2012
03.31

英語に対して寛容な心を

Category: 雑記
昨日、ジンバブエの人とお話しする機会がありました。

何で日本に来ているのかはよくわかりませんでしたが、非常に英語が達者で、

私ももっと自分の英語を磨かなければならないなと勉強させてもらいました。

私の英語はおそらくイギリス英語寄りだと思います。

発音はあまりきれいではないでしょうが、

語彙のチョイスは間違いなくブリティッシュの感覚に近いでしょう。


こういった発音や語彙の感覚に対して、外国人は非常に敏感です。

なんででしょうか。これは私がずっと抱いている疑問です。

確かに日本語の中でも同じことは言えそうです。

名古屋弁のイントネーションで「くつ」を発音すると、

「く」の音が上がって、「つ」の音が下がりますが、

これは関東(標準語)では逆になります。

音が違うだけで、一瞬クスッとなってしまうときもありますが、

通じないということはありません。

そして、それをバカにする必要もありません。通じれば何でもいいのです。


しかし、アメリカやイギリス圏にいくと、自分たちの英語を誇っているので、

自分たちの様式でしゃべらなければ見下されることがあります。

非常に残念ですね。受け入れる心が乏しい人もいるものですねと思うときがあります。

いかに自己の精神が乏しいか、人への寛容さに欠くかが露呈されているわけですが、

彼らはそれでいいと思っているわけです。

これが言語の権力の威力です。残念ながら、英語が公用語である以上、

ある程度はこの権力に屈服せざるをえないところもあります。

(文法の基本ルールを吹っ飛ばして話すことはダメですよー。)

だから、こういったことを回避するためにちゃんと英語を学ばなければなりませんが、

同時に「どんな英語を話してもいいじゃないか」と自分の独自性を

言い張れる度胸も作っていかなければなりません。

語彙のチョイスについてはいうまでもありません。

「ありがとう」と言うべきところで、「てめーに助けをもとめてねーのに」と言ったら、

その言ったやつは非常に嫌な奴にしか映りません。

時と場合を考えて物を言うために、ニュアンスを覚えることは必要ですので、

この知識は受験期にしっかり身につけてほしいなと思います。


英語は奥が深いです。公用語として使っている人が多いので、

どんどんバリエーションが増えていきます。本当に日々勉強ですね。

ジンバブエ人と話して、いろいろ考えさせられました。

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2012
03.30

「できるヤツはすごくない。できたヤツがすごいんだ!」

Category: 雑記
最近自分の学校が優秀だからといって、

「自分はそこに所属しているから

自分の実力はそこまで外の連中と乖離しているはずがない」

と思っている生徒は少なくないように思います。

中学受験をしている生徒が特にそのように感じているように、私は見受けられます。

おそらく、そう思っている生徒さんは中学受験の時に人よりはるかに勉強していたと

過去の自分に対しての自負心とプライドを持っているんだと思います。

しかし、その2つのことが勉強において障害になってしまっているように思います。

つまり、

「自分は所属している学校が優秀だからあいつらと同じように勉強していれば、

自分だって早稲田なり慶応なりいける。もしくは東大にでもいける。

しくじったって、MARCHは堅い。」

私からすれば、くだらないプライドです。

「やってもないくせに、ほざくな」と言いたいです(笑)

そして、私はこのプライドが

どうして自分たちが学校に沿ってやっているだけで合格できるのかと言う根拠につながるのか

よくわかりません。

そう考えると、私と進学校の(または出身の)生徒と比べると、

バックグラウンドが全然違うんだなと思いました。

そして、私はまれなケースなのかもしれないと思ってしまいます。(そんなはずはない!)


私が卒業した高校は

10年に一度か二度ぐらいしか国立大学合格者・難関私立大学合格者が出ない所だったので、

勉強するべきスタンスが進学校と言われるところの学生とは全く違いました。

「死ぬほど勉強しても、間に合わないんだろうな…

でも、人間すぐに超えることはできなくても、高校生活2~3年もあれば

ビリで早稲田なり慶応ぐらいは入れるかな。補欠でもいい。

あわよくば東大の補欠合格を狙えたら最高だ」ぐらいで勉強していました。

ハナっから自分が優秀で選ばれた人間ではないことは入学当初から自覚していました。

だから、進学校の連中がどれだけ勉強して、どんな参考書を手にして、

勉強しているのかを自分ですべてリサーチし、

それを全部そろえて片っ端からやってみました。

特に英語は絶対得意科目にして得点源にしなければならないことはわかっていたので、

英語には当時の私のレベルの最大限度(13時間ぐらい)まで勉強していました。

(もちろん、薄い問題集は1か月で5冊ぐらいはつぶしていましたよ)


