようになりません。

所詮、テスト対策におけるテクニックに過ぎません。

そんなものは、直前期にがーーーーってやればいいことで、

普段は速く読むこと以上に、精読が大事なのですよ。

(精読もしすぎも実はよくない。要はバランスよくってことです。)


こんなことをするためにも、私たちがまず学生に読み方を示さなければなりません。

そして、読み方を示しながら、

その本の内容に関する質問を出して内容確認をし、

鋭く学生を指摘して、さらにその指摘に応えられるようにしてあげなければなりません。

まあ無理やり読む環境を作るというわけですね。

「やれ」、「読め」では今の生徒はうごきません。反抗するのが関の山。

こういった読書や音楽鑑賞は文化と一緒なので、

無理矢理なじませていかなければなりません。

ある意味、伝統工芸と一緒で職人芸なんですよ。

(そう思うのは私がクラシックを聴こうと努力しても、

結局素敵なものだということがわからなかったためです。

文化を知るためには、解説者とそれがはぐくまれる環境が必要なのです。)

こういった環境づくりをしていくと、

文系科目の成績向上はもちろんのこと、理系科目の理解度もまた

深まっていくのではないかと思います。

(数学は国語と一緒のようものだと思えますもんね)


というわけで、読む努力をもう少し学生にはしてもらいたいなと思います。

そして、鋭い読解力をもって、社会の複雑な読み合いで

勝ち抜いて、楽しい人生を送ってほしいと思っています♪
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2013
06.19

英語(勉強)のことを考えるようになった

Category: 雑記
以前に学生がこんなことを言っていました。

「僕ね、最近英語のことをよく考えるようになった。」

これは去年まで教えていた不登校学生だったにもかかわらず、

見事現役で法政大学に合格した学生がよく言っていた言葉です。

彼のこの言葉の真意は、

例えば、先日お話しした連語やイディオムや単語を同じ意味や反意語で

ソートしたものを覚える点で、

普段の生活の中にもそれらを考えるようになってきた

っていうことです。

恋愛で言う一種の片思いと同じです。

片思いをしたことがある人ならわかると思いますが、

ある人を好きになってしまうと、たとえその人に彼氏・彼女がいても

どこかで「チャンスはあるかもしれない!」とか勝手に思ってしまうんですね。

そのチャンスが訪れた時に備えて、その人の状況や好きなものとかを調べて、

それを熟知しようと努力するわけです(笑)

(←一歩間違えればストーカーじゃん(笑)でも、こういうものだと思います(笑))

それって、自分の生活にその人がものすごく影響している状態です。

もし「その人の秘密の内容早押しクイズ王座決定戦」なんてものがあったら、

片思いの人は間違いなくその玉座に威風堂々と座っているでしょうね(笑)


といった大げさな例を出してしまいましたが、

こうやって勉強生活においても、

またどの科目もそうですが、受験生である一定の時間は

生活のなかに受験勉強で培った知識がちりばめられながら

生きていていいのではないかと思います。

元々知識と言うものはそういう性質ですもんね。

常に出てくるまで、夢にまで出てくるレベルであってほしいというのが

私の本音です。でも、わが軍のこれまで素晴らしい功績を残した連中は

とにかくライバルと問題を出し合いながら

この技術を磨いていました。単語のリスポンスもどんどん上がっていきました。

反復は力ですね。そういう英語力を作ろうというのが、私の指導方針です。
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2013
06.18

単語のresponseを高めるためにはどっぷり浸かれ!

Category: 雑記
「make a point of doingの書き換えは?」

もちろん、make it a rule to doとかbe in the habit of -ingですよね。

受験生にとっては定番の知識ですね。

こんなことを、一回の授業に3~4回ほど解答してもらいます。

しかし、なかなか思い浮かばないわけですよね。

これって、自分がその知識を使おうと意識しないとなかなかできるようになりません。

毎日5~10回ぐらい反復して、1ヶ月するとなんか出てくるなーって感じなんです。

こういった単語のresponseの速さは

やはり常時見たり聞いたり使ったりしているかに比例します。

そして大事なのは、単語を覚える時や連鎖させてイディオムを覚える時に

扱う媒体を限定することはよくないのよ!っていうことです。

見ているだけでは学習になりません。特に英語は口語言語ですので、

発音をしたり、使ってみることで、また違う世界が開けます。

全部覚えようとしなくて結構。

一週間に20~30ぐらいの単語やイディオムを連鎖させて覚えるものに

焦点を当てて、それを繰り返してください。

もちろん同時に英単語のノルマはこなしてくださいね。

つまり、いつもやる単語量(単語帳などを使って覚える1日の単語量)

それにプラスして、

1主観で20~30個はそれと別に同義語などの単語をソートする量

をこなすということです。

なかなか一朝一夕で英語はできるようになりません。

七転八倒って感じです。まあ精神はダルマになってくださいよ!

