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2016
01.19

センターの雑感+医学部受験開始後の予備校の状況

Category: 未分類
さて、センター試験の自己採点が出てきましたが、

英語で大コケした学生が数名いましたが、

どんなに悪くても175点近辺でほぼ我が軍の学生はカバーできたようです。

個人的には、demonstrateの発音問題が難しかったです。

そこだけ間違えましたが、あとは満点でした。

うん、60分もあれば190点は容易に取れる問題でした。

残念ながら今年も満点はいませんでしたが、

190点オーバーの声は多く聞けました。

教え子の半分ぐらいは190点±3ぐらいです。

今年はみんな順当だったので、大化けした学生はいませんでした。

去年とかは70点更新とかいたんですけどね…。

今年は早くから実力が出来上がっていたので、爆発的に頑張ったというよりは

コツコツちゃんとあるべき方法で勉強してきたのかなと、

彼らには称賛を与えていました。リスニングも30点代が2名いましたが、

ほぼ全員1問ミスで抑えられたので

(今年は難しかったから心配だったが…)問題なしです。

大コケした学生のうちの1人が少々心配ですが、

これから個別で相談してきます。名大医学部へ挑戦するかどうかの瀬戸際ですので

色々考えてみようと思います。3%下回っても受かるぞ!っていう気持ちを持っているかですね。

今年はそれ以上に国語で高得点の声を耳にします。

現代文だけでしたら満点っていう学生も非常に多かったです。

医学部のセンター利用では使えますわ!

ただ文系学部はどれも比較的簡単だったので、ボーダーが上がるでしょう。

でも、わが軍の文系組は数名しかいませんが、

押さえるべきところをしっかり押さえて早稲田と慶応に臨めそうです!

化学と数1Aが難しかったみたいですね。理系の人々は影響したように思います。

でも、国立受験者は2次で挽回しましょうね!まだまだいけますよ!


そして予備校はもぬけの殻ってって感じで、学生が少ないです。

私は高校受験生の直前講習をしておりますが、今の私立高校最上位の英語は難しいですね。

平気で大学受験レベルのものが載っていたりします。

でも、中学生の知識レベルで教えないといけませんので、苦労することもあります。

その学生の合格を1つ聞けたのでよかったのですが、

まだまだ本命等が残っているので、頑張らなきゃですね!

今日から医学部私立が始まりましたね。頑張ってきてくださいね!!
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2015
01.07

心は折れても、迷いに迷っても、今何を選択するかが大事!

Category: 未分類
この時期になると、精神的に折れる生徒も少なくありません。

模試でも結果が思わしくなくて、時間は刻々と過ぎていき、

難しい問題とも対峙していかなければならないと思うと、

だんだん心が折れてくるものです。

しかし、私は折れていくのであればしょうがないと思ってしまいます。

それは「その人が弱いからしょうがないじゃないか」と思うのですが、

受験は人々に平等に与えられているので、

それも実力の一つ。

受験に対応するぐらいの精神を持ち合わせるのも勉強において必要だと思っています。

勉強をするときは、引けを取ってはいけません。

引くぐらいなら高みを望まない方が幸せです。

中途半端に何かを習得すると、何もしていないときよりも

物事がわからなくなるものです。

だから私は勉強を本気でするかどうか迷っている人にはいつもこういいます。

「やるならとことんやる気でいたほうがいい。

そうじゃないなら友達と遊んで楽しい人生を送るべきだ。

勉強だけが人生すべてじゃないし、

勉強ができなくても楽しいと思える人生はたくさんある」

勉強することでいい人生が待っている保証はありません。

ただ勉強する行為だけしていたって、

自分がどうやって生きるかに影響させられなければ、所詮は知識の持ち腐れで、

それは結局知識とは言えません。

ただ、勉強することで

勉強していない人よりも少々早く

自分が思っている人生に近づくことはできるかもしれません。

やっているからいいというわけではないですが、

やっていない人よりは世界が見えやすくなります。

こういった話は最初から考えて勉強していかなければなりません。

最近の浪人生は、

特にこの深い意味での勉強に欠ける人が多く見受けられます。

ただ、最悪MARCHならどこでもいいや、旧帝ならかっこがつくといったような

うわべの目線でしかものをみておらず、そのための勉強しかしていません。

それは手段だから当然とはいえ、少々下衆な手段です。

手段というものに目が行き過ぎています。

だから、少々結果が悪いとすぐあきらめる、

以前に声明したことをうやむやにするといった行為を、浪人生はしがちです。

(浪人生全員に言ってませんからね。そういう人も増えてきたってことですよ!)