現役で受験した日大法学部と早稲田教育学部に補欠合格するのでさえも、

「3年間の大半を勉強に費やさなければ、

進学校で早稲田や慶応に余裕で合格する連中に追いつけない……、

いや、ついていくのがやっとか…」と思えてくると、

いかに自分がアホなのかがよくわかります。


それと比べたらいけませんが、それを承知で比べると、

進学校の中位より下の学生の多くは、そういったネームバリューに安座し、

どこかで自分のいまある現実から目をそらし、

ダメだったら学校のせいにして、

自分を正当化しようというような人が少なくないように思います。

どこの高校にいても、高認でも、

すごいやつはすごいし、ダメなやつはダメです。

今年医学部に7つほど合格した生徒も高校は通信に通っていましたが、

浪人したとはいえ、日本でも有数な医科大学に入っています。

進学校にいても、勉強しない学生はポテンシャルがあっても

結果が残せない、決められたスパン、

または自分で計画したスパンの中で結果を残せないのは、

自分が愚かであることへの自覚が足りないと思います。

容易に「自分はやっているから、どこかですくわれる」と思わないでほしいです。

やっていてもダメなときがあるのに、どうしてそう思えるのでしょうか。


「できるヤツはすごくありません。
      できたヤツがすごいんです!」



下手なプライドは捨ててください。捨てただけで、優秀になれます。

中途半端なプライドを捨てられた者は間違いなく後々素晴らしい人格とともに

合格証書をいただくことができると思います。

頑張っていきましょう!

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2012
03.29

I'm going to stop putting off things starting tomorrow

Category: 雑記
今年のわが軍のメンツは両極端で、

勉強している者とそうでない者の間にある差異が良くわかります。

さまざまありますが、一つだけ私の中で際立っていたことがあるので

今回はそれを記しておこうと思います。


それは「今日できることを明日に延ばさない」ということです。

今週はいろいろな生徒にある単元が終わった後に、

ネクステージやZ会の文法問題集をやらせてみました。

当たり前なことなのですが、私はそれを生徒任せにしているところがあるので、

本来時間をあけずに勉強をやっていればそこまで文法を忘れなくなり、

さらに繰り返して復習することで知識を定着させることができるはずですが、

成績が芳しくない生徒ほどこういった当たり前の作業が

おろそかになっていたようでした。

口頭で説明しても、自分で行動してみなければなかなか感じられないようです。

「百聞は一見にしかず」なんですよね。

ホットなニュース(知識)になっているうちに習得してしまいましょうね。

そして、問題慣れして、さらなる知識を増やす努力をしてください。

それが早い段階でできている人は、その分成績が出やすくなっているのです。

できることはさっさとやりましょうね。

それが優秀になる近道の一つです。


まあ今週来週は、

私が生徒に直々に復習する方法を見せていこうとおもっています。

これだけやればいいんだ!ってのを彼らの体にしみこませてみせるぞ。

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2012
03.28

ドイツ語習得者増加から学ぶこと

Category: 雑記
先々週、ヨーロッパでは経済危機の影響で、

イタリア人やギリシャ人がヨーロッパの中でも安定しているドイツで働くために、

ドイツ語を勉強するのが主流になっているというニュースを耳にしました。

これを聞いて、ヨーロッパ人は非常に言語に敏感だなと思いました。

仕事をするためには、言語を習得するのは不可欠だと彼らはちゃんとわかっています。

ヨーロッパ諸国は大陸でつながっており、他国へ容易に訪れることができるので、

この言葉の危機感も、

日本のように島国で特異性に満ち溢れて生きている人と比べたら、

ひとしおな気もします。

私ももし明日からフランス語が主体の世界体制になるということになったら、

部屋にある日本語と英語の本をすべて捨てて、

フランス語の本を読みふける努力をすると思います。

それぐらい言語を疎通させることって、重要だと身に染みております。


だから、それに直結させることが果たしていいことなのかわかりませんが、

受験で勝ち抜こうと思っているにもかかわらず、

英語をはじめとした必要不可欠な科目から

逃げようとするのはけしからんと思っています。

たとえ苦手でも、何か参考書等を丸暗記するぐらいの行動はできるはずです。

「覚えられない」というのは、このニュースを聞いていて、やはり甘いなと思いました。

私も理科が苦手で、ダメでしたが、センター試験で理科を避けることができなかったので、

(しかもなんちゃってでも理系でしたから、やらないと死ぬ(笑))

生物と地学は各科目2冊ずつ参考書と問題集を丸暗記しました。

何かを成し遂げる時に、障害が2つ3つ必ず出てきます。

そして、それを避ければ、

相当自分の首を絞めてしまう結果になるという状況になり、

その結果自分の好きなことだけに固執することはできなくなります。

ある目標を完遂するためには、与えられた課題をこなすのが最低条件です。

自分が入りたい大学に入れなかったらどうするだろうか良く考えてください。

ギリシャの人たちのなかには、

もう「自分の国にいても何も始まらない…」と

一瞬でも見限ってしまった人も少なくないかもしれません。

だから、ドイツやスウェーデンにいって職を得るチャンスを手に入れるために、

語学をゼロからやろうとしている人も増えるわけですよね。

危機感を覚えた人間は強いといういい見本です。


「この大学に入れなかったら……」という仮定法の問題を

毎日寝る前に自問してください。

そこで寝ることができる人は、一生懸命1日を送ってきたか、

その危機感にさえ気づかずに甘えているかどちらかです。

安心して眠れる人は、受験生の中でほんの一握りでしょう。

そんなに余裕な人間はいないはずです。

そんな寝る前の瞑想が明日の自分を導いてくれる、と私は信じています。


もっと自分の境遇を知り、受験と真剣に向き合いましょう。

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2012
03.27

春期講習期における受験生のスタンス

Category: 雑記
春期講習がいろいろな予備校や学習塾で開始されているかと思います。

春期講習はスタートダッシュのための重要な学習期間です。


春期講習でやれることは限られるために軽視されがちですが、

自分の弱点を探し、それを潰すための指標を作る上で

非常に重要な期間といえるかもしれません。


差をつけるという位置づけでやるというよりも、

後々差をつけるために、「今しなければならないこと」ってなんだ?