そんな精神をもっていれば、この量は他の科目と並行してもできます。

そして、responseを高めるためには極力忘れないようになるまでは

英語のことを考えていましょうね。

英語が離れないようにその世界に一時的でもいいので浸かっていてほしいです。
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2013
06.17

その場しのぎでいいと思っている学生

Category: 雑記
今日はいろいろな学生に怒り狂いました。

まあ復習の怠けっぷり。どいつもこいつも落第ですね。

もう医学部組は合格する気ありますか?って聞いてしまいました。


ペンの先を潰してホワイトボードに単語を書きなぐって、

最後に「お前らにはプライドがないし、自分に甘すぎる。」

と言い捨てて授業を終えたのですが、残念なのは

学生たちはその1時間後にはケロッとしており、

私が通り過ぎると萎縮して身を竦めて、いじいじしてるという体裁です。

明日も授業がありますが、きっと何の準備もせずに授業を受けにくるのでしょう。

なぜ私が怒ったか。

以前に3回も4回もやってきた書き換えが一つも出てこないという醜態を見せられて、

その体で「勉強をやっているんですよ!」ってよく平気で言えますよね

って思いませんか。

まあ私がおそらく気が短いだけではないかと思う方もいると思いますが、

それを差っ引いてもできなすぎですね。


こういうケロッとしてしまう学生は

その場を乗り切ればいいと思っていることが多いです。

中間テストや期末テストの準備をするときって、

成績を取るためにとにかく2週間ぐらいで詰め込んで勉強して、

テスト後にはその覚えたものは忘却のかなたって感じではないですか。

こういった「その場しのぎ」が生活の中に染み込み、

なんでもかんでも都合が悪いものはその場しのぎをすればいいと

彼らのなかに刷り込まれているわけです。

1回でもいいからその場しのぎではなくて、実力で勝負しようと意識してくれると、

勉強の在り方は変わるものだと思います。

こういう「その場しのぎ」的な思考が少しでもあると、

勉強は捗りませんし、結局深いところまで行くと、理解ができなくなり、

もう一度基礎を学び直さなければなりません。

それこそ時間のロスで、なかなか前には進みません。

先どりなんてしなくていいです。前に進むために復習をしてほしいです。

明日のために肉と骨を強化してほしいのですがね。

鏡を見ると、

なぜ二十歳を手前にして、それなりに時間を費やしてきたにもかかわらず

わからないのだろうかといったことが

憤怒と悲哀とともに私の表情に垣間見れるように思います。
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2013
06.16

予備校生は黒光っていてほしい。

Category: 雑記
今日は授業は順風満帆、質問は千客万来。

右往左往しながら一日が終わりました。

休憩中にサルトルの『嘔吐』を読んでいたのですが、

私も目まぐるしい動きのせいで嘔吐しそうでした。


今日はある塾の雰囲気に関して…。

今年はある医学部予備校にも出向させてもらっています。

その予備校の中では、生徒の笑いが広がり、教務も連携が取れて、

講師内の関係もかなり円満。

生徒も特定の先生のところに入り浸るのではなくて、うまく散って

先生を利用しているという点では正直申し分ない環境で、

今の予備校環境はほぼ理想に近いです。



……が、うーん、一つ足りないものが……。

そう、受験特有の殺伐さ。あまりにも周りが仲良くなりすぎており、

競争意識や蹴落とそうという対抗意識が弱まっています。

学校として考えれば最高な環境ですが、

そこはあくまでも予備校であり、大学へ行くための準備学校。

仲睦まじくが目的ではなくて、合格することが第一目標。

だから、少々雰囲気はぬるいです。

例えば、こんな光景。

ある女子生徒2人と男子生徒1人、

うち男子生徒と女子生徒は隣り合わせに座っている。

会話はほぼガールズトーク。男性はそれに相槌をうつ感じ。

私がこの光景をみて思ったこと。

「あー、多分落ちるな…。」

不謹慎で申し訳ないですが、まあ来年も同じような生活をしているでしょうね。

たまたま休憩時間だったかもしれませんし、一概には言えませんよね。

でも、「来年も」って予感させたのは、私が先の男子学生に次のように質問した後の

その学生の受け答え。

「今日はすでに勉強したので、話し込んでました…。」

はあああ???

お世辞にもその学生は成績がいいわけではありません。

偏差値30代が二科目もある状況でこのセリフを叩きますか。

いやー、余裕もいいところですね。

私は呆れてしまって、最後に吐いたセリフは

「まあ君の人生だから、僕は気にしないけど。まあ気楽にやってよ。」

私的には終了のサインを出してしまいました。ごめんなさい。

まあ万が一その生徒がこの文面を見ていても私は結構だと思って書いていますが、

こういう慢心がある人間が成就することは、

そいつが天才でない限り、

受験当日にお金を積んで合格を買わない限りないですね。

厳しいですが、こういう気持ちで1浪を過ごしたり、

現役生として過ごしていると痛い目を見ます。

(今日から回心して、1日20時間費やしてくれありえるかもしれませんが。)

