木村 元子 「私の頭の中の消しゴム」
2007-09-30 Sun 23:22
私の頭の中の消しゴム (小学館文庫) 私の頭の中の消しゴム (小学館文庫)
木村 元子 (2005/09/06)
小学館

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この内容やばかったですね。映画がヒットするのも納得でした。内容は、薫という女性が浩介という建築士志望の男とであって、結婚にまで至るのだが、薫がアルツハイマー病になって、彼女の中から彼の記憶がなくなっていくのを描く。それがすべて、薫の簡単な日記形式で書かれている。そのあとに、語り手が変わって、今度は浩介が語り役になって、彼女が失踪してからのことを書く。彼女は完全に彼のことを完全にわすれてしまっているのだが、彼らの愛が永遠であることを互いに認識する。ここで話は終わる。

悲しいアンチクライマックス的な内容であるが、精神的にはハッピーエンドでおわっているところが、けっこう文学的で美しかった。現代小説としてはできがいいのではないだろうか。なんといったって、日記調で語られていることで臨場感が増すし、日常的で読者も溶け込みやすい。なんとなく、「電車男」のようなドキドキ感がある。あれは本当に現代の産物をうまく小説化してしまっているが…。

今年読んだ恋愛小説の中でも、ベスト10には入る。
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吉本 ばなな 「キッチン」
2007-09-29 Sat 18:49
キッチン (角川文庫) キッチン (角川文庫)
吉本 ばなな (1998/06)
角川書店

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吉本ばななの小説をはじめて読んだわけだが、「言うほどいい作品か?」って言うのが本音。近代文学が素晴らしいと思う私にとって、現代文学はただ美しいだけで、その言葉の中に、社会情勢やそれに見合った人間の感情の対比が分かりづらかった。確かに読んでいて、女性の感情や、人が亡くなった痛みや苦しみはうまく伝えられているし、同情っていう気持ちで文章が読めるが、そこまでである。考えるっていうところに欠ける気がする。正直、江国香織とかのような一般的にうけそうな大衆小説にすぎないかな…。
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伊藤 左千夫 「野菊の墓」
2007-09-28 Fri 00:52
野菊の墓 (集英社文庫) 野菊の墓 (集英社文庫)
伊藤 左千夫 (1991/06)
集英社

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松田聖子が主演の映画にもなった作品…らしい。矢切の川渡しの場所で起こった話。まあこの作品も哀が詰め込まれた恋愛小説。17歳の民子と15歳の政夫の恋愛に、世間の人々や姉嫁が常識や形式や慣習というものを基にして邪魔をする。政夫は結局15になってから市川の中学に通わなければならず、彼女とは離れ離れになる。その間に、民子は姉嫁や政夫の母からたくさんの小言を言われ、結婚を断念し、他の家に嫁いでいく。しかし、彼女の中で潔しとせず、次第に弱っていく。やがて、息を引きってしまう。その知らせをもらった政夫は、早急に家に戻ってみると、母は泣き崩れて、半狂人となって自分自身を責めたてていた。彼は、民子の家に行き墓に向かって初めて、彼女の本当の意味での死を感じ、あからさまに泣き崩れてしまう。

明治時代の恋愛は、周知の通り、慣習的で恋愛で成就するほうがまれなほどであった。女性の不自由さが大いに書き出されている。そして、当時の女性はとても忍耐が強いんだというのがよくわかる。このようなものを読むと、女性の権利はもう少し自由にしてあげたくなるかなって思うものである。

この小説は、確かに面白いほうだとは思うけど、今まで読んできたものよりも純粋文学だった。社会情勢や当時の風潮の描写が少なく、私としては少し物足りなかった。むしろ現代の恋愛小説に近いものを感じる。だから、今の時代にもうけてるのかもしれないが…。
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遠藤 周作 「海と毒薬」
2007-09-26 Wed 12:58
海と毒薬 (新潮文庫) 海と毒薬 (新潮文庫)
遠藤 周作 (1960/07)
新潮社

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九州の付属病院でのアメリカ人の捕虜の生体解剖事件について書かれたもの。それを通じて、罪の意識、呵責について考えさせられるものであった。

生体解剖に携わった人間のなかに、勝呂と戸田という同僚同士がいたのだが、二人の態度は対照的だった。勝呂は、生体解剖を断るチャンスはあったにもかかわらず、煮えきれない返事をしてしまったがために、実際に生体解剖の場所に現れると、自分自身に大きな罪があるんだという自責の念を持ってしまう。

