2012
05.30

国際結婚したら子どもにはどちらの言語を?

Category: 雑記
さて、国籍が違う同士の男女が国際結婚をして、子供を産んだ時、

その子供はどちらの母国の言語で話させるべきか。

これは、私の頭にふとよぎった疑問です。

んー、国際結婚をする可能性があるので、私はちょっと真剣に考えてしまいました。


それで、私が考えてみた結論はこうです。

「やはり、母方の言語を学ばせて、英語をできるように訓練するべきだ。」

英語圏の女性と結婚する場合は

英語をやらせてしまってもいいのではないかと思いますが、

英語を母国語にしない国で自国の言語をもっている場合、

母国語をどれにするかを考えなければならりません。

よっぽど頭が良ければ、両方できるのかもしれませんが、

失敗したらその子供の人生を不幸にしてしまいかねないので

それはやらない方が無難だと思っています。

では、親御さん両方が英語を操れれば、

子供とも英語でコミュニケーションをすることができるじゃないかと思うかもしれませんが、

我々のようなノン・ネイティブの英語は微妙なニュアンスで使っていることが多く、

やはり子供に対して言語の語感において不自由にさせてしまう可能性があり、

避けるべきかなと思っています。

じゃあ、言語の壁が立ちはだかって、国際結婚なんて無理じゃんと思いそうですが、

そんなことはきっとありません。

子供に言語を教えるために結婚するんじゃないですもんね(笑)

そこで考えたのが、やはり子供は母親と時間を過ごすことが多いから(一般的に)、

母親の言語を母国語にすれば、子供も不自由ないだろうなって思いました。

じゃあ父親は……いやー母親(奥さん)の言語を覚えろ、覚えろ!

子どもと奥さんのためならできるでしょ(笑)


というわけで、母方の言語を母国語にして

英語を覚えるというスタンスが理想ではないかなって思いました。


こうやって、自分が言語に鬼気迫る状況に陥った場合、言語を勉強しようとなりますね。

やはり、こういった実感がわかなければ物事は考られずに、

時間ばかり過ぎ去ってしまうものですよね。

先日もあるお母様から

「アメリカで部屋を借りるときはまず契約書をちゃんと隅から隅まで読んで、

解釈したうえで借りないと、後ろで不利益なことをされることが多いんですよ」

と聞き、私は「英語できないと殺されますね…」って返答していましたが、

まったくその通りで、英語はできなければいろいろ困ってしまいます。


というわけで、受験云々抜きにしても英語をできるようにしましょうね。


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2012
05.29

嬉しい声と6月の指針。

Category: 雑記
一昨日は生徒が進研模試を受けてきました。

いやー、決して難しいというわけではないのですが、

スコアだけ見たらまだまだ発展途上ですね。

しかし、思った以上に成績が伸びた生徒がいました。

去年のセンター本番でやっと90点に乗ったぞと言う生徒が、

今回の模試で140点までスコアを上げてきました。

これは本人のことを考えれば本当に快挙。

でも、私としてはまだまだ伸びたりないです。もっといけるでしょとしきりに言ってました(笑)

こういうスコアの伸び方をすると、その科目が好きになってきたりするんですよね。

6月が始まりますが、そろそろ地獄を見せようと思っています。

目標は文法・語法問題で1000問、300ワードの長文を50本、

英単語帳1冊を1周です。

まあ今年のメンツも根性ありますので、きっとやってくれるでしょう。

模試でダメでも、反省する心があれば、必ず才能は開花します。


まあ咲かせてみますよ、はなさか爺さんはさ。
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2012
05.28

まだまだあわてる時間ではない。

Category: 雑記
受験生は第一回目のマーク模試(河合)と記述模試(河合)を終え、

誰もがまたふんどしを締め直して、必死になっていることでしょう。

しかし、早くも戦線離脱する者も出始めています。

私の周りでも3人ぐらいそんな感じですが、1人は死の淵から舞い戻ってきてくれました。

ちょっと早すぎる…。

死の淵をさまよった生徒は「最後まであきらめない」と言い放って、

日々机に向かい、再び参考書と格闘しております。

輝かしい光景以上の何物でもないです。


「人間、強い人ばかりではない」という人がいますが、

全くその通りだと思います。

しかし、それを言ったら、社会や人々は容赦してくれるのでしょうか。

今の世の中は弱肉強食とはいかないまでも、

どこかで「人を喰わなければならない日はくるのだ」と

腹をくくらなくてはいけない世の中です。

しかし、自分が弱いからといって、

強いものに屈するとか、自分にラインを引いて

そこにとどまるのは、

いかにも時代錯誤した行為のように思います。

現代は封建主義でもなければ、絶対王政でもありません。

一応、民主主義がまかりたつ社会がありますが、

21世紀において、階級社会を強く思考する者がどれだけいるのでしょうか。

今、2011年という時代を生きている人々は、

(若干制限されているかもしれないが)

巨大で莫大な自由を手に入れて、

ユングがいうような

「自由に処されている」という贅沢な社会に所属しているんですよね。

その状況にあるのに、なぜ人は諦めようとするのでしょうか?

あきらめたところで、その人にはどんな時間が立ちはだかるのでしょうか?

私が思うに、そういう人には

空虚で、簡素で、味気のない人生しか待っていない気がします。

それもまた一興と思う人もいるでしょうが、

そんな人生を送って、

社会へ貢献するという人間に与えられた義務(そうだと思っている)は、

果されるのでしょうか。

自由の奴隷と化して、人が後世に継承できるものは………

自由か?

いやいや、それは自由ではなくて、退廃です。


ちょっと勉強し始めてつらいなと感じ、

あきらめちゃったほうがいいかもと

目標校を下げたほうがいいとと思っている受験生に一言。


まだ決断するのは時期尚早。

年末まで熟慮して決断しても遅くありません。

日本人は、「大学受験の成功と失敗が人生の大部分を決定づける」

と思いこみすぎてます。

あらゆるものの日本の形式ばった枠組みからちょっとはずれてみれば、

結構道があったりするものです。

私もこれに悩み挫折しましたが、

こういったとき、恩師にあきれ顔で言われた言葉を思い出します。


「たかだか20そこいらで、人生の白黒つくわけないじゃん」


これはよくよくスウェーデンにいる学生を考えてみれば、

すぐに解決できたことだと気づくことができました。

スウェーデンにいた学部生は、大半が私よりも年上で、

28歳で学部に入って、政界に入ろうとしたケニア人もいれば、

26歳で新しい言語を始めるために日本留学をした26歳のスウェーデン人もいました。

日本にだって、そんな学生は実はかなりいるはずです。

それがいいかどうかは結局自分の価値観が判断することで、

他人と比べる相対評価で、その真実はみえてきません。


努力して無残に散って、何が悪い。

花火は毎年大きな円を描いて消えていくが、人の心には残っていたりもします。

桜は春に散っても、また次の春に咲くのです。

人生もそれらとどこが異なるんだろう。


今日、もう咲いているはずのないしわしわになった桜の花びらに遭遇し、

そんな萎びた彼女と皮肉をもらしていました。


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2012
05.27

蟻ではなくオオカミに

Category: 雑記
今日、私が住んでいるマンションの階段の傍らで、

蝶の死骸に蟻が群がっているのをみました。

そして、その数時間後に同じ場所をみていると、

蝶の死骸は跡形もなく蟻の群れに運ばれていっていました。



まず、これをみて、

「こうやって食物連鎖って作用しているんだよな」

と中学校2年生ぐらいの知識が私の頭に甦ってきました。

そして、次に、

「蟻は集団形成をする上では人間よりも緻密で、

実は人間の頭脳よりも上回る力を秘めているのかもしれない」

と、無味乾燥なことを想起するわけです。


この思考回路の帰路をたどってみると、

なんて無意味な述懐なんだと気付き、途方にくれそうになります。


「人間は蟻よりも有能なのか」という問いが与えられた場合、

答えは2つ出すことができるでしょう。

集団においては、蟻の方が人間よりも有能に行動できるが、

個においては、圧倒的に人間のが有能である。

(知的な答えをしたい場合、こうやって場合分けをして答えたほうがよいらしい。)


ドラゴンボールに出てくるフリーザが、クリリンとご飯とべジータに向かって、

「蟻が恐竜に勝てると思っているのですか」

というように、蟻は人間にはすべての面で敵わないと思います。



受験は、個人間の「闘争」と「競争」です。

他者と言う個人を相手にするならば、「闘争」ではなくて「競争」、

しかし、自身と闘うとなれば、

今までの自分が明日以降の未来に映し出している姿へ移行するために

行為するわけですので、これは「競争」ではなくて「闘争」。


要は、受験はうわべで群れているように見えても、

最終的に自身に勝ち抜いた者こそ大きな栄光を手にすることができるわけです。


よく、

We work as hard as ants (or bees)「我々は蟻(蜂)のように一生懸命働く」

という一種固有表現のような言い方がありますが、

受験において、蟻のように群れて仕事をしてはいけません。

群れてうまくいくのは、大きくぶった切れば「社会」のみです。


なので、受験生にはこんな英文にして送りたいです。

You should work (study)as hard as stubborn wolves.