こんな風にならないように心がけましょう。

手段と目的をはき違えないことを心掛けて

人々は勉強をしていかなければなりません。

まあ要は、人生を一変させるとか、勉強するといった類のことは

少々不断の覚悟が必要になってくるということです。



よって、目標を掲げるときは自分の目先の2歩先をみて

決めるべきです。

予測以上に実力が早くついてしまった、

ある事情(悔しい思いをした、ある相手を見返したい、弔い合戦など)で

高い目標に近づきたくなってしまったら、

そのとき何が足りなくて、何をえなければならないか考えればいいのです。

物事は理屈が通らない時もありますが、

順序を追ったうえで考えなければなりません。

それを飛び越して、何かを求めるとその歪みで代償を負うことも。

この恐怖を越えて、人は一時的に強くなったり、

人にいたわりを与えたりできるようになります。


さーて、一歩踏み出せるかは、その人次第。

でも、そう決めて、物事が進んでいってダメだと思ったときは、

私たち講師が叱責するでしょう。

一度決めたことに対しては、

心が折れたときに弱くなるのではなく、虚勢でもいいから強くあろうとしてください。

うわべはきったなくみえますが、

個人的には

その虚勢に人間の数少ない凛々しさが垣間見ることができると信じています。

(シニシズムに関連する見方かもしれませんが…)


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2014
10.04

ナポリ滞在して~都市と英語~【以前に投稿しました】

Category: 未分類
最近、イタリア人と話すことが増えました。そして、友達が増えました。

いいイタリア人が周りに増えたので、ナポリとカプリ島に行ったときの話をしたら

喜んでくれました。あとリビアからの移民がめっちゃ増えた話もきけました。

そんな会話をしていたら、昔のナポリ話を引っ張り出したくなって、

ここに載せます。読んだ人は今日はブログお休みの日だと思ってください(笑)

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バカンスというのはとてもいいもので、嫌なことを本当に忘れてしまいますね。

日本の航空会社も安くなったことだし、

今年は韓国や中国といったアジア諸国に赴こうと思います。


イタリアでバカンスを楽しんでいたわけですが、

今回の旅は、私にとって勉強になった旅でした。

今回は家族で旅行したわけですが、

一人の放浪旅行と家族旅行では、勝手があまりにも違って、

私はとても戸惑い、どこか煮え切っていないところがありました。

そして、イタリアという国が私が想像していた以上に、

先進国といわれる国といえども底辺に位置しているなということを

感じたくなくとも感じざるをえないといった感情を抱きました。

まあ、ここまでのことを要約していえば、

私が少し大人になって、海外の実情を知ったということです。



家族に関する話を受験と関連させてお話をしたいところですが、

それ以上に私は少しナポリにいて思慮したことを、

受験生やその保護者様へ何か伝えたいなと思います。


私は過去にアシスタント・デザイナーとして

一度ミラノという都市に行ったことはあっても、

周りは世界の一流モデルとデザイナーとセレブの中に囲まれていたので、

ミラノという都市像をとらえることができませんでした。

また実際にショッピングをしたり、街を散策したりする時間がなく、

やはりイタリアの実情を知ることができずにいました。

そんなわけで、今回が私にとっても初イタリアといってもおかしくないのですが、

ナポリという都市に滞在したときに、思っていた以上のギャップがありました。

私はナポリという都市が

中世のローマ帝国にあった軍事都市であることは知っていますが、

それ以外の知識は持ち得ていませんでした。(恥ずかしい)