一方、戸田はこれは「自分は悪くないんだ。怖いのは社会からの罰だけだ」と、少年時代から悪いことをしているという感覚がない人間であるんだということを回想し、この解剖に関しても無感動とはいかないまでも、そこまで大きな自責をもっていなかった。悪いのはすべて、このように誰でも死んでしまう時代である社会背景がいけないんだといいだげにいた。

自責の念というのは、どこから始まって、どこで終わるかなんて決まっていなければ、セオリーもない。自分の裁量に任される世界だと思う。勝呂は、その裁量について、間違ってしまった人間で、この先ずっと自分を責めて生きる。だから、病院で変人扱いされてしまう反面、悲しい過去を背負いながら生きていかないという辛辣な現実が待っている道を辿っているのである。しかし、「間違っている」っていうのは、社会的な視点からみたからであり、精神的には決して間違っているわけではないと思う。

ボルヘスは、「広島・長崎に落とされた原子爆弾で死んだ人と病気で死んだ人は、死んだ時間が違うだけでなんの変わりもない」というようなことを言っていた。これは、社会的な目を考えたら、元防衛大臣の久間さんのように非難されてしまうが、精神的観点からしたら決して間違っていない。だから、この裁量も人間の見方によっては、事件もすべて変わってしまうことがよく分かった。

これは、今の裁判の判決も同じようなことがいえる。無罪だった事件がいきなり有罪になってしまう逆転判決は、最近多く見られる。はっきり言って、こんな風に全く正反対になるのは少しおかしいようにも見えるが、やはりそれはどちらかの判決のときに情が入っていて、objectiveな判断がなされてなかった結果かと思う。

医者や法曹家はこういう裁量について重く考えて仕事をしてもらいたいと願うまでだ。そのようなことをこの本から感じた。
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ウィータ 「フランダースの犬」
2007-09-25 Tue 01:25
フランダースの犬 (洋販ラダーシリーズ) フランダースの犬 (洋販ラダーシリーズ)
ウィーダ (2005/07)
アイビーシーパブリッシング

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ウィータの少年文学の傑作。日本ではアニメにもなった。私はこの作品に少しだけなじみがあった。というか、日本の茶の間ではなじみがあると思う。それは、いつも「最終回のダイジェスト集」みたいなもので、必ずこの物語の最終回は上位にランクされるからである。だから、私が思うに内容は知らないが、最終回だけは知っているという人間は多いのではなかろうか。そして、私はそんな人間の一人だったわけで、せっかく推薦図書を漁っていたわけで、読んでみた。少年じゃないけどさ。

この内容には、今の世の中で、忘れられがちなテーゼがたくさん詰め込まれていた。私がいつも思うことであるが、「お金でしか幸せの価値をはかることができない人間は、精神的に貧しい」というようなことが、この内容すべてのテーマになっているのではないか。

実際に、乞食に近い生活をしていた少年ネロとパトラシエは、美しい心を持った人間だったが、お金がないと言うだけで、アロアの父は、アロアを彼に近づけようとはしなかった。しかし、彼がなくした大金を、ネロとパトラシエは見つけて届けてもらったという事実を知って初めて、彼の行為が愚かな、そしてただ意固地になっていて、プライドが優先されていた行動であったことに気づき、我に返ったのである。

お金で、人間の権威や欲望は計ることはできるが、人の心のよりあしは不可能である。現代を生きる人間は、特に日本とアメリカの人々は、この精神を忘れているように思える。アメリカなんて、頭がいい=金持ちという方程式ができているほどである。若者が平気で、「頭がいいのにどうしてお金がないの?それは頭が悪いことと比例する」というので、恐ろしい時代である。そして、日に日に人間の心は、我々がもともともっている精神の脆弱性をつつかれているのである。

その点、ヨーロッパの人間は比較的穏やかである。アメリカの金持ちとヨーロッパの金持ちは、まったくといっていいほど精神性が異なることが多い。私が出会ったドイツの銀行の御曹司は、私がスウェーデンを去る前日まで、自分が御曹司だったことを明かさなかった。その謙虚さに私は脱帽だった。自分の金もちっぷりを誇示しないところに、アメリカ人の金持ちよりも気品があって好きだし、この「フランダースの犬」のような内容が、幼少時代から植えつけられているんじゃないかと思う。