「(頑固な)狼のように一生懸命に勉強すべきだ!」


一瞬でも狼になれる勇気があれば、なんでもできるようになります。


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2012
05.26

ガチで勉強をしようか

Category: 雑記
先日、あるお友達たちと飲んでいた時に

こんなことを言っていたのを思い出しました。

「私が思うに、単語を増やすためには接頭語と接尾語を覚えればいいんだと思う!」

この方はアメリカに2年滞在していた人で、私よりも海外生活が長かったのですが、

彼女の英語を聞いたときに英語ができるとは思いませんでした。

流暢で、発音もアメリカ英語で聞くと一瞬「あー、できるんだー」って思うのですが、

いやいや、ボキャブラリーが乏しいことが数分してわかってしまい、

「なんだ、簡単なことしかわからないんだな」と悟ってしまいました。

2年も住んでいれば、日常会話は誰でもできるようになりますが、

会話のクオリティーが比例して上がるわけではありません。

要はしっかりお勉強をしていなかったことに感づいてしまい、

残念におもってしまいました。


そこで、先ほどの発言、「接頭語・接尾語が重要論」なわけですが、

こういう横着をするから、英語が出来るようにならないんですね。

英単語を覚える時はガチで覚えなければダメです。

接頭語・接尾語に関する知識は別に知らなくとも、英単語を1万~2万も覚えていると、

この単語とあの単語は語源が一緒かな?って推測ができるようになります。

その上で語源辞典や、接頭語・接尾語全集みたいな本を読んで知識を増やす

という手順でやっていかない限り、どんなに接頭語・接尾語を覚えても

単語を見てわかるものは増えても、使えるレベルまで到達させるには

また別に時間を費やさなければなりません。

大学受験用の単語帳でも、接頭語・接尾語の意味から

英単語を覚えようというコンセプトで作られた単語帳もありますが、

それを最初から使ってしまうと、それに頼って単語を推測する知識しかつかず、

使える英語にはならないように思います。


だから、私は生徒に必ず最初の5000~1万個は必ずガチ暗記させて、

そのあとで接頭語・接尾語でイメージをつけさせたり、

類義語としてまとめる作業をしていきます。


段階を踏まずに覚えても、使いきれません。

ガチでやった人はたとえ瞬間的に苦労しますが、忘れることはほぼ皆無です。

私もスウェーデン生活からもう5年が経ちますが、

流暢さはあの時よりも落ちたとはいえ、最低限話すことはできます。

社会時事ネタ・文化論・法律系の話題になったって、何とかなります(笑)


受験生の皆さんには是非ガチでお勉強に取り組んで、

エリートになってもらいたいです。


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2012
05.25

医学部志望者の指導を考えるメモ

Category: 雑記
先ほどまで、

ある数学の先生と医学部受験に関する考えをまとめていました。

今年で医学部受験に携わるのも3年目。

去年は医学部合格のワルツで締めくくりましたが、

今年もそれを越えるために頑張らなければなりません。

私が思うに、医学部受験はある科目に特化して合格するのは稀だと思いました。

ある程度教科バランスを統制していかないと、

なかなか合格へたどり着かないように思いました。

去年、医学部に6~7校合格し、関西医科に合格した生徒さんは、

英語、数学、化学、生物の4科目で偏差値70を切る成績の科目を

持っていませんでした。

その彼は英語が苦手(というか科目の中でできない)なものでも、

最低河合の模試で偏差値67はありました。

偏差値でコンスタントに70ぐらいを出すのは非常に大変なことですが、

それでも慈恵や大阪医科で不合格をいただくこともあったので、

医学部の争いは結構熾烈のように実感します。

はっきり言って、極端に苦手な科目がある時点で、

もう負けだと考えていいでしょう。

一般学部の受験で、数学や英語で特化できれば合格できることもありますが、

医学部の場合、それは相当稀なケースだと思います。


すると、医学部志望者への指導を考えた場合、

全教科特化できる術とシステムを持っているところに行かなければならないでしょう。

大手予備校であれば、全教科の先生はそろっておりますし、

各教科ごとにものすごく厳選したテキストを作ったり、講師が授業展開を考えているので、

その辺は特に問題ないでしょうが、生徒が自己管理できなければ、

大手予備校は無駄足になる場合がありますので、

自主勉強のプランを立てることができるかどうか良く考えなければなりません。


一方、医進系の予備校であれば、

全教科の統制がしっかりとれているところを選ばなければなりません。

中には授業料が高額で、中身が薄い授業となっているところも少なくありません。

また、ある教科だけ特化しているところも正直気を付けなければなりません。

特に医進系の予備校は当たり前ですが

理科科目、数学科目の先生に重視しているところが多いのですが、

英語や小論文の科目に軽視している部分があります。

よって、いい医進系の予備校を探す場合、

英語の授業のカリキュラムや小論文対策をどのように行っていくかを

予備校運営の方にしっかりお聞きする必要はあると思います。

私は名古屋を中心に指導してますが、

すべてバランスよくカリキュラムが作られているところは、

残念ながら正直ありません。

ただそのシステムが出来つつあるのではないかと思うところを

私は2つ知っています。

(「どこ」とはお書きしません。すいません。)

名古屋の医学部予備校はどこも

バランスをとれたカリキュラムを喉から手が出るぐらいほしがっています。

よって、ここ2~3年、医学部受験生は河合なり、駿台へ行っているようです。

(ただ、駿台の先生は「駿台は医学部受験生をあまり抱えていないと言っていた…」

生徒たちはいずこへ…

もしや関東や関西のような充実した施設があるところへ遠征…?)


医学部専門系の予備校中には

2科目ぐらいに偏ったカリキュラムを立てようとしたりしているところがありますが

そういった偏向的なカリキュラムを組んでいるところは要注意ですね。

特に英語を軽視しているところが多いので、繰り返しになりますが

英語・数学のカリキュラムがしっかりしているところを選ぶと

案外うまくチョイスできます。


医学部志望でしたら、数学と英語はできていてほしいですね。

どちらか足を引っ張る状態でも、偏差値で65はほしいですね。

センターの問題で主要科目で最低85%ぐらい取れる感覚がある人であれば、

1年でうまくいく可能性は十分にありますね。

それを引き出せる・良く知っているところへ行きましょうね。

私も予備校が知らない情報をさりげなく持っています。

例えば、今年の藤田の変更点についてとか、配点システムとか……。

情報を持っているところも注目ポイントですね。


こんなことを数学の先生ともっとコアなレベルで話し、

私と他の科目の先生たちとどうやって足並みをそろえていこうかという会議をしました。

ま、今回は当たり前なことばかり書いてしまいました。すいません。

おしまい。
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2012
05.23

「雑談」の美学

Category: 雑記
私は、少々他の先生と授業の位置づけが多分違うのかなって思います。

私にとって授業はPerformance「演技」であり、

真剣に聞くというよりも、

自然に聞き入ってしまうというものでなければならないと思っています。

もちろん、最低限の耳を傾ける意識はないと困りますが、

基本的に授業はエンターテイナー性が結構の要素で必要だと思っています。

じゃあ、エンターテイナー性100%でお送りするべきなのかというと、

それはできればすごいですが、まあ結局中身不十分に終わる可能性が高いでしょうね。

そのエンターテイナー性が光るのは、授業内での「雑談」です。


よく雑談をしてはいけないという先生がいらっしゃいますが、

私はそうは思いません。

例えば、90分の授業で90分ガチで授業をやられたら、どうですか、

休憩はさみたくなりますって。しかも毎週ですよ。

集中力が比較的高い人でも、全力で他人の話を聞くのであれば、

せいぜい60分というところではないでしょうか。

レベルが高い人たちの集団であるなら90分ガチでも構いませんが、

それはかなりのスキルがある先生だと思いますし、素晴らしいと思います。


しかし、「雑談」にも美学があると思うんですね。

例えば、「どのように勉強をするべきか」という疑問を生徒は必ず抱えているわけで、

英語の授業とかでその内容に繋げて、エピソード(総和)を話すのは、

決して無駄な時間だとは言いきれないと思っています。

それが面白おかしく、生徒自身が「これならできるかもしれない」と思えればめっけもん。

これまで、わが軍の連中が

私の雑談からどれだけ自分の勉強のスタイルを確立しようと試行錯誤をしていたか、

今思うと非常に懐かしく思います。

ゆとり教育とは違いますが、ガチでやるのは自分の勉強。

授業や講義は自分の悩みを解決するためのきっかけの場となり、

新たな知識の発見の場であればどんなことをしてもいいんだと

というスタンスで、私は展開しています。

傍からみていたら私の授業は絶対に雑談ばっかりのくそ野郎と映るかもしれません。

しかし、授業を受けてみた人ならわかってくれるかもしれません。

「どうして勉強しなければならないか」ということを引き出そうとする授業をした方が

何倍も意味があるんだという話を常にしているんだ、と。


ま、8:2の割合で真面目な授業はしているつもりですが、

日によってはかわってもいいんじゃないかなって勝手に思っております。

楽しく勉強しましょうよ。夢を持って勉強しましょうよ。
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2012
05.22

基礎と原点回帰の重要性

Category: 雑記
料理の世界で、「さしすせそ」の意味を知らなければ、

料理のいろはも身についていないのと同様に、

英語にも最低限覚えておかなければならないことがあります。

それは、中学校で養う基礎英語力です。

高校入学の時点で、高校受験の公立入試の問題で8割取れていれば、

その人には英語を学ぶ基礎体力があると言えます。

しかし、最近高校3年生にもなってその基礎体力がない生徒さんに

名古屋に来てからよく遭遇します。

例えば、「不定詞の三用法がわからない」、「現在完了の3用法がわからない」、

「who, whichをつかった基本的な関係代名詞がわからない」など、

ひどい時には「動詞にsをつけるときはどういうときか」、

「be動詞と一般動詞の区別がつかない」ということも少なくありません。

この傾向は、中高一貫校の下部層に多く見られます。

名古屋で上位に君臨する学校の下部層でさえも、

この基礎が崩壊していることがあります。



例えば、不定詞のこんな例文を皆さんは訳せるでしょうか。

To survive we have some ways to live in.