っていう問いかけに重点を置きながら受講しましょう。

そして、そのようなプログラムがなされている授業をとるべきです。

例えば、大手予備校の春期講習を受講するのであれば、

自分は英語の文法が苦手で、将来的には得意にしたいから、

基礎事項がたくさん説明されそうな授業を受けようっていう具合にとるべきです。

今から別に東大英語とかやらなくても結構です。

そういう人はよほど余力がある人ですので、自信がない人は

行かないことをお勧めします。

学習塾等であれば、ちゃんとご相談をして、説明をしっかりしてくれて、

スタートダッシュが切れそうだなというところで受講するべきでしょう。

中にはノープランで、講習中に勢いで医学部受験の問題をやらされたり、

高校受験専門塾でありがちですが、内部生中心に授業が展開されて

補習をあまりしてくれないようなところはお勧めしません。

要は、実戦的な内容で基礎をつけようとするところは、春は避けるべきです。

もっと建設的にものを考えていきましょう。


私も現在個別と予備校の集団授業で春期講習の授業を早速行っていますが、

難しいことは決してやっておりません。

先日お話しした偏差値70でうろうろしている生徒でさえも、

基礎重要構文の徹底から始めております。(最後にはゲロむずな問題をやらせますが(笑))

そして、彼らはターゲットやシステム英単語を全部覚えきろうというのが

春期講習とG/Wまでの目標にして頑張っております。

十分きついですが、そのあとで難しい英文を死ぬほど読み抜こうというのが

めちゃくちゃできる(と思う)彼らの根端です。


基礎の種まきをして、夏に実らせ、秋に収穫し、冬はおいしく調理していただく。

こういうストーリーをもって、みなさんも春から臨んでほしいと思います。

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2012
03.26

個は原子。力の源なり!

Category: 雑記
小学校のときの音楽の授業で、男女2人ずつの4人で

合奏をしなければならないという授業で、

当時楽器ができなかった私にとっては非常に酷な目にあったことを

忘れることができません。

今はドラムとフルートが少々できるので、困ることはないでしょうが、

当時の私にとっては非常にいやーな授業だったのは間違いありません。

そして、特に嫌だったのは、その中で音楽ができる一人の女の子が

「お前ができないと、どうしても合奏が成立さえしないんだ」と

強めに言われたのを記憶しています。

と言うのは、残りの2人は私以上に音楽に興味がない人たちで、

楽器なんてもってのほかで、

楽器ができる女の子はそのなかでもまだまともそうだった私に

無理矢理にでもこなしてほしかったからです。

その楽器ができる女の子はさぞかし非常にストレスがたまったことでしょう。

そして、もちろん理由がない共生を嫌う私は、

ものすごくストレスがたまりました。

(それでも根性出して、オルガンで「キリマンジェロ」を弾けるようにはしましたが(笑))

こういった授業は協調性を養うことを意図して行うのでしょうが、

私はちっともそうは思いません。


協調性は制約がある範囲で試されても、発揮できません。

ある目標が明確でなければ、相手も良く知らずに連携を取れない状態で

協調性を重要視したって、何の意味もありません。

それよりも重要なのは、まず個人で何ができるかと言うことを知ることです。

そして無作為に即興で集団をつくらされて何かをしようとするのであれば、

その個人の得手・不得手を理解していかなければなりません。

そのカバーができるかどうかという思いやりが

協調性をはぐくむのであり、自分のことができない者に

協調性という感覚は生まれません。



さて、ここで私が言いたいのは、

勉強する上で、特に受験において、仲間は必要ないというのは言いすぎにしても、

多く仲間を必要とはしないということです。

まず自分で勉強してから、

集団で勉強するというスタートラインに立つことができるのです。

集団授業でやっていける連中は、自分で勉強できる人間が多いでしょう。

個別はそれが苦手な人だったり、またはもっと専門性を突っ込みたい人がとる体制でしょう。

集団で勉強する力も必要なのですが、まずは自分の実力を磨いてください。

勘違いしないでほしいのは、集団授業が良くないとか、

協調性なんて世の中には存在しないんだということではないということ。

社会で生きていく以上、協調性は必要不可欠ですので、

この力はいずれつけていかなければなりません。

ただ、その準備段階でやはり個人を極めるべきだということで、

協調性へのプロセスとして物を述べています。


個は力なり!