教育にいい作品ですね。
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武者小路 実篤 「愛と死」
2007-09-24 Mon 00:23
愛と死 (新潮文庫) 愛と死 (新潮文庫)
武者小路 実篤 (1952/09)
新潮社

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彼の恋愛作品の第3部目の「愛と死」。「お目出度き人」と「友情」があって、この作品があるというくらいである。そして、これが自伝的小説だというところがまたすごい。こんな奇跡に近い恋愛をしている(してないかもしれないが)作者武者小路実篤はとても運の良い男である。しかし、内容は哀愁漂うものばかり。「悲愛」というべきか。「愛と死」では、愛の悲しみが100%こめられて吾々にメッセージを送っている。

内容は、村岡という男が、その友人である野々村の妹である夏子に恋をしてしまうというのが始まり。キッカケは、謎の余興のとき。村岡は芸がないので、余興をしたくないと拒んで、そのかわりに夏子が宙返りを披露してその場を拍手喝采にしたことで、彼は彼女に対して慈悲の心が生まれ、恋に焦がれてしまう。そして、彼女もだんだんそれに惹かれてきてしまう。2人は結婚の約束をする仲にまでなる。しかし、村岡は巴里に旅行にいくといい、半年の間渡欧を決意する。二人は離れ離れに。しかし、彼らは手紙のやりとりを頻繁に行い、互いの寂しさを紛らわすことに勤しむ。しかし、彼の帰りの船の中で、夏子の急死を聞き、絶望の淵に落とされる。彼は悲しさのあまり泣いて泣いてなきぬく。日本に到着しても彼女に対して悲しみの念を覚え、兄である野々村に気持ちを伝える。しかし、村岡はその悲しみを乗り越えるべく、彼の帰国歓迎会を野々村の家でやることに同意し、悲しみと立ち向かう。このことが、回想的に書かれている。

私はあらゆる恋愛小説を読んできた。特に心に残っているのは、新堂冬樹が書いた「忘れ雪」とか、一斉風靡した「世界の中心で愛を叫ぶ」だとかが思い浮かぶ。どれも傑作といえるものだが、実際にそのような現代の恋愛小説があるのは、この小説があるからなのではないかと思う。それくらいこの小説はインパクトがあると思う…時代が時代だから。この作品は戦時中に発表されたものだから、作者自身にも死別の別れとかが本人になかったにしても、そういう事実に遭遇するには難くなかったのかと思う。このところから、彼の青春文学の味を感じざるをえない。現代の恋愛小説とは、愛の重みが違った。

それは、文章の内容からも見受けられる。特に、村岡が渡航してからの2人の手紙のやりとりから。あんな文面に愛情たっぷりな手紙は見たこともないし、書いたこともない。今は昔と違って、メールはあるし、いつでもどこでも自分達が思うとおりに気持ちを伝えることができてしまう。この利便性が、私達の恋愛感情の希薄性を生んだり、純愛から遠のいてしまう気がする。手紙が来ないかな〜っていう、わくわくする気持ちと来なかったらどうしようという焦燥感が手紙の間にあるから、私は純愛が成就し、あそこまで互いの愛を深められるんだと思った。あそこまで人を愛せることは、私の理想の恋愛像になった。なんて美しいんだろうか。

しかし、順風満帆にいっていたものをすべて壊してしまう無常観を著したところも、注意しなければならない。私達は人生の間挟まれている「恋愛」とは、人生が素晴らしいものになるための、一種の歯車同士の間に生まれる隙間的役割を果たしているものだと思う。作者武者小路実篤も「恋愛はなくてはならないもの」と述べている。しかし、恋愛は所詮人間の人生に組み込まれているものであって、いつかは終わりが来るんだという現実をぶつけている。恋愛のよさと厳しさがうまく調和していて、私は内容的にとても感銘を受けた。

これ以上のことは、別のところで語ることにする。
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小沢 征爾 「ボクの音楽武者修行」
2007-09-21 Fri 22:01
ボクの音楽武者修行 (新潮文庫) ボクの音楽武者修行 (新潮文庫)
小澤 征爾 (2000)
新潮社

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小沢征爾の自伝ね。目隠しをして、さらに部屋を暗くしても寸分の狂いもない演奏ができると噂される彼の人生は、日本人にまれに見る偉人たる人生だった。