まあとにかく心がもう負けていたら、負けです。

だから、そう言った学生にはどんなにいいスコアをとっても、

容赦なくおもいっきり皮肉を言うか、

皮肉を込めながら極端にほめるしかしないでしょう。


予備校の雰囲気は独特です。

でも、私が思うに、予備校はみんながキラキラしているというよりは、

ちょっとどんより気味がちょうどいいんだと。

だって、一回負けているわけですもん。

キラキラしていたらそれは少々みっともない。

プライドがないのか?と突っ込みたくなりますね。

予備校生は真っ黒い過去やプライドを、黒光りさせるぐらいでいいんだと思います。

野心を高めて、リベンジを果たしてください!
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2013
06.15

読解に関して私がとる方針~センター試験廃止が伝えられて~

Category: 雑記
昨日進研模試のマーク模試があったのですが、

我が軍は満点を取ったのではないかという人と、120点ぐらいで甘んじた学生で

命運を分けていました。かなり二極化しました。150点があまりいませんでした。

では、そんな120点の学生はただの実力不足か?

まあ確認問題をさせるとそう感じますが、それだけでは処理しきれません。

そこで120点近辺で悩む学生が異口同音で言うことはというと、

「先生、やはり時間が足りない!何で速く読めん?」

やはり速読の話に帰結します。

まあ、速読というのは、訓練していかない限り力がついていきません。

しかし、正直言って、センター試験の難易度であれば、

ちょっと文法を丁寧に追いながら英文を読んでも、なんとか80分で終わるはず。

そうなるとまず文法的な処理がまだまだ甘いのよっ!って言いたくなります。

ただそればかり言っていると生徒もフラストレーションがたまると思うので、

今年は積極的に速読にシフトした読み方を行っています。

さて、ここからが今年の違いです。

去年はかなり文法重視の骨格を作り、べらぼうな数の単語を学生の頭にのせて

受験を乗り切らせましたが、それだと崩壊してしまう学生もでてくるので、

今年は文法がある一定のレベルに到達した人たちには

読み方に変革を与えています。

速く読もうとすると、正直文法は一つずつ追いません。

実は速く読むにはある法則があります。それを一つお教えしましょう。

例えば、こんな例文があるとしましょう。

I practiced tennis together with my friends to win the next game.

≪訳≫私は次の試合で勝つ(優勝)ために友達と一緒にテニスの練習をした。

さて、これは中学生でもわかる例文ですが、

実はこの訳、日本語が綿密に考えられたものであることは誰もが気づいていますね。

このレベルの英文であれば、別にこう訳してしてもらって結構ですが、

もっと内容が抽象的で、構文が含まれたりして文構造が複雑になった場合、

to不定詞の副詞的用法がこうなって、together withがどこに…

なんていろいろ考えていくと、ものすごく時間のロスになってしまうと思います。

ではどのように処理しているのか?

これはおそらくネイティブの人たちも同じような解釈をしているはず。


I practiced tennis together with my friends to win the next game.

≪訳≫(文法に忠実)私は次の試合で勝つ(優勝)ために友達と一緒にテニスの練習をした。

≪訳≫(ダンディ)

私はテニスを練習し、そこに友達と一緒におり、次の試合に勝つことを目的としていた。


さて、いかがでしょう?書いていると分量は多くなりますが、

ポイントは文法的な解釈が行ったり来たりしていますか?

実は私の訳は前からがーーーーって訳しとおしています。

特にそれが顕著なのが、to不定詞の副詞的用法「~するために」は

to不定詞の結果用法のように解釈し、前にもどらないようにしています。

もちろん、これは文法解釈を忠実にすると邪道ですよ。

ここで覚えてほしいのは、文法解釈がある程度ちゃんとできることが

このテクニックを使う前提だということ。

文法の骨格がぱっと見分けられるようになって初めて使えます。

だから、to不定詞の解釈も「~するために」の訳になるかなー?

って前もって予想することができて、前からがーーーって訳せるわけです。



私の英文解釈は極力後ろから前に戻らないように、

後置修飾の解釈を一変させて考えています。

まあこれはある英語の先生の影響もあり、私が考えたものではないのですが、

これは使えると思い、少々自分なりに方式化していました。

それで、ある程度出来上がった生徒にこの全貌を不完全ながらも

片鱗を教えただけで、実は東大や早稲田受験では効果絶大で、

早稲田大学法学部で出題されるような超長文を読みこなす問題をやっても

10分ぐらい余ったという声まで聴きました。

まあそれはその学生の努力のたまものですが、

本気を出すとそれだけ速く読み込める方法です。

まあもちろんここで全貌はお見せしません。これは私の新たな専売特許の読み方。

こんな方法をついにある程度法則化し終え、今年は大勢の学生に施行してみます。

そして、いずれは文法問題が解けなくても、長文は読めるぞ!