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2012
03.25

「幸か不幸か?それはてめーで判断しようよ?」

Category: 雑記
「お前はこの先俺に会って不幸だと思うことが絶対に起こる。

でも、そう思うことが真の恐怖なのかもしれない。

それはてめーで判断しろ。」


これは師に言われた言葉

「お前はこの先俺に会って不幸だと思うことが絶対に起こる」

に自分で後付けして、戒めた言葉です。


わが師は

「自分より実力が上の人間についていくと

絶対にその人についていけばうまくいく!ようにみえるが、

実際にそうなる人は一握りだ」

ということをよく私に厳しい言葉を交えながら教えてくれました。



今年の受験が一通り終わり、生徒に様々な言葉をもらいますが、

非常に泣けてきます。本当に今年は生徒に恵まれました。

たとえうまくいかなかったとしても、

これは、本来私に苦言を言いたいと思っていたとしても、うれしい限りです。

そして、繋がりを持っておこうと思ってくれていることが非常にうれしいです。

こうやって人徳は増えていくんだと実感しております。


本音をぶつけながら勉強していると、こういった関係になりやすいですね。

自分がうまくいかない時は、思いっきり泣き崩れたり、

うまくいったときは、堂々と仁王立ちして、さらなる飛躍を望もうとする。

その際に、私が常に戒めや苦言を呈して、生徒もそれに生徒なりに応じる。

非常に精神が健全だ。


僕は接するときは物腰が柔らかい方ですが(自他ともに認めていると思う)、

要求は厳しいです。

「できるねー」って心から思った生徒は今まで教えてきた中で5人いないでしょう(笑)

無理難題を呈して、生徒がこなせない場合には、

もちろん改善策を出しますが、苦言も容赦ありません。

柔らかく皮肉を言います(笑)(人をみて叱責することもありますよ。)

こういった師についていくと、そしてその話だけ聞いていると

普通は不幸だったなとか、外れだったなと思うはずです。

無理難題は提示されるわ、苦言は言われるわ、そのせいで胃が痛くなるわで、

いい思いはあまりしないかもしれません。

しかし、私からしたらそのレベルで音を上げるぐらいならば、

大学でエリートと呼ばれる人にはなれないと思っています。

「これぐらいの要求ならば、全然対応できますよ。」っていう感覚を持って、

且つ精神的なタフさを身につけてほしいと思っているわけです。


今年の生徒はそのタフさが見違えるほど付きましたね。

ちょっとやそっとじゃぶれなくなっているでしょう。

そして、どんな難題が目の前に課されたとしても、

どうしたらよいか判断して、試行錯誤しながらこなせる人間になっているでしょう。

私は英語ができるとか、数学ができるといった科目ごとのテクニック以上に、

そういった自分で困難を切り抜ける力を生徒に所望しております。

そして、その力が自分にとっての最高の道を切り開いてくれ、

学生たちを素晴らしい大学生活へ突入させてくれるわけです。


我が軍は、今ある先の真実のために勉強しています。

その立ち位置から大学受験の切り抜け方を考えています。

その立ち位置から勉強することで、そこから得た結果(大学合格)が

今の生徒さんたちとのこの先の繋がり、

すなわち「人徳」に変化していくように思います。

だから、たとえ失敗しても、それを失敗だと思わずに

次に進もうとできる人間になっていっています。



活きる哲学を持っている人たちは、絶対に勉強しますし、最後に人生的に笑います。

大学受験で成功することで笑うのも、私の仕事上重要なことなのですが、

それでは物足りない。

その先でも笑える、人生における笑いの構造を埋め込んだうえで、笑ってもらいたい。


キツイことが不幸なことであると思えば、

頑張らないで身丈の目標を掲げ、それを達成してください。

それもいい人生だと思います。

しかしわが軍の学生たちは、目標を大きく掲げ、周りに苦言を言われても

乗り越えていこうとするのが真の目標です。


「いいか・悪いかは自分で判断できるようにしよう」

こういった実力をつけようとしているのが、私の教育理念です。


不幸だと思ってくれなかった生徒たちに会えて、

今年度の私は幸せだった。

来年度の連中もこの哲学(うっすーいが)を堪能してもらいたいです。

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2012
03.24

「なんとなくできる」は自分への甘さの兆し

Category: 雑記
今日から春期講習が始まりましたが、

なかなかの強者ぞろいで、私もてんてこ舞いしております。

強者にも二種類います。

一つは、もちろんものすごく英語を良くわかっている学生さん。

今年の上位連中も負けず劣らず優秀です。

高2生の終わりの時点で偏差値73キープが3人います。

この調子で、再来月の全国模試で度肝を抜いてほしいです。


そしてもう一つは、中学校の基礎をうやむやにして

なんとなくできるように装ってきた生徒です。

このパターンは最近よく見受けられます。

「なんとなくできる」クラスタ(集合体の意味です)、と言いましょうか。

単語の意味がなんとなく分かるから、なんとなく文章の意味も分かるので、

問題もなんとなく解けていってしまうのです……

いったい一文を述べる間に「なんとなく」が何回出てきたのでしょうか。

少々複雑な構造をした文章や、一文が複雑なものや、

難解な単語で書かれていたりすると、

「なんとなく」クラスタはもう手も足も出なくなります。

よって彼らはまず中学校のおさらいと、

高校1年生で行う品詞と文構造から基礎づくりを始めなければなりません。

例えば、次の問題がわからない人は、かなり基礎に問題があると思って結構です。

To laugh is very important for us.