スクーターでヨーロッパを渡っていくなんて誰が考えるだろうか。しかも、音楽の世界を生きるために。さらに、当時では想像を絶する国際指揮者コンクールに参加するなんて…。そう思う反面、彼は人脈に恵まれていたし、金銭的に恵まれていたのがよくわかる。戦前に生まれた人間で、大学まで出るのはやはり裕福な証拠といえる。私からしたら、できて当たり前だとは言えないが、心の負担は多少軽かったようにも思える。しかし、当時で日本人が音楽の世界で名を馳せるのは至難の業であるから、そういう点では評価できると思う。

私もこれから、世界の荒波に揉まれて、偉人のような人生を送り、自分が納得の行く人生を送っていきたい。私にとって、日本で生きるには時の流れがはやすぎる。そして、すべての人間にマスコミのごとく冷淡な目をし、でっちあげて冷笑されたりり、酷評されたりする世界に見えてならない。日本以外がそうではないとはもちろん言いがたいが、少なくとも個人主義が発達しているヨーロッパで、マスコミのようなextraordinateな視線は感じにくい。孤独を好む私にとっては、最適な場所だ。

そんなヨーロッパを駆け巡った小沢征爾を、少し羨ましく思った。また、この人のようにバイタリティーに満ちた人間になろうと思った。彼が本の中で「体を鍛えることは重要だ」といっていた。私は、彼はボンボンのもやしっこで温室育ちした音楽家だと思っていたので、こんなことをいうなんてと、少しあっけに取られた。少しぐらいのずうずうしさとエネルギーがないと人間には上にはいけない。小沢征爾の生き方に少しだけ感銘を受けた。
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芥川 龍之介 「鼻」
2007-09-20 Thu 00:54
羅生門・鼻 羅生門・鼻
芥川 龍之介 (2000)
新潮社

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芥川龍之介の初期の作品。「鼻」のほかに、「羅生門」なども同時に「新思潮」に出している。

内容はとっても短い。内供の鼻が天狗の如く長く、弟子におさえてもらわないと食事もままならないくらいにでかい。そのことことに、内供は悩む。そして、周りの目を気にする。しかし、ある日、ある弟子が大陸から鼻が萎縮する術を手に入れて、それを試そうとする。その術とは、鼻を熱湯につけて、そのあとに、踏むというもの。内供は実際にそれを試みた。その結果、誠に彼の鼻は萎縮し、鍵鼻と同等なくらいにまでなった。しかし、長い鼻に見慣れていた周りの人々は、鼻が短くなったのを見て、さらに笑いをこらえられなくなった。この事態に、彼は、「人とはエゴに満ちている」と悟り、結局また鼻はある病気で元に戻り、そのおかげで彼の自尊心は保たれた。

芥川の初期の作品は、宇治拾遺物語などの古典をモチーフにしたものが多い。これは、岩波新書の「芥川龍之介」という本の中で、彼の育ての親(おば)が彼の幼少時代に本を読ませて、聞かせてあげたことで、彼の知性の源は、この読書にあると述べている。だがら初期の作品は結構読みづらいが、趣深くも思える。

そして、この内容の真意である「人間のエゴ(利己主義)」をうまく書いている作品である。
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武者小路 実篤 「友情」
2007-09-19 Wed 00:47
友情 (新潮文庫) 友情 (新潮文庫)
武者小路 実篤 (1947/12)
新潮社

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武者小路実篤の「お目出度き人」、「友情」、「愛と死」といったら、彼の中での3大恋愛小説であろう。私は、そのなかの「友情」を手に取ったわけだが、こんなに文芸小説が面白いと思った作品はなかった。

内容はそう複雑なものではない。野島という新鋭作家と、その親友の大宮の友情と恋愛の話。野島は、彼の友達の仲田の妹の杉子に恋してしまって、大宮に相談する。大宮はその彼女を知っていた。野島の相談を聞いて、彼は快くバックアップをしようとする。そして、彼の従妹の武子を利用して(彼女と杉子は友達同士)、杉子に接近し距離を縮めていく。ピンポンをしたり、別荘に行ったり、海水浴をしたりして…。しかし、大宮が海外に行くときに、杉子が野島に見せたこともない表情をしていることに野島が気づき、自分が愛されていないことを感づく。後に、大宮が巴里に行ってから、杉子は手紙を出す。恋文を。そして、大宮は彼女に「野島をかばうのは、友情を重きにおいているからだ」と言われ、見抜かれてしまう。そして、大宮は野島宛に小説を書き、自分の気持ちと彼女の気持ちを打ち明けた手紙を書く。その手紙を見た野島は、仕事上で「宣戦布告」することを誓い、話は終わる。