っていう学生も作れるように、この法則を進化させたいですね。


とまあ、今年は文法をおろそかにしていませんが、少々読解に重視しております。

なんで私が読解へ切り替えたか。

先週のニュースを見た人はわかると思いますが、

5年をめどにセンター試験が廃止されることが決定されました。

また一つ英語の受験形式に幕が下ろされます。

私はこれを望んでいたし、予測もしていました。

まあ誰もがわかるはずです。

あのレベルの問題が解けても、何にもならないということ。

世界では少なくとも戦える学生を作れるとは思いません。

確かにセンター試験はよくできている問題ですが、

やはりこのままでいいのかというとそうはいきません。

この流れを受けて、おそらく今度はアメリカのSATやTOEFLのような

テストに類似したものになるのではないかと思っています。

よくフランスのバカロレアのようにしたらいいという声を聞きますが、

あれはコストがめちゃくちゃかかりますし、論文形式にしても

その論文をある基準で妥当だと判断する試験官は、

いるとは思いますが、

日本の高校生と浪人の数を考えるとものすごく少なく期日に採点し終わるのは無理でしょう。

不公平さがでて、仮に行っても5~10年は採点問題は消えないでしょう。

まあそれだけバカロレアはよくできた伝統的なテストなわけですね。

(確かナポレオン1世が始めたんですよね。すげーーーー、今も続くのかよ(笑))


話を戻して、TOEFLの形式になると仮定したら、

今の文法重視の解釈の仕方ではまず点数が取れません。

リスニングに今以上に比重が置かれたら、もっと不利です。

そこで去年あたりからTOEFLの指導をするような方式に

受験英語もシフトしていこうかなって考えを改めてみました。

今後は小手先のテクニックは通用しなくなります。

また、文法重視の従来の勉強法に則っているやり方では

限界を感じ、英語嫌いをたくさん生産することになるでしょう。

では、どうするか。英語の本来の考え方を少し垣間見ようじゃありませんか。

この転換についていけないと、私も含め予備校の先生は入れ替わってしまうでしょう。

(まあ大手にいる人はこうなっても対応できる人が多いですがね。

中にはテクニック重視で来た先生がいるので、そういう人はやばいと思います。)

私はTOEFL的な実践的な英語解釈へ変換することが

意味あるものだと信じています。

そして、今のうちにそういったことを学生にも伝えてあげられるように

また精進しようと思います。
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2013
06.14

好きこそものの上手なれ。

Category: 雑記
先日、私の彼女さんが私とお友達たち全員の絵を描いてプレゼントしてくれました。

いやー、うれしかったですねー。

しかし、私は彼女がこんな特技を持っていることを知らなかったので、

その絵を見たときは驚きました。

ちなみに私は絵が「ど」が3つぐらいつくほど下手糞なので、

非常に彼女を尊敬して、羨望のまなざしを送っていました(笑)

そこで一つ。

彼女はもちろん画家ではないのですが、

なぜ私たちは同じような生活をしているのに

こんなにまでうまい・下手の差が出るのかねーって

私は疑問を抱きはじめて、彼女にいろいろ聞いてみました。

「あー、この絵はね、仕事中に描いたんだけど、

なんか急に描きたいなーっていう衝動に駆られて、勢いで描いちゃったんだ!

まあそれだけ絵を描くのが好きなんだよね(笑)」


えーーー、それだけっすか?それを繰り返しているとうまくなるんですか?(笑)

いやー、まったくもって絵心ってのは生まれ持ったもので決まるのかねーって

思わせてくれました(笑)

でもですね、そうじゃない部分ももちろん感じられたわけですよ。

これは受験生にも関わることです。

そう、「そのとき思い立ったらやり果たす!」という精神です。

彼女は「絵を描く」と決めたら、その時間内に絵を満足するレベルで書き上げ、

そうやって生きてきたわけです。

そして、その満足なレベルに行き着くためには、

無意識に「今どのぐらいの時間があって、どういった絵なら描けるかなー?」

描けない分は後に回して、いや描きたいものをとにかく描くんだー!!

って段取りと欲求を彼女の中で完璧に配列させて、時間内に絵を描き終えるわけです。

しかも、納得できるクオリティーで。

そして、これをやり遂げてしまうという行為の根本には、

「やりたいからやらなくてはいけない!」って義務と欲求が同化する心があるんですよね。


今の学生を見ていると、「勉強したいからやる」という学生がほとんどいません。

少なくとも今年の学生はもういやいややっているので、

おそらく去年や一昨年のような成果は出ないと思います。

(はっきり言って。これはすでに生徒にも言っている(笑))

でも、じゃあダメなのかって自己完結してはいけません。

自分が今何をしたいのかと、何をしなければならないのかをしっかり考えて、

その上でこの2つの問いに該当するような答えを見つけないといけません。

義務は避けられない状況であり、

欲求は何かをしたい精神状態。

避けられない状況でも、その中で何かしたいことに連結できることをするためには

どうすりゃいいのよ?

ってことを常に考えてください。

もちろん自分の実力が低くて、義務に追われる日々が続くこともあるでしょう。

でも、その状況でさえも遊び心は必要です。

学生にとって一番割合がよさそうなのは

7(義務を果たす):3(欲求を満たす)ぐらいでどうでしょう?