I left the library to go back home.

このto不定詞は同様な使い方と考えてもいいのでしょうか。


もちろん、名詞的用法と副詞的用法なので異なると

言葉でも構造的にもわかっていれば、

特に問題ありません。

要は、中学校で扱ったものが躊躇なくこたえられるかどうかで

基礎の有無がわかるわけです。

でも、これもわかった気にしてしまうのが

「なんとなく」クラスタの特性ですので、

私たち講師が口頭試問していった方が効果的だと思っています。

今日もずっと生徒に口頭で文構造を説明してもらっていました。

私もですが、生徒もなかなかつかれているはずです(笑)


こういった現実に目をそむけずに頑張っているのをみていると、

なんとかしてあげなければなと思います。

それだけ受験に対して真剣なんだなと思えてきます。

勉強において、「なんとなく」っていう感覚をなくしてください。

特にどの科目における基礎で、「なんとなく」の処理は絶対にやめましょう。

「なんとなく」が通用されるのは、書いている筆者もわからない謎が潜んでいる場合にのみ

用いることができると思ってください。

受験において「なんとなく」で解かなければならない問題はまずありません。

自分の中にある「なんとなく」の感覚は自分に対する甘えですので、

これから全力で排除しましょう。



今年もなかなか面白そうな人材が多く、楽しみです。

今日からまた、人生の大きなイベントその1的な、

1年間のフルマラソンが始まります。

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2012
03.23

エリートのが見ている、この先の人生

Category: 雑記
東大の後期の発表が昨日ありました。

我が軍の精鋭も臨みましたが、歓喜の声は上がりませんでした。

非常に残念です。

しかし、受験をした本人はすがすがしい気持ちだったと話しており、

非常にビックリしました。

その彼は早稲田大学へ進学することになりましたが、

彼の野望はまだ終わっていませんでした。

彼は次に切り替えて、8月にアメリカの大学に留学する準備を始めています。

「僕は勉強するのが遅かったから、東大失敗はしょうがない。

だから、大学受験が僕の闘うフィールドではない。

僕が勝負に出なければならないのは、この先の自分への挑戦で、

それは留学にあると思っている。それは、先生(私です)から教わった。

先生は外国で死ぬほど勉強してきたからこそ、今があるんだと言っていたのを思い出して、

大学受験をゴールにしてはいけないことを悟った。

浪人して東大に行くのも選択肢にあってもいいが、

もっと先のことに目先を変えようと思う。それが勉強しているうちにこの1年でわかったことだ。」


少々私が内容をまとめてしまいましたが、彼はこんなことを言っていました。

嬉しい限りです。こうやって前向きに考えてくれる学生もいるんだなと、

本当に彼が成長した姿をこの目にとどめることができました。

彼はきっと成功するでしょう。そうでなければ、だれが成功するのかと疑ってしまいます。

今年のわが軍のよかったところは、

「大学受験がゴールだ」と微塵も思っていなかったことです。

彼らが英語の勉強をしていても、気を抜かなかったのは、

大学受験を切り抜けるためではなく、

この先できなければならない語学であり、それを今のうちに習得しておくのは

人生における時短であると見抜けていたからなんですよね、きっと。

何点取ればいいのか、偏差値をどれだけ取ればいいのか

ということに固執せず、常に自分との戦いを繰り広げていました。

つまり、彼らは解けなかった問題をどうしたら解けていたのかを考え

模試の後にすぐまとめ、質問を作って私の下に持ってきたわけです。

そして、それを自分の知識にして、今後の英語の糧にしているわけです。


我が軍の早稲田組は、今どうやって留学しようかを本気で考えています。

そして、早速TOEFLの勉強を始めています。

受験が終わっても、彼らは勉強しています。彼らは抜かりがありません。

彼らは今何を犠牲にして、次に何を得ようかわかっているんだと思います。

そう思っている人は、たとえ受験に失敗したと本心から思っていません。

試合に負けたが、勝負はまだついていないという感じですかね。

まだまだ人生の勝負はこれからいくらでもあります。

闘ってほしいですね、やれるまで!



これが今年のわが軍に送る最後のエールです。

つらいときや、発狂したくなったら、また私のところに来てくださいね。

その時は酒を飲みながら、議論しましょう。

しがらみを爽快に排除してあげられるように努力します。

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2012
03.22

Strike while the iron is hot.

Category: 雑記
Strike while the iron is hot.