"to survive"のto不定詞は、「生き抜くために」という副詞的用法、

後ろのto live inのto不定詞は、「生きるべき」という形容詞的用法です。

さて、できたでしょうか。

中学生3年生であれば、単語の意味が分かればまず訳せるはずです。

実際にこれができなくても、

偏差値60を越えることができます。

今年もそんな生徒が私のもとにもいますが、私は容赦なく注意します。

答えがわかっているセンター試験はのりや文章の流れで

文法がわからなくても処理できますが、

国立の2次試験や私立の一般受験ではそうはいきません。

また簡単と言われているセンター試験ででさえ、

毎年傾向が少しずつころころ変わっているわけで、

いつ難しい問題が出題されるかわかりません。

そういったときに備えて、傾向が外れた時に自力で解き抜く力が必要で、

そのためにも本当の基礎英語力は必要になってくるのです。



基礎なくして、受験制覇はありません。

よく「半年で難関大学に合格しました」、「まったくできなかった生徒が高得点を…」と

耳にすることがありますが、

それはその先生がものすごーく基礎をたたき入れてくれたおかげか、

もともと基礎学力があったからにすぎません。

私も偏差値40前半(トータル)の生徒を、半年で偏差値60ぐらいまでに

押し上げる指導力は持っているつもりですが、

勉強するための基礎体力と、知的好奇心と、目標への熱い情熱と、

このゆるぎない基礎作りに不断の努力を費やす精神がなければ、

まず飛躍的な成績改善はありえません。


もしこの記事を読んでくれている方は、

もう一度本棚にある高校や中学の教科書をてにとって、

自分に基礎があるのかよく確かめてください。

そこまで原点回帰を迷わず行える勇気が、

大きな前進の原動力になるのです。

そして、私はそんな勇気を持つ生徒のために

これからも一ミリでも負担を軽くしていきます。

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2012
05.21

受験生の精神 ~オスカー・ワイルドの精神を拝借して~

Category: 雑記
私が受け持っている生徒さんは、野望を持った人が多いです。

例えば、自分の中学校や高校からでは

とても手が届かないと言われている高校や大学に行きたいという

願望を持っている生徒さん。

また、今の境遇を一変させたいという生徒さん。

学年順位を大幅に上昇させたい生徒さん。

本当にみなさん、野心の固まりみたい人間ばかりです(笑)


こういうと、とてもずるがしこくて闘争本能を全開にして、

陰険なメンツばかりだと思いきや、

みんな気持ちのいい生徒さんで、ものすごく前向きです。

生徒さんが苦悩して、もどかしい表情をしていても、

それは精神的に正常な証拠で、青春している中で苦悩がなければ、

ただ能天気なだけです。


私も自分の高校から一人もいったことがない大学を目指していました。

そうするべき人間になることを自覚し、私は日々勉強に励んでいました。

とにかく難しいことばかりに挑戦し、無鉄砲だったのを覚えています。

先生には沢山悪態つきましたし、

暴言を一つ一つ並べていけば、出版できるほどの暴言集が出来上がってしまいます。

私の場合、結局うまくいきませんでしたが、

その時間があったからこそ今があるんだと信じています。


だから、

そういった野心を抱きながら物事を成就しようと切磋琢磨する生徒の姿を見ると、

意地でも何とかしてあげたくなります。

そういった生徒ほどちゃんとしているようで、不器用だったりするのですが、

それでも前に進もうと推進力を働かせるなんて、

いい度胸していると、感服してしまうこともあります。


オスカー・ワイルドの言葉にこんなのがあります。

「私は心から自己現実への清新な様式を求めている。

今抱いている私の要求はこれだ。

まず第一にしてはいけないことは、

世間に反抗しようとする苦い反発感情を捨て去ることである。」(ダンディ訳)


彼は現在知られているネクタイ(フォア・イン・ハンド)の創始者と言われて久しいですが、

当時のそれはクラバットと比べて、非公式でお粗末なものとして扱われていました。

しかし、彼は世間に対して反逆の精神を全開にかざし、

世間を圧巻させ、今のネクタイのスタイルを確立するにいたったのです。

今ある潮流を逆行することほど容易なことはありません。

しかし、逆行することができた暁には、

多分な美しい涙を流しながら、

人がなかなか持ちえない自由な感情をもって、

世間を謳歌することができると思います。


ワイルドの精神を受験にあてて考えてみれば、

受験生にとって、今ある境遇に対する「反逆の精神」は必要不可欠だと言えます。

引かない勇気こそ受験生にとって必要な勝利のカギだと、私は信じています。

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2012
05.20

気を抜いてはいけない。

Category: 雑記
今日、生徒の中でいい成績を取ってうかれていて、

そこまではよかったものの、宿題を忘れたうえに言い訳をしたので、

激怒して叱りつけました。

思っていた以上に成績がよかったので、

舞い上がる気持ちもわからなくもないのですが、

先生という立場上、それを見過ごすわけにはいきません。


しかし、叱咤した後、私はちょっと心が痛くなりました。

実は同じようなことが私の経験上思い当たったからです。

大学三年生のときに、

私はスウェーデン行きが決定して、

そのあと1年間勉強してからスウェーデンに乗り込むことになっていたのですが、

決まってから3ヶ月ぐらいはうかれにうかれ、

勉強はそれなりに、大学の友達と交流したり、

ウェディング・コーディネーターの仕事をして資金稼ぎに没頭していました。

読書に関しては、硬い本を一切読まず、映画と現代のポップな書物にあけくれ、

どんどん考えが浅はかになり、ただその時代の流行に流されていました。

しかし、そんな生活に終止符を打つ事件が起こります。

大学でTOEFLというテストを受けることになっていた日です。

私はある友人に「テニスをやらないか」という誘いを受け、

快諾してしまい、テスト10分前までテニスをしていました。

しかし、不幸なことに(幸運なことに?)、

恩師である教授がタクシー越しに私の姿をみつけ、

目があってしまい、

そのテストが終了した次の週の授業で大激怒。

そして、先生は私たちに、

池波正太郎の「貨幣に関する~」という見出し(はっきり忘れた)のコピーを渡し、

これまでに先生の口から聞いたこともないほど大きな声で、

「お前らは勘が悪すぎる。勘を働かせずに今を生きすぎている。

今、お前らがしなければならないことはなんだ?

どうして英単語のテストで大半のやつが20点だ30点だというスコアをとっても、

へらへらして俺の授業にいるんだ?