この本を読んで、私はものすごく「野島」の心持と似ている境遇に出くわしたことがある。というか、私の今までの恋愛は、まさに「野島」のような恋愛だったのかもしれないと、彼の心持を私自身に投影してみた。

かつて、私は大学一年のときに、杉子のような女性に出会った。私が出会った女性は、容姿端麗で、音楽の才女。しかし、笑うととても無邪気で、誰からも愛されそうな交際家。私は、彼女を見た瞬間に、恋に落ちたといわざるを得ない。しかし、私はその恋に焦り、成就しなかった。彼女は、私のことを尊敬しているといったが、私のことを好きだとは言わなかった。当時の私にとって、尊敬されることは、好きだと思われることと同等に思い、私の価値観では好きな部類に属すると考えていた。しかし、この失敗から、それは全くの誤解だということに気づき、随分その事実を受け入れられなかった。もしかしたら、今の私でさえもそうかもしれない。少なくとも今の私は、昔の私よりも進化し、知恵をつけたつもりだが、この観念に対しての否定は、受け入れがたいものだ。

そして、私はこの恋に急いだ理由は、私自身が何かをやらなくてはいけないという、そして、受験勉強を終えて、目標を見失った当時の私にとって、目標がなかったことに恐怖し、彼女を得ることと、目標を探すことを天秤にかけてしまったからである。そして、私が選んだ答えは、目標を探すためには、一秒でも早く、色事を成就させる必要があるということ。今となって分かることだが、それに結びつけ、恋愛感情を軽視したことが私にとって最大の失敗点だと考える。

しかし、この失敗は私にとって、大きな失敗だった半面、大きなものを得た。私は、「野島」の如く、悲しき孤独な獅子となることができた。そして、これからもそれを貫き通し、私は私を脅かすもの、私が私でないかもしれないと思わせるようなものを排除していくつもりである。

私は、これは世界の秩序やモラルに反していて、大抵の人間には受け入れがたいものだと思う。

しかし、この本を読んでいて、大衆文化が流行りだして俗な社会になろうとしていた時代を生きた武者小路実篤は、彼のような生き方もあるんだと肯定しているようにも見えた。

「恋をして、成功して成就し強くなる者もいれば、恋に破れて、その逆境に耐えて、強くなる者もいる」

彼は私に生きる知己を与えてくれた。そして、恋愛は人生において美であることを教えてくれた。彼の小説には、当時の日本情勢が容易に把握することができる。腐敗してきた日本を救うべく、思想を重要視する点を強調し、野島に対して、希望をこめてそれを最大限表現したようにも見える。そして、そういう人間も必要であることを示すことで、われわれに生きる強さを教えてくれたと考える。

私は大人っぽい「大宮」よりも、癇癪をおこしやすい「野島」のような生き方のほうに共感がわく。「野島」は理想の女性像に、「自分自身が前進し続けても、寂しいときにはそばにいてくれるということ」を挙げていた。これは、反面彼のエゴイスティックな気持ちも見受けられるが、こういう風に生きずにはいられない人間もいるんだと思う。

ときに私もこんな女性がいたら、どれだけ仕合わせな気持ちでいられるかと思う…。

しかし、私はやはり「孤独な獅子」だ。
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太宰 治 「人間失格」
2007-09-17 Mon 01:10
人間失格 (新潮文庫 (た-2-5)) 人間失格 (新潮文庫 (た-2-5))
太宰 治 (1952/10)
新潮社

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この本を読んで、初めて私の思うような悩みを抱えている人間がいるんだということに気づいた。もし太宰治が私と同じ世代の人間であったら、必ず友達となっていたことだろう。たとえ同世代でなくて、ひと世代上の人間であったとしても、彼のことを師事したことだろう。私は太宰治の教義にものすごい感銘をうけた。