「鉄は熱いうちに打て」


私はこの諺が好きです。

この諺には2つの意味があります。

一つは、吸収する力のある若いうちに鍛えるべきだということを意味し、

もう一つは、物事にハマっているときにやらないとだめだよーっていう意味です。


特に後者の意味で、私はこの諺が好きです。

勉強はあるモードに入ってからやらないとできるようになりません。

面白いなーって思ったときにたたみ込んでいかないと、

勉強の面白みに深さが出ません。

よく、「徹夜はよくないからきりがいいところでやめるべきだ」という人がいますが、

それはちょっと違います。

本当に物事にハマってしまっている人は、

わかるまでその物事を追求してしまうものです。

その結果、徹夜になってしまったというケースの場合、

私は、徹夜はOKだと思っております。

もちろん、ダラダラ時間だけ過ぎていく徹夜は私もいただけないと思いますが、

好奇心が爆発している場合はしょうがないです。大目に見ましょう。

しかし、それを探求しつくしたり、解決したりした後に眠りにつくと

ものすごく気持ちがいいです。

そして、朝の目覚めも爽快で、今日も頑張ろう!ってなります。

よって、1日のおしまいをこのような満足な気分でしめくくることを目標にしてください。

このイメージがタイムマネージメントすることができれば、もう完璧です。

ですが、この知的好奇心はある日突然爆発することが大半ですので、

マネージメントは難しいでしょう。


Strike while the iron is hot.

自分の脳を打ちまくりましょう!

(本当に打たないでね、しんじゃうお)

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2012
03.19

どうして難関大学にいくのか?

Category: 雑記
今日は浪人組のマインドアップのために、少々お話しをしました。

「どうしていい大学に行かなければならないか?」

良い就職をするため?後々楽をするため?お金をもらうため?

優越感に浸るため?


20%ぐらいはこのようなことを考えてもいいと思います。

就職する上で、大学の名前で足切りする企業もあるでしょう。(しょうがない部分はある)

学校で出世するスピードも若干変わってくることもあるでしょう。

それなりに知名度がある大学に入ったならば、ちやほやされることもあるでしょう。


しかし、それだけで大学を選んだ場合、幻滅することは必至。

「難関と言われる大学に入ったから、もう大丈夫」と言う時代は終わったと思います。

それにプラスアルファが課されるのが現在のエリートたちでしょう。

よって、実力があるのであれば、そして、勉強する最低限の環境があれば

大学は正直どこでもいいわけです。

しかし、そうは言ってじゃあどうして難関大学を目指そうとするのでしょうか。

またはするべきなのでしょうか。


それは、奨学金と人徳の問題と関連すると思っています。

私がストックホルム大学や名古屋大学に入ってメリットがあったのは

まず奨学金が取れる量が圧倒的に多いということです。

やはり大きな大学ほどお金を持っているというか、お金が回ってきます。

その恩恵に肖るチャンスがあるのであれば、挑戦しないわけにはいきません。

タダで大学に行けるのであれば、バイトをせずにお金をもらえるのであれば、

やはり学生中に勉強して難関と言われる大学に行った方がいいように思います。


そして、もう一つは人徳が得られる可能性が大きいからです。

やはり難関大学に入るために、勉強をしてきた生徒がたくさんいるわけで、

そこから生まれる連帯感は強いし、どんどん面白い方へ向かっていきます。

要は(いい意味でも悪い意味でも)変な人がいて、

進むべき道の選択肢が必然と増えてくるということです。

例えば、私の周りには学者もいれば、ベンチャービジネスを興した社長もいれば、

バーテンダーも、大手企業に勤めている人、官僚、チャレンジャー、スポーツ選手

お水の人に、風俗嬢と……挙げればきりがありませんがいろいろな人がいて、

いろんな出会いがあります。

確かにそれは行動力がある人間からすれば、フェイスブックとかを駆使して

出会う確率を上げていけば不可能ではないでしょうが、そういったアクティブな人は

なかなかいません。

しかし、学校や大学であれば、それがもっと自然に容易に出会う可能性が生まれ、

早い段階で深い仲を創り上げることができるわけです。


生徒さんにはその千載一遇のような出会いをするために勉強をして

難関と言われる大学に入ってほしいと、私は思っております。

私がもしスウェーデンに行っていなければ、

スイス人の億万長者にあうことはなかったし、

服飾の仕事に携われたこともなかっただろうし、

ポテトチップス屋さんでインターンシップをしなければ、

当時のカルビーの社長等に会えなかったでしょう。

難関大学に行くと、

なんでかわかりませんが、偉い人とか有名人にあう確率が上がります。

そういう人は少なからず努力しているわけで、やはり類は友を呼ぶのでしょうかね。


そんな出会いをしてもらうために、そんなチャンスを得るために

生徒には、

最低でも現在の自分の身の丈よりも一つ上の大学に行ってほしいと思っています。

1時間にも及んだお話だったのですが、

彼らが何かインスピレーションを感じ取れたらいいなと思っております。


また4月がやって来ます。大学受験の世界も、再び新たな時間が動き出します。

頑張っていきましょうね!

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2012
03.18

手を差し伸べなければならない!