単位はみんなにあげるから、やる気がない奴はこなくていい。

日本でのたれ死んでください。」


これを聴きながら、私は自身の情けなさや、弱さや、もろさを知りました。

そして、私はスウェーデンに行くべき人間として大学から推薦されて、

そんなことぐらいのことで調子に乗って、

ただ行って、経験を積んでくることこそが目的になっていた自分に、

いらだちを覚えました。

それから、先生に謝りにいったのですが、

「私はそんな平謝りはいらない。おバカさんですむからいいけどさ、

まあ夏休み明けのテストで証明してよ。」

と言われ、

先生の穏やかな口調の中にも、ものすごい陰鬱な響きが含まれていました。

それから、深夜バイトをしながら資金稼ぎはしつつも、

その合間を縫って、平日は20時間は英単語と英語の読み取りに励み、

血便が止まらないぐらい勉強していました。

それは先生に裏切られたらどうしようという恐怖と、

スウェーデンで同じ留学生になめられたらどうしようという恐怖と、

出来なかったら自殺してしまうかもしれないという恐怖と、

とにかくさまざまな恐怖と闘いながらスウェーデン留学に臨みました。


そんな気持ちをもって受験をすれば、

私はたいていのところはかなり大きな逆境が立ちはだかっても、

乗り越えることができると思います。

叱咤のなかには、そのような気持ちをこめて

生徒にメッセージを伝えています。

そして、今回もそんな気持ちをこめて怒りました。

私の叱咤の後に、その生徒は下を向きながら、

「僕は早稲田に行くために、偏差値で次は65とって、

その次は67を取って、最後の最後に70取ります。」

と言い張って問題に取り組んでいました。

そういう根性があるから、私はその生徒を放っておきたくないし、

意地でも早稲田に行かせてあげたくなります。


そして、できれば彼や私の生徒たちには、

「勉強の中にある大きな恐怖があるから、

実は勉強は楽しいし、勉強にはロマンとスリルがあるのだ」

と教えてあげたいです。


それこそ、学問の初心者における最も重要な精神であり、

私はそれを植えつけた状態で生徒さんたちには、

大学の門をくぐっていってほしいと思います。


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2012
05.19

志は高く、思いはストレートに。

Category: 雑記
4月に新しい人と出会い、仲を深めていく過程へ移ろうとしています。

まあこういう出会いというのはうれしい限りです。

仕事を一緒にする人、勉強をする仲間、飲みに行く友達、

恋愛対象になりそうな人々……。まあさまざまな出会いがありますよ。

最近、私の間でも恋愛関係でひと悶着があったわけですが、

私は相手の気持ちに「気づかなかった」ことで相手の怒りを買ってしまったようで、

いやーなムードを作ってしまいました。

しかし、まあ私は気づかせてくれないのも良くないと思うわけで、

個人的にはこういう事態はしょうがないときっぱり割り切りました。

(私には最愛なる彼女がいるのに。そのことを知っていて相手が私に文句をいうのは、

私に対する八つ当たりにしか思えない(笑))

まあ4月はすべてが新しいのでいろいろ起こりますよね。


もちろん今年も新しい生徒さんとたくさん出会うわけですが、

実はこの問題の主旨が、生徒の目標設定においても一言いうことができると思っています。

最近新しい生徒さんやそのお母様とよくお話をするのですが、

いかんせん、「納得いかない」というか、「なんでそんなこというんですか」っていう

フレーズを耳にします。

それは「いやー、うちの子(自分)はできませんから」っていう発言。

んー個人的にこう言うのであれば、

医学部なり、早稲田・慶応といった高い目標を持つ必要はないと思っています。

自分の実力よりも高いと思われる学校へ行くのであれば、

こういった弱気と映る発言は控えるべきです。

目標校という相手に「自分は優秀です」と証明しなければ、合格通知はこないのですから。

自分が好きなんだと言わなければ、相手は振り向きません。

それは目標校への自分の愛を伝えることと同じで、あやふやなアピールでは何も届きません。

だから、日々その学校に行くために努力をするんです。

特に受験は人間関係と違いますから、

自分が引いて、相手が寄ってくることはありません。

「僕はすごくないんです」と言って、

「いやー君は優秀だよ。大丈夫」と言ってくれる試験官がいたら、それは問題です。

普通は「そうですか」と話が終わってしまいます。

何でも最後にはストレートに伝えなければ、志望校(相手)には伝わりません。

だから、せめて自分の心持だけは強気でいてください。

そうでなければ、私はどんなに優秀であっても自身を結局過小評価し、

潜在している実力を発揮できずに、人生が終わると思っています。

前にも言いましたが、過小評価なんてしないでください。

頑張れば、それなりに結果がついてきます。それまでまず頑張ってみましょう!

「できないですから」と言われてしまうと、悲しいです。

みなさん、僕なんかより実力がある人ばかりですから(笑)(→結構本当に思っている。)



今回は私の恋愛観(?)と相まった内容となってしまいましたが、あしからず。

本当にそう思っています。

ストレートに気持ち(実力)を伝えること大切さを知ってください。

そして、そのために必要な心を手に入れてください。

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2012
05.18

パートナーは選ばなければならない

Category: 雑記
何事のパートナー選びは大事だとみなさん考えると思います。

私もその一人です。

付き合う人間で、人生も変わります。

そりゃそうですよ、だって人間はみんな話すコンテンツも経験してきたものも違いますから、

話している内容によって人間の考え方も変わってきます。

もちろん雑多な中で様々な話ができることも必要です。

「社交」に重点を置くのであれば、どんな場面でも面白おかしく話せる

エンターテイナー性は必要不可欠になってきます。


しかし、勉強や仕事ではどうでしょうか。

勉強や仕事のように目標がものすごくはっきりしているものを共同で達成する場合、

雑多な人間関係ではなかなか成就しないでしょう。

だから、大学や高校にはランクがあり、

勉強しようと思う同士を極力容易に見つけられるようにする手段を

国はとっているわけですね。


仕事のパートナーもそうです。できない人と仕事をすると得るものもあるのですが、

やろうという意志がなかったり、口だけの人間と仕事をするのは

もう最悪です。

こういう人間が多くみられます。

「俺、数年以内に~するからみてろよ。」

「今年、私は~大学にいくから。ありえない結果を出してみせるから。」

こうやって安易に口に出す大半の人間はおそらくやろうともしないか、

自分を過大評価しすぎているか、

後で目標を下げて自分をどこかで納得させるような人間です。

言うのは構いません。でも、言ったなりにある程度結果もみせていかなければ

人にいう資格もありません。たとえいろいろな事情があるにしても。

こういう人と仕事をしようとしても、うまくいくはずがありません。

学生の間でもそうです。

例えば、学生の間で一人おちゃらけて勉強する気がないやつが、

英単語のクイズをしているグループの中にいたとしたら、

みんなおちゃらけて結局雑談になってしまうわけです。

それだったら自分で勉強した方が効率がいいじゃないかと思ってきてしまいます。

なので、勉強や仕事をする人だけは必ず選んでください。

幻想のレベルでいいです。

自分にとって、幸をもたらしてくれる人間かそうでないか。

自分と志が一緒で、共にがんばって切磋琢磨できる関係を将来つくれるだろうか。

そういうことを考えて、勉強の仲間を作ってほしいです。



先生や生徒の関係もそうです。

よく英語ができない人々に多いですが、こういいます。

「高校の先生が難しいことばかりやって、ついていけない私たちを見捨てた。」

「高校の先生たちは僕らに教えてくれなかった。高3の時に中3のことをやっていた」

というように、あたかも自分はわるくないように、正当化しようとする。

これは自己防衛反応として解釈しますが、そればかりしている人間は成就しません。

「自分ができなかっただけだ」と解釈しきれない人は、何度も繰り返し失敗するでしょう。

そういった先生にもし当たってしまったのならば、

学校の先生は変えられないので、

塾や家庭教師の先生にお願いする手段はあるように思います。

またお金に窮する人でも、

学校にいる他の英語の先生と仲良くする方法だってあります。

要は、自分で勉強できる環境をつくるということで、

先ほど言ったような状況はある程度打開できるわけです。

私の高校の先生なんて、

国立大学に現役で入ると宣言しただけでけらけら笑っていましたから、

私は入学1か月目から先生の言うことは無視していました。

「奴らのいうことは間違っていて、そうでない人が僕を助けてくれる人だ」

と言い聞かせ、その人に出会う日までひたすら一人で勉強していました。


常に勉強しようと心掛けていると、そういう先生とどこかで巡りあえます。

貪欲にパートナーを探してください。

私もパートナーとして選んでくれた人のために頑張らなければならないと

日々思います。

そして、そういった良い意味での緊張関係は師弟関係では必要ですよね。



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2012
05.16

流れを変える手段として考えてほしいです。

Category: 雑記
「こうしたいから、僕は私はこうするんだ。」

と自分を貫き通すのは、実は非常に難しいです。

実際に、「変わろう」と思って大きな変化を遂げた人は少ないでしょう。

「変わろうと思っても、なかなか変わることはできない。

それを変えろと言われても、そう簡単には変われないんだよ」

これは私の一部の生徒が言っていたことですが、正論だと思います。

彼らは変わろうという意志を持っているのですが、それを実行に移せないのです。

もちろんそうです。

私がいつも「英単語を1年もあれば10000個も覚えることができる」と言っていても、

できない人間もいるわけです。

できる人々はどのくらいの量で、どれぐらいの時間でできるかイメージができて、

そのプランをたてることができます。

プランが立てられなくとも、

私に聞いて日割りして考えることができるまでには到達しているでしょう。


では、問題はそれをイメージできない人です。

もちろん、小学受験で受験生活から離れていたり、

中学受験を超えてこなかった人、高校受験をおろそかにしてきた人、

中高一貫で怠けた人はこのイメージをつかむのに時間がかかります。

よく「中学受験で勉強したので、勉強する習慣はある」と言い張る親御さんがいますが、

それは正直言って、

名古屋で言えば、南山女子・東海・滝で常に上位に位置している人間や、

灘や開成などの超一流進学校で必死になって授業についていっている生徒であれば、

話は少々変わってくるかもしれませんが、

(=この辺の連中は死ぬほどやらされていたでしょうと勝手に想像しています)

高校生が東大や京大に行くために必要な学力を身につけるためには、

また量はそれ以上に膨大で、クオリティも吟味していかなければなりません。

大学受験ではまた大学受験でしなければならない経験があるので、

中学校の時に勉強したから、すんなりこなせる人はまあいて2割でしょう。


ではどうするべきでしょうか。

とりあえず、

各教科で最低限やらなければならないゴールを見せるのが一番いいと思っています。

数学は呪いにかかったがごとくできませんが、

英語は異様にできるようになった生徒が一人います。

それは英語をこなした量を明確にしたからです。

つまり

机の上に、やるべき問題集とそれをプリントアウトして復習すべき量のプリントを置き、

終わったものは机の横に積み重ねていく方法です。

私もこの方法で1か月に40冊の本を読んでいたことがあります。

要は目に見える目標に変えて、自分が量と時間をイメージできるようにすれば、

勉強は少しずつできるようになります。

なーんだこれだけやればいいんだという科目が一つわかれば、

他の科目も少しずつ必要量が予想でき、先生にも質問しに行けます。

外山滋比古氏も『思考の整理学』で、

このような方法で勉強していたことを記していたのを覚えています。

目に見えなければ、目に見えるようにするだけです。

それで引くぐらいだったら、勉強はある程度目標を下げてみて、

できる範囲からやり通す努力をした方がいいかもしれませんね。

でも、目標量のタスクがすべてなくなった時の達成感はヤバいですよ。

富士山の山頂の光景よりも美しいかもしれません。(言い過ぎか!)


