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2007-11-18 Sun 23:57
図書館で借りてみた。実際に真剣には読んでいないかも。実際にバタイユやレヴィ=ストロースとかの思想が存分に書かれているのかと思いきや、主に彼らの生きていた時代背景についてや学歴や人間関係のみで、とってもうわべだけなものだったので正直面白くなかった。でも、そう思うのは、私がバタイユなどをよく知らないからというのもあるし、一概に全否定はできないが、興味がある人、歴史的に読もうとする人は案外面白く処理できると思う。 |
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2007-11-09 Fri 02:51
この本には、ジャン=ポール・サルトルの代表的なトピックを、著書を紹介しつつ、原書よりも簡潔な文章で、彼の思想の概要と基礎的内容が書かれている。私みたいに哲学初心者にはもってこいの本である。主に実存主義、アンガジュマン、ジェネロテジについて書かれており、さらにそれらに付随した様々な問題を取り上げている。これがとても面白い。 彼の考え方は、受身的というか、対自的にものを捉えているのである。彼は、実存主義とは「実存は本質よりも先にたつもの」と定義した。本質は、「私は日本人」と言うように、まさに本質的で「〜ある」ということをを指し、実存とは、「私は東京にいます」のように、「いま〜いる」ということを指す。そこで、彼は物との比較も行う。本の中では、ペーパーナイフが出てきている。ペーパーナイフは、職人が作る以前にペーパーナイフを作ろうと存在する前に現れている。つまり、これはペーパーナイフにとって本質を意味し、ペーパーナイフが「ある」ことを示す実存は、本質よりも後にくる。物に関して実存主義を用いて表現すると、「本質は実存よりも先にたっている」わけで、人間のときと逆転するのである。 では、そこで生じる問題は、人間に関して、「本質が実存よりも先に来ること」があるのかというと、そうではないと解く。神が人間を創ったといえば、そういえるが、現実はそうではない。だから、それはなしえないと、サルトルは解く。これは、デカルトの「I think, therefore I am.」(我思う。故に我あり。)と一緒で、自分が考えているから、私は存在しているということを示しているように、対自的であるのである。 実はこの視点は、今日問題になっているものに対しての解決すべく論理かもしれない。また、これによってまた新たな問題が生じている。つまり、過去は新しい解釈がされて、みえてないもには解釈を与えて明確にしている。まだまだ考えたことや復習したいことはたくさんあるだが、これに対しての個人的な深い考えというか意見は、別のところで表したいと思う。 私が見えなかったものが、かなり見えた。私に本の面白さと、人間性の神秘さと、ものに対しての姿勢・考え方を教えてくれたテキストだといえる。超おススメ。 |
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2007-10-28 Sun 05:08
この本での指摘は興味深かった。主に映画のセリフから、問題提起のインスピレーションがうかんでいるようだ。私の語学力の浅はかさを露呈してくれた本であった。内容は文法的なエッセンスが多いので、文法が苦手な人は、または文法をある程度基本レベル〜実用レベルで使いこなせていないと、つまらない文法書の延長としか捉えられないかもしれない。しかし、ある程度熟知している人にとっては、細かい一語でこんなにも意味が変わってしまうことに打ち震えることができると思う。英語を真剣に勉強する人は、娯楽として読むべきかも。 |
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2007-09-05 Wed 19:09
この新書には、芥川龍之介の一生を事細かに紹介されている。彼の幼少時代の生活、彼の交友関係、彼が作家になった理由など、ものすごく細かくかつ分かりやすく書かれていた。 文学者や作家ときくと、私のイメージでは、すぐに癇癪を起こしたり、自分の世界をもってその殻にこもって、一国一城の主であるが如く生きている人間ばかりなのかと思ったが、彼は少し違ったようだ。幼少時代は、文字や本に触れて、普通の子供とくらべて子供らしく外で遊んだりしたわけではなかった。そうさせたのは、彼のおばであったのだが、そのおかげで彼は後に優秀な成績をおさめ、エリートへの道を歩いたのはいうまでもない。 ここまでは、けっこうめぐり会えそうな人格ではなかろうか。確かに、彼は一高時代に様々な雑誌を刊行して、詩や戯曲、小説を発表していた。とてもバイタリティーがあるとは思う。