どうしても大学受験をするとなると、この割合を目指してほしいと思ってしまいます。

まああくまでもこれは目安ですが、欲求の3の割合が義務に直結するようになれば

先ほど絵を描いた例を挙げたように、義務と欲求は同化してくるわけです。

欲求ばかり満たしまくっていると、いつまでたっても進化しません。

負荷をかけていないので、いつもふわふわでそのように学生は育っていきます。

欲求を義務へ転換とはいかないまでも、きつい状況においても

関連付けられるようにしてください。

そして、それをやり抜くということを忘れないでください!

好きこそものの上手なれ。

この諺は欲求を義務と結び付けている状態を指しているのでしょう。
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2013
06.12

我が軍の中学生の飛躍

Category: 雑記
さて、新年度から指導も3か月が過ぎようとしています。

この時期になると、人々の実力が少々変化してきます。

またこの時期になると、人々にどんな習慣が備わっているのかわかります。

残念ながら、今年のわが軍は眠れる獅子状態で、開眼した学生が少ないです。

もちろん、2人ぐらいは東大か京大に入れるかなーって感じの学生がいますが…。

まあとにかくお勉強をしていません。全然やっていないというのではないのですが、

予備校の自習室を回ってみると、

時間を費やしていると発言する割には、

知っている学生が友人と腹筋自慢をしていたり、

(30分後、そいつはまだまだ腹筋自慢をしていた(笑)

もう筋トレして一生懸垂してればいいと思う(笑))

ラウンジでぺちゃくちゃおしゃべりしながら茶をしばいていたりします。

(もう庭園にいる貴族気分をきどってしまっていればいい(笑))

勉強をしすぎて、

その合間にゆっくりな時間が流れているようであればいいのですが、

ゆっくり時間が流れている方が多いのではないかと残念に思ってしまいます。

浪人生なのに……。あな、いと悪し。


一方そんな感じの中、今年の中学生は素晴らしいですね。

現在5人の中学生を指導しているのですが、

半年以内に中学生でならう文法を網羅しました。

そして、シリウスや新中問のような

難しい問題にも対応できるレベルに仕上がってきました。

大したものです。その中には、

英語を一度も勉強したことがない学生が半数だったので

これは私の中では快挙。もちろん定期テストは75%以下は取らせていません。

(一人は不登校だったが、中3の中間テストで、

もともと10点ぐらいのスコアから78点まで獲得できました。)

単語や覚えるべきものはまだまだ粗いですが、

これから英文を読みまくって、ボキャブラリーも強化していきますよ!


中学生と浪人生は学力に関してはもちろん比較できませんが、

素直さと前向きさを比べてみると、やはり中学生の方が圧倒的に上ですかね。

まあ相対的にみただけですがね。

浪人生にはどこか諦めの美学が入り込むのでしょうか?

うーん、とにかく浪人生のエンジンのかからなさ具合には

ため息をつくしかありません。

おそらく、来週は叱責していると思います(笑)
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2013
06.11

穴埋め問題をこなしまくる!

Category: 雑記
浪人生を久しく続けていると、「もう問題集をやりきった!」、

「問題集の答えを覚えてしまってるから意味ない!」なんてことを耳にします。

うん、まだまだ学問への謙虚さが足りませんね。

そんな学生にはこんなことをしながら制裁します(笑)

「じゃあ、問題の1つなんだけどさ、これ英語で書いてごらん。

まったく一緒じゃなくてもいいから、ほぼ同じ英文を書いてみてよ。」

さて、どうでしょう。まあ70%ぐらいの学生が書けないか、

書いたとしても文法をたくさん間違えています。

うーん、これで覚えたと言い切っていることに私は興ざめです。

しっかり仕組みが頭に植えられていれば、

簡単な構文であれば特に問題なくかけるでしょう。

そう、学生の多くは「問題を解く」ために問題集をこなしているだけで、

「理解する」ために問題集を利用していないのです。

どこかがヒントになっており、そこを見ればデキル!

そして、それが自分の英語の実力なんだ!って錯覚するのです。

特に選択問題ばかりやっている学生はこの錯覚に陥る典型でしょう。

浪人生が飛躍的に伸びない理由の一つは、

問題を解いて満足し終えて、自己完結してしまう、

そして、やるべき問題が「ないない」と嘆いて時間を無駄にするためです。

そういう時は、自分で書けるかな?って疑ってみて下さい。

または英作文でなく、日本語に合わせたカッコの穴埋めでも結構です。

これができないんですよ、ホントに。

穴埋めは意外に難しいですよ。自分が知っている表現で自由に書けませんからね。

カッコの数で表現に適応しないといけないので、

実はカッコの穴埋めができる人は英語に順応しているのではないかと思っています。

今年は学生にかなり書かせています!

そして、これからどんどん課題は書かせるものにします。

是非とも英語力をつけていきましょうね!
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2013
06.10

授業中に単語を覚える時間を設ける!