でも軍事都市だったからでかいだろうと勝手に思っていたのですが、

なんか私が抱いていた都市空間とは異なっていました。

それを感じ得た理由は

英語が全くと言っていいほど通じなかったということです。

ナポリでまともに英語が通じたのは1回だけです。

帰りのチェックアウトを済ませる時に話したホテルのレセプションの女性だけでした。

チェックインするときにはホテルには従業員がおらず、

いたのは警官という異例の状況で、私はかなり戸惑ったのですが、

その人はほぼ英語は皆無で、片言でしかわかってもらえませんでした。

個人的にはシンガポールのが英語は通じないだろうと

勝手に思っていたのですが、

シンガポールのシングリッシュのがまだマシで、

タクシーの運ちゃんでさえ英語は聞きづらくとも話せました。

しかし、イタリアでは英語で対応しようと思っても、わかってもらえません。

私が勝手に先進国だと思っていたイタリア像が、

彼らとの会話のやり取りで崩壊してしまいました。

私は、都市空間の条件として

やはり一般人の間でもある程度英語が通じることも含むんだと

思っています。

私のいっている「都市」は多分傍から聞いていると

「(国際)都市」と同じニュアンスに聞こえるかもしれません。

こういうと、こんなことを思う人もいるかもしれません。

「日本だって東京は良いにしても、

大阪や、名古屋や、福岡(いったことがないからわかんないが)は

都市といえないかもしれねーじゃねーか」

私の独断と偏見的な定義にぴったりはめてしまうとその通りなのですが、

しかし

個人的に外国人が名古屋とか福岡とかをぱっと思い浮かべてくれないのは、

英語が多用されているかどうかに比例するところが

少なからずあるのではないでしょうか。

外国人に「日本の都市を言って御覧」と質問しても、

まず出るのは「東京」と「京都」と「大阪」ぐらいなもんで、

「埼玉」とか「滋賀」といった地方都市が出ることはまずないでしょう。

そう思うと、皆さんがふつう思い浮かべる「都市」は、

やはり「東京」や関西だったら「大阪」といったイメージが強く

あるのではないでしょうか。

このように都市を分別できるわけですが、

その条件の中には、やはり今の時代であれば

「英語ができる」ことを入れてみてもいいんだと勝手に思っています。



よって、名古屋もそうですが、都市に住む以上

土地が広く、その空間が充実しているわけで、

地元の人間はもちろんのこと、外国人も住もうと思えば住めるわけです。

そして、多民族で構成される可能性を容易に否定できなくなった今の時代では、

我々はどこかで共通の言語を使用しながら

他者とその都市空間で共存していかなければならないと思っています。

ヨーロッパ諸国でも、

こういった状況を危惧して、移民排除へ積極的な活動を起こしている国もありますが、

(ノルウェーでのテロは悪い典型例だけど、移民排除が目的でしたよね)

やはり自国で理不尽でどうしようもない状況の人(フィリピンのスカベンジャーとか)が

能力があるのにもかかわらず、冷や水を飲まされて生きているのも癪だなとも思うと、

グローバリゼーションの波に乗って、移民として基盤がある国へいって、

尊厳をもって生活するのもありなんだと思います。

ナポリは確かに黒人やスラブ系の人種も多く住んでいましたが、

どこかイタリア人とは隔絶があるように見えました。

これはどこにでもあることとはいえ、イタリアではそれを強く感じました。

また同時に、ヨーロッパ人の間でもどこか隔絶があるようにも見えました。

ヨーロッパ人の中でもイタリア人は異質なのでしょうか。(よくわかりませんが)

そう思うと、ナポリは別に移民の排斥運動をしているわけでもなく、

かといって、移民を快く受け入れたり、異民族と共存したり、

国際都市として生まれ変わろうという動きもないので、

どこか時代に取り残された都市のように見えました。

(いいか、悪いかは抜きにしていっています。あくまでも雑感です。)


ここで私の今までの考えを少し覆されたようにも感じました。

すなわち、

「ヨーロッパの主要諸国であれば、それなりに英語は処理してもらえる」

という考えが、ものすごく甘いものなんだと実感しました。

英語ができるのはやはりどの国でもある一定のレベルに到達している人であって、

culturalであるということなんでしょうね。


じゃあ、英語ができなくてもいいのではないかというと、

そうではないです。

残念ながら、今の時代が求める我々への能力は、

雑多の集団の中でもコミュニケーションが最低限とれることが一つあげられます。

その手段が英語であることはここ50年は間違いありません。

つまり、私が生きる世代はもちろん、

その周辺の世代も英語とは切っても切れない関係のように思います。

ただ、どこかで私たちはその事実に安座るのではなくて、

「郷に入れたら、郷に従え」の精神に則って、

その都市の主体性を考える心があってもいいのかもしれません。

それを理解するためには、

もっと英語はもちろん、私がわかるフランス語やオランダ語も

もっと真剣に勉強しなければならないなと改めて考えさせられました。


受験で英語を勉強できるということを有意義な時間だと思ってください。

大学受験の時に、しっかり英語の勉強をしていない人は、

この先英語を再挑戦しようと思っても、ものすごく苦労します。

是非とも、今のうちに苦労しておきましょう。

そのお手伝いができるのが、

私の今の仕事なんだと、思考を回帰することができました。


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2014
09.28

無意識に支配されているのか?