しかし、勉強ができる連中で、酒が好きでなく、言葉をあまり交わさず、孤独を好むのは、月並みな情景ではないかと思う。しかし、彼は、吉田弥生との失恋がすべてを変えた。彼はこの事件から、彼の養親のエゴイズムとわが身のエゴイズムに気づき、それに苦しむわけであるが、このことを「羅生門」に思いのまま文字を書き連ね、彼はエゴイズムが生じていることを感じるのと同時に、自分は解放された、またはされたいというpretentionが生まれ、彼は水を得た魚のごとく、人生がうまい具合に転がるのである。 私はこの部分のくだりを読んで、私もここで自分自身の精神を維持しなくてはいけないのだと思った。夏目漱石が芥川龍之介にこんな手紙を送ったことがあるそうだ。 「ただ、牛のやうに図々しく進んでいくのが大事です。牛になることはどうしても必要です。吾々はとかく馬になりたがるが、牛には中々なりきれないです。(以下省略)」 急いではいけない。石橋を叩いて渡らなければ成功しないということを、漱石は青年龍之介に「羅生門」刊行後に送ったそうであるが、夏目漱石はとても見識が広い人間だなとつくづく思い知らされた。そして、そんな漱石に認められた男にも、まだ若いというところが奥が深い。 私は恐れ多いが、このような人生を送りつつある。境遇は少し違うが、精神的な面持はとても似ている気がする。あえて私に関しての詳細は書かないが、芥川の人生を見習い、夏目漱石の手紙の言葉を考えてみて、今後の人生にいかせるようにしたいと思う。 |
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2007-08-13 Mon 22:21
森英恵の生涯を綴った本。それと同時に彼女のファッション観はどういうものかが、彼女なりに語られている。 私は、森英恵は日本人にまれに見ぬactiveな女性だと思った。今では女性が世界に出て活躍したり、家庭を離れてどんどん社会進出をするのは当たり前になっているが、彼女が最盛期を生きた今から20〜30年前は、「女性の社会進出」なんて夢のまた夢の物語にすぎなかったように私は感じる。 その時代は、池田勇人の「所得倍増計画」が始まって、工場などの設備投資が活発に行われて、わが国は高度経済成長を遂げ、世界の先進国に肩を並べられるレベルまで到達したときであり、その時代の男性はとにかく汗水たらして働いていたに違いない。これは私の父がよく言っていた。だから、女性は家の中にいて、自分の子供の世話や、家事に専念し、内助の功として役目を果たしていたはずである。それが当時では、普通の家庭像であった。 しかし、そんな家庭像とは背を向けたがごとく、「ファッション」というlife toolを駆使して突っ走ったのが、森英恵である。彼女は、間違いなく「日本ファッション界の先駆者の一人」として名をあげられるであろうが、その裏側ではとても苦労していたのが分かった。私は、「森英恵」と聞くと、「ブライダルドレス」や「オートクチュール」というようなイメージしかなかったのだが、とんでもない。この本の中で、日活映画の衣装を手がけていたことを知って驚いた。 そして、当時流行った原色主流の服をimportして、日本人に色の豊かさを与えたことを知り、彼女がどれだけglobalに社会を見ていたかが読み取れた。ファッションをやる人間は、決してバカではできない。もちろん技術がなければ、クリエーターにはなれないが、その作品のinspirationを生むためには、様々なbackgroundが必要になってくる。彼女は、「どうして奇抜な色を好んで店頭に出したのか」ということをこのように語っていた。 「戦後は、見るものすべて焼け野原。周りには色がなく、すべて灰色だった。だから青い空がきれいに見えた。あんな空みたいな色が、もっと日本にあふれればいいのに」 私は、実際に戦争を体験したことがないから、このようなbackgroundはないし、現代社会のものがあふれた世界に生まれたから、「色がある」とか「明るい」というようなことはすべて当たり前に見えているから、彼女の色への敏感さには脱帽である。私も色には敏感であると思っているのだが、まだまだ修行が足りない。上には上がいるとはこのことである。 あと、彼女がファッションの道へ進んだのは、彼女の父がお洒落だったことも大きかったのではないか。戦前でオーダーメイドで服を手に入れていたとは、どれだけ裕福だったのだろう。環境には恵まれていたってのも、少なからずあるのかな。もちろん彼女の努力なしで、あれだけの功績はのこせないだろうけどさ。 ちょっと感心した。 |
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| caseな生活 (書籍紹介編) |
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