Category: 雑記
最近、中学生の授業では単語を覚える時間を授業内でとるようにしています。

うーん、正確に言えば、授業を90分でみっちり行い、

残りの30分は英単語を覚える作業にしています。30秒に1個覚えるように

ものすごく集中させ、私が監視することで緊張感を作ります。

授業怠慢??(笑)

これはそう思われても仕方がないのですが、断腸の思いで敢行しました。

というのは、ここ最近、特に中学生ですが英単語を覚えてねーといっても

ちっとも覚えてこないので、少々授業内でどうやって覚えているのかをみるために

行ったのが発端です。

しかし、覚える時に単語帳をみるだけになっており、一喝。

「単語はね、目で見て、スペルをを発音して、それを耳にして、手で書くのよ!」

と言いながら、30分はそれを実行させて、単語を覚えることを矯正しています。

すると、昨日、ある生徒は30分間で30個、

つまり1分で1個は完ぺきに覚えられていたわけです。

まあ、直前ですからできて当然という部分がありますが、

それでも2週間で70個を覚えられなかったダラダラな学習は

改善できたのではないかと思います。

まあ改善まではいかないにしても、感覚は与えられたかなという具合です。

これで自身一人でやる勉強にも影響があればいいのですが…。



中学校の英語は特に文法に目がいってしまうので、単語と長文は不十分に終わります。

公立の高校受験をする学生は特にそうですね。

学校の授業が文法メインで解説をしていくので、あれはなんとかしてほしい。

英語の勉強がつまらなくなるのも当然です。

3年間もダラダラ文法をやっていたら、そりゃできるようになるどころか、

何にもなりませんよ。

そういうこともあり、生徒は単語を覚えるぞっていう感覚を植え付けるために

当分このスタイルで中学生の授業を展開します。

ちなみにわが軍の中学生たちは

1年以内に基礎英文法をほぼ習得させ、その後はさらに磨きをかけるために

1授業で3本~5本長文を読んでいます。

それを2か月間続けると結構な量になります。

そして、それを入念に復習させて、文法の応用や英作文を導入して

完璧に仕上げます!この流れに乗った学生は、

去年の12月の時点ではbe動詞と一般動詞の区別がわかっていなかったのに、

今では早稲田学院高校の入試問題をすらすら読み解くことができます。

まあもちろんその学生がものすごく努力しているからできたことなのですが、

別にスタートがいつとか、ある程度のレベルに持っていくためには

英語を始める時期は関係ありません。発音などは差が出ますが、

理解して、処理できるレベルにするのであれば、

半年もあれば高校レベルに持っていけます。

要はやる気次第で、どうにでもなるわけです。それが本当のお勉強の神髄。

そんな世界に浸ってくれ、学生たちよ(笑)


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2013
06.09

和英辞典は引かせない!

Category: 雑記
ある学生がこんなことをしていました。

「先生、私、「世話する」って意味が分からなかったので、今和英辞典を引いてます!」

待てぃ!!!!!

えーと、英語を勉強するときは、ある程度英語玄人にならない限り、

和英辞典を引かないでください。

英語を勉強するときは英和辞典か英英辞典しか傍らに置かないでください。

というのは、日本語からすべて推測したり、英語を当てはめるだけのもの

として処理するようになってしまうためです。

英語を英語として処理できるようになるためには、

和英辞典はおもちゃにすぎません。

そんなわけで、あまりも英語ができない、基礎が成り立っていない場合、

英作文はやりません。その前に必ず例文を覚えさせたり、

穴埋め問題で基礎文法をみっちり学生の頭に植え込みます。

「創作の心?独創性の尊重?

いやいや、既存したものを反復できない奴がうぬぼれるなっ!(笑)」

って具合によく生徒に暴言を吐きます(笑)

問題を解いていてわからない単語を英和辞典でしっかり引いて、

その内容を覚えましょうね。そしてできれば英英辞典を使って

英語の感覚でものを覚えてほしいです。

例えばappleであれば、「赤いリンゴ」ではなく「木の上になっている青い果実」

って具合にね。そこまでできたら一流です♪
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2013
06.07