「自分を貫き通す」力をつけるためには、

ただ漠然と「変わらなければならない」という言葉だけにとらわれずに

何から少しずつ変化ができるか考えてください。

よく少年よ大志を抱け的な感じで「変わらなきゃいけない」、「やらなければならない」、

と言われる人々が多いのですが、

それは街頭演説でやっている民主党の叶わぬ希望のようなもので、

学生が求めているのは、

どうしたらその変化へのアクションができるのかという方法論に困っているように感じます。

それは非常に脆弱な発想力だなと思いますが、

分からないものは仕方ありません。わかるようにすればいいのですから、

参考にしてみようと思ったらしてみて下さい。

ちなみに私の机の上には、今週きかなければならない講義録のCDと、

英語の文法書と、エントリーシートの添削用紙と、

生徒の英作文の添削ノートと、予習のテキストと訂正すべき内容を記した紙と

読むべき本20冊が摩天楼のようにそびえたっています。

机の上が書類で超都市化している感じです(笑)


一歩ずつ行きましょうね。好転していきますからね。


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2012
05.15

時には我慢も

Category: 雑記
私は中学生の時、柄にもなく学級委員などというものをやっていましたが、

間違いなくこの役職は私を強くしてくれたでしょう。

責任感がついたとか、人前に立つのを恐れなくなったとか

といった月並みな力がついたことは重要ではありません。

私がこの役職をやって得た力は、忍耐力、つまり我慢する力です。


学級委員をやるといかにも華やかで、リーダー的な存在として目に映りますが、

いざやってみると私にとってそれは苦痛の役職ではありませんでした。

私は中学校の時に学級委員という座に各学年前期後期と含め3回やり、

残りの3回は生徒会書記という、学校のリーダー・ポジションにいたことがありますが、

全然いい思い出はありません。

確かに責任ある仕事をこなせたという点ではプラスで、

中学校生活でこういったことができて、共同生活の大変さを知ったという意味では

大きなものを得たかもしれません。

しかし、この肩書きと経歴が内申書に書かれて

ちょっと勉強をすれば思いもよらぬ高校に入ることもできたわけで、

私にとっては我慢大会でしかありませんでしたね。

例えば、私が自分以外のクラスに入ると、

「お前は学級委員長なんだから、勝手にクラスに入ってくるなよ!

先生の犬なんだから、俺たちの前ではエラそうにするな」

とか、悪口を言われても、長という肩書があったために無難な言い返ししかできず、

言い合って、取っ組み合いのけんかをするなんてとんでもない、

そんなことは一切できませんでした。

ただただ我慢するだけの生活。先生にも「キミは学級委員なんだから」、

「キミは学級委員なのにどうして○○なの?」

いやー、肩に乗っているものは重かったです。


でも、それに一切文句を言わず、キツイと口に出さずにやってきたおかげで、

私は勉強を最後の1年しかしなくとも、

一応ぎりぎり進学校と言われていた(思っていた)学校に進学したわけです。

しかも、ペーパーテストなしで。面接だけです。(当時の埼玉県入試の推薦は面接一本です。)

もちろん合格です。

私は他にもテニスの大会で3回優勝してますし、

部活でも副部長をやっていましたし、

硬筆の賞状や留学派遣でオーストラリアにも行っています。

そして、最後の最後で勉強の成績が驚異的に上がったので、

受験した学校の中でこんな肩書を持った私に敵う生徒はいないと思っていました。


でも、これは大きな間違いです。

こんなのはタダの言いなりであって、成就とは言えません。

黙っているだけでことが動くだなんて、人間に何の進歩も与えていないですよ。

でも、この時期に培った我慢という力は、

勉強に応用したときには偉大な力を発揮してくれたのかもしれません。

高校生になって勉強に励むわけですが、

勉強しても勉強しても

「できるようになった」という実感を手に入れられない時間が続いたことがあります。

例えば、英語で言う「句と節ってなんですか」と言われて、

周りの人々は学校でも説明されて塾でもガッチガチにやらされているので、

すぐ頭に入っていくのですが、

覚えが悪く、一回二回しかやっていない私は誰よりも遅れをとって、

当時の私の勉強量では人々を超えられないとよく悩んでいたことがあります。

でも、そこで腐らず、「人の3倍」を掲げながら自分で切り開いていったことで、

私の実力、特に英語と数学の実力は、

全国の学生にも負けないぐらいになることはできましたし、

人が想像だにしない量をこなしていました。

高1の時点でターゲット1900を丸暗記し、

桐原の速戦ゼミ系の問題集を3周していたんですよ。

数学も教科書1A、2まで丸暗記し、

大学への数学とかに手を出して苦悩していたんですよ。

この実力を1年から1年半でつけるためには、ダメだと思っても、

まだまだ時間があるからめげずにやろうと思わなければなりません。


中学では先生や同級生にちゃちゃを入れられ、

高校では問題に罵倒され、

大学では教授に苦言を呈されて……

でも、そこでめげずにものごとをこなせた人間は、いつのまにか優秀になっていた……

ということになっていたりすると思います。


私も今では偉そうにいう側になってしまいましたが、

学生にはそういった我慢強さも手に入れてほしいですね。

すがりついて勉強してください。きっとその努力と忍耐が報われます。

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2012
05.14

恋愛は受験において天敵だけど…

Category: 雑記
高校も予備校もGWを終えて内容も本格化しています。

この時期になると、新たな同胞ができ、

また彼氏・彼女といったものまでできてしまうこともしばしばです。

そこで、よく言われるのがこの質問。

「受験期に彼女を作っても大丈夫でしょうか?めっちゃ好きなんです、彼女が。」

実は昨日、ある高校3年生に質問され、

「あー、この話ね…」っていう感じでかるーく問題をみていました。

もちろん彼らからすると重要な問題で、決して軽視してはいけないと思います。

しかし、これは愚問です。

私の答えはいつもこうです。

「絶対につきあってはいけない。じゃないと浪人するよ。

してもいいなら付き合うといいよ。」

意味は2つ。一つは言葉のままの本心。

もう一つは、んー付き合いたいのはわかるけど、今はそれどころじゃないでしょ。


正直なところ、

勉強においてうつつを抜かした瞬間、志望校は見えてこないと思います。

なかにはそうではなくて、うまく両立させている人もいます。

しかし、それにはものすごい労力が必要です。

受験勉強と恋愛を両立させようとしたら、寝る時間はきっとありません(笑)

ただ、恋愛をするなという禁止でもありません。

結局は距離の問題なのです。そして、ピークの持っていき方なのです。

恋は夏になると加速しますが(笑)、

そこで耐えて、1日10時間以上勉強をしながらも、好きな人と距離を近づけるのです。

休憩してる間に気になっている人にちょっとメールしてみるとか、

朝だけ一緒に勉強して、お昼を一緒食べて、また孤独な勉強にもどるとか、

この程度のことでも、一歩一歩距離は近づくわけです。

そして、たとえ相手に彼女・彼氏ができそうな感じになっても、

さきほどいっていた小さな積み重ねがあることで、

相手は「いや、今決断するのは早い」と思い、

踏みとどまることも結構あります。

まあこういったやり取りで、

受験と同様に、距離を1月・2月に合わせて、互いの距離をつめるのです。

そして、二人は合格したのちに成就する。

これこそ理想です。


経験と妄想をふくめ、いろいろ書きましたが、

両立するとやはり色恋沙汰に走ってしまう可能性が高いので、

あまりお勧めしません。

今ならまだ引き返せます。

大学でもいい恋はできるし、いい男、いい女はいます。

恋は焦らず。

受験生は死ぬほど勉強して、合格して、

大学で「オレンジデイズ」のような甘酸っぱい恋愛を楽しむことを期待します。

特に男は、失敗すると尾を引くので、まず勉強に専心するべきです。

たまにベッドの下にある雑誌やDVDで我慢しましょう。(笑)