Category: 未分類
先日、中学校のお友達からお電話がかかってきて、

久しぶりに会うことを決めて少し話しこんでいました。

その彼は優秀で、創価学会のホープ的存在であります。

自分と彼は、世界についての考え方は全然違うのですが、

話をしてると結構時間が経ってしまいます。そして無意味な勧誘をしてきます(笑)

もちろん、私は創価学会になんて入りませんがね(笑)


そんな会合の後、私は久しぶりに映画を見ました。

「地上より永遠に」です。(英語のタイトルは「FROM HERE TO ETERNITY」)

どうでもいいですが、最近英語のタイトルも覚えようと努力しています…。

理由は、外国人とと映画の話をするとき、すぐに話がかみ合わなかったからです。

昔から古い映画が好きで以前はよく観ていましたが、

最近はなかなか時間が取れず、DVDでさえもみてませんでした。

さて、この映画は1953年のアカデミー賞作品賞、監督賞、

助演男優・女優賞、脚本賞などを取った素晴らしい作品です。

また「ローマの休日」もこの映画と同じ年に作られて、

「地上より永遠に」でオスカー総なめとはいきませんでした。

ちなみにこの年、オードリー・ヘップバーンは主演女優賞を受賞しております。


この映画は1941年、日本が真珠湾攻撃をする直前のハワイが背景になっていて、

当時のアメリカ軍の非情な人間性を活写した映画です。


主人公が、ボクシングで昇進できる軍隊に転属してきたのですが、

その彼は以前に、

ボクシングで友人を失明させてしまい、もう二度とボクシングはやらないという…。

しかし、その態度を軍曹や大尉は気に入らず、

彼に理不尽な強制労働を行わせる…

例えば、行進の練習や穴を掘ってまたその土を埋めるというもの…。

まあいってみれば、高官によるいじめです。

しかし、彼は、正直というか頑固者でそのいじめにも耐え軍隊での生活を送っていきます。

そんな生活の中のある日、彼は友人とクラブにいき、

そこである女性と出会い、二人は恋に落ちていく…。

仲が深まっていくと、彼女の家の合鍵を得て彼女との距離をさらに縮める…。

しかし、彼女は、軍人である彼とは結婚できないという…

いうまでもなくそれは、彼女が安泰を求めているからです。

その言葉を受けた彼は、何も反論せずに軍に去っていき、

そして、また高官によるいじめの日々が始まる…。

彼はさらにエスカレートするいじめに耐えていきます。

そんな日のあとのある夜、彼の友人がトラックの荷台に乗って、

刑務所みたいなところから脱走しするが、後に死んでしまう…。

このことに頭にきた主人公は、仇打ちを考える。

そして、バーの外でナイフでの激闘……結果、彼は刺されながらも、

友人を殺した高官を殺し敵討ちを果たした…。

そのことが、ハワイじゅうに知れ渡り、彼は身を潜める…

場所は以前クラブで知り合った女性の家。

そして、軍隊と離れた生活をしようとしていた…

しかし、日本による奇襲攻撃がハワイを襲う…。

それに感づいた彼は、また軍に戻ろうとする…

彼女は泣きながら彼の背中を見つめている…。

しかし、彼は去っていく…。

最終的に彼は、アメリカ兵により、不審者と思われ撃たれて死んでしまう…。

そこでおしまい…。(長々と書きすぎました。しかも内容わかりづらいな。)


この映画では、

真面目に且つ正直に生きた人々が痛い目にあっているのが、

よく写し出せれています。

やはり、大戦中の人々の意識や精神状態は狂っていたのでしょうね。

日本を例にあげれば、当時の日本で「戦争をしてはいけない」という言葉を発したら、

「非国民」というレッテルを貼られてしまう…と言う時代ですもんね。

ご存じアメリカは最後まで戦争を避けていたわけですが、

最終的には世界中の戦争ブームによって、意識が変わっていったわけですよね…。

この映画を見て思ったのは、境遇は違えども、

この精神状態は今の日本でも同じ光景がみられませんでしょうか。

真面目にやってバカを見ることってありませんか?