彼の文学は確かに暗いし、それがゆえにキライだという読者も多いかと思う。全くといっていいほど評価しない文芸評論家もいる。太宰の社会批判の準備段階として、「社会は、自分自身を自己破壊・自己批判をして初めて批判することができるんだ」というようなことを述べている。そのイズムが、晩年の太宰であるのは想像に難くない。周知の事実だが、彼は自殺未遂を2回ほどしているのだから。

今回の「人間失格」の中で展開されている葉蔵の姿は、まぎれもなく太宰本人を映し出していることに他ならない。彼の姿は、小さいころから自分の意見は言えず、引っ込み思案の少年で、常に自分自身が悪いんだと思うくらいのネガティブっぷりをみせる。しかし、それを隠すために彼は他人の前では道化る。つまり、本性を見せもしなければ、感づかせようともさせない。それを感づく人間が2人存在したようで、彼はそれにおびえて人生を送っていた。

私も同じような性をもっている。彼ほど、ネガティブだとは思わないが、私はずっと自分ができると思っていても、他人に冷やかされるだけだとか、バカにされるのが怖くて、自分の思っていることを口にはしない。私の口にすることは、大抵は理想論か願望である。だから、よく私の言うことは、「地に足が着いていない」とか「現実からあまりにもかけ離れている」といわれることが多い。だから、実際には私の腹の底を知るものは、現存している人々の中では間違いなくいない。私が最も中の良いと思う友人は2人いるが、その人間たちでさえも私の腹の底は見せた覚えはない。つまり、私の口から出るのは誠ではなくて、すべて虚偽。アリストテレスが言った、「書いたものはすべて虚偽である」というのはあながち正しいのかもしれない。彼はまた「人間は政治的生物である」とも言っているが、この駆け引きは近からず遠からずの名文句ではなかろうか。

こういうことから、私は同じものを感じるといわざるを得ない。もちろん、私は太宰よりもはるかに稚拙で、愚かな人間だと自覚しているが、そんな私でも、彼の微々たる感受性と節目節目に漏らした彼の気持ちの吐露を感じることができたと思う。

彼のピエロのような行動は結局破綻してしまい、その逃げ場として彼が選んだのは、女だった。そして、女に狂って、溺れて、破滅への道を辿る。「自己破壊」へのファンファーレを鳴らしたのである。最終的に、薬漬けになって、脳病院というところに連れて行かれ、彼は自分自身に「人間失格」という風に捺印する。狂人となった瞬間。彼は初めて我を悟り、世界を悟った。

かつて1967年に解禁された「まぼろしの市街戦」という映画で、反戦をモチーフにしたシーンがある。2つの町の軍隊が相対峙するシーン。ある2つの町がにらみ合いを続け、結局戦車で互いを殺し、互いに死を分かち合って、精神病患者は開放されて、戦争を起こさない精神病患者こそ正しい人間だといいたいが如く、戦争とはとても愚かな行いなんだということをしろしめた内容だった。

太宰の「人間失格」の構想は、おそらく戦後にねられたもので、すべてを失った第二次世界大戦後の日本人にとっては、彼のいうものは、誠に見えたんだと思う。そして、これしか誠に見えないくらい、日本人の心は頽廃していたはずである。つまり、この戦後の「人間失格」ブームが、日本人に社会がだめだったんだ、世界がダメだったんだというような批判の火付け役となったのではなかろうか、と私は考える。

そして、この太宰に目をつけた私にとって、今の社会は「頽廃」を越えた頽廃を迎えるのではないかという思想は、私を眠らせなくするのは言うまでもない。しかし、同時に、私の自己破壊もつづいていると思うと、少し哀しくなる。
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原口 安義 「芥川龍之介」
2007-09-05 Wed 19:09
芥川龍之介 (岩波新書) 芥川龍之介 (岩波新書)
関口 安義 (2003/05/20)
岩波書店

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この新書には、芥川龍之介の一生を事細かに紹介されている。彼の幼少時代の生活、彼の交友関係、彼が作家になった理由など、ものすごく細かくかつ分かりやすく書かれていた。

文学者や作家ときくと、私のイメージでは、すぐに癇癪を起こしたり、自分の世界をもってその殻にこもって、一国一城の主であるが如く生きている人間ばかりなのかと思ったが、彼は少し違ったようだ。幼少時代は、文字や本に触れて、普通の子供とくらべて子供らしく外で遊んだりしたわけではなかった。そうさせたのは、彼のおばであったのだが、そのおかげで彼は後に優秀な成績をおさめ、エリートへの道を歩いたのはいうまでもない。