「お前もこうすればいい」を考える

Category: 雑記
「俺はこうやって勉強した。お前もこうやって勉強すればいいんだよ!」

これは一理ありますが、言ってはいけないセリフだと信じています。

私が学部卒業後にアメリカに留学しようとしたときにある先輩から同じように言われて、

非常に困りました。

その先輩はすでにアメリカでの勉強が決まっていて、

とにかく境遇がすべて整っている状況でした。

一方、私は金銭面の事情や今後の将来や家庭の事情を抱えていたために

簡単に決めかねていた状態で、

先輩の言葉は大きなプレッシャーになってしまいました。

もちろん、彼は親切でいってくれたのでしょうが、この言葉に思慮をめぐらせて、

いくつかのエクスキューズを付け加える気遣いは必要だったように思います。

どんなに「がんばれ」「やればできる」などと言われても、おいそれとできないことがあります。

私自身「俺とおんなじやり方をすればいいじゃない」と発言する場合、

実力を秘めている生徒ややる気に満ち溢れている生徒にしか言いません。

何らかの事情で意気消沈していたり、

勉強へ意識が向いていない生徒にこの言葉を贈るのは、

相手に塩を送るようなものですよ。



では、後者の人々にはどういうべきでしょうか。

私は「こういう一例があるんだけどね。」と言った感じで接する努力をします。

やんわり1つの世間話としてとらえてもらおうとするだけで、

生徒のもとにおとずれる義務感が薄れ、

成功談を受け入れてみようという態勢ができ上がってきます。

今のご時世、ナンバーワンよりもオンリーワンを目指している人が多く、

人から頭ごなしに成功談を話されても、「why?」という疑問詞がちらつくだけです。

もちろん、締めるときは締めないといけませんが、

先生が生徒に対して圧政を引いて一つの大きな道を作った後で選択しなさいというのは、

今の時代のニーズには合っていないように思います。

そうではなくて、講師が生徒の可能性を広げて、

彼らの境遇からその可能性を具体化して、それらを示してあげてから、

生徒のライフスタイルにあった道を突っ走らせることを理想と考えるのはどうでしょうか。

本来個人的には圧政するぐらいでいいと思うこともあるのですが、

こればっかりは我々と生徒との価値観の間に大きく乖離がある場合、

生徒との関係がこじれます。


そこで、私は先生自身や知っている体験を話し、

その生徒に追体験させて、先生が体験したものに、

自己流にカスタマイズしていくことを提示したいと思っているわけです。

ウェーバーの社会学から経験科学の価値を知り、

私はこのように考えるようになりました。

ウェーバーは、人間の行為における価値や目的を理解するとき、

その価値や目的が自分と大きく差異を感じれば感じるほど、

それらの追体験は困難になり、私たちはそれらを理解するのが難しくなることを示しています。

さらに結局人間の行為の価値や目的は、

人間による感情移入の度合いと自身が持つ知的解釈をもって、

最大限に理解されるにすぎないといっています。

これは明らかに歴史学や社会学で用いられる「経験科学」的発想で、

正直理解しがたい人もいるでしょうが、

私はこれまで実体験をすべて頭の中で積み換えて、

目の前にある境遇にある問題を解決してきたために、

これは生きていく上で正論じゃないかなと思っています。


「俺はこうやって勉強した。お前もこうやって勉強すればいいんだよ!」


これを、追体験を経た解釈ではなくて、その前提と考えてみてください。

この言葉から、自分の行動はもっとうまく昇華できると思えば、

もっと勉強するやる気が起こるのではないでしょうか。

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2013
06.06

天才と張り合ってはいけない。自分は自分。

Category: 雑記
私が卒業した高校は、今思うと結構カオス(笑)

ギャル系が8割(でもかわいい子は多かった(笑)野郎ははじけてた)で、

美女系・好青年系が1割、

勉強する人・よくわからない人たち1割で形成されていた、

県下トップのギャル校と言われていたほどの謎の学校でした。

まあそれでも、入るときには、

最低成績でオール4手前はなければ入れないので、

決して勉強がおできにならないというわけではないのですが、

あまり熱心に勉強はいたしません(笑)

まあそんな学校から、私は国立医学部や早稲田に合格したわけで、

相当当時は異端児扱いされていました。(しかもそこにいかなかったから余計(笑))


しかし、予備校の先生と話をしているとよく出身校の話になるのですが、

みんな名門と呼ばれる素晴らしいところをお出になっているので、

ついていけない時があります(笑)悪く言えば、それって面白かったのか?

って思いますけどね。


そんな中、愛知の東海高校の話になり、少々興味深いことを聞きました。

「東海高校ってのは、絶対に敵わない天才が30人ほどいるんですよ。

どんなに勉強してもかなわない天才がちらばっており、

1~30番ぐらいはほぼ中2ぐらいで決まります。

東海生の多くはそれを悟り、勝負せずに無難に行こうとするので、

甘んじる学生も増えるんですよね。近づこうとしない。

悟ってからとりあえず自分ができる努力をしようとする。

そういうやつがいるから、個性がでるんですよね。

B軍の文化祭での勢いはすごいですよ。あれに賭けている奴もいますからね」


東海生でも敵わないぞってほどの学生というと怖いですね…。

まあそういうやつが確かに旧帝の医学部に入るのですよね。

私からすると、そういう環境があるのって羨ましいですね。

毎日天才と学び舎を共にし、天才の思考を垣間見れるのですから…。

私は自分でライバルもいない中で勉強しなければならなかったので、

非常に辛い思いもしており、精神的に抑圧されてきていたようにも思います。

「勉強している=ガリ勉・ノリが悪い」

この呪いは非常に勉強する上で邪魔でした。

だから、私は、「天才には近寄らない、別次元の人間だと割り切って

人々と接する」という感覚にびっくりでした。

天才を仲間にできる環境?反則でしょ(笑)