今日は少し受験とそれてしまったような気もしますが、

これをみた学生さん、または保護者様。

とりあえず、勉強するんだということを思い返して、

思考を修正していっていただければと思います。



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2012
05.13

「読書と後悔」

Category: 雑記
最近、また自分の英語の勉強に精を出しています。

何をしているかというと、TIME紙のわからない単語をすべて調べ、

その日かその次の日に、その単語を丸暗記をして、

一冊読み抜くという作業です。

さらに加えて、チェスタートンやオー・ヘンリーの随筆を読んだり、

自分の専門分野の本を読んでいます。

それに飽きると、TEDというサイトで、

英語でのプレゼンを聞いて知識を蓄えるという感じで、

日本にいながら、日本語をあまり使わずに生活をしています。


こんな作業をやっていて思うのが、

「私はいかに本を読まずに生きてこれた」のかということだ。

恥ずかしながら、私は17までに一冊の本を読了したことがありませんでした。

読書感想文という宿題が中学校までありましたが、

すべてあらすじと章末に一言感想を加えた粗末な作文で、

いまそれを見てみると、なんて哀れな中学生だったんだと思います。

初めて読了したのが、ヘッセの『車輪の下』でした。

主人公のハンスが人生に苦しむ姿が書かれていますが、

当時高校生の私は受験生として同じような境遇に立たされて、

同じように苦しみ考えたのを思い出します。

そして思い切ってそれを読んだ上で、

「僕の幸福論」という題名で高校の課題で作文を書いたら、

高校全体で出版する論集に載って、

人々から私の悩みを共感を得られたと喜んでいたのを思い出します。

結局、そのあとは真剣に本を読むことなくただ参考書と問題集を丸暗記し、

受験生活を送っていましたが、

今思うと、なぜもっと本を読んでおかなかったんだと思います。


英語の話に戻ります。

英語を読む上で、国語力は必要不可欠です。

母国語の実力があがらないと、英語力もある時点で伸びが止まってしまいます。

例えば、The heavy storm prevented us from attending the meeting.

という例文があったとして、

「その激しい嵐が私たちが会合に出席することを妨げた」という訳した上で、

これは正しい和訳と言えるでしょうか。

ニュアンスはわかっても、なんか内容がすっと頭に入ってきません。

しかし、「嵐が激しかったので、私たちは会合に出席できなかった」としたら、

この意味はちゃんとわかるはずです。

訳出の難しさもありますが、

基本的な通じる日本語の使用法を知らない上で英語を学習しても、

英語独特の用法を覚えるだけでは必ず限界が生じてきます。

私は受験生のときに自分の記憶力に過信しすぎて、(暗記は得意らしいです)

日本語力の定着に目を向けずに、現実逃避していました。

しっかりとした日本語力というか読書力を作らなかったせいで、

英語の実力も思った以上に伸びず、今苦しんでいます。

人並み以上に英語ができるかもしれませんが、

同い年で名論文や名著を書いている学者や作家に遭遇すると、

とても読書の経験が足りないと思ってしまいます。

これがせめて中学生の時に気付いていたら、

今のこのもどかしさは大きく緩和していたでしょう。

こんな後悔の念はわたしだけではなく坪内逍遥も同じようなことを書いていました。

彼は「十歳以前に読んだ本」というエッセイのなかで、

我々に読書の重要性についての警句を発しています。

彼も英文学者の巨匠の一人ですが、

11歳までは田舎暮らしで、

寺子屋にもいかずに勉強とは無縁だったとおっしゃっています。

しかし、彼は「論語」や百人一首に親しみ、10歳までに読んだ本が

自身のベースを創り出し、逍遥本人の一生を決めたともおっしゃっていました。



英語も日本語もあらゆる語学は、やはり「初心わするるべからず」です。

しっかり基礎を学んで、ちゃんとした語学力を育みましょう。

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2012
05.12

人は良くブログを読んでいる

Category: 雑記
私がこのブログを初めて早2年。

よく考えてみると、結構な数の記事を書いてきましたが、

私が思い入れがあるなと思う記事は、あまりありません。

しかし、現代における文章の公共性には恐ろしさというか、

内秘めている力がありますよね。

自分が記事の文章を書き終えた瞬間に、自分の下から離れて、

他人との共有物に一変するということで、

自分がいいと思わなくて、相手にはいい!って思われることも少なくともあるわけで、

ブログのように誰でも読める場合、

ある程度読者を見据えて記事を書かなければなりません。

(クリスティバがいう間テクスト性ってやつです。)


実はこのブログがこのように続いているのは、

ある2年前の一つのお問い合わせのおかげです。

はっきりいいます。私は2年前にはブログを閉鎖する気満々でした。

というのは、私が勝手に「どうせ大手行くよな。だって、全教科先生が揃うもんな(笑)」

自分が生徒でもそうするとまで思っていました(笑)

でも、ひょんなときに入ってきたある1通のメールが運命を変えます。

その問い合わせとは、

「今年3浪で、1月の追い込みをお願いしたい。どうしても医学部に合格したい!」

という親御さんからの連絡で、

実際に会ってから考えてみようと思い、生徒さんに会ってみると、

ものすごく勉強熱心にやっている生徒さんで、

1か月しかありませんでしたが、なんとかしてみせようじゃないか!

という気持ちになれたわけです。

結果は私の力が及ばず、ダメでしたが

その時に思ったことは、こんな見ず知らずの私に

助けを求めてくれる生徒がいるんだ…というか、

予備校の先生たちはいったい何をやっているんだ…塾行かせ損じゃないか!

と思って、私は自分で生徒を集めようと思い、このブログを再開しようと思ったわけです。

また、その生徒の他に私のブログを読んで真面目に勉強している人が

ひそかにいたことで、私のたわごとが社会のためになっている、

誰かのためになっていることを知り、

このブログの記事をもう少しまともに書こうと思うようになりました。


そしてこれは結果論ですが、

先の生徒について、そのあとも私なりにフォローするべきだと思い、河合の過去問や

テストのサンプルを解いてもらったりして、彼女の実力につながり、

且つ一瞬でもいいから勉強で疲れた精神を弛緩させるために

モチベーションをあげる話をして、次の日に臨んでくれたらいいなという気持ちで

自分のできることをしてみました。

それが彼女の支えに少しでもなったという内容のメールを本人からもらったときは、

本当に泣けました。ありがたいと思うしかありません。


こんな出会いがあってから、去年は100件を超える問い合わせをいただき、

多くの人と関われても、時間が合わない、要求にそぐえないといったこともあり、

何分体が一つしかないもので、

お問い合わせをした人全員をお引き受けすることができなかったのですが、

おもっている以上に読者が多いことを気付かされました。

そして、読者層がマダムという言葉に会う生徒のお母様や

教育関係の人も少なからず読んでいるようで、下手なことをかけません(笑)

良く読んでる。(もっと読んだ方がいい記事がありますよ(笑))

でも、思ったことをギリギリのラインで書こうとは思っています。

爽快感を与えられるようなものをもう少し練って書けたらいいなと思います。


でも、あまりここで依頼された記事よりも名文を書くといろんな人に怒られるので、

今のような思ったときに思索レベルでものを書こうと思います。

もう少しお付き合いいただければと思います。


そして、受験関連で悩み等ありましたら、お話ぐらいはお聞きできればと思います。

サポート役としても活躍できたらと思う次第です。

アンカー・高橋になりたくて。

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2012
05.10

難解なものにぶちあたるべし。

Category: 雑記
今日、指導中に

「そろそろわからなくなるくらい複雑な内容の本を読みたい」という話になって、

授業そっちのけで、本の話をしていました。

(もちろんノルマは達成したうえで雑談はしてますからね)

私が本でいつも最初に紹介するのは、

アルベール・カミュの『異邦人』と、フランツ・カフカの『変身』と、

ヘミングウェイの『老人と海』が多いように思います。

どれも名作です。

そして、これらは普通に読んでいるだけでは何もつかめない、

モザイクのように主題が見え隠れしている作品です。

特に、最初の2つは最近までよく議論されていたもので、注目度も高いです。

例えばムルソーの無意識についてとか、カフカという文学者の精神分析とか…

読んでいると面白いんですよね、結構。


まあ生徒が何をチョイスしてくれるか楽しみですが、

こういう難解なものに挑戦しようという姿勢について、

私はものすごく好感をもつことができます。

分からないものを避ける傾向が若者に窺えますが、

それは、私が生トマトが嫌いだから絶対に食べないということと同じぐらいダメです(笑)

やはり、わからないものにぶつかって、ものごとを知ろうとする努力はしなければなりません。

難しいものを避けるということは、自分に限界を作ってしまうことでもあります。

限界を越えようとして目標達成しようと思っているはずなのに、

実力のリミットを決めてはいけません。

実力を引き出すのはある意味無限です。

タイムリミットがあるので、有限に見えるだけで、実力は無限です。間違えないでください。


じゃあタイムリミット内で、最大限に実力を上げるためにはどうするか?