例えば、対して学歴はあるが賢くもない上司が、

日々頑張っている人を平気でリストラしちゃうとか…

大した大学生活を送らずへらへら仕事をする大卒と、

すごく頑張って仕事をしている高卒の人の給料に大きな差が出るとか…。

事態はまったく違うけれども、本質は同じのように思えます。


今の日本は完全に迷走しきっています。

なんでこんなヤツが先生や作家になってんだってヤツがたくさんいます。

ブログが広まってから余計ですよね。だれでも作家状態(笑)

高校の先生を引き合いに出せば、

高2のときの自分のTOEICのスコアは先生のスコアよりも上回っていたのですが、

「お前はどうして専門科目を磨こうとしないのか」と疑問ばかり抱いていました。

何が正しくて、何が正しくないのかが、もはやわからない世界になっています。

この原因は、「日本人の意識崩壊」…つまり、「日本人の無意識」にあると思います。

以前にある教授がこんなこと言っていました。


「世界は今、無意識に支配されている。」


うーん、今の世界にぴったりな言葉ではないでしょうか。

人間の思考が止まっている、ないしは普通ではなくなっているのは事実でしょう。

自分は日本人でありたいですが、

今その辺で歩いているような、

また何を考えているかもわからないような日本人にはなりたくないです。

世界では日本人と聞くと軽視されがちですが、

自分は世界でも尊敬されるような日本人でありたい。

そのためにまた私は精進し、

さらに私の生徒たちもそうなってもらおうと精進してもらっています。




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2014
04.20

大学受験の結果は高校の名前で決まらない

Category: 未分類
先月、母校の高校にいるある先生から連絡をいただきました。

どうやら、私の母校大宮西高校は二年連続国立大学進学者が出たそうです。

えっ?って思うかもしれませんが、

母校での実績からするとこのことはミラクルなんです。

というのは、10年ぐらい国立大学(地方国立もですよ!w)合格者がでないんですよ。

ちなみにその前は私の仮面浪人のときに受けた群馬大学医学部(ちなみに知らせていない…)

と友人が都留文科大学に合格したときなんですよねw

いやー、それだけ母校は進学に対して鈍感なんですよね。

でも、ここ数年の母校ではかなりいい学校へ変わっているようです。進学校化。

まあ先生は素晴らしい方が多いので、

体制を引けばこうなるだろうなーって思っていたのですが、

それが現実になっているように思います。


正直申し上げて、こうやって10年ぐらい国立大学合格者が出ない学校だって、

やっている奴は中にはいます。

先日、進路相談でこんなことを話す学生がいました。

「僕の学校ではとても東大や早稲田や慶応なんてでないんですよ。

僕がそうなれるわけないですよ…」といっていたのですが、

私は一喝しました。

「受験は高校の名前で判断しているのではなくて、

個別の人間一人一人をみているんだから、実力さえあれば何でもいいんですよ。

ほら、高校の勉強をそれなりにやって

大学受験準備をしてくれる塾にがっつり通って勉強すれば、

進学校とやっていることはそんなに変わらないし、

むしろ効率まで考えてくれるから都合いいじゃん!

大事なのは、お前がやってみたいのか、そうでないのかでしょう。」


なかなか前例がないと、躊躇してしまうものですよね、新しいことって。

でも、それができたら間違いなくその高校の歴史に語り継がれますよね。

それを夢見て勉強してください。



先日ある週刊誌が東大の数を出しておりましたが、

その高校の輩出率がno.1でも、東大にいけない学生はいけないんですよ。

受験で100%合格できる難関大学はありません。

誰が合格してもおかしくないのが、大学受験です。

来歴を気にせず、高望みして、それをイメージしながら勉強してください。

そうすれば、不登校であろうが、底辺といわれてしまう学校からでも

「あっと驚く」ような大学に入れるかもしれませんよ♪

やるだけやってから、考えてみましょう!



やはり東大合格最多高校は、開成でしたね。

上述していても、開成や灘や桜蔭などの学校はどうしても別格に見えてしまいますね(→矛盾w)

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