ここまでは、けっこうめぐり会えそうな人格ではなかろうか。確かに、彼は一高時代に様々な雑誌を刊行して、詩や戯曲、小説を発表していた。とてもバイタリティーがあるとは思う。しかし、勉強ができる連中で、酒が好きでなく、言葉をあまり交わさず、孤独を好むのは、月並みな情景ではないかと思う。しかし、彼は、吉田弥生との失恋がすべてを変えた。彼はこの事件から、彼の養親のエゴイズムとわが身のエゴイズムに気づき、それに苦しむわけであるが、このことを「羅生門」に思いのまま文字を書き連ね、彼はエゴイズムが生じていることを感じるのと同時に、自分は解放された、またはされたいというpretentionが生まれ、彼は水を得た魚のごとく、人生がうまい具合に転がるのである。

私はこの部分のくだりを読んで、私もここで自分自身の精神を維持しなくてはいけないのだと思った。夏目漱石が芥川龍之介にこんな手紙を送ったことがあるそうだ。

「ただ、牛のやうに図々しく進んでいくのが大事です。牛になることはどうしても必要です。吾々はとかく馬になりたがるが、牛には中々なりきれないです。(以下省略)」

急いではいけない。石橋を叩いて渡らなければ成功しないということを、漱石は青年龍之介に「羅生門」刊行後に送ったそうであるが、夏目漱石はとても見識が広い人間だなとつくづく思い知らされた。そして、そんな漱石に認められた男にも、まだ若いというところが奥が深い。


私は恐れ多いが、このような人生を送りつつある。境遇は少し違うが、精神的な面持はとても似ている気がする。あえて私に関しての詳細は書かないが、芥川の人生を見習い、夏目漱石の手紙の言葉を考えてみて、今後の人生にいかせるようにしたいと思う。
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島田 洋七 「佐賀のがばいばあちゃん 」
2007-09-02 Sun 11:35
佐賀のがばいばあちゃん (徳間文庫) 佐賀のがばいばあちゃん (徳間文庫)
島田 洋七 (2004/01)
徳間書店

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島田洋七の祖母(がばいばぁちゃん)の話を書いた本。弟弟子の島田新助は、「こんなばーちゃんはいない」とギャグをとばしていたが、実際には、彼が出版したほうがいいといって書いたものが大ヒットしたわけである。

読んでみて、本当に「こんなばーちゃんがいるんか?」と思うような内容ばかり。磁石で金属を集めたり、川から流れてくる野菜を食べたり、湯たんぽを水筒代わりにしたり…。すげーよ。がばいばーちゃんだった。

島田洋七はこんな生活をしていて、何も感じなかったわけではなかったのであろうが、かなり鈍感な人なんだと思った。しかし、それは私がものにあふれている世界でしか生活したことがないから、そんなことを言えるのかもしれないとも思うわけで、今の世の中は不況といいつつも、目に見えるものはみな豊かである。きっとこういうことは、貧乏生活した人間にしか見えない光景なんだろう。

私もスウェーデンでは節約生活をしたが、まだまだ苦労は足りない。でも、スウェーデンの生活をしたから私は以前より贅沢を言わなくなったし、客観的に日本を見つめることができた。彼ほどの極限生活は経験したことがないが、私は彼のいわんとしていることは伝わった。

この本は、ギャグかよと思う内容も多いが、真摯に受け止めることにより、我々が大切なものに気づかせる…はずだ。

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村上 春樹 「風の歌を聴け」
2007-09-01 Sat 18:46
風の歌を聴け 風の歌を聴け
村上 春樹 (1982/07)
講談社

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村上春樹の処女作。自分がどうして小説を書くようになったのかを散りばめながら、鼠と僕とのやりとりが始まる。この話は私の解釈では、村上春樹自身の自己分析的な小説かと思った。

あまりにもいろんな話が飛び交いすぎていて、読みづらかったってのが正直な感想。無駄が多い文章な気がする。登場人物の問いが多く、くどかった。ユーモアがあるとは思うけどね。

おススメはできないかな。私の好きな文章体ではないから、そう思うのかもしれない。まだ彼の作品はあまり触れていないから、少しずつ評価が変わるかもしれない。
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