Category: 雑記
昨日もどたばたしておりました。

継続生を含め面談件数が非常に多いので、今月はドタバタしております。

今回は、合格した学校があったのですが、もう一浪しようと考えていた生徒のお話し。

本番で実力が奮えず、なくなく後期受験で合格校を獲得した生徒で、

実は意気消沈している中で生徒を少々詰めてきてしまいました。

実質2浪目なので、今回は落とすわけにはいかないので、

どうやって取り組むかを一緒に考えていきました。

もちろん敗因は私の指導力の甘さに尽きますが、

そうではないという彼と彼の親御さんの心意気のおかげで、

少々心が晴れやかになりました。

どんなにがんばってやっていても、

必ず第一志望や思っていた最低限の学校へいくことへの望みを繋げないことはあります。

今週はその生徒の今後をどうやって持っていくべきかを考えることでいっぱいでした。

結局、指導を重視するよりも、

親御さんと本人を交えて、毎月作戦会議を行おうということで話がまとまり、

私は彼の戦略参謀に信任されました(笑)


そんな話をしていてわかったことですが、

日々ノルマを掲げて、ノルマを達成することのむずかしさを思い知りました。

私は大学の時に毎日その生活を送っていたので、少々感覚がマヒしていて、

「そんなに難しいことではないでしょう。歯を磨くことと同じぐらいのことだ」

と勝手に思い込み、放置した部分があることは、講師として反省しなければなりません。

先生の中には、

「生徒の怠慢であって、私たちの責任ではない」と割りきる先生もいると思います。

まあそれでもいい指導者はたくさんいるので(厳しいという点が重視される!)、

そのポリシーを掲げているをとやかく言うつもりはありません。

というか、内心個人的にもそれぐらい割り切りたいです。


しかし、それができずに勉強もままならない生徒が、

ここ数年みてきて非常に多く見受けられ、

この仕事をやっている以上目を背けてもいいのかなとも思い、

なかなか「怠慢」だと割り切れません。

大学生であれば、

「あー、勉強しない奴は大学いかなくていいからねー」って言ってしまうのですが。

私たち講師は、これから受験生の生活面についても目を向けた上で、

授業プランをしていかなければなりません。

塾や予備校であれば、自習室等を使ってある程度強制させることができますが、

家庭教師等ではなかなかそうはいきません。

しかし、月1であればできるのではないかなと考えました。

それだけ親密に話ができれば、修正も難しくないかなという感じで今年はやっていこう

とその生徒と話していきました。

それぐらい、距離を縮めていかないとできない人もいるんだということは

私も勉強させてもらいました。

ライオンのように子供を突き飛ばして、這い上がってくるのを待っていてはいけませんね。

人間はライオンではないわけですよね。

差し伸べる手が今求められているわけですね。


っていう、もっと自分が頼られているから

それに全力で応えるべきだと思わされる1週間でした。

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2012
03.17

偏差値65を目安に

Category: 雑記
現在データを整理しているのですが、今年の英語の成績上昇率は

最も上がった生徒で偏差値22アップ(45⇒67)で、

平均すると1年で12.7ぐらい上がっていました。

偏差値50を切る生徒は一人も出ませんでした。

伸び率が高かった階層は偏差値40後半ぐらいの生徒が60前半まで上がるケースが

多かったように見受けられます。


このケースから考えると、偏差値65をコンスタントに取れるかどうかは

彼らにとって目標であり、ネックであったんだと想像できます。

英語における偏差値65までの道のりは、そこまで険しくないと思っています。

まずは1.中学校の基礎事項をしっかり固めて、

2.データベースやターゲット1400・1900の単語をちゃんと覚えて、

3.高校生で習う英語の基礎文法の知識が出し入れある程度出し入れできれば、

まず到達できます。


しかし、一度や二度偏差値65をとっただけで「実力がある」と過信してはいけません。

偏差値60~65をコンスタントに取れない人は、

応用できるようになっていない人も少なくありません。

たまたま「あ、これみたことある!」っていうのが多いだけで、真の実力とは言えません。

そして、それは全統マーク模試のようなセンターベースのものでは測れません。

センターは比較的簡単ですし、自分で考えて書く問題がないので、

どうしても「なんとなく解答」が回避できません。

偏差値65をコンスタントにとれる人は、

ある程度難易度の高い言い回しであっても文章の中で容易に解釈でき、

ちょっとした言い換えも頭に浮かぶものです。

要は問題に対して、答えの選択肢が複数浮かぶような状態になっているわけです。

あとは国語力の問題でしょうか。英文で言っている内容が和訳されたときに

どういう意味なのかということを理解するレベルがどこまで到達しているかですね。

やはり最終的には長い英文を読まなければなりませんので、

用法だけで乗り越えることは厳しいです。

特に国立上位の実力は用法だけで乗り越えることはできませんよね。




私の持論ですが

偏差値65はあくまでも英語における基礎学力であり、ずば抜けた実力ではありません。

もし日大法学部を余裕で合格するレベル、

そして、GMARCHを複数受けて、どこかに引っかかるレベルに到達したければ、

ここまでの実力を早い段階でつけてほしいです。(最悪9月までには。)

そして、偏差値と言うのはあくまでも目安であり絶対ではありません。

偏差値の数字よりも、

自分が何割正解できたかという手ごたえが

実際のスコアと齟齬がないようにする一種の「感覚」を手に入れてほしいと思っています。

(特に数学ね。)