簡単なことです。難しいことを少しずつでもいいから、

できるだけリミットまでにたくさん触れることです。

私が本を読む習慣がなかったときにある先輩から言われたのがこうです。

「キミはカントの『純粋理性批判』みたいな難解な哲学書を読みぬく

という体力が今必要なんだよ。それがこれからの君の思想をつくっていくんじゃないか」

いい先輩に巡り合えたなと思うわけですが、

やはり何か飛びぬけてできるようになるためには、

壁にぶち当たってください。

それが5月6月にできると最高ですね。

わが軍の暴れん坊も少し気づいたように思う今日この頃でした。

嬉しいですね、本当に。

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2012
05.09

実力は問題をこなした量で決まる!

Category: 雑記
河合全国模試の追加の連絡が入りました。

今年の出だしは思った以上によかったです。

51人全員の結果を聞きました。180点オーバーは4人。

あとは160点以上が20前後、あとは厳しいという感じでした。

英語は比較的簡単でしたので、平均点は高いでしょう。

でも、160点をコンスタントに取れたことは評価に値します。

生徒に期待したくなってきました。


今回の一番の伸びは、高2の冬から見ている女性の生徒。

150前後でうろちょろしていたのですが、今回見事184点を獲得していました。

夢の9割。しかもその生徒に言わせれば、194点は堅かったとのこと。

頼もしい限りです。

さて、では急速に彼女が実力を上げたのはなぜでしょうか。

それは問題をこなしている量です。

その彼女は自分が英語ができないと責め続け、ネクストステージを3周もこなしていました。

私の指示は夏までに2回はノルマと言っていたのですが、

彼女は私のノルマ以上の動きをしてくれました。非常に誇りに思います。

そして、彼女の発言はこうです。

「もっと問題をこなしたい。だから私は新たなテキストをまた買ってやっています。」

こうやって私に新しいテキストを見せてくれたときには涙しそうになりました。

嬉しい限りです。

そして同時に、私は彼女の実力を上げるべく更なる厳しい試練を与えたくなります。

そして、おそらく彼女はわが軍の主力になることでしょう。

去年の東大合格組のような実力を発揮して、私を驚かせてくれることを期待します。



さて、けっこううまくいったように見えるわけですが、

このような生徒をみて私が再認識したことがあります。

「問題をこなした量がその人の勉強の質を作ってくれるのだ」と。

最近、岡山で灘高校の生徒を教えていますが、

彼が言うには高2までの5年間で問題集を英語だけで30冊をこなしていて

私は驚愕しました。

30冊もぼろぼろにしているわけです。頭がいいのはセンスだけではなく、

その裏付けとして努力を積み重ねているわけです。

だから、センター模試の対策をしなくとも、満点を取れるわけで、

日々自分の実力へ追及しているわけです。

前述した彼女も同様にスタートラインを越えられるように、

自分の力量をしっかり推測し、日々の鍛練を積んで実力をつけています。

その結果が実ったのが90%と言う結果です。


逆に申し訳ないですが、浪人組がダメでした。

というのはスコア的にと言うよりも、

「今回は大問3でしくじりました」というようにエクスキューズをして、

スコアがダメだったというように報告する自分への甘さと

講師への甘い言葉をかけてもらうための手段を混ぜている時点で

もう負けています。

今回180点以上をとった人間がいうことはこうです。

「ここはわかっていたのにどうしてできなかったんだろう。184点が恥ずかしい」

184点に満足せずに、今度こそ満点を望もうという飽くなき目標の力が

このスコアをたたき出しているわけで、高得点者は自分の非を全否定しに行きます。


日々の鍛練をしっかりしてください。

それが実は英語の実力を上げる近道です。

根気よくやってください!今年のわが軍は努力家ですので、やった量に期待したいです。
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2012
05.07

「サリバン先生ってすごいよな」ってところから…

Category: 雑記
「現在の生徒の活動を鑑みると、サリバン先生のような缶詰状態は必要ではないか」

と言うあるお母様からのご意見を聞き、私は「あ、確かにそうだな」と思いました。

現在、ある医進系の予備校で1クラス持っていますが、

その生徒たちは英語も数学も化学も生物も毎週毎週テストで、

特に英語は単語テストと週テストがほぼ毎日あります。

それぐらい管理しても、ある程度できるようになったなというレベルの生徒が多く、

よっぽど勉強してこなかったんだよなって思わされることがあります。


そうやって勉強の習慣がない人々に

いきなりテキストを渡されて「やってね」と言われても、

生徒からしたらできないのでしょうねって最近思います。

例えば、今みている生徒は英語の単語は覚えられても、

英文を覚えるということは全くの別物だと考え、

英文を覚えることができないって感じです。

申し訳ありませんが、そんな勉強をしてこなかったぬるい人々なわけで、

まだまだ面食らうところがあるようで、

なかなか新しくて労力がかかるものをやるには難しいようです。


そんなときに、やはり24時間張り付いて、

一緒に生活するぐらいのレベルで勉強をして、

勉強の習慣を体に染みつけるという作業はしてもいいのかなと思いました。

実際に今、私が4年ほど教えている高3の生徒がいるのですが、

その生徒が不登校になってからは、平日は週3で、

夏休みはほぼ毎日私と一緒に勉強していました。

彼はその1年間私と二人三脚状態で勉強や談話をしてきて、

なんとか高校に進学でき、

私との日々の生活について

卒業文集に自分の思いを乗せながら書き綴ってくれました。

そうやって習慣づけをする必要がある生徒は、現在たくさんいるように思います。

しかし、そうやって生徒を見る場合、私の管理する生徒数は激減するでしょう。

しかも命懸けで、受験でいいところを狙おうという話はきわめて少なくなるでしょう。

でも、そういう生徒が大学に行ってくれただけで、うれしさはひとしおであることも事実で、

それを生きがいに指導している先生もたくさんおられて、

私はそういった面倒見がよく、忍耐力がある先生に対して感嘆の念を表現する次第です。

私の目標とする生徒像は、

何かに挫折しても勉強で挽回して、

自分が納得のいく人生を勝ち取るチャンスを広げようという生徒や、

自分に2ランクぐらい高い目標を掲げ、それを切磋琢磨にやっていこうという生徒で

私はそんな人材たちをを創り上げていくことを目標としています。

だから、びったりついて勉強していくというよりも、

やる気があるとか目標がある生徒を育てていく方が得意としています。

それがない人はやはり玄人先生やエリート先生にどっぷり浸かって

その人のイズムを習得して頑張っていくスタイルのほうがうまくいくように思います。


でも、そのどっぷりさは今の教師全体に求められている使命かもしれません。

んー、でも…と言いたくなってしまうのが、私のスタンスです。


サリバン先生……あいつはすげーよ、架空な人物だけどさ。

教育家ってのはああいう人のことを言うんだろうな。

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2012
05.06

「最強の世代」のその後と精神性

Category: 雑記
我が軍のその後……。

去年、東大生と京大生をはじめ、様々な学校へ散らばっていった

私の中での「最強の世代」の生徒たち。

医者、ジャーナリスト、通訳者、謎の社長、詩人……

とまあさまざまな希望に満ち溢れていた彼らがやっと大学生活を1か月終え、

先週一部の生徒と盃をかわしていました。(現役で入った未成年たちは、河豚をごちそう。)


いやいや、相変わらずどの生徒もよく動いています。

サークル活動を活発にするべく、自分たちで文集を作ってやるだとか、

ボランティア活動で10か国は制覇してみせるとか、

留学の準備をするだとか、まあ話が多彩で楽しかったです。

昔の私を思い出しているようで、うれしく、そして羨ましく思いました。


特に目を引いたのは、

ある生徒たちが、

大学の英語のテストでずっとトップをとり続けているということでした。

そして、大半の生徒が特待生制度の恩恵を目指して、

しっかり勉強している形跡がみられたということも感慨深かったです。

毎年私は授業の中で、

「大学は極力国のお金か大学のお金で行きなさい。

欧米の優秀な生徒たちは皆奨学金で生活を賄っているものです。

優秀な人ほど恩恵を受けるべきであり、みなさんもそうあるように努力してください。」

といいます。

それは、彼らがエリートであろうという思考を持ってほしいからです。

もちろん、人前で公言したら、馬鹿にされてたり、高慢だと言われてしまいますが、

心の中で思っているのは別に問題ありません。

でも、それなりに自分へプライドを掲げた大学受験をした人々には、

もっと自分はいろんなことができるんだ、

人のために何かできるかもしれないから頑張ろうと思うんだ

というような勉強以外での力が発揮できる、

高慢ではない謙虚なエリートになってほしいと思っております。

「謙虚」とは常に人に道を譲るという意味ではありません。

アピールするべきところはしてもらいたいです。

でも、何かを極めるためには、行動は積極的でずぼらなぐらいで構いませんが

常に心は謙虚であってほしいです。

そういう人にやさしくなれるエリートになってもらいたいというように話をしてきたわけですが、

彼らはちゃんと私の精神を理解して、引き継いでくれている(ように)思いました。

そして、この意志は私の師匠の意志でもあります。

優秀になって一人でも多くの人のために動ける人々になるために

こういうことは告げられるわけで、

おそらく私の師匠も同じようなことを先人に言われてきて、

自分の論理を構築してきたんだと思います。

そういった意志を掲げている関係は非常に強固なものだと思います。


よく進学塾や医進系の予備校やセミナーのパーティで、

とりあえず相手の目標はよくわからないが仲良くしておこうという

なれ合いざれあいの関係や

一生先生と生徒の延長上の関係(ビジネスなら稼いでいる人とそうでない人の関係)を保とうとして、

パーティをしたり、OB会を開いたりと派手にやっていますが、どこか裏があり、

利害関係が見え隠れしているようで、私は好きでありません。

よく「人のつながりが経済を作る」といい、

「人を利用するために人間関係をつくることを肯定する」人が世の中には多いですが、

こんなに希薄な関係はこの世にありません。無駄なつながりですよ。


人数が少なくても(今回はそれでも20人ぐらいいましたが(笑))