でも、それを聞いて自分はこれでよかったと思えることもありました。

「バカな俺でも、頑張ったらここまでできるという限界値は

永遠に追求できるぞ!負けてしっぽを巻いて逃げるのではなく、

例えそんな天才に負けるとわかっていても

何か手に入れられるんだとプラスで考えられる思考や、

そんな精神が作れただけ、自分の高校生活をたってみてよかったかな。」

こんな感じです。(負け惜しみみたい(笑))
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2013
06.05

6月の指針

Category: 雑記
先日河合の全統マーク模試が返ってきました。

いやー、決して難しいというわけではないのですが、

スコアだけ見たらまだまだ発展途上ですね。

いや、それ以上に悪いかなっていうのが本音。

しかし、思った以上に成績が伸びた生徒がいました。

毎年こんな生徒が一人二人いるのですが

去年のセンター本番でやっと80点に乗ったぞと言う生徒が、

今回の模試で140点までスコアを上げてきました。

これは本人のことを考えれば本当に快挙。

でも、私としてはまだまだ伸びたりないです。もっといけるでしょとしきりに言ってました(笑)

こういうスコアの伸び方をすると、その科目が好きになってきたりするんですよね。



6月が始まりますが、そろそろ地獄を見せようと思っています。

この時期はどうもだれてしまうので、引き締めていきます。

目標は文法・語法問題で1000問、300ワードの長文を50本、

英単語帳1冊を1周です。

まあ今年のメンツも根性ありますので、きっとやってくれるでしょう。

模試でダメでも、反省する心があれば、必ず才能は開花します。


まあ咲かせてみますよ、はなさか爺さんはさ。
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2013
06.04

浪人は3浪までにしておくと心掛けること

Category: 雑記
今年は浪人生を相当数みているのですが、

正直申し上げて、「えー、こんなこともできずに浪人を決めたのか?」

「浪人することと、モラトリアムを楽しんでいないか?」

ということを思わせるような学生がほぼ9割。非常に遺憾です。


そして、そういう学生を見ていると私は非常に憤慨してきます。

勉強ができないことに憤慨しているのではありません。

できないからやっているのですから…。

でも、限度ってありますよね。例えば、こんなのはどうでしょう?

「中学校で習う英語がかなり厳しい。不定詞以降の内容を知らない。

どうすればいいか?また、他の科目も全然奮いません。

でも1浪で医学部に合格しなければならない!

何でもします。どうすればいいですか。」


結論から言います。普通の学生なら、まず無理です。

英語しかできないならまだしも、4科目すべてできないとしたら、

それは最低2年はほしいですね。

それでも、受かるか受からないかの瀬戸際だと思ってください。

しかし、これをいうと「予備校では何を教えているのか?」

「家庭教師に高額な月謝を出しているのに、どうして成果が出ないのか?」

というようにいう方が中にはいます。

本来大学受験とは大学に入るために試験であって、

高校生のレベルはちゃんと押さえておきましょうね

ってことです。それを中学生のレベルからできないのに、

1年でおよそ5~6年のことを網羅して、

且つ問題が解けるレベルに、しかも複数科目をこなせと言われても、

できるかもしれませんが、少なくとも私にそれは無理です。


こういったことを前提に私はいつも浪人の指導にあたり、

浪人生には少々厳しいことを言及します。

そして、医学部受験の1浪生にはこういいます。

「医学部受験は確かに大変です。自分が思った結果がでないこともあります。

でも、やっても3浪。現役で1科目完成。そして1年ずつ1科目を極めてみると、

なんとか3年浪人すればなんとかなるのでは?って思うでしょう?

それが最低ラインだと考えながら勉強するといいですよ。

国立はさらにそれより厳しいからもう1年ぐらいかけてもいいけど、

さすがにそこまではなかなか精神が持たないことのが多い。

またお金も持たなこともあるから、他の人生を歩むってのもありだと思います。

まあこれはあくまでも私の価値観で、

3浪してダメだったときに自分で『なんと言われてもやるぞ!』って気持ちであれば、

まあもうロマンも意地も含めやるといいよ。

でも、私は絶対にその人たちには指導しないかな。

私はその価値観を持ち合わせていないのと、そういった連中は自分に甘いやつが多いので、

あまり真剣に話したくないのよ。」


少々ひどい発言かもしれませんが、これが本音。

こう考えてみると私はやはり私立医学部の受験に携わらない方がいいのかね?

って思うこともあります。私の価値観と少々かけ離れたところがありますもんね。

理屈じゃない部分が少々多すぎる(笑)

でも、そう思う反面、人間には何度もチャンスが巡ってくるわけではないことを

授業の中で教えてあげたいとも思うので、

医学部受験の学生の前で教鞭を打っているのかもしれません。


とにかく、あまり多くの時間浪人生活をしてほしくないというのが

私の気持ちです。

医学部3浪まで、一般学部なら1浪、

東大・京大とかなら2浪(ロマンを追求するなら任せる!(笑))と

心に決めながら受験指導しております。


まあ、ここまでの記述は

それだけ自分の仮面浪人生活がいやだったという皮肉なのかもしれませんね。
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