是非とも難関大学に入るために、偏差値65を目安の数字にしてほしいです。

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2012
03.12

勉強でも美意識を持とうね。

Category: 雑記
人間に美意識がなくなるとダメになるなと思います。

私は服装にこだわらなくても、だらしない恰好で外をうろうろする人は

好きではありません。というか、知性や品性を欠くと勝手に思ってしまいます。

「おしゃれであれ」という意味ではないですよ。

別にユニクロでも、しまむらでも、

襟がよれよれじゃないとか、ボタンがないとか、清潔感がないとかでなければ、

服装なんて何でもいいじゃないかと思っています。


しかし、ここから私の持論に入りますが、

服装は人の身を引き締めます。特にネクタイや首を飾るものは身を引き締めます。

元々ネクタイは戦いで自分の首を守るためだったり、

戦争で生き残るためのお守りとして使われてからネクタイへ進化しているわけで、

ネクタイには自分と他人の思いが詰め込まれ、人々同士を結び付ける道具であり、

自分自身を繋げとめておく道具です。

私は普段あまりネクタイをしませんが(ネクタイを研究してたのに(笑))、

自分が「ダメだな」とか、「今日は引き締めるべき日だよな」と思うときは、

あえてスーツか、ネクタイを締めた服装をしていきます。

服装をだらしなくすると、身もだらしなくなります。

だから、やはり服装をちゃんとしていない人は、

私にとって、どうしてもちゃんとしている人間と捉えることはできないんですよね。


そう考えると、服装に気を配れない人は、

ノートづくりや内容をまとめるといった作業が乏しくなり、

勉強ができない人も少なくないのかもしれないと連想しがちになります。

服をコーディネートすることと、単元の内容をどうやってノートにまとめるべきかは、

同じ問題と考えておかしくないと思います。

ノートも美しいものでなければ、見返そうなんてしません。

よって、勉強もできるようになりません。

ノートがダメだなと思ったら、覚えなおすついでにノートも作り変えてしまうものです。

よくノートづくりが時間の無駄だと言いますが、

復習の一環としてノートを作り直すとすれば、

別に負担として捉える必要はなくなります。

復習する場合、紙とペンと口は必要になってきますので、

どうせならノートにもう一度まとめ直してしまえば、一石3鳥ぐらいにはなりそうですよね。

時間がかかりそうなことがどれだけ時間がかからなそうなものにできるかを

考え付くかどうかで、皆さんの勉強の進み具合も変わってきます。

よって、その行為を面倒くさいと放棄した人は言うまでもありませんが、

ノートを作って満足し、進化させようとしない人はやはり復習が不十分になり、

成績はあがりません。


服装もコーディネートがうまい人は、

そうなるまでにいろいろ洋服を着たり合わせたりしたから

コーディネートできるのであり、

無頓着な人はいつまでたってもセンスが良くなりませんってことと同じですよね。



うーん、やっぱり服装の感覚って科学的な気がするんですよね。

まあ勉強でも「美しさ」を追求してくださいね。

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2012
03.11

3月という季節と、服装と勉強生活の相関関係

Category: 雑記
最近、パーティーが多く、いろいろなものを食べます。

美味しいものを食べているときはとても幸せなのですが、

気になることも出てきます。

それは私のお腹です。ギリギリ太鼓っ腹にはなっていませんが、

寸法がぴったりなズボンを穿いていると、「太ったな」と実感できます。

タイトなズボンをわざと穿いていると、それを維持するためにウェストを気にして、

いろいろなことが節制されたり、

またはまずいと思うとそれを改善しようと思うものではないでしょうか。

ぴったりした服を着ることは、自分にとって満足を与えるとともに、

自分を節制させてくれる役目も果たしているんだということを感じます。


それを気にしているときに、受験生のことを考えてみると、

次のようなことも考えられるのではないかなと妄想していました。

最近、新規の生徒さんも入ってきて、その生徒の指導を1か月通してやってきましたが、

どの生徒も私の課題のきつさに音をあげてきています。

復習がカバーできていなくて半泣きになりそうな生徒も少なくありません。

しかし、私が出している課題は私の中で最低限の課題であり、

それ以上少なくすると、生徒が目標としているレベルに到達しないので、

あえて甘くはしません。

つまり、私の課題は

「受験に合格するための」寸法に合わせたズボンやスカートの役目を果たしている

と考えることができるわけです。

それができないのであれば、もっとゆったりしたズボンやスカートに換えなければなりません。

(それは同時に目標を下げるとか、先生を変えて方針を一新させることを意味します)

そうならないように、今年の受験生はすでに必死になって勉強しております。

昨日私が少々厳しいことをやんわり言った生徒がいますが、

その生徒は

「ここ最近ダメすぎるから今から勉強して、5月の模試までになんとか偏差値70とりたいです」

と反省し、新たな目標を掲げています。

こうやってちゃんと修正できる生徒に、私はそれ以上叱責する必要がないので、

いい方向へ向けていく話しかしません。

是非ともこの先頑張っていってほしいなと思います。


3月はこうやって自分の軌道修正に時間をかける時期です。

4月を迎えると、みなさん春服に変わるし、スーツやワンピースを新調しますよね。

それと一緒で、その前に揃えたり、自分の体型(体系)を変える準備期間が必要です。

こんな風に考えると意外に服装生活と勉強生活は相関関係にあるのかもしれません。

つまり、ファッション感覚を研ぎ澄ますこと=勉強ができる………


んー、世の中そんなに甘くないですよね。

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