自分のできることを優先し、結局どこかで自分たちを生かして

対等な関係で何かできるといいですねっていう関係を作っていきたいですね。

まさに去年の連中の間ではそんな集団が少しずつ出来上がっているわけで、

実はそいつたちと一緒に今年の夏に勉強のサポートをするイベントでも作りたいと

企画しています。

下手に能力任せな先生や、プロと謳って中身が手抜きなベテラン先生よりも、

彼らのように死ぬ気で勉強して、それをまとめ上げ、

そして今でも継続して勉強している人々から教えてもらった方が

どこか身が引き締まると思います。


今週は彼らにまた心動かされました。もっともっと躍進していただきたいものです。

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2012
05.05

「実力」とは

Category: 雑記
「実力がある」とはどういうことでしょうか。ちょっと考えてみましょうか。


先週、ある生徒がこういいました。

「先生、僕は英単語をとりあえず5000個覚えました。

そして、先生の例文暗記集をすべて覚えました。」

彼はこう言ったので、「いやー偉い偉い!」と思い、

私も例文暗記集の中にある例文を、

覚えたといっている単語帳の中の単語を使った問題をつくって、生徒にやらせてみました。

しかし、結果は惨敗。半分も解けず、生徒は半泣き状態。



さー、これはなんででしょうか。

答えは厳しいですが、所詮そのものを暗記しただけにすぎず、

彼の身に力となっていなかったのです。

(暗記と「覚える」は少々違います。暗記の先に「覚える」があると思ってください。)

まあ、要はこの生徒さんはその暗記作業を実力に変換できてないわけですよね。


では、「実力」ってなんなんでしょうか。

「実力がある人」とは、こんな人なんだと思います。

私が大学院生の1年生のときのことです。

ある先生が授業で使うパワポのデータを家に忘れてきたと言い、

それを告げられた私たちは一瞬あぜんとしたことがありました。

しかし、その先生は、

「忘れてきても授業はしなきゃいけないので、今日は実力で授業します」

といい出し、授業の元となる英文を片手に、

90分授業を展開しようとしたのです。

内心、「やべー、グダるだろう」と思っていたのですが、

いやいや、90分間、いつもと変わらない、

いやある意味いつも以上に真剣身が伝わった授業でした。

レジュメなしで大学院生を納得させてしまうあの先生は、

(正直大嫌いな先生でしたが、)

あの授業の内容を見せつけられては、

実力が備わっていることを認めざるを得ませんでした。

与えられたものを使って、その時間を有意義にしたり、

問題を自分が持っている知識でその問題に見合う答えに辿りつくことが、

実力なんだと、このとき身にしみてわかりました。


実力とは、ただやっただけで備わるほど容易に手に入るものではありません。

よくTOEICやTOEFLでハイスコアを獲得して、

自分は英語ができると誇示する人がいますが、

英語の実力はそんなスコアだけで判断することはできません。

TOEICで900点を取ったり、英検準1級以上を取得している方で、

英語がおしゃべりになれない日本人を、私はいくらも知っています。

今あげた資格の基準は、世間的にはものすごく高く見えるかもしれませんが、

本当の実力と相関しているかというと、必ずしもそうではなかったりします。


英語の実力に関して言えば、

私は外国人に、

"Can you speak English?"

または"Can you write English?"と聞かれて、

"Yes, I can"と躊躇なくいえる人が、やっぱり実力があるんだと思います。


実力はその場で遭遇しないと発揮できません。

その場で発揮できなければ、それはすべて実力ではないのです。

その場で発揮できるまで、謙虚にお勉強することで、

初めて結果と実力が一緒についてきます。


生徒の小テストの結果を見た後に、

この話をして、彼は「まだまだ自分は未熟だ」とわかってくれました。

こういう生徒ほど、後々大きな進化を遂げるんだよなって思いながら、

先週は授業をこなしていきました。


「僕は容姿端麗ではないし、才気煥発でもないし、取り柄がない人間だ。

しかし、僕には一つだけもっているものがある。


それは実力だ。

……僕には実力しかない。」



こんなセリフをあと30年後には吐けるように、

生徒同様私も精進します。


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2012
05.03

5月の入り方。

Category: 雑記
今週はGWというのに、私はドタバタ仕事をしております。

人が休みの時に仕事をしていると、

自分は人よりも真剣に生きているかもしれないと思えて、

人があくせく仕事をしているときに自分が余暇を楽しんでいると、

一層に休んでいる気分になれるというあまのじゃくな考えを基に動いているのですが…。


さて、学校で河合の模試を受けてきた生徒が早速いましたが、

まずまずの出来栄えでした。一人の生徒は3割前後しか取れなかったのに、

なんんとか6割(120点)まで点数を引き上げることができ、嬉しがっていました。

単語を死ぬほどやらせてよかったです。しかし、文法は惨憺たる結果でしたが…。

まあ結果オーライとみて、プラス思考で行きたいと思います。(本人にもそう伝えました)

まあどんな問題が出たかはもちろんわからないのですが、

少なくともヤバいスコアにはなってないのかなと思います。



この時期は模試の結果もすぐに出ませんし、何の指針もなしに進まざるをえないので、

私はそれ相応の問題を作り、よくやらせて、目安の実力を測っています。

この時期で実力が発揮されていることは望ましいことですが、

結構稀で、進学校では部活もこの時期から終わりだして、

受験モードへ切り替わり、ここからエンジンをかけ出す人が多いと思います。

問題は、5月からどれだけピッチを上げることができるでしょうか、

ということでしょう。ピッチを上げて、キツイと思ってもやり抜けたらその力は本物です。

今月から私も本領発揮。生徒を追い詰めて追い詰めて、

実力を作っていこうと思います。


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2012
05.02

想像力の必要性

Category: 雑記
先ほど静岡県でまた中学教師がわいせつな行為をしたという報道を耳にしました。

同じような立場なので、私もそうやって見られてしまう可能性があるので、

こういう行為について聞くと、私は非常に不愉快です。

そういう行為は、奥さんとかお金を払ってすればいいのにと思ってしまうわけですが、

それ以上に、私はこういう人々に対して、「文学が足りないなー」って言いたくなります。

まあ想像力に欠くということです。

普通(ではないかもしれませんが)、

人間って想像して欲求が満たされるはずなんですね。

わいせつが悪いことだとわかっていれば、その妄想で思いとどめて、

明日また頑張ろうって思うはずなんです。

映像をみたり、実感したりというのは、実はめちゃくちゃ科学的で、

それを女性の体を触るべく実践してみようなんて、野暮の極み。

それが教師と言うのが、もう人間としての末期を迎えているとしか思えません。


男性がセックスが好きだとか、女が好きなのは構わないのですが、

人が嫌がることはやめてほしいですね。

もっとそこも想像を働かしてどうなるかぐらいの予測をつけてほしいものですね。

と、説教でも垂れたくなるのですが、私は青二才なのでこの辺で。


さて、なんでこんな話題から話を切り出したかと言うと、

勉強をする連中はこのような想像性がたけているんですねということを言いたいんです。

テニスで自分の能力では無理だとコーチに思われていたことをしたときに

次のように言われたことがあります。

「お前の頭の中で想像できないことは、いくら練習したってできやしない。

そんな練習をするくらいなら、基礎体力をつけなさい」

その通りだと思うのですが、私はそのプレーをするべく基礎体力作りと

そのプレーのための練習法を考えてずっと試していました。

その成果は、試合で1回だけ決まり、圧倒することができましたが、

何をするにも、まず想像力が豊かであろうとしてほしいのです。

とりあえず、勉強してみようというのはわかるのですが、

それは「女性の体を触ったことがないから、とりあえず痴漢してみよう」

と思い立って実演するようなものです(笑)

何事も空想の領域でもいいですから、

「まずはこうではないかな」って疑問と希望を含めた思索をもって、

勉強を始めてほしいです。

そして、その思索をベースに先生や勉強ができる人から、

「いやー、それは非効率だから、違うやり方がいいよ」とかと指摘をいただき、

自分のスタイルを創り上げていくわけですね。


よく英語の学習について「何から始めればいいかわからない」という質問が来ますが、

英文をみてわからないのだから、

「単語を覚えてみよう」とか、「構文をやらなければならないかな」という

想像は短絡的とはいえできるはずです。

それぐらいの努力はしてください。

その意見から自分はどうするべきかを講師たちと考えると、

道も結構はやく見えてきます。


思索は人を豊かにします。そして、できる人間へかえていくわけです。

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